2017年11月01日13時14分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(247)「南相馬短歌会あんだんて」の合同歌集から原子力詠を読む(1)「何といふ風のいたずら原発のなきわが町に放射能降る」 山崎芳彦

 福島県の「南相馬短歌会あんだんて」(代表・遠藤たか子)が毎年発行している合同歌集『あんだんて』の第五集(平成25年5月刊行)〜第九集(平成29年6月刊行)をお借りすることができ、読んでいる。この連載の71回目(2012年10月24日掲載)で同歌集の第四集(平成24年5月発行)を読ませていただいてから今日まで毎年発行されてきたのになぜ毎回読ませていただかなったのか、筆者の悔いは深い。同会に集った歌人(第九集13名)による作品群は「この地に住む者にとって大地震や津波、放射能への恐怖が根底にあることは紛れもない事実で、これからも歌い継いで行かなければなりませんが、自由に何でも歌える『場』であることも大切にして行きたいと思っています。」(第五集の「あとがき」 遠藤たか子さん)とする歌人集団の合同歌集にふさわしい、思いの深い、感性の豊かな、個性が生かされた作品の集積であると思いながら、5年間に蓄えられ一首一首を読ませていただく喜びをいただいてもいる。 
 
 
 
 この連載の趣旨から、筆者の読みによって、原子力詠として読んだ作品のみを抄出させていただくことになるが、作者の作歌意図にそぐわない、読みの拙さがあると思い、おそれながらの抄出をご寛容願うしかない。 
 
 今回は、第五集の作品を抄出、記録させていただく。なお、合同歌集『あんだんて』は、短歌作品とともに、エッセイや時評・提言、その他充実した編集構成、美しいちぎり絵を原作にして制作された表紙デザインなど魅力あふれる冊子に仕上げられていることも、記さないではいられない。 
 
 
 
 第五集の「時評・提言」の中に高橋美加子さんの「自ら行動しよう! 善人の沈黙が日本を駄目にする」という文章がある。高橋さんは、放射能汚染が消えたわけでなく、その状態が続いているということを踏まえつつ、「屋内に閉じ込められている子どもたちの健康と発達状態が危機的状態にある」ことを、ともに遊び場づくりの取り組みに参加した医師たちから聞 
 
き、「親の責任で屋外遊びに参加すること」、「自分たちで放射線量を測り安心できる遊び場を自分たちで作る」ことを確認し合った仲間たちと、手を尽して屋外遊び場運営に取り組み、夏休みに実施した経験を具体的に述べたうえで、次のように記している。 
 
 
 
 「私たちは、経済最優先の社会構造が、こんどの原発事故では、何の役にも立たなかったという経験をしました。既存の権威と社会システムが何にも機能しなくなった南相馬で生きのびるということがどういうことかを体験しました。それから一年半が過ぎた今、=俺達は一度死んだ。そして、新しい自由を獲得した=という声が聞かれるようになっています。/何もなくなったまちで生きるから、ゼロからまちを創ろうという気持ちが芽生えてきています。 
 
 しかし、早くも外側では原発再稼働が容認されてしまいました。『善人の沈黙』が日本をダメにしようとしています。一緒に動いている女性が、昨日こんなことを言いました。=一人革命だよ。=」 
 
 
 
 合同歌集『あんだんて』には、このような南相馬の地に生きて詠い続ける歌人たちの作品が、もちろん一様にではなく、豊かに多彩に収められている。 
 
 またしても、原発存続、再稼働促進、そして国連の「核兵器禁止条約」反対の安倍政府が続くことになってしまったが、安倍政府の原発・核政策が主権者の意思に反するものであることは間違いないだろう。『あんだんて』の作品がそのことを明かしている。 
 
 
 
  ◇合同歌集『あんだんて』第五集より 
 
 
 
 ▼「ふたとせあまり」(抄)             根本定子 
 
「もうだめ」孫に悩みうちあけわが母は帰還できずにふたとせあまり 
 
 
 
瑞々し白鳳食めば事故まへのあかつきのかをり恋しかりけれ 
 
 
 
あの日からひととせ経てもサタンのごと血管のなかに憂さ溜まりゆく 
 
 
 
遥かなる遠い日いづこに去りゆきぬカナカナきけず夏も終りぬ 
 
 
 
車駆り廃屋つづきし路行けばあまたの柚子が青空に映ゆ 
 
 
 
相双の南をつなぐすべもなく新幹線はゆめのまたゆめ 
 
 
 
うさぎ追ひし オーケストラに合はせればふるさと小高は涙でかすむ 
 
 
 
