2017年11月24日14時24分掲載  無料記事
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終わりなき水俣

川上さん逆転敗訴 最高裁判決は事件史に汚点 熊本大学名誉教授 富樫 貞夫

  水俣市梅戸町出身の川上敏行さんが認定申請したのは一九七三年五月。訴訟派の患者・家族が提起した第一次訴訟の判決が出た直後のことである。それから四十四年に及ぶ長い闘いがつづいたが、今年九月八日、それに終止符を打つ最高裁判決が言い渡された。 
 
▽認定申請に踏み切る 
 
 川上さんの実家は半農半漁を生業としていたが、主な仕事は水俣湾周辺での漁業であった。川上さん自身も学校卒業後は一本釣りなどの漁業に従事し、水俣市漁協の組合員でもあった。しかし、魚とネコに異変が見られるようになった一九五一年にチッソの子会社である扇興運輸で働くようになり、一九六八年には転勤で大阪に移住した。実家のある梅戸は患者多発地区であり、川上さんの一族にも十人の認定患者が出ている。川上さん自身も、水俣病の発生が公式に確認された一九五六年ごろから感覚障害等の自覚症状があったが、認定申請に踏み切るのは十七年後の一九七三年のことだ。 
 川上さんは、認定申請後、一九七四年と七八年に熊本県の検診センターで検診を受けたが、いずれも再検診の必要ありとされ、認定は「保留」となった。一九七四年夏に行われた集中検診は患者側の不信の的となり、以後、検診拒否の運動が広がったが、川上さんも一九七九年以後は県の検診に応じていない。検診でニセ患者扱いされたという思いが強かったからである。それにかえて阪南中央病院で詳細な検診を受け、その診断書を県に提出したが、熊本県は県指定の検診センターでの再検診を求めるだけで「保留」の結論は変わらなかった。 
 
▽関西訴訟の原告として 
 
 一九八二年十月、関西在住の未認定患者が、国、熊本県、チッソを相手として国家賠償請求の訴訟を起こした(水俣病関西訴訟)。この患者グループは、一九九五年の政治解決には加わらず、裁判での決着を求めて大阪高裁の控訴審で勝訴し、この判決はその後の最高裁判決で確定した。川上さんは、一九八四年、第二陣として関西訴訟に参加し、大阪高裁の判決では「メチル水銀中毒症」として八百万円の損害賠償を認められた。そして、この点が今回の最高裁判決で最大の争点になるのである。 
 ところで、川上さんの認定申請は、一九七三年以来長年「保留」扱いのままで、認定の見通しは立たなかった。そこで、川上さんは、二〇一〇年、熊本県知事を相手どって認定義務づけを求める行政訴訟を起こした。川上さんは、感覚障害以外にも運動失調や構音障害などの症状があり、その生育環境からみて、これらの症状がチッソが流したメチル水銀によるものであることは争う余地はない。裁判所は熊本県知事に対し認定を命じ、その結果、二〇一一年にようやく「水俣病」と認定された。 
 
▽認定後の障害補償費の請求 
 
 認定後、川上さんには、他の多くの患者のように、チッソに対し補償協定(一九七三年)に基づく補償を請求する途があったし、その方が分かりやすい。しかし、川上さんはそれを選ばなかった。それに代えて、熊本県知事に対し公健法に基づく障害補償費の支給を請求するという独自の途を選んだ。もちろん、川上さんが初めてだ。チッソの子会社で定年まで働いた川上さんには、チッソを訴えることにためらいがあったのであろうか。 
 川上さんの請求を受けた熊本県知事は、障害補償費を支給しない旨の決定をした。関西訴訟の大阪高裁判決で認容された八百万円で川上さんの健康被害に係る損害はすべて填補されているというのがその理由である。川上さんはこの決定には到底納得できなかった。そこで、熊本県の不支給決定の取消を求める行政訴訟を起こした。これが今回の川上訴訟である。 
 第一審の熊本地裁は、熊本県知事の不支給決定を正当と認め、川上さんの請求を棄却した。第二審の福岡高裁では、公健法に基づく補償給付制度は損害填補以外の社会保障的な要素を含むから、関西訴訟で認められた八百万円以外に支給すべき障害補償費がないかどうかについて検討する必要があり、その点を検討することなく不支給決定をしたのは違法と判断した。これを不服として熊本県側は最高裁に上告した。 
 最高裁は、原審である福岡高裁の判決のうち、熊本県敗訴の部分を破棄し、川上さんの控訴を改めて棄却する判決を言い渡した。その結果、県側勝訴の一審判決が確定したことになる。問題はその判断の内容である。 
 
