2016年02月23日23時18分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(205) 『角川 短歌年鑑・平成28年版』から原子力詠を読む(1) 「放射能消去できぬにやすやすと死の灰積み置く遺灰のごとく」 山崎芳彦

 今回から『角川 短歌年鑑・平成28年版』(月刊短歌総合誌「短歌」1月号増刊 平成27年12月刊)から、原子力にかかわって詠われた作品として筆者が読んだ作品を抄出・記録させていただく。『角川短歌年鑑』はこの連載の中で平成24年版以後毎年読んできているが、「核を詠う」短歌作品を読み、記録することを目的にした連載を続けている筆者にとって欠かすことはできない貴重な年鑑である。同年鑑では、毎年、さまざまな特集企画・データによって短歌界の現状、動向について、多角的に俯瞰するとともに問題提起も行っていて示唆を受けることが多い。所載の多くの短歌作品から、筆者なりの読みによって「原子力詠」を渉猟するのだが、そのためには全作品を読むことになり、拙く詠う者の一人でもある筆者にとっての勉強の場ともなっているのである。 
 
 同年鑑には、巻頭に「回顧と展望」をテーマとする評論が掲載されるのが常であるが、平成28年版には「定型に欠かせない文語」(篠 弘)、「『沙羅の木』百年に思う」(坂井修一)、「大きな河の一滴となる―変化への意志」(吉川宏志)があり、それぞれ刺激を受ける評論だが、筆者が特に注目し、共感も持ったのは吉川宏志の論であった。吉川氏は、昨年9月27日に「緊急シンポジウム 時代の危機に抵抗する短歌」を呼びかけ、京都で開催して注目された歌人であり、また気鋭の評論家でもある。9月17日の参議院特別委員会での安保法制強行採決にみられるような事態を「時代の危機」とうけとめての、短歌人、表現者としての行動であったのだが、そのことにかかわっての考え方が明確に示されている文章に、筆者は深い共感を持った。全容を紹介することはできないが、断片的にでも論点を記しておきたい。 
 
 「いわゆる安保法制については、さまざまな考え方がある。・・・/ただ、憲法の解釈を大きく変え、戦後初めての戦死者も出るかもしれない法案については、もっと丁寧で真摯な議論をすべきであった。その一点だけは、否定できないのではないか。」 
 と吉川は考えるのだが、国会の論議、質疑においては、「弾薬は武器ではないから、他国に提供可能」という防衛相の「異様な発言」があったり、「自衛隊のリスクが増えるのではないか、という質問に対しては、安倍首相が、これまでも訓練中に千八百人もの殉職者が出ている、と答えた(今までも死者が出ているから変わらない、という意味だろうか?)」という答弁をする。このような「噛み合わない答弁が目立つままに、九月17日の参議院特別委員会での強行採決が行われた。」ことについて、吉川は次のように言う。 
 
 「強行採決はこれまでも行われてきた、と言う人もいるかもしれない。しかし今回の映像を見ると、何かが大きく変わっているように思う。計画的に、暴力的な行為を面白がってやっている雰囲気が、確かにあるのである。奇妙な笑いの中に暴力性が潜んでいる。そんな不気味さが、現在漂っているように感じるのだ。」 
 そこに「時代の危機」を、吉川は、筆者もそうだったのだが、胸の奥が凍りつくようにこの国の今に始まったわけではないが、ここまで来てしまったのかという思いを深くしたのだろうと思う。そして、 
 「そうした危機的な状況を、どのように短歌で表現するか」を思い、思うほどにさまざまな「レベルの違う難しさが横たわっている。」ことを痛感する。吉川は、これまでも原発問題について歌人として積極的に発言し、作品も作ってきているが、その経験も踏まえているに違いない。 
 
 その「難しさ」について、歌人の言説や、作品を挙げての吉川のとらえ方が述べられているが、ここでそれらの詳細を記すことはできないので、筆者として強く共感した部分を抽いておきたい。 
 
