2016年06月20日22時45分掲載  無料記事
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文化

二つとない交友であったー溝口回想   子安宣邦 (近世日本思想史 大阪大学名誉教授)

  このような交友が溝口(※溝口 雄三 中国思想史研究者)以外のだれかとの間にできることはない。それは二つとない交友であった。だがそう思っているのはこの世に残る私であって、あの世の溝口がそう思っているかどうかは知らない。 
 
  私が本郷の文学部の建物で学部学生時代以来ふたたび溝口に出会ったのは、やがてあの大学紛争が起きようとする1967年の4月であった。それは12,3年ぶりの再会であった。その4月に私は倫理の助手となり、彼は中文の助手となった。50年代の半ばすぎ〈革命〉運動に挫折した私たちは疲れ切って大学にもどってきた。だが溝口はいつも元気であった。彼には挫折がなかったのかもしれない。当時フランス文学をやっていた私は中文の溝口たちと文学サークルを作ったりしていた。彼はある時の会に花田清輝を講師として呼んできたりした。やがて私たちは何とか大学を卒業したが、自分自身の再建に懸命であった私は溝口のその後の消息を聞くこともなかった。 
 
  それから10余年を経て文学部の助手として私たちは再会した。この10数年を彼が研究者として自分自身をどう再建していったのかは、本誌(※『東方学』)の詳しい彼の年譜が教えてくれるだろう。溝口が名古屋の入矢さんのもとでどれほど猛勉したかは伝説的に私たちの耳にも聞こえてきた。彼は宋明儒学の新たな〈本格的〉読み手として登場してきた。私の方は倫理学に入り直し、日本倫理思想史を専攻して、宣長についての修論を書き、仁斎・徂徠らの近世儒学への関心を強めていた。 
 
  やがて医学部から起こった大学紛争は文学部に波及していった。文学部の研究室棟も学生たちの手で封鎖され、助手たちは居場所を失った。これを幸いに私たちは学外での研究会を猛烈な勢いでやっていった。あの時期ほどよく勉強したことはない。溝口と私とは図書館で定期的に会って、仁斎や徂徠など日本の近世儒家のテキストを読んだりしていった。一緒に読むというのは名ばかりで、私はもっぱら彼に教えられたのである。儒家テキストというものの根本的な読み方を教えられたのである。朱子のテキスト、ことに『朱子語類』のテキストは宋代言語の理解なくしては読めないものであること、一般に儒家テキストの漢文訓読法をもってする読みは日本語による解釈であって、すでにその時儒家テキストは日本的に理解されてしまっていること、漢文訓読法によるお前たちの読みは本文の意味理解の半分にも達しないこと、などなどであった。 
 
  やっとよちよち歩き的に日本の近世儒家や中国の朱子たちのテキストを伝統的な漢文訓読法をもって読み始めた私たちにとって、溝口の言葉は爆弾のような破壊性をもって私の足許を揺るがした。この爆弾は恐らく溝口によって日本の伝統的な漢学的儒教理解に向けて投じられようとしたものであるだろう。彼はまず駆け出しの私に向けてその実験的投下を試みたのである。この実験的投下を受けた私は足許を揺るがせられながら、異言語体系としての中国儒学への視点をもつことを促せられたのである。同時にそれは伝統的な漢学的、中哲的理解からの私の批判的離脱をももたらしたのである。溝口とは、駆け出しの日本思想史研究者である私に向けて儒家テキスト理解の本質的な方法論的問題をぶつけてくるような男であった。私はだからこそ溝口との交友関係を無二のものだというのである。私が現在彼の現代中国観をめぐってどのように批判しようとも、彼との間にあった無二の交友関係を疑うことはない。溝口のような友人は後にも前にも私にはない。 
 