▽最高裁は判断を誤まった 
 
 判決文の本文は、わずか五ページの短いもので、そのうち判断の核心部分は七行しかない。外観からして木で鼻をくくるような無愛想な判決である。しかも、この判決には、「水俣病」の話は出てくるけれども、「メチル水銀中毒症」という語はどこにも見当たらないのだ。これは見過ごすことができない重大な問題である。 
 関西訴訟の控訴審で、大阪高裁は、当時未認定の川上さんを「メチル水銀中毒症」と認定し、八百万円の慰謝料を認めた。一九七三年に成立した補償協定によれば、認定患者の慰謝料は、A・B・Cのランクに応じて千八百〜千六百万円である。もし川上さんの症状がCランクとすれば、千六百万円ということになる。この数字を基準とすれば、大阪高裁が認めた金額は認定患者の半額に相当する。 
 ところで、医学的には「水俣病」はメチル水銀中毒の一種とみなされており、両者を区別すべき医学的根拠は見当たらない。これは、国際的には常識の部類に属するといってよいであろう。しかし、大阪高裁のいう「メチル水銀中毒症」という用語は、これとはまったく異なる概念であることに注意しなければならない。これは、水俣病の疑いがあるけれども認定水俣病のレベルに達しない被害を指す用語であって、医学上の概念ではない。いい換えれば、認定水俣病を一〇〇佑凌緞麌造箸垢譴弌大阪高裁のいう「メチル水銀中毒症」は四〇〜五〇佑凌緞麌造箸いΔ海箸砲覆蹐ΑB膾綛盧曚蓮◆嵜緞麌臓廚函屮瓮船訖絛簔翔脳鼻廚鮖箸なけることによって水俣病被害者の補償処理に二重基準(ダブルスタンダード)を導入したのだ。 
 このように大阪高裁判決を理解すれば、未認定の被害者として算定された八百万円の慰謝料をもって認定後の水俣病患者として受けとるべき慰謝料とみなしうるなどという判断は生じるはずがない。しかし、川上さんのケースをみると、熊本県はもとより最高裁までも、この点の判断を誤っている。とんでもない誤判といわざるを得ない。 
 最高裁判決は最終審の判断であり、もはや取消しようがない。しかし、この判決は水俣病事件史に一大汚点として記録されるだろう。 
 川上敏行さんの長い苦渋に満ちた闘いは終わった。しかし、川上さんの闘いが残した教訓は重い。私たちは、そこから多くのものを学ばなければならない。 
(水俣病研究会代表) 
 
