2017年04月06日14時00分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(228)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠(2)「核のごみ次の世代に渡す罪吾も負ひつつ歌詠みゆかな」 山崎芳彦

 前回に続いて福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』から原子力詠を抄出、記録させていただくのだが、作品を読みながら改めて思うのは、この国の政府と電力企業及び原子力関連大企業が連携して、満6年前、2011年3月11日の東京電力福島第一原発の壊滅事故による底知れない、いつ終わるとも知れない核災害を、あたかもなかったこと、あるいは恐れることのないこととして、原発復活政策を推進していることの罪深さである。世界最悪レベルとされた原発事故による被災の深刻さは、コンパスによって引かれた被災地の設定や、空間線量率で推定される年間積算線量による核放射線量の数字、森林や河川、水路を含む人が生き暮す環境を除く限定された「生活環境」の除染…によって解決されることではない。そして「加害者」「事故責任者」による被害者・避難者に対する一方的な「帰還政策」―すべてを被災者の事故責任に押しつけ自らの責任を軽減さらに無いことにする「避難指示解除」、そして原発再稼働が進められている。 
 
 この3月31日・4月1日に国は福島原発事故に伴う避難指示について、帰還困難区域を除いて「解除」を終えた。避難区域の解除は2011年9月に始まっていて、政府は解除の要件として、年間積算線量が20ミリシーベルト以下、生活インフラの整備などとしているのだが、これは国際放射線防護委員会による勧告、さらに日本の国内法令による公衆の年間線量限度が1ミリシーベルトであることに反し、土壌の汚染レベルについて考慮していない、また破壊されたコミュニティーの生活インフラの復旧がなされている状況ではないことも明らかだ。人びと、山川草木にとって原発事故による被曝はあらゆる面でリスクでしかなくメリットはあり得ず、汚染は果てしなく長く続いていくのに事故からわずか6年のタイミングで、賠償の終了や避難者への支援の打ち切りなどによって、「帰還せざるを得ない」状況を作り、望まない帰還を強いるのは、「国策」として進めてきた核発電の事故による被災者に対する国の悪政の極まりだというしかない。そして、重要なことは、福島原発の被害者は避難を強いられた人々だけでなく、避難指示地域ではなかった福島県の各地はもとより、近隣県、さらに広い地域の人々であり、いま政府が進めている、福島の「復興」政策の反倫理的なありかたをはじめ、さまざまな核発電政策を容認することはできない。 
 
 日本弁護士連合会は2016年5月27日付で「東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の被災者・被害者の基本的人権の回復への支援を継続し、脱原発を目指す宣言」を発表したことを思い出して読んだが、その中で、 
 「震災発生から5年を経過してもなお、全国で避難生活を送り続ける人々の数が17万人を超え、復旧・復興が進んでいるとはいえず、一人一人の被災者及び被害者の抱える問題が、複雑かつ深刻になっている。その一方で、福島第一原発事故の教訓に学ばず、原発の安全性の確認が不十分なまま再稼働が優先され、原子力事業者の損害賠償責任を限定しようとする動きさえも見られる。」、 
 「福島第一原発事故について、引き続き、東京電力ホールディングス株式会社に対し、避難指示の解除等を理由として、賠償の早期打ち切りを図るのではなく被害の実情に即して、必要かつ十分な賠償を行うよう求める。とりわけ、原子力損害賠償紛争解決センターの和解案の受諾を長期にわたり拒否する例があるが、和解案を尊重し受諾するよう求める。」 
 「国に対しては、福島第一原発事故被害者の良好な生活環境の確保や、健康維持のための支援策の実施を求めていく。とりわけ、避難指示区域以外からの避難者の入居する仮設住宅等(民間借り上げ住宅等のみなし仮設住宅、公営住宅を含む)について、総合的に支援する新たな立法措置を採ることを求める。」 
 「原発事故における原子力事業者の損害賠償責任の有限化を求める動きが見られるが、原発事故の再発を防止するため、国に対し、原子力事業者の無過失・無限責任を堅持し、損害賠償がより実効性のあるものとなるよう求めていく。」 
 「原発再稼働について、原子力規制委員会が策定した規制基準では安全は確保されないので、運転(停止中の原発の再稼働を含む)は認めず、できる限り速やかに、すべての原発を廃止することを国に求める。併せて、これまでの原子力施設立地自治体が原子力施設依存から脱却し、自立していくことへの支援を行うことを国に求めていくものである。」 
 と宣言したのだが、「人間の復興」を求める内容は、一年を経ても、いや国が避難指示地域の解除をを行ない、国と東電が被災者の住宅支援や賠償を次々と打ち切ったり縮小させ、被災者の苦難をより深刻なものにしている現状、さらに原発再稼働路線を進めていることからも、日弁連「宣言」の正当性はより鮮明になっている。 
 