  溝口が儒家テキスト理解をめぐって投じた爆弾は、17世紀末から18世紀初頭の江戸の儒家世界に荻生徂徠が投じた爆弾と同質のものである。徂徠は「四書五経」の日本的訓み下しは、日本の「四書五経」にしてしまうことだといった。徂徠学とは異言語としての中国語と、今言から区別される古言の精到な理解に立って「先王の道」の闡明をいう古学である。だがこの古学は「先王の道」を異言語・異文化体系としての古代中華世界に押し戻そうとするものではない。徂徠の「先王の道」とは、近世日本に擬似普遍性をもって流布する儒家教説の批判的解体とともに提示される先王聖人による「礼楽的世界(人間的文化社会)」という制作的理念であった。だがこの徂徠古学は宣長に継承されるとともに、「漢」から「やまと」の自己同一性を弁別する宣長国学に変貌する。徂徠の「先王の道」の古学は、近世日本の18世紀社会に『古事記』の古言注釈によって「皇朝の道」を読み出す宣長国学を成立させることになるのである。 
 
  溝口を回想しながら私が徂徠や宣長に言及するのは、溝口の原理主義的ファンダメンタリズムともいうべき中国思想理解は、近世日本にその先蹤があることをいいたいからである。儒家的言語・概念の中国的固有性を強調する溝口は、その反対側に日本的言語・概念の固有性を認めることになるのだ。「中国文化社会学会」がまだ「東大中国学会」であったころ、その研討会で私は溝口の議論が日本的心性論者である相良亨氏の論と一致することについての疑問をいったことがある。実は溝口を相良氏の主宰する日本倫理思想史の研究会に招き入れたのは私であった。私は中国思想史家である溝口を招き入れることによってこの研究会の認識論的視野を開くことを考えていたのである。だが私の目論見は失敗した。二人は深く共鳴し合ってしまったのである。やがてこの二人の間で「異と同との瀬踏み」という日本・中国の概念比較の共同作業がなされていった。 
 
  溝口の中国思想史に違和感をもち始めていた私は相良・溝口の共同作業に接して、溝口との大きな距たりを自覚することになった。私は日本思想史が「日本」とは常に「日本」であるといった自己同一性の同義反復的な記述にしかならないことの不毛をいい続けてきた。ところが溝口が日本的自己同一性の代表的な記述者を同伴者とした中国的自己同一性の記述者になっていることを知ったとき、彼との間の埋めようのない溝を私は見出してしまった。 
 
  溝口には、私が上に徂徠を引きながらいったように、徹底的に中国に内在化してその言語・思想・歴史を理解しようとする原理主義的ファンダメンタリズムともいうべき立場がある。それは儒家テキストの読み方を私に教えた助手時代の溝口がすでにもっていた立場である。恐らく彼はこの原理主義的な内在的理解の立場をもって、伝統的な漢学的理解に、そして近代の文献学的方法をもったシナ学的理解に対抗しようとしたのであろう。中国学の外側にいる私には溝口は彼らについての遠慮会釈ない批判の言葉を聞かせてくれた。だが溝口はそうした批判の中で、荒木見悟氏についてだけは別であった。彼は荒木さんの『仏教と儒教』(平楽寺書店、1963)をちゃんと読めと私にいった。私は彼の薦めにしたがって『仏教と儒教』を読んだ。これを読むことによって私は朱子学理解に自分なりの道をつけることができた。朱子学について考えようとしていた日本思想史の私に荒木さんの本を読むことを薦める溝口に私は、彼の朱子学への内在的理解の凄さを感じた。 
 
  だが中国に徹底的に原理主義的に内在する理解は、日本から読むという他者的・外部的視点を失わせる。あるいはむしろ溝口の内在主義的な中国理解の成立自体が、たとえばヨーロッパ・シナ学を構成する他者的・外部的視点の批判的解体を前提にしていたのだというべきだろう。それが後に『方法としての中国』(東大出版会、1989)でいわれる中国の歴史認識をめぐる方法論的問題である。ともあれ徹底して中国に内在する溝口の中国理解は、溝口を中国に同一化させることになる。その国の生まれでないもののその国との同一化は、ネイティヴよりも過剰である。溝口は中国に過剰に同一化していった。私は後年彼と現代中国について論じながら、「中国の歴史は300年単位で変化する」といった溝口のいかにも中国的大人風の言葉に辟易した。後年の溝口は中国人以上に中国的であった。 
 
