2016年04月24日16時37分掲載  無料記事
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文化

大川周明と「日本精神」の呼び出し2 〈大正〉を読む 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)

   大川周明『日本文明史』を読む 
 
  「日本は断乎として落日の欧羅巴に対する従来の過当なる崇拝、畏怖を止め、深く日本精神に沈潜し、無限の努力によって一切の至貴至高なるものを日本の魂其ものの衷より汲取り、一貫徹底これを内外に実現せねばならない。」(大川周明『日本文明史』) 
 
 
(つづき) 
 
3 世界史を経緯する二問題 
 
 大川が「世界史」とともに呼び出す「日本精神」とは何かをたずねる前に、「世界史を経緯しつつある二問題」を見ておきたい。ヨーロッパの世界史的な没落とともに、「世界史」は大川の眼前にその顕わな姿を見せはじめた。 
 
「世界は歴史の未だ嘗て知らざる徹底的革命に面して居る。故に数限りなき事象が、紛糾錯雑を極めて吾等の周囲に起伏する。然も其等一切の事象のうち真個世界史的意義を有するものは、まごう可くもなく唯二つである。世界史を経緯しつつある此等二個の事実を、明白確実に領会することは、取りも直さず非常なる世界変局の深層を把握する所以である。」 
 
「世界史を経緯する」ものとは、世界史を縦糸となり横糸となって織りなすものということであろう。それは「二個の事実」だというのである。では「二個の事実」とは何か。「一は即ち諸国家内部に於ける階級争闘であり、他は即ち国際間に於ける民族争闘である」と大川はいう。世界戦の間は休戦状態であったこの二個の争闘の事実は、世界戦の終わりとともに一層深刻な姿をもって現れることになった。 
 
「資本と労働との対抗は、今や新しき戦局に入り、二個の到底相容れざる抗争原理が、一切の狐疑逡巡を排して、最後の決戦を試宜区進みつつある。而して亜細亜に於ては、欧羅巴在来の支配に対し、亜細亜諸民族は明らかに平等と独立とを要求し始めた。」 
 
 私は今ここでひたすら大戦後の世界史を経緯する「二個の事実」を大川にしたがって記している。この「二個の事実」とは、世界戦の終わりとともに顕在化する「世界史」を構成する「二個の事実」であり、同時にそれは「世界史」的自覚としての大川の思想を構成する「二問題」でもあるだろう。 
 
 ヨーロッパ諸国における階級闘争の激化は社会革命の進行を不可避のものにしている。あらゆる軍事的干渉と介入、経済的封鎖にもかかわらずロシア革命によるボルシェヴィキ政権の確立をヨーロッパが阻止しえなかったことは、社会主義革命が「世界史」の「真個の事実」であったからである。大川はボルシェヴィキ政権による国家形成を「一個人間精力の奇蹟」として評価するのである。 
 
 「此の革命政府の業績は真個驚異に値する。そは不断に内外両面の敵に襲われ、峻酷なる封鎖の下に飢寒の極に押やられ、しばしば没落の危きに瀕しつつ、能く一切の難局を打開し、常に困難の間より新しき力を獲得し、混沌の間より強力なる政治的並に軍事的機関を設置し、終に新社会の基礎を築き上げた。そは真に仏蘭西革命の間におけるジャコビン党の業績と共に、一個人間精力の奇蹟である。」 
 
 さらにロシア革命の遂行を人類史的意義において評価する大川の言葉をここに引くことは決して余計な繰り返しではない。やがて昭和ファシズムを代表するイデオローグとなる大川の1920年における思想的な立ち位置を知るためにも重要である。 
 
 「吾等にとりて重要なることは、一個の偉大なる国民が徹底して過去の制度を転覆し、社会主義の極端なる実行を敢てし、ブルジョアの議会政治に代うるに一個新しき政治制度を以てし、全然新しき社会秩序の創造の為に其の全力を挙げつつあると云う事実其ものである。そは確信と勇気との仕事である。而して人類の進歩を促進し激成せるものは、当に此種の確信と勇気とであった。」 
 
