2016年03月06日21時08分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(206) 『角川短歌年鑑・平成28年版』から原子力詠を読む(2) 「汚染物の貯蔵地になる運命(さだめ)もち泡立草のなかなるわが家(や)」 山崎芳彦

 「原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず」という、長崎原爆の被爆歌人である竹山広の歌(竹山広歌集『地の世』)がある。2月22日に出された長崎地裁の「長崎『被爆体験者』集団訴訟」(被爆者健康手帳の交付を求める)に対する判決(松葉佐隆之裁判長)を読みながら、この短歌を改めて思った。原爆投下から70年余を経たいま、80歳を越えた原爆被害者がこのような裁判を闘って、原告161人のうちわずか10人のみに被爆者健康手帳の交付が認められるという判決を得たのである。長崎の「被爆体験者」が被爆者手帳の交付を認められたのは初めてだという。爆心地からの距離によって、行政が指定した「被爆地」から外れた地域の原爆被害者は「被爆体験者」として、「被爆者」と区別され、被爆者手帳の交付を受けられず、容易ではない訴訟を起こし、理不尽な交付申請却下が多数ななかで、極めて一部の原告に被爆者手帳の交付が認められたというのだ。敗訴した原告は控訴し、なお闘い続けることになる。まことに、無残な国である。 
 
 国が被爆者援護法で長崎原爆の被爆地を「爆心地から南北約12キロ、東西約7キロの範囲」と指定し、その「被爆地」から外れた場所で原爆に遭った人は被爆者ではなく「被爆体験者」と区別し、被爆者に交付される被爆者健康手帳を交付せず、被爆者援護の対象外としているからである。原爆放射能による様々な病気の発症に苦しみ、原爆投下後を生きてきた多くの「被爆体験者」にこのように向かい合う国が、いま福島原発事故被災の「復興」対策を講ずることが、被災者の人間としての復興につながるであろうか。欺瞞に満ちた「復興」政策と原発回帰政策は、この国の人々にとっての災厄そのものであろう。全国各地で原爆被害者が、例えば広島での「黒い雨認定区域拡大を求める訴訟」、理不尽な認定条件によって原爆症認定を受けられず集団訴訟を起こしている被爆者。原爆被爆者の被害の苦しみはいうまでもなく健康問題だけでなく人間として生きる基本的な条件、基盤を 
奪われ、多くの被爆死者を縁者として持ちながら、ようやく生き延びたことを苦しみとしなければならない人々も少なくないし、その中で高齢化している。訴訟を起こしながら、死ぬ命も少なくない。原爆被爆国と言いながら、その国が被爆者を苦しめているのだ。 
 
 被爆歌人・竹山広は90歳まで生き抜いたが、「病まみれといふ一生に点滴を受けしことなしと思へばはかな」、「原爆症をおそれて医者にゆき得ざる妻に短き農閑期いまは」、「原爆症か否か不明の死とされてその翳りなき笑顔載りたる」、「被爆二世といふ苛責なき己が呼名わが末の子のいまだ知らずも」…数えれば限りない被爆者の歌がある。 
 
 これまで、この連載の中で、原爆被爆に関わる少なくない短歌作品を読み、また福島原発被災者の短歌作品も読んできて、原子力・核の「力」の反人間的な本質を思い知らされてきた。原子力を「力」として使うことを推進する者たちが政治的・社会的「権力者」としてふるまうことを許してはならないと、改めて思う。 
 その勢力が、いま改憲を公然と、しかし欺瞞的に宣伝しつつ、同時に憲法の塗りつぶし政治を具体的に進めている。その勢力は原子力を「力」の源泉として使う勢力である。原発事故による多くの人々の苦難が続く中でなお、原発を稼働させ、推進している。すでに「国を守る」抑止力として米国の「核の傘」の下に身を置き、いつか「傘」の持ち主になろうとする企みを持つ。 
 
