2017年08月14日23時28分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201708142328271

文化

【[核を詠う】(241)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(6)「この国の核武装せむ怖れさへすでに怪しまず世は動きゆく」 山崎芳彦

 今回読む『昭和萬葉集巻十六』(昭和45年〜46年、1970〜1971年)、『同巻十七』(昭和47年、1972年)、『同巻十八』(昭和48年、1973年)は、1970年代初頭の4年間に詠われた短歌作品を収録している。1960年の日米安保条約改定反対闘争から10年を経て、経済の「高度成長」、「所得倍増」が謳われる中で、しかし時の支配層が進めた政治・経済政策の「毒」は人々を管理社会に取り込み、人々が生きる環境を痛めつける「公害」を全国各地に深刻化させ、さらに労働組合などへの巧妙な分断工作により戦後の革新運動の「混迷」を深化させていた時期であったと、筆者は自身の生活史を通じて思っている。この時期、筆者はある青年組織の月刊機関誌の編集記者として働いていたが、取材記事、ルポルタージュとして、公害、職業病、労働災害、自衛隊、労働青年の生活の実情…などをテーマにして拙い文章を書いた。その中での経験を思い返しながら『昭和萬葉集』を読んでいるのだが、さまざまな感慨が、自身の無様な生き方への哀しい振り返りとともに湧いてくる。特に、今回読む『昭和萬葉集』の時期は殊更である。 
 
 『昭和萬葉集』には、各巻末に哲学者・評論家の山田宗睦氏による「昭和史私論」が連載されていて、筆者は興味深く読んでいるが、巻十六には「一九七〇年前後」と題した文章がある。「私論」というように、山田氏の当時の動きと時代の焦点が浮き彫りになっていて面白い。その中から、"自然に直接していた人間の思想"などの項の一部を抽いてみたい。 
 「万博(1970年、大阪、筆者注)がかかげた『人類の進歩と調和』を嘲笑するように、七〇年から七一年にかけて、日本列島に"公害"が噴出した。本巻の『公害』歌群にも、水俣病、有機水銀、チクロ、添加物、光化学スモッグ、PPM、亜硫酸ガス、廃液、ヘドロ、歩行者天国(交通公害)、空気汚染、鉱毒、カドミウム、イタイイタイ病、サリドマイド児、といった言葉が出てくる。これらの言葉は、七〇年以後に急にふえた新語であり、日本列島の公害の普遍性を示している。/初めのうち、一般市民は、公害を悪条件の局地の出来事とみていたが、光化学スモッグ、ヘドロにいたって、それが普遍的な悪であることに気がついた。」 
 
 「このころのわたしは、のちに『わたしの日本誌』にまとめた一連の文章を書きはじめていた。この本の序文がわりにした『鬼の思想史』は七〇年一月二十九日に、大阪の朝日新聞のために書いた。/この一連の文章には、公害からうけとめた問題意識のうらうちがあった。工業ははたして人類にとって本質的なものなのかどうか。工業以前の農業段階の方が、人間の本質的な生活だったのではないか。マルクスの用語で言えば、工業は、自然と人間との物質代謝(シユトツフ・べクセル)にかえて、人工物と人間の反自然的な代謝系をつくりだしたのではないか。このいつわりの代謝系が自然環境を破壊し、自然人(ヒューマン・ネーチュア)を迫害している。それが公害なのだ。/そうすると工業社会の上で、資本主義制度から社会主義制度に変えていく、というだけではたりないであろう。自然の代謝系を回復することが、むしろ重要になる。そのためには、人間が自然に直接していた時代―それが古代・中世といった古い時代であれ―の思想や文化を、あらためてとらえなおす必要がありはしないか。」(略)「公害へもどろう。それは人類の未来への黄信号である。」 
 
 「七一年六月十七日、沖縄返還協定が日米間に調印された。佐藤栄作の言では、沖縄が返らぬうちは戦後は終らないということだったが、日本ははたして沖縄が帰るに値するところであったのか。/日本は祖国にあらずと言いたりき島人の声耳をえぐりき(高熨斗千春)/総理の言ふ戦後終らんとして沖縄に夏来る暑く苦しく(塩野崎宏)」 
 
 山田宗睦氏の文章のほんの一部を断片的に記したが、いささか乱暴な引用で、原子力詠を読むこととどうつながるか、筆者の勝手読みかもしれない。 
 『昭和萬葉集』の原子力詠を読んでいく。 
 
 ◇万博の日本◇(『平和万葉集巻十六』から) 
 ▼万国博(抄) 
原爆悲惨の相を世界に示さざりし万国博といふを憎みぬ 
                        (横山俊男) 
 