  ロシアに成立しつつある社会主義政権のために、これだけの言葉をもってした同時代日本からの称賛を私は知らない。『日本文明史』が大川の著作リストから外されていったのは、ロシア革命へのこの称賛のゆえかもしれない。だがここには欧米と急速に近代化を遂げた日本をも含めた先進資本主義国における社会革命を必須とする社会的危機の深刻化をたしかに見つめている眼がある。社会革命による国家的改造への志向、あるいは社会主義的国家革新への志向は、世界戦後の1920年代に成立する大川の思想の第一の構成契機である。それは「世界史を経緯しつつある二問題」の第一の問題でもある。では第二の問題とは何か。われわれはもう一度大川の世界大戦後の「世界史」認識にもどろう。「世界戦は終った」という言葉とともにいう大川の「世界史」の自覚的認識をもう一度ここで見てみよう。 
 
 「世界戦は終った。必然の進行として一時其の影を潜めたる二個の根本問題が、更に深刻なる姿を以て現れた。資本と労働との対抗は、今や新しき戦局に入り、二個の到底相容れざる抗争原理が一切の狐疑逡巡を排して、最後の決戦を試むべく進みつつある。而して亜細亜に於ては、欧羅巴在来の支配に対し、亜細亜諸民族は明らかに平等と独立とを要求し始めた。」 
 
  第二の問題とはヨーロッパの没落が必然的に世界史上に登場せしめる「アジア復興」の問題である。「アジア復興」の要求はさし当たってヨーロッパに対する政治的、経済的な自由と平等と独立の要求としてあるだろう。だが「アジア復興」がそうした要求としてあるかぎり、それはヨーロッパ近代の政治的、経済的原理の移植的再生ということにならないか。それはすでに大英帝国が植民地インドに要求している独立の条件ではないのか。だがそのヨーロッパがすでに死に瀕するヨーロッパであることを知るならば、「アジア復興」はヨーロッパの近代的原理による模倣的復興であってはならないことをも知るはずである。 
 
 「現在の欧羅巴文化の制度は、少なくも其の資本主義的産業組織の姿に於ては、最早如何ともす可からざる窮極に達した。そは晩かれ早かれ死すべくある。而して之に代わるべき制度は、露国に於て企てられつつあるものと同型の社会主義的組織か、若くは新しく而して未だ顕われざる原理の出現でなければならぬ。」 
 
  資本主義的文化、社会制度の形をとってきた近代のヨーロッパ的原理がすでに死に瀕しているならば、それに代わるものはロシアで進行しつつある社会主義的原理による国家社会の再組織化であろうか。もしそれがなお人間の将来に向けて取るべき社会救済の原理でないとすれば、われわれは「未だ顕われざる原理の出現」を待たなければならない。大川はそれを「アジア的原理」として提示するのである。 
 
  1920年のヨーロッパの世界史的な没落が大川に可能にした「世界史」的認識は〈二個の世界史的事実〉を明らかにした。「第一の事実」とはヨーロッパ諸国における社会革命、あるいは社会主義的な国家改造を不可避とするような社会的危機の深刻化に見出される事実である。これを「第一の事実」として認識する大川はロシアにおけるボルシェヴィキ政権による社会主義的国家形成を高く評価した。このことは20年代に成立する大川の思想の第一の構成契機として〈社会主義的な国家革新〉への志向があることを教えている。 
 
  大川の「世界史」的認識が指摘する「第二の事実」とは、「第一の事実」が世界史の対極に示す事実、すなわち「アジア復興」という事実である。大川のいう「アジア復興」とは、〈ヨーロッパの没落〉と世界史的に対を為す〈アジアの復興〉をただ意味するのではない。それは〈ヨーロッパ的原理〉とは異なる〈アジア的原理〉による「アジア復興」である。「アジア復興」という「第二の事実」はヨーロッパ諸国における社会主義的革新を不可避とする「第一の事実」と対をなすというよりは、むしろそれを内包している。20世紀の「世界戦」後の「アジアの復興」すなわちアジアの新国家の建設、あるいは既存国家の再構築は〈アジア的原理〉による〈革新的復興〉でなければならないからである。 
 