 歌人である加藤英彦が、短歌総合誌『現代短歌』2016年3月号の「歌壇時評 時代との関わり方について」で次のように書いている。その冒頭の部分を記させていただく。 
 「いやな予感がする。鉤裂きにされた布が周囲から徐々に解れていくように、状況は次第に悪くなっている。箍を外したヤツがいる。戦後七十年、曲がりなりにも保ってきた大きな古桶から少しずつ水が洩れだし土を濡らしてやがて地下水系に染み込んで土壌が緩み始める。箍を外した手はもう次の箍に手をかけている。それが当然のように、まるで正義の実践でもあるかのように手を伸ばしているのだ。何かが愚弄されている。昨年九月の安保関連法案の強行採決はその典型だろう。政治が苦手な私は党派的な署名運動には興味がなかったし、そもそもひとりの意思が量へと還元されることへの抵抗もあった。要するに、何もしない男であった。それが福島の原発事故以降、街頭署名に積極的に筆をとるようになった。昨夏の安保関連法案反対の国会包囲デモにも参加した。この歳になって、私のなかで何かがうごきはじめている。」 
 こう述べた上で、加藤は「時代との関わり方について」、昨年来の短歌人の動向、発言についてかなり詳しく追っている。そして、「私たちは今という時代と無縁に存在することはできない。そのとき、政治的な言説ではない文学の言葉で、世界をどう組み立ててゆくことができるかが問われるのだと思う。」と言う。 
 内容の濃い歌壇時評であり、筆者は共感を深く持った。 
 
 前回に続いて、『角川 短歌年鑑 平成28年版』から、原子力詠を読んでいく。 
 
 ◇「公募短歌館特選作品集」の原子力詠◇ 
 (月刊「短歌」の「公募短歌館」に応募、特選作品とされたが年鑑に「特選作品集」として掲載されている。筆者が原子力詠として読んだ作品を抄出させていただく。) 
 
チェルノブイリをアウシュビッツと言いちがえ泣き笑いする福島の叔父 
                (杜澤光一郎選 千葉県 藤井京子) 
 
中間貯蔵施設の説明会ありてわが家を踏みゆく重機をまぼろしに見つ 
                (沖 ななも選 福島県 吉田信雄) 
 
幾百の草花の根も削られむ除染の朝に妻は言ひたり 
                (米川千嘉子選 福島県 児玉邦一) 
 
一時帰宅のわが家(や)へ向かふ沿道に廃棄物袋(フレコンバッグ)の山々つづく 
 
生けるもの生きねばならぬ雪原(ゆきはら)に小さきけものの足跡(ああと)つづけり 
                 (秋葉四郎選 福島県 吉田信雄) 
 
原発を捨てたる国と再稼働急ぐ国との首相握手す 
                 (志垣澄雪選 新潟県 稲熊萩乃) 
 
 ◇「題詠秀歌」の原子力詠◇ 
 (月刊「短歌」の「題詠」欄に応募、入選した作品が年鑑に「題詠秀歌」として掲載されている。その中から、原子力詠として筆者が読んだ作品を抄出させていただく。「題」は省略。) 
 
「いやなのよ八月六日」被爆者の手帳持つ友小さく言えり 
               (大塚布見子選 和歌山県 中村英子) 
 
汚染物の貯蔵地になる運命(さだめ)もち泡立草のなかなるわが家(や) 
                 (楠田立身選 福島県 吉田信雄) 
 
歳月は底知れぬ事故封印し原発再稼働の機運をつくる 
                 (楠田立身選 栃木県 木里久南) 
 
一家五人被爆の街に引き揚げてトタン屋根の下幾年か住みき 
                (村山美恵子選 大阪府 山口暁子) 
 
避難地の祭に会ひし教へ子は仕事は除染と言葉少なに 
                 (安森敏隆選 福島県 吉田信雄) 
 
福島の子らの砂場は屋内に線量気にせぬ真白き砂よ 
               (安森敏隆選 神奈川県 小木曽幸子) 
 
側溝の土砂が溜まりて四年過ぐ放射能ゆゑ手を付けぬまま 
                 (安森敏隆選 福島県 児玉正敏) 
 
砂場にも新し砂が入り来て幼ら遊べる除染の街に 
                 (安森敏隆選 福島県 伊藤敏江) 
 
