2015年07月12日05時49分掲載  無料記事
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世界経済

ギリシャ問題3 〜SYRIZAへの希望と不安〜 本山美彦(「変革のアソシエ」共同代表・京大名誉教授)

  2012年5月に実施されたギリシャ総選挙では、ギリシャ政府による緊縮財政策に反対する国民の支持を受けて、SYRIZAは、52議席(定数300)を獲得し、二大政党の一翼を担ってきたPASOKを抑えて第二党に躍進した。総選挙後の政権交渉が失敗に終わった結果、6月に行われた再選挙でも得票と議席を伸ばしたが、第二党に留まった。 
 
  そして、2015年1月25日に実施された議会総選挙では、単独過半数には至らなかったものの149議席を獲得した(ギリシャの国会は、政権をスムーズに成立させるために第一党に50議席を割り当てる決まりである)。これにより中道右派の「新民主主義党」や中道左派の「全ギリシャ社会主義運動」といった、従来の二大政党を抜いて、SYRIZAが、ついに第一党に躍り出た。翌26日、急進左派連合と同じく反緊縮財政を掲げる右派系の少数政党である「独立ギリシャ人」と協議を行い、連立政権樹立に合意、党首のチィプラスが首相に就任したのである。 
 
■チプラスと「二枚舌戦略」 
 
  アレクシス・チプラス新首相がドイツに対して放つ辛辣な言葉は、故アンドレアス・パパンドレウを彷彿とさせるものであるという記事を、英紙『フィナンシアル・タイムズ』(2015年3月13日付)が掲載した。 
  パパンドレウは、ギリシャ人が抱いていた強い反欧米感情を巧みに利用し、ギリシャを北大西洋条約機構(NATO)から脱退させると公約して1981年の選挙で勝利した。多くの人は当時、1974年にトルコが行ったキプロスへの軍事介入を防げなかったことでNATOを非難していた。 
  パパンドレウは米国政府に狙いを定め、ギリシャにある4つの米軍基地を閉鎖すると宣言した。これは、1967〜74年のギリシャ軍事独裁政権への米国の支援に対する人々の根深い鬱憤を晴らす公約だった。ただし、実情は、水面下の交渉で基地を存続させる合意を米政府と交わしたし、弁明もせずに、NATOの軍事演習への参加も再開したのである。 
 
  チプラスは、パパンドレウの二枚舌戦略を踏襲しているように思われる。 
  チプラスがパパンドレウの戦略を採用している1つの理由は、PASOKの古参議員たちが、厳しい経済改革の実施で担った役割のせいで同党が人気を失った後、SYRIZAに参加していることにある。 
 
  もう1つの理由は、この戦略が党内の反対意見を抑え込むのに有効であると判断したことにある。パパンドレウと同様、チプラスは大声でわめく極左派閥と闘わなくてはならない。SYRIZA内の過激派は、ギリシャが国際的な債権者と妥協することに猛反対している。 
  チプラスが、ドイツに対し、1600億ユーロ超の未払いの戦時賠償の請求を続ける姿勢を改めて表明したことは、そうした例の1つである。チプラスが、「第三帝国の勢力によってもたらされた犯罪と災害」を非難したのは、ギリシャがちょうど、現在の救済プログラムを完了することに関する「諸機関」(国際的な債権者のトロイカは最近、呼称が変わり、「諸機関」と呼ばれるようになった)との詳細な交渉を始めた時のことだった。 
  交渉が成功すれば、救済資金のうち72億ユーロ分の支払いが認められ、ギリシャ政府はドイツが提案している第3弾の救済プログラムに関する協議を始める可能性もある。そうなれば、ユーロ圏加盟国としてのギリシャの存続が確実になる。 
 
■舵取りの難しさ〜SYRIZA内の強硬派と連立政権の右派〜 
 
  しかし、マルクス・レーニン主義者からベネズエラの故ウゴ・チャベスの支持者まで多岐にわたるグループからなるSYRIZA内の「左翼プラットフォーム」を説得することは容易ではない(The Financial Times, 13 March, 2015)。加えて連合相手には右派のナショナリストもある。 
 
  案の定、国民投票後の7月8日にチプラス首相がメルケル独首相に妥協案提出の用意があると電話したことに、SYRIZA政権の「エネルギー・環境担当相」で左翼プラットフォームの一角を担うパナヨティス・ラファザニが同日、早速国民投票の結果を裏切るな、妥協はするなと、強い調子で非難した(『フィナンシアル・タイムズ』電子版、2015年7月8日)。 
 
  一時は衰退していたギリシャの極右勢力も、SYRIZAの伸張に対抗して、復活してきた。「黄金の夜明け」(Golden Dawn)という名称のネオナチ党が台頭してきている(以下、GDと略する)。党のスローガンは、「血、名誉、黄金の夜明け」である。党名は、党首ニコラオス・ミハロリアコスが1980年12月に創刊した雑誌の名前に由来している。2010年代に入るとギリシャの経済破綻を背景に支持を伸ばした。 
  GDは、1930年代後半に首相として全体主義体制を築いたイオアニス・メタクサスの思想に共感している。 
 