 ▼沖縄の本土復帰(抄) 
嘉手納基地にB52並びおびただしきかげろふ立てり空に揺れつつ 
                        (山下拓男) 
 
弾頭の無き胴体のみが運ばれてメースB撤去と公開さるる 
メースB西に真向けて構えたるその姿勢もちて外交を言うか 
                        (広岡富美) 
 (脚注に「メースB=沖縄に配備されていたアメリカ軍の核ミサイルの一種」と記されている 筆者) 
 
還り来し沖縄島よ戦友を殺しし武器を核を抱きて 
                        (大竹健三) 
 
 ◇安保阻止・成田空港反対闘争◇(同) 
 ▼さまざまな思い(抄) 
この国の核武装せむ怖れさへすでに怪しまず世は動きゆく 
                        (山田博信) 
 
 ◇世界の中の日本◇(同) 
 ▼米軍基地(抄) 
この島にミサイル・毒ガス・原潜艦ある夜笑いは不意に凍りつ 
                        (高熨斗千春) 
 
 ◇戦争の傷跡◇(同) 
 ▼原爆の記憶 
原爆で死すとも知らず其の朝餉麦粥食(は)ませ出動させし吾娘 
                        (岡本 良) 
 
その日吾監視哨に在り西はるか盛り上る雲のなにかは知らず 
                        (伊藤多嘉男) 
 
人間の姿にあらず屍骸(しかばね)とのぞけば低く呻き水欲(ほ)る 
                        (松室一雄) 
 
空罐の水ひくひくと飲みほしし後忽ちに汝(なれ)に死は来つ 
水を乞ひて捧ぐるもろ手あとさきのなき白昼のひとつまぼろし 
死屍いくつうち起こし見て瓦礫(ぐわれき)より立つ陽炎(かげろふ)に入りてゆきたり 
                        (竹山 広) 
 
黒焦げてさだかならねど叔母の骸(むくろ)その幼子に重なりていし 
                        (堀田 文) 
 
二十五年のすぎゆきのなか手に触れて薊(あざみ)のごときケロイドをもつ 
                        (江口志計子) 
 
被爆せし甥労(いたは)りし其の肩を患部となしし放射能はや 
                        (堀岡満子) 
 
「原爆症スペテアリ」と記されしカルテ鋭し死者のかたわら 
                        (平田光幸) 
 
徴用(ちょうよう)の広島にして被爆せし韓国人ら韓国に病む 
                        (山根 堅) 
 
静かなる暮らしにかえり今にしてケロイドの肌にまとう悲しみ 
                        (安藤千恵子) 
 
思う人明かし来て娘(こ)は母われの被爆を迷いつつ秘すと書く 
                        (藤田安子) 
 
原爆に遭ひしあかしの蒼き骨拾はむとしてとり落としたり 
橋をわたりあひにゆくなり公園の慰霊碑のなかにいもうとはゐる 
                        (富山繁子) 
 
原爆の碑かげにくろく華(はな)枯れて知る者のみの遠き日はあり 
                        (入江棟一) 
 
広島の一握(いちあく)の土わが持てりかのまがつ炎(ほ)の焼きしこの土 
                        (葉山耕三郎) 
 
草も木も生えぬとおびえたりし日もはるかなり広島に雨降りそそぐ 
                        (奈雲行夫) 
 
かく清く爆心地を公園にととのへてなべて過去世(くわこぜ)と年暮れむとす 
                        (白木 裕) 
 
被爆すら殉教として耐へむとや美しすぎるミサの歌ごゑ 
                        (菊池良子) 
 
二十六年人間の生きること死ぬことをさびしくみたりうらかみの丘 
                        (秋月辰一郎) 
 
広島を忘るるなかれとビラに刷る戦(いくさ)を知らぬわれら青年 
                        (小畑定弘) 
 
 ◇仕事の歌◇(同) 
 ▼海にはたらく(抄) 
「死の灰」の漁業補償のいくばくを貰ひしことを妻の言ひ出づ 
                        (天野徳二) 
 
 ◇愛と死◇(同) 
 ▼師友(抄) 
二十万人の一人といへど忘れめや被爆者わが友新延誉一 
                        (友広保一) 
 
 ◇揺れ動く日本◇(『昭和萬葉集巻十七』から) 
 ▼原爆の記憶 
ピカは人が落とさにゃ落ちてこん とうさんもほんとうにそう思うぞ 
原爆もさくらしぐれもくぐり来ていま何くぐる子の手をひきて 
                        (早川 桂) 
 
疎開地を出で来し父と広島に会ひしが終(つひ)となりたり夫は 
再びを子に会はむとて広島にとどまりし父原爆に逝く 
                        (山田ひさ子) 
 