 
「県は支給義務免れる」 
最高裁水俣病障害補償費訴訟 
斎藤 靖史 
 
 裁判で損害賠償を得たことを理由に、公害健康被害補償法(公健法)にもとづいて認定患者に支払われる障害補償費を支給しないのは違法だとして、関西訴訟の元原告団長、川上敏行さん(九二)=大阪府東大阪市=が、熊本県の不支給処分の取り消しなどを求めた訴訟の上告審判決が九月八日、最高裁第二小法廷(小貫芳信裁判長)であり、最高裁は川上さんの訴えを退ける判決を言い渡した。二審の福岡高裁では不支給処分を取り消す判決が出されていたが、川上さんの逆転敗訴となった。 
 公健法十三条一項には、「補償給付を受けることができる者に対し、同一の事由について、損害の填補がされた場合においては、都道府県知事は、その価額の限度で補償給付を支給する義務を免れる」と記されている。つまり、川上さんが関西訴訟で得た賠償金(八百万円)で、川上さんの水俣病の被害のすべてが償われているかどうか、が問題となる。裁判で川上さん側は、「関西訴訟の賠償金は水俣病被害のすべてを補填するものではない」と主張したが、最高裁は判決で、県側の主張と同様、「(関西訴訟の)判決は損害のすべてについての賠償をチッソに命じたと解される。熊本県は障害補償費の支給義務のすべてを免れた」と判断した。 
 福岡高裁では公健法の障害補償について、「損害填補以外の社会保障的な要素も含む」とし、「支給すべき障害補償費が存在しないことになるか否かを検討することなく、当然に損害がすべて補填されたものとして障害補償費を支給しないとした本件処分は、公健法十三条一項に違反し、違法」だとして、不支給処分を取り消す判決を出した。最高裁が、その判断を覆した形だ。 
 川上さんは一九七三年五月に認定申請したが、一九八四年六月、損害賠償を求めて国、県、原因企業チッソを提訴した。二〇〇四年十月の最高裁判決で勝訴が確定し、賠償金八百五十万円を受け取ったものの、勝訴後も患者認定されなかったため、二〇〇七年に認定義務付け訴訟を起こした。最終的に認定されたのは、申請から三十八年後の二〇一一年七月のことだ。 
 川上さんは関西訴訟から一貫して行政の責任を追及してきた。チッソとの補償協定ではなく公健法による補償を求めたのも、そのためだった。弁護士によると、川上さんは支援者を通じて逆転敗訴について告げられると、「がっくりきました。最高裁より上はないんですね」と話していたという。 
 川上さん代理人の中島光孝弁護士は、「民事賠償と公健法の障害補償給付を全くイコールだと、乱暴に決めつけている。損害賠償を選択したら公健法の請求はもう駄目だというのは、ひどい」と判決を批判。同じく井上健策弁護士は、「熊本県がすぐに認定して、(川上さんが)公健法の請求をしていれば、(県が支給するはずだった障害補償費の方が、川上さんが裁判で実際に得た八百万円の)損害賠償より多額になっていた可能性は十分ありうる。水俣病の被害の救済という観点では、こういう木で鼻をくくったような理由で排斥するというのはあまりに酷ではないか」と指摘した。(ジャーナリスト) 
 
*この記事は、本願の会の会報「魂うつれ」第71号(2017年11月)からの転載です。 
 
<「本願の会」とは> 
 
 「水俣病事件は近代産業文明の病みし姿の出現であり、無量の生命世界を侵略しました。その『深き人間の罪』を決して忘却してはならないと訴え『魂魄の深層に記憶し続ける』ことを誓って、平成6年(1994年)3月『本願の会』は発足しました。その活動は、生命世界の痛みを我が受難として向き合い、対話と祈りの表現として、水俣湾の埋立地に会員の手彫りによる野仏(魂石)を建立し続けていきます。現代における『人間の罪責』、その行方は制度的埋め立てによって封印されてはなりません。いまを生きる私たち人間が、罪なる存在として背負う以外に魂の甦りはないと懸命の働きかけを行っています。」 
 これは、水俣病情報センターのパネルに会員が書いた紹介文。 
「本願」があるからといって特定の信仰を持つ宗教団体ではないのは当然のことだが、従来の裁判や政治交渉とは異なる次元で水俣病事件を核にした「命の願い」を「表現する」人々の緩やかな集まりである。運動体でない。 
 発足時のメンバーには、故田上義春、故杉本雄・栄子夫妻と緒方正人さんら水俣病患者有志、それに石牟礼道子さんが名を連ねている。それから20余年、現在は石牟礼さん、緒方正人、正実さんらが中心となって野仏を祀り、機関誌『魂うつれ』の発行を続けている。 
 祀られている野仏(魂石)は55体。『魂うつれ』は季刊で発行、1998年11月の創刊、2017年7月で70号を数えた。 


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