2015年10月02日14時39分掲載  無料記事
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文化

シャルリー・エブドのシリア難民を扱った風刺画について 〜批判に対する作者RISSの反論〜 Ryoka

  今週号のシャルリー・エブドで、難民の風刺画に対する批判に複数のメンバーが言及しています。その中でも問題とされる風刺画を書いた張本人のRISSが社説で反論しているので訳しました。 
 
  「ソーシャルメディアがまた荒れた。事の発端は砂浜に打ち上げられた幼いアイラン(シリア人難民)に通学かばんを背負わせ「さぁ新年度だ」と題した絵だった。この絵の作者Emmanuel Chaunuエマニュエル・ショニュというイラストレーターがシャルリー・エブドの風刺画家と勘違いされ槍玉に挙げられた。 
  (彼がこの絵を公開した時点で、少なくとも18人のアーティストがアイラン君の写真を元に描いた絵を公開している。それにもかかわらず彼の絵だけが叩かれた。) 
http://www.buzzfeed.com/ryanhatesthis/aylan#.lorX79XP0n 
  その数日後、批判の矛先が実際にシャルリー・エブドに向けられる。誇らしげにお値打ち価格を掲げるマクドナルドの看板の横に、例のアイランの姿、そして「あともう少しだったのに・・・」の添え書き。編集室は侮辱と脅迫のメールで溢れ返った。それは、「クアシ兄弟が“仕事”をやり遂げなかったのが残念だ」という類のもので、警察が私たちにメールの発信者を訴えることを勧めたほどだった。 
 
  シャルリー・エブド銃撃テロから8ヶ月、これらの発言は沈静化していたかのように見えた。しかし実際はあのテロが憎しみや脅しの言葉を増やすきっかけになったように感じられる。あの日以来、「ざまぁみろ」という言葉が多くの人の間で有り触れた表現として使われている。(この言葉を使うのが)もはやイスラム国の戦闘員だけではなくなった。まだフランスで死刑が執行されていた半世紀前には、死刑囚に対するこのような言い草がまかり通っていた。8歳の男の子を殺害したPatrick Henryに死刑を逃れる判決が言い渡され彼が法廷から出てきた時、群集がよってたかってギロチン刑を要求したことを思い出して欲しい。 
 
  戦時中はもっと酷かった。ユダヤ人の隣人やレジスタンスの夫を排除したければ参謀本部に手紙で密告するだけでよかった。そして今、ツイッターやフェイスブックでは、気に食わないことがあれば誰でも簡単に殺人を要求できるようになった。殺人要求は今では平凡なことで、立派な権利として存在している。インターネットは死刑宣告に参加する権利を生み出したのだ。宗教の権力者がわざわざFatwaファトゥアー(※)を出す必要もない。(※ イスラーム教に基づく宣告)あなたも私も皆、アヤトラになったのだ。“ソーシャル”とは名ばかりのメディアが何億人という登録者に、狂信的な宗教の教祖と同等の権利を与えてくれたお陰だ。これにより各個人がそれぞれの信条にのっとって世界のあらゆる個人や団体を脅迫できるようになった。 
 
   シャルリー・エブドはこれまでにも宗教に対する風刺画を度々批判されてきた。ただし、脅迫を受けるのはこれらの風刺画に限られていた。シャルリー・エブドが掲載した幼いアイランの風刺画には宗教的なものも冒涜に当たるものも含まれていない。それなのに処罰の対象にされた。まるで人の死が崇拝するべき宗教の一部になったかのように。ムハンマドの偶像化を禁止することに匹敵するほど絶対的に遵守しなければならないことのように。崇拝の対象を探し求めるばかりに子供を神聖化した結果がこのような馬鹿げた騒動に繋がっていることも忘れてはならない。 
 
  シャルリー・エブドは誰の死も望んだことはないし、誰が死ぬのも見たいと思ったことはない。いかなる子供のいかなる残虐死もだ。死刑に反対の立場をとっているのだから当然と言えば当然だ。ブラックユーモアというのは、殺人を要求するものでも人の苦しみがわからないから言うものでもない。幼いアイランを描いたシャルリー・エブドのブラックユーモアは、気分次第で怒りを覚えるご都合主義を一歩引いて嘲り笑うために過ぎない。移民の遺体が写った写真はだいぶ前から世の中に出回っていて、シャルリー・エブドの風刺画家はこれまでにも海岸に打ち上げられた遺体を描いてきたにも関わらず、誰も気に留めようとしなかった。とは言うものの、それらの遺体には欠点があった。それはアフリカの黒人の、そして成人のものだったことだ。あなたが18歳以上の黒人なら世界中があなたたちの死に無関心なのだ。幼いアイランの絵に怒りを覚えシャルリー・エブドが差別主義者だと言う人は目を覚ましたほうがいい。なぜならそういう人たちこそ自身のバカンス中に同じ海岸に打ち上げられたアフリカの移民たちを無視して、白人の子供の死体に限って感情移入したのだから。 
 
  イギリスの法律家協会が、ヘイトクライム(憎悪犯罪)を誘発するとしてシャルリー・エブドを欧州人権裁判所に引きずり出すことにしたと言う。怒りの原因は、溺れる幼いアイランの横でキリストが水面を歩く様子が描かれたもう一つの風刺画。「ヨーロッパがキリスト教である証拠:キリスト教徒は水面を歩き、イスラーム教の子供は溺れる」と記されている。このご時世に、ましてや批判精神を備え教養があるとされる人たちが、このような風刺画を真に受けたことに愕然とする。この絵はキリスト教徒であることを仄めかしながら認めようとしない一部の欧州人を皮肉っているに過ぎない。そんな絵がヘイトクライムを誘発すると解釈されてしまった。こうしたことを本気で非難するのは、クアシ兄弟の後釜がシャルリー・エブドを再び襲撃することに賛成しているようなものだ。彼らが実際に告訴した場合は、ヘイトクライムに対する効果が一切得られないどころか、シャルリー・エブドに対する憎悪を拡散させるだけだろう。フランスやイギリスにはもう死刑は存在しない。インターネット上におけるシャルリー・エブドを除いては。」 
 
翻訳・寄稿  著者の許諾を得て翻訳 
  Ryoka (フランス在住) 
 
 
■不可解な風刺画掲載本 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201503112107253 
 
■シャルリー・エブドは難民を馬鹿にしているのではない 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509161922143 


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