コンビニは再開するかと老いし父母帰還のはなしに憂ひをみせる 
 
 
 
つやつやと若葉こぼれて風わたる荒れたる田畑ヒメジオン占む 
 
 
 
 
 
 ▼「早苗かがやく」(抄)              高野美子 
 
三階にポツンと残る春灯に教へ子たちの遠く偲ばる 
 
 
 
被災地の一年を経し報道に驚く友は文旦送り来 
 
 
 
「がんばつてください」の後は言葉にならずともヴァイオリニストに癒さるる夕べ 
 
 
 
地区ごとの試験用なる一枚田青空うつし早苗かがやく 
 
 
 
畑隅の傘に覆はるズッキーニ汚染地なればもらふ人無し 
 
 
 
津波禍の川筋かはる簗場跡汚染を知らず鮭遡りくる 
 
 
 
もう永久に終着駅のままなるや錆びれし鉄路に初雪積もる 
 
 
 
残雪に寒の雨降りふる里は烟りにけむり明日見えざり 
 
 
 
斑雪のしつぱね上げてボール追ふ子等の行く末今日も案ずる 
 
 
 
プロメテウスを罰せよと賜ふパンドラの箱開けてより災禍絶へまじ 
 
 
 
ふたとせの日々は遅くて速かりし沖に祈れる観音像建つ 
 
 
 
 
 
 ▼「未来の扉」(抄)                高橋美加子 
 
二十キロ越えて原発へ鎮魂のサックスを吹く坂田明は 
 
 
 
何処より生れたるものかプルトニウム原発建屋の中に蠢く 
 
 
 
二十キロ彼方の原発かなしかり骸のままに時巡りゆく 
 
 
 
核災のままに時のみ移りゆき元旦の朝つつしみて座す 
 
 
 
探しても探してもココロ見つからぬ溢れて暗き海を背にして 
 
 
 
カナシミノナカニウカンデイルワタシノタマシイ核災二年ヲスギテ 
 
 
 
菜の花もまばらになりし夫の畑作付せぬまま三度目の春 
 
 
 
千年後光となりて逢わんかな今二筋に道分かれても 
 
 
 
父も母も清しき顔で身罷りぬわれも凛として生き尽くすべし 
 
 
 
被曝地と呼ばれるまちにわれら住む未来の扉開かんとして 
 
 
 
 二十五年前に、核の時代を生きる人間の心を予測して語ったジョアンナ・メーシーの「絶望こそが希望である」という言葉が甦っています。何事もない平穏な暮らしの中で「絶望」に取り憑かれてしまっている沢山の人がいる日本の社会。私たちは原発事故という嵐に晒され人間の原点を体験しました。人が人でいられるのはどんなに過酷な状況になっても生き続けようとするエネルギーを持っているからではないでしょうか。悲しみ、絶望、その底に見えてきた一筋の光。それを言葉で表すとしたらやはり「希望」です。私たちは絶望の中からも希望が生まれることを身をもって知りました。もしかしたら、この地は、核の時代を生き抜く希望を紡ぎ出すという大きな使命を与えられたのかもしれません。 
 
 私の心はまだまだ絶望と希望の間を行ったり来たりするでしょう。でも絶望の底に希望が隠れていることを知ったから、恐れず絶望に目を凝らし真実を見つめることができるようになりました。 
 
 朝の光の中で目が覚めたとき、生きていることの奇跡を思い、幸せをかみしめている自分がいます。 
 
 (注 高橋美加子さんの「未来の扉」と題する短歌一連に添えられた文章をそのまま記させていただいた。 筆者) 
 
 
 
 ▼「朝日明るし」(抄)              鈴木美佐子 
 
何といふ風のいたずら原発のなき我が町に放射能ふる 
 
 
 
転てんと住所を変へて一年余あらたなる家に朝日あかるし 
 
 
 
県内に戻りて嬉しふるさとのなまり聞きつつ大根を買ふ 
 
 
 
人住めぬ町となりたる我が庭に蛇のひげ冴えてわれをむかふる 
 
 
 
どの家も扉を閉ざし溜息がもれくるやうな仮設住宅 
 
 
 
歓声はコンクリートに埋づもれりJヴィレッジに除染を受ける 
 
 
 
〈がんばろう東北〉いかに頑張れるもうがんばらない両手あはせる 
 
 
 
セシウムの染む故郷もふるさとぞ夫は饒舌に山河を語る 
 
 
 
帰るたび心の中に句点打ち荷物運びき さらばふるさと 
 
 
 