■ギリシアに潜む全体主義思想 
 
  1935年にギリシャの王政復古があった。1935年の総選挙でギリシャ共産党(KKE)が議席を獲得したことに危機意識を持った国王は、当時陸軍相であった反共主義者のメタクサスを暫定的な首相に任命した。同年6月、メタクサスは非常事態宣言を出し、議会を停止、憲法の無期限無効化を宣言した。1936年8月には独裁者としての権力基盤を固めた。メタクサスは野党を非合法化しその指導者を逮捕、15,000人あまりを獄中または国外に追放した。 
 
  メタクサスは労働者の賃金を上げ、労働条件を改善することで社会不安を解消しようとした。また、農村部においては農民の借金のモラトリアムを行ったが、国民は次第に左翼側に傾斜した。 
  彼は、イタリアのファシズムの手法を真似たが、地中海の覇権を握っていた英国との友好関係は維持していた。第二次世界大戦時、バルカン半島における勢力の拡大を狙っていたムッソリーニは、ギリシャが英国に傾くのを恐れていた。1940年10月、ムッソリーニは、ギリシャに対して、ギリシャ国内におけるイタリア軍の自由行動権を認めよとの最後通牒を突き付けた。メタクサスの返答の電報は「OXI」(オヒ、否)の一言だった。イタリアはギリシャに対し宣戦を布告したが、メタクサスは英軍の支援によってアルバニア国境にまで戦線を押し戻すことに成功した。 
 
  GDは、移民排斥を訴え、時折、過激な暴力事件(ヘイトクライム)を引き起こしている。1993年に政党届けを出している。2010年11月の地方選挙ではアテネ自治体で5.3%の得票を集め、市議会に議席を得た。大きな移民コミュニティに隣接する地区では、その得票率は20%にも達した。2012年5月の総選挙では、「すべての移民を国外追放し、国境地帯に地雷を敷設する」という過激な公約にもかかわらず、7%の得票率によりギリシャ議会に18議席を獲得した。 
  2014年5月の欧州議会選挙で得票率9%を得て初めて議席を獲得した。 
  GDは、貧困にあえぐギリシャ人に食料を無料配布するなどの活動を行っている。 ただし、これらの施しはギリシャ人、しかも、自分が「愛国者」であると表明したものだけが対象であり、移民は含まれない。 
  宿敵トルコに対して、GDは強硬な姿勢を打ち出している。ミハロリアコス党首は、そう遠くない将来に「イスタンブールを取り戻す」と主張している。2013年1月には、GD党員は、反トルコデモを行い、トルコ総領事の車を襲撃した。 
  GDはギリシャ警察と裏の繋がりがあるのではないか、という疑念も出ている。ギリシャの大手新聞『タネア新聞』は、ギリシャ国内での左翼団体やアナーキスト団体の抗議デモをGDが襲撃する際に、警察がGD党員たちに棒や無線機を提供したとか、GDのメンバーを意図的に逮捕しなかった、などと報じている(2004年4月17日付)。GDは、英の極右政党である「英国国民党」(British National Party)と連携している。ギリシャの極右、ファシズムの根は深い。とくに軍人からのシンパシーは大きい。 
 
■ギリシアの左右対立が再燃する可能性も 
 
  EUの対応次第では、ギリシャが深刻な極右対左翼陣営の抗争を再現してしまう可能性があることを、残念ながら否定することはできないのである。 
 
  2015年7月10日、チプラス首相は、政府に交渉を一任する権限を与えるように議会に求めた。この改革案は新たな金融支援を受ける前提となるものであるが、年金の支給開始年齢の引き上げ、付加価値税の税率の一部引き上げなど、EUなどが求める財政緊縮策に近い内容となっていた。 
  当然、与党内の強硬派からは、国民投票で反対が多数になった財政緊縮策をなぜ受け入れるのかと反発の声が上がった。 
  実際、チプラスが議会に提出した妥協案は、党分裂を引き起こしかねない。 
  同党の左翼プラットフォームの一員であるスタジス・クーベラキスはブログでチプラスを非難している。 
  「予想されていたことだが、チプラスの妥協的提案は、SYRIZA内部でごうごうたる非難を呼び起こすであろう。左翼プラットフォームはもちろん、4人の閣僚を送り込んでいる毛沢東主義者の「KOE」(ギリシャ共産主義組織)も激高するだろう。ラファザニのように、この提案が国民には有害なものであると切り捨てる左翼プラットフォームのメンンバーは多い。この連中は閣僚を辞任するであろう」。 
 
  左翼プラットフォームのタナシス・ペトラコスも同じ意見を述べている。 
  「ユーロ圏からの脱却こそが最善の道である。新しい道を切り出すべきである。それは銀行の統制と寡占体制の打破である。チプラスの妥協案は最悪である」。 
 
  それでも、2015年7月10日、チプラスはこれらの批判を押さえ込んで、ギリシャ議会を乗り切った。しかし、SYRIZA内部の亀裂は深刻なものになりかねないのであるhttp://forwhatwearetheywillbe.blogspot.jp/2015/07/is-tsipras-causing-breakup-of-syriza.html 
 
寄稿 本山美彦(「変革のアソシエ」共同代表・京大名誉教授) 
 日本国際経済学会・元会長。著書に「金融権力」(岩波書店)、「倫理なき資本主義の時代─迷走する貨幣欲」(三嶺書房)、「売られ続ける日本、買い漁るアメリカ」(ビジネス社、2006年)、「姿なき占領」(ビジネス社、2007年)、「格付け洗脳とアメリカ支配の終わり」(ビジネス社、2008年)など。 


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