2016年08月03日14時56分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(213)『福島県短歌選集(平成27年度版)』の原子力詠を読む(1)「原発の格納容器の闇の中ロボット映すおどろおどろし」 山崎芳彦

 前回から一か月もの間を空けてしまった。筆者の事情によるものであり、お詫びを申し上げながら今回からは福島県歌人会編による『福島県短歌選集 平成27年度版』(平成28年3月20日発行)から原子力詠を読ませていただく。同選集は福島県歌人会が創刊以来62年間にわたって、一度の中断もなく継続して福島県歌人の作歌の果実を収めてきた貴重な年刊歌集の平成27年度版である。平成23年3月11日の東日本大震災・福島第一原発の過酷事故による被災にもくじけることなく、いやその苦難を真っ向から受け止めて福島の歌人は短歌表現をより確かなものに磨き上げ、作品を生み出し続けてきて、この国の短歌史に大切な歩を切り拓いていることに敬意を深くしている。 
 
 本連載でもこれまで平成23年度版以降の同選集を読ませていただき、原子力詠を記録させていただいてきたが、「あの日から5年」を経てもなお、「辛く厳しい状況はなお続くであろうかと暗澹たる気持ちは払拭することができません。・・・しかしながら、私たちは、こうした困難な生活環境や条件において生きている独りの人間としての『真実の声』を三十一文字に込めて訴えていく義務もあるものと考えています。・・・本選集が、次代に生きる人間への貴重な記録や今後における防災への警鐘になり、さらには『災害・事故の風化』にストップを掛ける大きな役割を果たすことも可能であるものと考えます。」(同選集の巻頭言、福島県歌人会会長・今野金哉氏より)との福島県歌人の思いを受け止めながら、筆者が原子力詠として読んだ作品群を記録していきたい。 
 言うまでもないことだが、『福島県短歌選集』に収められている210名(1人10首)の作品は、福島に生きる歌人それぞれが多様な生活の中で生みだしたものであり、詠われているのは広く豊かな多くのテーマにわたるものであり、その中から筆者の読みによって原子力詠を抄出させていただいている。抄出歌のほかに多くの、心打たれ、感銘を深くした作品群を読ませていただいた。だからこそ、原子力詠を感慨深く、切実な思いで読むことができるともいえる。 
 
 朝日新聞が「核といのちを考える」コラムを連載しているが、7月23日付に作家の柳美里さんが「原子力『義』に反する」と題して語っている。柳さんは2013年3月の東日本大震災、福島第一原発事故が起きた翌月から福島県南相馬市に通い、昨年4月に移住、災害FMでパーソナリティーを務め被災者の話を聞いてきたという。そして、以下のように語っている。(聞き手・岡田將平) 
 
 「驚いたのが、『米や野菜は他人が作ったものを買うのは情けない』という話。商売をしている人や原発で作業をしていた人も、自分で食べる米は自分で作っていた。川で釣りをし、山菜やタケノコを採るのが楽しみだった。それが原発事故でぶつぶつに切られた。暮らしてみて、奪われたものが何かがわかりました。 
 福島は高度成長の時代、効率よく安価で発電できると原発銀座になった。それが、お金で買えないものを根こそぎ奪った。事故から5年。切迫した人たちの苦しみをもう一度、視界の中心にもってくるべきです。 
 かつて一緒に暮らした男性は、長崎原爆で多くの児童が犠牲になった城山小の出身。初めて浪江小を見た時に頭に浮かんだのは、その城山小のことです。城山小は爆風や熱線で児童がひとりもいない光景。浪江小では習字の『牛』や『火』という文字が並んでいた。流れる時間が突然、止まってしまう。ふたつがひとつに重なりました。 
 昨年8月、長崎の爆心地を巡りました。原爆も効率よく人を殺すもの。効率と命、生活は秤(はかり)にかけられない。原子力は誰かを危険にさらすもの。すべてを破壊し、誰も責任がとれない。それは『義』に反するのだ。そう問い続けなければいけないと思うのです。」 
 柳さんは福島に移住後、高校生の息子らと暮らしていて、その経験をもとにしてノンフィクション「警戒区域」を執筆中で、年内にも出版予定だという。 
 