原爆に妹逝きて二十七年墓石の銘(めい)の苔を剝(は)ぐ 
                        (児島孝顕) 
 
霜月朔日(ついたち)発掘さる原爆の遺骨二十体うち頭骨十二個 
似島(にのしま)の土を出でくる数知れぬ遺骨に過ぎし二十六年 
                        (川崎千公) 
 
広島の被爆者われの胸の内をな踏みそ若き「活動家」諸君 
                        (蒲池由之) 
 
浦上は美しきゆゑ被爆時を伝へむとして言葉に苦しむ 
                        (一瀬 理) 
 
慰霊碑の花指し告ぐる幼子よ汝がのちの日にしることあらむ 
慰霊碑へひといざなはむと幾そたびこの石みちの耀(かがよ)ひをゆく 
                        (松永智子) 
 
一瞬の夥(おびただ)しき死の中にして溶けし瓦に食ひ入りし骨 
                        (西岡春重) 
 
原爆の遺骨迎うる車中にて姉は喪服を盗られて哭きぬ 
                        (古沢さだ子) 
 
転がれる被爆の死体そのそばを表情失せし人行き交いき 
                        (大島かづ子) 
 
広島を焦がす夜空を望みつつ生きてと兵の兄を祈りし 
                        (亀井五十子) 
 
汗の浸(し)みケロイド痒(かゆ)しと作業衣のままに畳をころげまわりぬ 
                        (山田栄子) 
 
 ◇汚れゆく日本◇(『昭和萬葉集巻十八』より) 
 ▼列島改造(抄) 
ふるさとを狭(せば)めて成りし原子力基地さながらに外国化見す 
移りゆく原発都市(げんぱつとし)を覆う資本神々さえも怖れたるもの 
あわあわと原子炉いろに燃ゆるとき鋭角をなす大いなる翳 
                        (木村捨録) 
 
 ◇戦争の傷跡◇(同) 
 ▼原爆の爪痕 
かの火焔見しものらみな弱者らの悲しみに言え夏めぐりつぐ 
怒りを継げ怒りを継げよと呼ぶあゆみ夏のくるめきに人はるか亡く 
街変りその明るさに佇むに何覓(と)め来つつここも知るなき 
                        (近藤芳美) 
 
癩われら松根油搾る松根を山に掘りゐき原爆の日を 
                        (北田由貴子) 
 
原爆にあいたることを重荷とし貧しく生きてふるさと訪はず 
                        (山下寛治) 
 
原爆の孤児てふ運命に抗ひて気負ひゐし日々遠くなりたり 
                        (加藤節子) 
 
素裸の骸(むくろ)の上に死場所を示す荷札の一ひらはある 
                        (島  毅) 
 
被爆者でなき集団がデモするを被爆者吾が警備なしをり 
                        (紫野一生) 
 
原爆に残る校舎の廊ゆくに生きし者のみ今日つどふなり 
原爆に生きたる母とその跡をわが知るゆゑに戦ひを否(いな)む 
この友に原爆の日を問ふこともおびえに似るか生きて互(かたみ)に 
                        (扇畑忠雄) 
 
青あおと靡ける柳原爆ののちを育ちて垂れたり河岸に 
                        (川崎千公) 
 
その朝を出でて帰らぬ面かげの幼きままに来る原爆忌 
                        (松尾富雄) 
 
原爆記念館に八角時計のかず多し針みな十一時三分を指す 
                        (加藤久吉) 
 
生残り更に長らへし我はきて原爆ドームの荊冠(けいくわん)を仰ぐ 
ヒロシマの朝の鐘鳴る川岸にうすくれなゐの蟹這ひにけり 
                        (伊藤 麟) 
 
いとし子の恋せし人に告ぐべきか被爆のわれよりうまれしことを 
                        (富田孝子) 
 
アメリカより還りし原爆資料類木箱百八箇重々とあり 
湛へたる浦上川の水が見ゆ被爆地洗ひし雨後の写真に 
                        (一瀬 理) 
 
水を乞ひてささぐる諸手(もろて)あとさきのなき白昼のひとつまぼろし 
                        (竹山 広) 
 
厠にて暇どりし我を置き去りに広島派遣隊組まれ原爆に失せぬ 
                        (横山敏臣) 
 
原爆は何の差別もなさざりき広島に死す米兵捕虜も 
墨染(すみぞめ)の衣まとひてアメリカの僧回向(えかう)せり原爆忌あはれ 
運動も一つの生きもの人間の暗く哀しき性(さが)を映して 
さまざまに人間のエゴ絡み合ふ組織のなかの孤独耐へゆく 
                        (安井 郁) 
 
 次回も『昭和萬葉集』から原子力詠を読む。       (つづく) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。