  「アジア復興」という「第二の事実」は大川の思想を構成する〈アジア主義〉というか、〈ヨーロッパ近代のアジア主義的超克〉という思想契機を教えている。大川における国家の社会主義的革新は〈アジア的原理〉による革新、あるいは〈アジア主義〉的な〈ヨーロッパ近代の超克的革新〉でなければならないのである。では大川における〈アジア的原理〉とは何か。 
 
4 〈アジア的原理〉は世界を救うか 
 
 近代の〈ヨーロッパ的原理〉[8]が社会的格差の拡大と階級対立の激化、そして最後には世界戦争に至り着く形で自らを否定してしまった後に、〈社会主義的原理〉という人間社会救済のための方程式が提示された。大川はこれを「第二の方程式」という。 
 
「かくて今や第二の方程式が提示された。そは自然の不平等の裡に、理性と科学との力によって出来る限り絶対の平等を実現せんとするもの、共同生活に於て出来る限り絶対に労働を平等にし、利得を平等にせんとするものである。」 
 
 大川は「第二の方程式」をこのように定義しながら、はたしてこれが人間社会救済の方程式として成功するかどうかは疑問であるという。ソ連における社会主義が人間疎外の、人間精神の抑圧的システムとして成立したことをすでに知るわれわれにとって以下に引く大川の言葉はある重みをもっている。その重みは大川の思想の先見性というよりは、彼における〈アジア的原理〉の選択がもつ重みであるだろう。 
 
「第二の方程式が第一よりも成功するや否やは、大なる疑問である。何となれば此の方程式は、当初は唯だ最も苛酷なる強制によってのみ支持せらるべく、少なくとも人間は一時その自由を奪われねばならぬ。加うるに第二の方程式の提示者は、精神に於て実現せられざるものは、之を生活に実現することが出来ぬと云う根本の困難を無視して居る。人は其の精神に於て自由であり、平等であり、融合がある時にのみ、初めて生活に於ても自由・平等・友愛を実現し得る。そは可変不定なる、而して稟賦と本能とによって常に左右せられ勝なる思想や感情の能くする所ではない。之が為には深刻徹底せる魂の革新を必要とする。欧羅巴は、漸く此の必要を認め初めた。然も今日に於ては、彼等の主力は、尚お合理的方式と器械的能率の発見及び実現に傾倒されて居る。」 
 
 ヨーロッパがいま初めて魂の革新とともに要請する「精神における自由も、平等も、融合も」アジアがその精神の内部で一切の努力を傾注してきたことではなかったか。だが「亜細亜は、従来欧羅巴の如く社会的進歩の為に全力を傾倒したことがない。その至高の努力は実に内面的・精神的自由の体得に存し、且之によって偉大なる平等一如の精神的原理を把握した。而も亜細亜は、此の原理を社会生活に実現する為に努力することなかった」のである。 
 
 大川は「世界戦」後の世界史を経緯する「第二の事実」としての「アジアの復興」を提示した。その「アジアの復興」はアジア主義的復興としてはじめて世界史的意義をもつとされた。アジア主義的復興とは〈アジア的原理〉による新しい世界、新しい人間社会の革新的創成である。だがそれはアジア主義者の抱く空しい願望に過ぎないのではないか。なぜならアジアはひたすら精神の内面における絶対的平等と無限的融合に全力を傾注してきたからである。アジアは自らの精神的原理を現実世界に実現するための努力をすることはなかった。〈アジア的原理〉による「世界史」的革新とはアジア主義者の願望に過ぎないのか。大川は「吾等が抱懐し得る最大の希望である」という。 
 
 「亜細亜は、欧羅巴の経験せる産業制度、その第一相としての資本主義、その第二相としての社会主義を模倣するかも知れぬ。されど若し斯くの如くんば、亜細亜復興は、人類の努力に何等新しきものを加えぬことになる。又は復興の亜細亜と革新の欧羅巴との融合が、両者の最高の理想ーー内外両面の自由・平等・友愛を実現す可き真個の組織を生むかも知れぬ。然り、之れ実に今日吾等が抱懐し得る最大の希望である。」 
 