 「安倍政権を生み出したのは、ほかならぬ国民全体ではないか、という言説がある。小選挙区制度の欠点もあるし、与党に投票しなかった人びとはどうなるのか、という反論もあるだろうけれど、非常に難しい問題である。この言説があるために、声高に安倍政権を批判する歌が、肯定しにくい、作りにくい、という心理が生まれてきている。/しかし、『○○を生み出したのは、国民全体である』というテーゼを逆にしてみると、『国民が変われば、○○を無力化することができる』ということになる。つまり、私たちはどのように変化していけるのか、ということが、今問われているのではないだろうか。福島の原発事故を起こしたのは、たしかに『われらみづから』であった。だが、次の原発事故を未然に防ぐことができるのも、『われらみづから』しか存在しない。そして、私たちを変化させるのは、やはり<言葉>なのだと思う。」(吉川は、2012年に刊行した歌集『燕麦』のあとがきで「大学生の頃、原発について関心をもって、新聞投稿など少しだけしたことがある。しかしその後は、すっかり忘れていたようになっていた。今まで何もしてこなかったことが情けなく恥じるしかない。」と書いていたが、原発に関わる「われらみづから」には、そのことも含意しているのだろうと、筆者は思った。なお、『燕麦』の原子力詠は本連載86回で読んだ。) 
 
 安保法制の強行採決による「成立」の経過をとらえ、憲法がないがしろにされていることを「時代の危機」と受け止め、表現者としての自分が何をすべきかを考え、自分ができることとして同法制の「成立」直後に「緊急シンポジウム 時代の危機に抵抗する短歌」をよびかけた吉川の短歌人としての行動に、筆者は深く共感し、敬意を持つのだが、評論「大きな河の一滴となる―変化への意志」のなかで、「自発的な『民衆運動』は盛んになっているのである。意外に気づきにくいのだが、この数年のうちに、民衆の意識は大きく変化したのだ。・・・時代の流れを変えるのは、一部のエリートではなく、民衆なのだと私は信じている。」、「言葉によって、自分たちを変化させていく、と言う大きな動きについて、懐疑的な眼だけで見ていいとも思えない。『能動性』への信頼もあっていいのではないか。」などの吉川の言葉(それぞれ、具体的に、岡井隆の文章や、栗木京子の短歌作品について触れてのものであるのだが、詳細を記さないでの引用をお詫びする。)に、脱原発や安保法制反対などのデモに参加し、「現場との接点」を重視し、そこでの体験で自分が変化し、新しい表現が生まれることを確信する歌人の言葉として、共感を持つ。 
 
 さらに吉川は、「短歌には、時代を記録していく役割がある。」として、八月三十日の国会前デモに(吉川自身も参加)を詠った京都新聞への投稿歌(「空撮のヘリからわれら見下ろされ大きな河の一滴となる」大槻和央 2015年9月28日「京都新聞」)を挙げて書いている。 
 「デモを報道した写真を見た人はよく分かると思うが、国会前にまさに大河ができたようだった。時代の大きな流れの中に、ささやかであっても参加しているという感動が、強く響いてきた歌であった。/こうした大きなデモがあったことは、もしかしたら忘れられていくかもしれない。けれども短歌が残ることによって、そこで何が起きていたかは、生き生きと蘇ってくるのである。この一首を、私はずっと記憶していこうと思っている。」 
 
 以上、『角川短歌年鑑平成28年版』所載の、吉川宏志の評論を、筆者なりに、断片的に記したが、振り返ってみると、この連載の中で、吉川氏の原発と短歌にかかわる評論や短歌作品につい、何度か書いてきた。氏は、昨年11月に短歌時評集『読みと他者』(いりの舎刊)を刊行して注目されているが、筆者もこれから読もうとしている。 
 
 『角川短歌年鑑平成28年版』から、原子力詠を読むが、年代別に編集された「自選作品集665名」の、原子力詠を記録させていただく。筆者の読みなので、誤読、読み落としなどがあればご寛恕をお願いします。なお、戦後70年もあって、戦争、それと関わっての危うい時代の動きを詠った作品が多く、注目される。ここでは記録できないのが残念だが、何らかの形で抄出の機会を持ちたい。 
 
 ◇自選作品集の原子力詠◇ 
風花に混じるセシウム降(くだ)る土にふんばる木彫の倚子も老いたり 
                       (1首 秋元千恵子) 
 
日の丸・君が代・天皇制それに原子炉 メルトダウンの憂い抱えて 
                       (1首 淺川 肇) 
 
長崎の爆心地となりし刑務所は瓦れきとなりて平和公園の敷石に 
                       (1首 大塚喜一) 
 