  中国思想史に原理主義的に内在化した溝口の中国史の読みは、そこから中国の〈独自的近代〉を読み出していった。彼のいう〈独自的近代〉とは中国の固有的特性をもった近代をいうのではない。それは〈近代〉を〈近代〉としてきた既成の歴史認識の立場を批判して、徹底して中国史に内在化した彼の歴史認識が読み出す〈独自的近代〉である。それは既存の〈世界史的近代〉を超える〈中国的近代〉である。こうした原理主義的に中国史に内在化した溝口による〈独自的中国〉の読み出しは、結局、独自的〈社会主義〉国である現代中国の歴史的弁証論でしかないとは、すでに私が『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社、2012)でいったことである。 
 
  とまれ溝口はプラスにもマイナスにも終始私に〈中国〉の読み方を教え続けてきた。もし溝口がいなかったなら私の〈中国思想〉理解はなく、〈日本思想〉理解さえなかったのではないか。私は常に溝口の〈中国〉とその記述を向こうに置いて、〈日本〉とその記述を考えてきたのだから。やはり溝口は二人とない私の大事な友人であった。 
 
(2015年3月28日) 
 
[『東方学』130輯ー平成27年7月刊ーの座談会「先学を語るー溝口雄三先生」に紙上参加の形で書くことを求められた「溝口回想」の文章である。] 
 
子安宣邦 ( 近世日本思想史 大阪大学名誉教授 ) 
 
※本稿は子安氏のブログからの転載です。 
 
※溝口 雄三(みぞぐち ゆうぞう、1932年(昭和7年)7月30日 - 2010年(平成22年)7月13日 )は、中国思想史研究者、東京大学名誉教授(ウィキペディア) 
著書に以下のものあり。 
『中国前近代思想の屈折と展開』東京大学出版会, 1980 
『中国の人と思想10 李卓吾』集英社、1985 
『方法としての中国』東京大学出版会, 1989 
『中国の思想』放送大学教育振興会, 1991 
『〈中国思想〉再発見』(放送大学叢書)左右社, 2010 
『中国思想のエッセンス軌曚汎韻里△い澄抓簀判馘, 2011 
『中国思想のエッセンス凝豈西来(解説:伊東貴之)岩波書店, 2011 
翻訳に以下のものあり 
『朱子語類 巻一〜三』 監修・訳注、汲古書院, 2007 
 
■子安宣邦さん 
  思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題についても積極的に発言している。東京、大阪、京都の市民講座で毎月、「論語」「仁斎・童子問」「歎異抄の近代」の講義をしている。近著『近代の超克とは何か』『和辻倫理学を読む』『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社) 
(子安氏のツイッターから) 
 
■子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ- 
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/49587022.html 
 
 
■もう一つのフランス−野沢協氏追悼 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201605261333424 
■大川周明と「日本精神」の呼び出し2 〈大正〉を読む 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604241637430 
■大川周明と「日本精神」の呼び出し 1  〈大正〉を読む  子安宣邦 ( 近世日本思想史 大阪大学名誉教授 ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604241628210 
■「中国問題」と私のかかわり 〜語り終えざる講演の全文〜 子安宣邦(大阪大学名誉教授 近世日本思想史) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201512072209271 
■<大正>を読む 子安宣邦 和辻と「偶像の再興」−津田批判としての和辻「日本古代文化」論 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602111256064 
■丸山眞男「超国家主義の論理と心理」を読む 〜丸山の「超国家主義」論は何を見逃したか〜 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602112350414 
■「日本思想史の成立」について−「台湾思想史」を考えるに当たって 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602262033155 


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