 福島の原発事故は、その原因の全容が明らかではなく、またその廃炉まで数十年を越える時間を必要とし、たとえばメルトダウンした1〜3号機の核燃料熔融によるデブリの実態、格納容器の詳細な状況も把握できず、さらにその先の核汚染物質の処理の見通しに至っては闇の中のままである。無いことを祈るが万が一にも大規模な自然災害や何らかの人為的な過ちや意図的な破壊行為によるカタストロフィが起きたらと想像すると、現在進行形の原発事故のなかにありながらなお核発電をエネルギー政策・経済政策の根幹に位置づけ固執する政府とその同調勢力による反国民的な妄動を許してはならないと思う。 
 避難指示解除に対する避難者の不安、除染の有効性についての疑問、事故後も福島に住み生活している多くの人びとの日々の不安や様々な思い、健康と放射線の因果関係など、福島原発事故による被災についての政府・電力企業と原発関連産業の反人間的な対応が人々にもたらしている苦難が、さまざまに短歌表現されている福島歌人の短歌作品である『翔』の原子力詠を読む。 
 
 
 ◇『翔』第54号(平成28年1月発行)抄◇ 
猪が畑の土を深掘りす宝物など埋めて置かぬに 
原発の事故から四年が過ぐれども福島の虹薄きままなり 
雪が降る福島盆地に降り敷きてセシウムどもも埋め尽くさむか 
                           (児玉正敏) 
 
畦に立つ案山子のいくつ福島の何を怒るや口をゆがめて 
                           (紺野 敬) 
 
セシウムを好めるらしも際立ちてどうだんつつじの冴ゆるくれなゐ 
何処までも廃炉への道 泡立ち草溢るる野をゆき波立つこころ 
泡立ち草稲穂まがひの覆へども原発廃村を満たすすべなし 
原発の爆ぜてうつろの街なれば芯へ芯へと攻むるあら草 
福島や分けても唯の島ぞ否セシウム積んで遠退く孤島 
原発の安全神話に招かれて君らの繁栄 われらの貧困 
津波禍に原発が爆ぜ朋友のいくたり喪ひ洞なす町ぞ 
この町の原発爆ぜて筒抜けに遠く小さく見ゆる古里 
                           (波汐國芳) 
 
原発の事故のなかりしごとくにも昭和の戦も遠退きゆくか 
                           (伊藤正幸) 
 
生き永らへ再び食する時来るやセシウム汚染の原木椎茸 
山ひとつ削りて防潮堤建てり想定外のうねり防ぐや 
終息のつかざる原発さりながらふる里楢葉は水清き里 
核ごみの貯蔵地となる古里ぞ その山裾に父母の墓 
                          (橋本はつ代) 
 
夕影に来て鳴く蝉の声弱し地上のセシウム確かむるごと 
                           (古山信子) 
 
わが息子エンジン音を響かせてセシウム汚染の草刈る日なり 
東電の元幹部らが起訴となり被害者われの心も晴れぬ 
「万が一」大き津波に備へしか原発事故の責めを問ふべし 
広島の原爆投下の朝もまた油蝉啼き酷暑なりしか 
巡り来る八月六日痛々し被爆の傷の癒ゆることなく 
                           (渡辺浩子) 
 
炎暑の中めぐり来たりし八月六日ああ被爆者の渇きも巡る 
花火爆ぜ束の間消ゆる如くにもセシウム消えよ夜空の果てに 
                           (畑中和子) 
 
唐突に海より湧きし霧消えて浮かび上り来被災の思ひ 
風評を払ふが如くさんま船汽笛つらねて港出でゆく 
                          (御代テル子) 
 
一トンの土壌も水に流されて除染の村に雨降り続く 
避難せし人等が彼岸の墓参り除染の村の墓地よみがへる 
                          (桑原三代松) 
 