 ◇「作品点描」の原子力詠◇ 
 (歌人12氏が、平成27年の歌誌などに発表された作品を点描する「作品点描」から、原子力詠を取り上げたと筆者が読んだ作品・作者・発表誌と、評言を抄出させていただく。) 
 
 ▼作品点描5 中川佐和子より 
花冷えに竹山広の作品を読みかへしをり被爆七十年 
                (伊藤一彦 「短歌」27年6月号) 
 (「戦後七十年ということがよく報道された。竹山広は平成二十二年に亡くなったが、日本は『被爆』して七十年経った。端的に重い事実が示され、これから考えてゆかねばならない」) 
 
この国の六日九日十五日天心が燃え尽きる夏なり 
 
夾竹桃、カンナ、サルビアみな赤し爆心地という季語を持つ国 
             (2首 三枝昂之 「短歌往来」27年9月号) 
 (「八月六日はヒロシマ、九日はナガサキに原爆が投下され、十五日は終戦記念日、季語『爆心地』という言葉によって日本の歴史を改めて捉えなおしている。」) 
 
 ▼作品点描6 古谷智子より 
「空気のやうな平和」の比喩も過去のもの放射性物質拡散やまず 
                (真鍋正男 「波濤」26年12月) 
 (「空気の様という喩は今や逆説的だ。原発事故によって汚染された不可視の空気は、今や最も恐ろしいものの比喩になった。」) 
 
 ▼作品点描7 外塚 喬より 
九条の窮状として虚無の花咲く広島に長崎に咲く 
              (藤原隆一郎 「短歌研究」27年9月号) 
 (「世の中の動きに敏感に反応する藤原の作品からは、常に戦闘的な印象を受ける。・・・『九条の窮状として虚無の花』は、俳句を親しむ藤原の一面が出ていよう。」) 
 
沖縄より少し遅れて来る夏の六日(むいか)、九日(ここのか)、十(じふ)まり五日(いつか) 
                 (渡 英子 「歌壇」27年9月号) 
 (「渡は、数年間を沖縄で過ごして、『詩歌の琉球』の労作もなしている。それゆえに沖縄は、渡の心の中に息づいているのだろう。・・・八月は日本という国にとって、大切な忘れられない月でもある。」) 
 
 ▼作品点描8 久々湊盈子より 
空襲で原爆で死にき死なしめきたつた七十年前の日本 
               (小島ゆかり 「短歌」27年6月号) 
 (「たった七十年前の日本にあった戦争。『死なしめき』には取り返しがつかないという無力感がある。」) 
 
 ▼作品点描10 真中朋久より 
ふくしまを我は食ふなりいか人参こづゆ凍み餅三五八漬けよ 
 
くうかんはうしやせんせんりやうくうかんはうしやせんりやうと鳴く鳥はあらずや 
 
原子力発電所(げんぱつ)をうけいれざるをえなかつたふくしまびとをあなたはわらふ 
            (3首 本田一弘 「短歌往来」27年9月号) 
 (「福島、そして会津という土地に深くこだわり続けてきた作者である。・・・震災と原発事故以来、地元の産品を食すこと自体に、さまざまな意味が伴うようになってしまった。『いか人参』や『三五八漬』などの郷土料理の名の羅列はひとつひとつの味わいを噛みしめているようだ。静かな強いまなざしに『わらふ』ものは戦慄すべきである。」) 
 
 ▼作品点描11 奥田亡羊より 
吾妻山ゆきのうさぎを抱く前に見えざるものの町を統べけむ 
              (駒田晶子 「短歌往来」26年12月号) 
 (「『2011年3月11日以降』の詞書がある。吾妻山の『ゆきのうさぎ』は福島に春の到来を告げる山の残雪。春が来る喜びに先立って放射能が町を統べたと見たのだ。」) 
 
 ▼作品点描12 藤原龍一郎より 
押し寄せる額にどっと降りしきる桜のなかに原発がある 
                 (小島なお 「歌壇」27年6月号) 
 (「桜吹雪に原子力発電所を思う現実の暗澹。」) 
 
 『角川 短歌年鑑』から、筆者なりの読みでの原子力詠を抄出させていただいたが、今回で終る。 
                           (つづく) 


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