 〈アジア的原理〉による「世界史」的革新が、アジア主義的革新者大川によるただの〈希望の表明〉にとどまるかと思われるその時、はじめて「日本」が登場する。〈アジア復興〉の切り札として「日本」が呼び出されるのである。「日本」がどのように呼び出されるか、『日本文明史』の最終節の言葉によって見よう。 
 
 「此の如き世界史の偉大なる転換期に於て、日本の地位は真個特殊のものである。そは亜細亜に於て名実共に独立を保持し来たれる唯一国であり、欧羅巴の制度を採用して其の社会を組織せる唯一国である。 
 
  日本は、欧羅巴の社会制度を踏襲したるが故に、その経済組織に於て必然資本主義の確立を見た。而して資本主義は世界戦争中に於て最も著しき速度を以て発達した。日清日露の両役によって、日本が武力的に欧州列強と同位に進んだとするならば、世界戦によって、日本は初めて欧米と伍し得べき資本主義的発達を遂げたと言い得る。故に今日日本に於て見る社会不安は、程度の差こそあれ、本質に於ては西欧のそれと同一のものである。 
 
  さり乍ら、日本は此の問題を西欧に模倣して解決すべきか、西欧の社会主義を如実に借用して、新しき日本を組織す可きか。吾等は断じて否と答える。吾等は亜細亜精神の権威によって、日本の改造は、単なる西欧の卑しむべき模倣であってはならぬと断言する。 
 
  日本は亜細亜国家として、亜細亜本来の魂の自由、平等、精神的統一を、千年に亘りて鍛錬して来た。而して亜細亜に於て日本のみが、西欧の科学的知識を咀嚼し消化した。同時に日本のみが、断乎たる独立国家として、自由に創造の大業に従い得る地位に在る。 
 
  故に革命欧羅巴と復興亜細亜とが、来るべき世界史の経緯であるならば、その第一頁を書くものは日本でなければならぬ。」(『日本文明史』第28章「世界史を経緯しつつある二問題」12) 
 
 
 〈革命ヨーロッパ〉と〈復興アジア〉とを「世界史の経緯」として見る大川によって「日本」は「世界史」の新たな一頁の書き手として呼び出された。その時、大川は明らかにアジア主義的革新者であった。だがこの「日本」が「世界史」の主題的意味をもって、そして「アジア」の盟主の位置から語り直される時、大川はもはやアジア主義的革新者ではない。その〈時〉は、もうすぐそこにまで来ている。 
 
 
著者による注 
 
[7] 高坂正顕・西谷啓治・高山岩男・鈴木成高による3回の座談会、「世界史的立場と日本」「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」「総力戦の哲学」の記録は『中央公論』(1941年1月、4月、1943年1月)に掲載された後、『世界史的立場と日本』にまとめられ、中央公論社から昭和18(1943)年3月に公刊された。引用文中の傍点は子安。 
 
[8] 近代の〈ヨーロッパ的原理〉による資本主義的社会の成立を、大川は人類に提示された社会革新の「第一の方程式」としている。 
 
 
子安宣邦 ( 近世日本思想史 大阪大学名誉教授 ) 
 
※本稿は子安氏のブログからの転載です。 
 
■子安宣邦さん 
  思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題についても積極的に発言している。東京、大阪、京都の市民講座で毎月、「論語」「仁斎・童子問」「歎異抄の近代」の講義をしている。近著『近代の超克とは何か』『和辻倫理学を読む』『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社) 
(子安氏のツイッターから) 
 
■子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ- 
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/49587022.html 
 
■大川周明と「日本精神」の呼び出し 1  〈大正〉を読む  子安宣邦 ( 近世日本思想史 大阪大学名誉教授 )  http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604241628210 
 
 
■「中国問題」と私のかかわり 〜語り終えざる講演の全文〜 子安宣邦(大阪大学名誉教授 近世日本思想史) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201512072209271 
■<大正>を読む 子安宣邦 和辻と「偶像の再興」−津田批判としての和辻「日本古代文化」論 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602111256064 
■丸山眞男「超国家主義の論理と心理」を読む 〜丸山の「超国家主義」論は何を見逃したか〜 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602112350414 
■「日本思想史の成立」について−「台湾思想史」を考えるに当たって 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602262033155 


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