 この柳さんのことばを読みながら、『福島県短歌選集 平成27年度版』の福島歌人の短歌作品をもっとよく読まなければと、改めて思った。そして、いま政府をはじめとする原子力社会推進勢力が原発の再稼働を進めながら、「福島イノベーションコースト構想」を柱に据えた、福島の人々の生きてきた歴史や将来への願い、思い、さらにいまを生きている実態を「視界の中心に」おかない、「復興」計画はまさに「義に反する」もの、もう一度福島を深く傷つけるものだと思わないではいられない。 
 福島歌人の作品を、筆者が原子力詠として読んだ作品に限ってだが記録していきたい。筆者の読みの浅さによる誤りがあれば、深くお詫びしたい。 
 
除染終え乾ける土の荒あらと雑草一根拒めるさまに 
                      (1首 阿部まさ子) 
 
復興を加速すべしと大輪の御神楽椿今朝ひらきたり 
老朽化の仮設宅襲ふ冬の風 独り住む君大事はないか 
被災者の公営住宅落成す五階ふた棟明けの陽に照る 
                       (3首 阿部良全) 
 
富岡に住める友あり四年過ぐ神掛けて待つ君の行方を 
如実には計り知れない事ばかり怖いニュースの隠蔽体質 
阿武隈の山並み越えの泳ぎぶり避難地遠き幟待つ子に 
萱浜(かいはま)は枯野となりて廃屋に避難せる子の鯉幟立つ 
                       (4首 荒 仁志) 
 
どの草もどの木も虫も生きやうとする姿見ゆ梅雨空のもと 
「原発事故国は責任ありますか」を問ふアンケート是非見たし 
戦争と原発我を狂はせてテロは善なる邦人殺せり 
大なゐより四年目間近原町の駅より南の線路号泣 
小高区の消えゆく村上田植踊り守る姿に涙誘はる 
                       (4首 荒川落陽) 
 
除染にて土剥がされし庭先に諦めかけた水仙芽生ゆ 
踏み慣れし土剥がされて除染さる替えの山砂足に馴染めず 
もの言えぬ木ら刻まれて袋詰めされて運ばる除染のために 
                       (3首 安斉はや) 
 
汚染土を埋めたる庭の芝の上そこのみ低く雪降りしきる 
向い家は震災の後更地となり今日もいわきの車が止まる 
土地売れて向い家今日もさわがしく重機の音にわが家も揺れる 
                       (3首 板谷喜和子) 
 
人影を未だに見ざる相馬港やうやく釣舟解禁のニュース 
                       (1首 一瀬ふみ子) 
 
四年目にとり壊さるる体育館「渚のピアノ」が校歌奏でる 
故郷に還れぬ哀しみ負ふ人らともに歩まん浜つづく地に 
                        (2首 伊藤雅水) 
 
原発の事故は津波によるもので想定外と言ふ人ありき 
今度こそ中間貯蔵の搬入が四年余を経てやうやく成らむか 
                       (2首 海老原 廣) 
 
三度目の父母の避難地〈郡山〉疎水のみづのあつまるところ 
いつさいを失くして笑ふ父がゐる腎機能いたく衰へてゐる 
幾度も避難を拒みて閉口す原発事故の直後の父は 
滔々とながれし疎水この父にわれは如何なる水路なりしか 
                       (3首 遠藤たか子) 
 
ぽつぽつと明かりの見ゆるわが村に帰りたしとふ避難の老爺 
原発の格納容器の闇の中ロボット映すおどろおどろし 
                        (2首 遠藤雍子) 
 
中間貯蔵施設となりし大熊町佐藤祐禎氏をしのびてやまず 
汚染土の入りし袋の幾千が畑(はたけ)を占めて四年半経つ 
被災せし人ら自問自答をくり返へし身をおくすべの決断をする 
廃炉にて生じる日々の汚染水風評被害の足かせとなる 
汚染土のフレコンバッグ幾千の畑に積まれて五年に近し 
                        (5首 大方澄子) 
 
四年経ちすでに線量下りたる庭の除染の順番来たり 
花散らす雨のあがりし庭に入り除染業者は測量始む 
基準値の線量越えし庭先に目立つピンクの印付きたり 
垣越しにジャーマンアイリス愛でし庭にフレコンバッグ数多並びぬ 
除染後の庭に敷かれし砂の上に蟻はあらたな道を作りぬ 
                       (5首 大川原幸子) 
 
無残にも剪定されし庭の木々癒えつつ温き春を待ちいん 
除染終えし盛り土突きぬけ雑草の例なし萌ゆる生命の力 
丹念に抜きて集めし雑草と共に入り日も袋に詰める 
正月も原発建屋内部にて働く人あり薄らい光る 
                        (4首 加藤和子) 
 