天主堂の真上に入道雲ありて十一時二分のサイレンが鳴る 
                       (1首 上川原紀人) 
 
使用済み核燃料の処理の方途なきまま原発の再稼働を言う 
                       (1首 黒住嘉輝) 
 
原発の汚染水は出づるまま広島の土石流御嶽の噴火 
                       (1首 實藤恒子) 
 
戦ひに父原発に母までも失ひて健気に生きし 
                       (1首 遠役らく子) 
 
天災・人災増え勝る 蒼く光る地球失われるか生き残れるか 
                       (1首 梓 志乃) 
 
哀しみはかなしみの井戸ゆ湧きあがる汚るるのみの水のいのちは 
 
にんげんの人間による原発に水のいのちのほそりゆくのみ 
 
生れし家に古井戸の消え父母の消え吾は還れぬうぶすなの水 
                        (3首 川井盛次) 
 
雷雨豪雨うち続く日々仕方なく除湿しながら除染を思ふ 
                        (1首 久保美洋子) 
 
夾竹桃、カンナ、サルビアみな赤し爆心地という季語を持つ国 
                        (1首 三枝昂之) 
 
戦世(いくさよ)の無き世を生きて原発に追わるるは哀しジャパン民草 
                        (1首 塩川治子) 
 
殺されて殺し殺され殺さるるこれぞ戦争 原爆二発 
                        (1首 鹿井いつ子) 
 
いずこかや竹山広の家を見ん空港より小さき船に乗りこむ 
 
長崎の空晴れわたる四月尽 時津町をおもい亡き人おもう 
 
思いしより見端よき瀟洒な二階建て表札まぎれなく廣のもんじ 
 
家の脇に静かに流るる川ありぬおお此処ぞかしとこしえの川 
 
感動にひたるしばらく無人なる竹山家を後にし市中へ急ぐ 
                        (5首 晋樹隆彦) 
 
昭和とはどんな時代かと聞く少女ぴかどん・ノーモアヒロシマ・ナガサキ 
                        (1首 菅原恵子) 
 
一九四五年の後に廻る八月に有無を言はさぬ重さ 
 
六、九、十五「兜も焦がす炎熱」に一分間の黙深くして 
 
絵日記は断たれて暑き夏の日よ濁れる水に浮く根無し草 
                        (3首 宮尾捷二) 
 
この寒き雨降る間にもフクシマに汚染水は生る止むことなしに 
 
フクシマの行く先知らず原発にい行きはたらく人は防人 
                        (2首 福沢敦子) 
 
原発に反対しない原爆忌式典に寒き寒き雨降る 
                        (1首 前川 博) 
 
放射能消去できぬにやすやすと死の灰積み置く遺灰のごとく 
 
闘ひはなかばにあらんさらにさらに意志表示をとひまわり畑は 
                        (2首 山本 司) 
 
見捨てたる豚が仔を産むかなしさやふくしまの翳りまつすぐに踏め 
 
異界とはふくしまなるやセシウムの積もりし畦の細きが伸びる 
 
ひそみたる藪より出でし雪うさぎ月影追ひてフクシマを跳ぶ 
                        (3首 立花正人) 
 
わが裡にざわんざわんと響きたり八月にゆるる被爆クスノキ 
                        (1首 本渡槙木子) 
 
沖縄より少し遅れて来る夏の六日(むいか)、九日(ここのか)、十(じふ)まり五日(いつか) 
                         (1首 渡 英子) 
 
アトミックボム、ごめんなさいとアメリカの少年が言うほほえみながら 
                         (1首 加藤治郎) 
 
異教徒は人にあらざりそのかみの大統領の決断を見よ 
                         (1首 佐古良男) 
 
放射能を表す単位ベクレルの和名すなわち「壊変毎秒」 
 
AKB48が走り出す原子炉の爆発を止めるため 
                         (2首 穂村 弘) 
 
沖縄も福島も東京は遠しデイゴの赤き花を見上げつつ 
                         (1首 駒田晶子) 
 
防護服身にまといたるひとびとのすべての額に触れたかりしが 
 
遺構とはおなじ景色になるものかコンクリートかつ音をすいこむ 
                         (2首 田中 濯) 
 
 次回も「角川短歌年鑑」から原子力詠を抄出させていただく。 (つづく) 


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