 ▼「貧乏くじ」(抄)                根本洋(ひろ)子 
 
〇被災地の牛 
 
忽然と消えし飼い主待ちながら「自立」というは牛にもあるや 
 
 
 
力つき堀に嵌まりて死せる牛この悲しみと怒りをどこへ 
 
 
 
餓して死す牛の眼は見開らかれこの世の様をいかに映さん 
 
 
 
安楽死させたる牛の弔いはただただ苦い酒を酌みしと 
 
 
 
○希望 
 
久びさに遮断機降りる踏み切りを駅四区間の電車通過す 
 
 
 
屋外のプール授業の承諾書孫は持ち来る夢といっしょに 
 
 
 
若き日の我は歌いし反戦歌今詩(うた)いおる脱原発を 
 
 
 
○貧乏くじ 
 
生かされし命なりせば生き抜かん貧乏くじと言う人あれど 
 
 
 
震災の関連死という訃をきけば彼(か)の人生のクジ運いかに 
 
 
 
人生の貧乏くじを引き当ててかくも長きの避難生活 
 
 
 
決意とは避難先より戻ることとどまることへの二肢の選択 
 
 
 
あきらめる人未だ望み持つ人と地域真二つ除染は進まず 
 
 
 
汚染さる山河荒るるまま若きらは戻らず春は逝かんとぞせる 
 
 
 
 ▼「線量計」(抄)                原 芳広 
 
代掻きの二年無き田にたんぽぽは黄金(こがね)に映えて何を告げるや 
 
 
 
一五ヶ月経て配らるる線量計 庭0・八居間0・4(⋆マイクロシーベルト/時) 
 
 
 
懸念した放射性物質出なかった妻栽培の玉葱じゃが芋 
 
 
 
玄関にポインセチアの飾られて何も進まぬままに暮れゆく 
 
 
 
なんとなく謹賀新年書きにくい作付け出来ぬ春を迎える 
 
 
 
明けやらぬ御堂にあふるる「なまんだぶ」新たな年の安穏を請う 
 
 
 
金色(こんじき)の柚子は今年も熟れおつる基準値倍こゆセシウムのあり 
 
 
 
 ▼「夕晴れ」(抄)                 大部里子 
 
レモンイエローの宇宙の渚はわれら住む汚染の地球へ何問いかけん 
 
 
 
宮崎よりスイートコーン届けられ線量無しと和み食みたる 
 
 
 
日に三度いただく食事の身の振動すこやかなるやつつしみて聞く 
 
 
 
手に落葉わたして女孫は帰り行く軽井沢の道木漏日を背に 
 
 
 
ひねもすを雪降りしきる念じつつ大津波(つなみ)に逝きたるみたまの鎮魂 
 
 
 
落ち込みし時の笑顔は鈍色にいつか真実みえるでしょうか 
 
 
 
花は咲く聞くたび涙あふれくる津波に逝きし姪子が寄り来る 
 
 
 
 ▼「見しものは」(抄)              遠藤たか子 
 
斑濃(むらご)なす放射線量かへれざる十六万人 年あらたまる 
 
 
 
アサド シリア セシウム 水仙 スーチーさん さ行のさむさに三月はくる 
 
 
 
雨の日はことににほひし化学臭やうやく消えぬ一年すぎて 
 
 
 
あんず咲く庭のあかるさ放射能ふり敷けるさへしばらく忘る 
 
 
 
関連死などと呼ばるる避難して逝きて葬儀さへできぬ伯母の死 
 
 
 
人住めぬふるさとの庭に夜はきて夜も咲きゐむ白侘助は 
 
 
 
一ヶ月訪はねば一ヶ月老いて父母は待ちゐる仮の住ひに 
 
 
 
目凝らせばいのしし親子のたむろして人を怖れぬ生れし家(や)の庭 
 
 
 
住める場所住んでもよい場所住めぬ場所自在に行き来すとりけものらは 
 
 
 
さびしいからもう行かぬといへり一時帰宅にしばらく横になってきた父 
 
 
 
被災して空巣入るは悔しかりわが家も二回ガラス割られて 
 
 
 
ふたとせを過ぎておもへば見しものは災禍にあらず人のこころぞ 
 
 
 
ドアに鈴つけられし〈避難〉ひとはいふ そのおとわれも聴いた気がする 
 
 
 
ごくふつうに暮らしてゐますときどきは鈴つけあゆむ心地こそすれ 
 
 
 
 次回も合同歌集『あんだんて』から原子力詠を読む。    (つづく) 


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