セシウムの心配ないと古里の土の香高き筍とどく 
                        (1首 加藤次男) 
 
何事もなかりし日のごと瀬音たつ一時帰宅の里の熊川 
放流もかなはぬ川に被曝せし親より生れし鮎遡りゆく 
冬温きいわきに家を建てたると里に戻れぬ友の文来ぬ 
寝たきりの母のかたへに寝起きせり妻は3・11ののち 
大熊の民と言ひつつ他所の街に住みゐる不自然こらふほかなき 
                        (5首 鎌田清衛) 
 
避難地を終の住み処と決めし人ほろリと漏らす故郷のこと 
                       (1首 菅野トシ子) 
 
朝の陽に光る潮を弾きつつ試験作業の漁船戻り来 
線量を計られ市場に並びいる形大きな真鱈のひかる 
常ならば海苔生産の盛りなり原発汚染の浦の静けさ 
あての無き漁業再開の道なるに海苔網繕う夫の背まろし 
復興丼のあさりごはんを始めたり貝剥きおれば潮溢るる 
松川浦のあさり使えぬ悔しさを抱きつつ他県の貝を剥きいる 
                       (6首 菊地ヤス子) 
 
穂孕みを見つつ思ひぬ原発を食へぬ物にとならねば良きに 
                        (1首 木下 信) 
 
隣接の集落大方作付けせず 復興住宅の建つというなり 
秋茜を見ぬ秋過ぎて人間の為したる業の深きを知る秋 
原発の炉心溶融高線量に廃炉の行方未だ混沌 
スリーマイルチェルノブイリ福島に目ふたぎ原発再稼働すすむ 
                        (4首 北郷光子) 
 
除染後の狭き我が家の植込みもつつじ満開春は来たれり 
                        (1首 草野正次) 
 
セシウムの不安に野菜は作られず花畑となし四年が過ぎぬ 
放射能を忘れたき日は花畑の花に憩ひき蝶に癒されき 
放射能さへなかりせば震災の年も植ゑけむ夏野菜五種 
除染後にまかれし痩する山砂に堆肥鋤き込む双手の踊る 
                        (4首 黒澤聖子) 
 
被曝して四年を経たる今にして庭の除染の漸く終る 
                        (1首 桑島久子) 
 
いづこにか漂う風の身なれども梅につぼみのつきたるを見つ 
                       (避難の暮しの中で) 
古里と思えばおもえるこの街の初春(はる)の陽ざしのおだやかならむ 
避難せる町の帰還のととのえば独りで帰るこの寺のある町 
                        (3首 小泉清子) 
 
屋根終へて雨樋済みて土を剝ぎ心の除染のみとなりたり 
手間暇をかけてセシウム測れども福島の米行く道狭し 
葉を落とし冬の眠りの柿の木を寝首かくがに伐り倒すわれ 
吹きすさぶ吾妻おろしに真向かひて風評どもと四つに組むわれ 
十二年丹精込めたる桃の木をチェーンソーもて一気に倒す 
原発の事故が起きたるその年に生れたる孫は五体満足 
                        (6首 児玉正敏) 
 
原発に被害受けし子は土地と家いわきに求め親子で住むとふ 
避難所より帰りてみれば庭の松ほしいまま伸び棘となりぬ 
原発禍に耕作出来ぬ田の面に蒲生ひ伸びてさやぐは悲し 
                       (2首 木幡キクヨ) 
 
藤の花がこんがらがつて咲いているあれはまだ除染されてない山 
                        (1首 小林真代) 
 
東電社卑劣陋劣非常識隠蔽体質治療困難 
凍土壁建設遅延汚染水半減対策暗中模索 
原発事故関連死増原因仮設住宅居住長期化 
汚染雨水海洋流出隠蔽事案漁業者激怒東電批判 
東電社卑劣狡猾非常識非道隠蔽非礼集団 
人口減避難生活長期化健康毀損医療費増加 
汚染水年度内完全浄化処理東電断念県民憤怒 
高濃度汚染雨水港湾外流出隠蔽東電謝罪 
無恥無慈悲無謀無軌道無面目無理無計画無防備廃炉 
                        (9首 今野金哉) 
 
 次回も『福島県短歌選集』の原子力詠を読み続ける。 
                            (つづく) 


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