庭先に積み上げられし除染土にかぶせしシート風に揺れゐる 
三日かけて除染の済みしわが庭のか黒き土を手で取りてみる 
やうやくに除染の済みしわが庭の上にかかりし今宵の三日月 
花びらの虫に食はれてゐるところ震災の後のわが胸もまた 
原発事故の放射線量高き日に食料求め列に並びき 
スーパーに物なくなりし記憶ふとよみがへりくる地震が来れば 
                           (鈴木紀男) 
 
歌会への農道に沿ふ稲穂の波年毎に減り農らも減るや 
汚染土の山を穏くしし夕顔の蔓枯れ初めて青シート見ゆ 
何時の日かセシウム抜けむとわが庭に残しし枇杷ぞ今花ざかり 
被災五年磐梯山まで風評の登りて減りし観光客とふ 
                           (波汐朝子) 
 
 ◇『翔』第55号(平成28年4月発行)抄 
原発のメルトダウンに戻らない福島がああこんなに重い 
噫ふくしま汚染土の山累々と遣り場の無きを被曝のこころ 
遣り場なき汚染土覆ふ知恵なりや野にぞ紛れむその萌黄色 
原発爆ぜ…群るる猪わらわらと縄文時代へ戻る町はや 
この街に原発石棺連なるを目つむれば見ゆその石明り 
除染後のぶらんこ漕ぐ児 夕つ陽のトマトの朱を揺るなこぼすな 
騙されて何とも我らの御人好し魔の原発を招きしことも 
三・一一大震災に海ずれてエデンの東も見えしたまゆら 
                           (波汐國芳) 
 
去る者は日々に疎しの言葉など虚しく聞こゆ震災五年 
まなうらに残りし古里その縁すつぽり浚ひ覆ふあら草 
ぬけぬけと「明日があるさ」の言葉吐く一顧だにせぬ線量計を 
すつかりと造作変はりし顔を見せ震災五年を語る翁は 
裏切りの煮え湯飲まさるる幾度も原発トラブル隠ぺい尽きぬ 
                           (三瓶弘次) 
 
核のごみ次の世代に渡す罪吾も負ひつつ歌詠みゆかな 
埒あかぬ原発補償はあてにせじ元のきれいなわが畑返せ 
                          (橋本はつ代) 
 
失態を繰り返したる人人よオリンピックに小技は要らぬ 
福島のぱつくり開けし傷口に塩擦り付くる大臣なりき 
そこここに米をつくらぬ田が増えて雑草たちが主となりぬ 
わがむらにまためぐり来し三・一一雪降りしきり春近寄らず 
自主避難続くる姪ぞ福島に戻りし人のことばを聞かず 
                           (児玉正敏) 
 
中間の処分施設の汚染土よ行く先なくて其処に留まるや 
木枯しが枯れ葉を寄せ来セシウムも寄せて来るかと案じつつ掃く 
                           (紺野 敬) 
 
被曝より五年の経ちしわが庭に蛙もどりて命ひとつ増ゆ 
「お帰り」と掌のせし雨がへる喉の震へ微か伝はる 
                           (黒川喜代) 
 
「人間は地球にやさしくあれ」なんて驕る心の君にあらずや 
震災の前へと戻る術もなく娘の逝きて早や五年を経たり 
除染とて重機の響き聴きゐるか赤き木の芽の震へて止まず 
里山の除染はいまだ目途つかず湧水光る故郷を恋ふ 
                          (桑原三代松) 
 
原発に故郷追はれし歌の友望郷の歌作り続ける 
福島に原発事故のありしこと青丘在さばいかに詠むらん 
                           (鈴木紀男) 
 
セシウムに負けじと咲きし夕顔よ吾が足元を照らしておくれ 
この先の道みえざれど歩むなり八十八歳の命いただきて 
                           (上妻ヒデ) 
 
暖冬の雪なき庭に汚染土の居座りをりていらだつ日々ぞ 
被曝より五年経てども除染まだ進まず怒りのやりどころなし 
虎落笛仮設住宅ゆ聴こえきて被災者たちのうめきの如し 
斑なる仮設の灯火に胸痛し孤独死といふも増えてゐるらし 
故里へ未だ戻れぬ被災者ら故里の祭り夢に見るらし 
                        (波汐朝子) 
 
 次回は『翔』第56、57号を読む。           (つづく) 


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