2017年12月02日19時59分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(250)南相馬短歌会あんだんて合同歌集から原子力詠を読む(4)「核災の五年目五月孫が来るじいちゃんの墓おそうじをする」 山崎芳彦

 今回読む、合同歌集『あんだんて』第八集は平成28年6月に発行されたものだが、「哀しみはおんなじなのに『帰還』という言葉は集団(そこ)に軋轢を生む」(梅田陽子)、「住民ら反対するも解除なる特定避難の百五十二戸」(原 芳広)、「春待ちぬ帰還せるひと数割か母は九割戻ると信ず」(根本定子)、「閻魔のごと帰還促すわが声に息をのみこむあなたの反応」(社内梅子)など政府の避難指示解除、復興の名のもとの「帰還強制」ともいうべき理不尽な施策が強まる中での、原発事故による被災者の更なる苦悩の中での作品が少なくない。10月10日の「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟をうけての福島地裁判決が福島原発事故についての国の法的責任、東電の過失を認め、断罪したように、加害責任を負うべき国が,被災者に対する賠償、-補償の打ち切りを切り札にして被災地への帰還を強制するかの如き暴挙によって、被害者が苦しまなければならないことの理不尽を、多くの短歌作品は歌い、訴えている。 
 
 『あんだんて』の作品を読んでいるさなかに、関西電力の大飯原発3・4号機(福井県おおい町)の再稼働が、西川福井県知事の同意表明によって年明け1月、3月にも行われることが報道された(12月1日付朝日新聞によると、神戸製鋼所グループの検査データ改ざん問題により、同グループ製造の材料を関西電力が原発に使っているため安全確認が必要になって再稼働の時期が3月、5月に変更の予定だが、調査が長引けばさらにずれ込む可能性もあると報じられた。)が、筆者は2014年5月21日の福井地裁(樋口英明裁判長)による「大飯原発3,4号機運転差止判決」を改めて読み返し、この画期的な判決(控訴審で係争中)がある中で、大飯原発が再稼働されようとしていることに強い憤りを持った。同判決が福島原発事故について調査、分析をしたうえでのものであるとともに、原発の持つ本質的な危険性、住民の被災の深刻な実態を把握しての判決であり、憲法によって認められている個人の人格権を侵害する原発事故の災害に言及している見事な判決であると感銘を受ける。 
 
 この判決では「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものてあって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、15条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。」、「福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。」、「年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、すでに20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国と何ら変わりはないはずである。…放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。」…と述べている。また、同判決の中で「使用済み核燃料の危険性」についても厳しく言及していることも、改めて、事故原発を抱えたままの福島の現状を考えるうえでも貴重なものであると思う。 
 
 福島原発事故によって発生した「福島事故廃棄物」、管理しきれていない危険な核廃棄物を抱えている現状は、政府が「ふるさと復興」、「避難指示解除による避難者のふるさとへの帰還」を言い、被災者に対する賠償や生活支援の打ち切りを行い「帰還強制」をするとともに核放射線によって安全安心の生活を保障しない、その一方で全国各地で原発再稼働を促進することが許されることではない状況にあると言わなければならないだろう。人格権の蹂躙は、憲法改悪を企む安倍政権の悪政に重なっている。 
 
 原子力市民委員会の「高レベル放射性廃棄物問題への対処の手引」(2017年4月発表)では、「管理されていない危険な核廃棄物を、しっかりした管理状態に置くことが最も緊急度の高い課題である」として、最優先すべきは福島事故核廃棄物の管理・処分に全力で取り組むべきことを指摘している。原子炉建屋内部に留まっている核燃料デブリが現在も分布状況が分かっていないこと、原子炉建屋の地下部分から水に混じって原子炉施設内外に放出された核物質が現在も増え続けていること、原子炉建屋の地上部分から大気中に放出され、原子炉施設内外に飛散した核物質と、それに汚染された建物・設備・機器等が現在も増え続けていること、を挙げ「これらをすべて容器に封じ込めることは到底無理なので、人間の生活環境からの隔離管理という方針が適切」と提起している。また放射能汚染水や飛散放射能を収納している貯水タンクやフレコンバッグの寿命が短い問題への対処の重要性も指摘している。 
 
 「避難指示の解除」、「避難者の帰還促進」、「被災地の復興計画」の前提として、これらの課題を国・電力企業とその関連産業が、取り組むべき最優先課題として位置付けて、被災者はもとより広く国民が納得できる方向を示し、さらに被災者への賠償責任、支援の強化など取るべき責任を全うするとともに、原発再稼働をやめることが求められている。万が一にも福島事故による危険な核廃棄物が何らかの原因で再びの災害を招くことがあってはならない。 
 
 いま、核発電、核兵器の問題が深刻な状況にある。その中で生きていることを思えば、南相馬短歌会合同歌集『あんだんて』の作品を読みながら、これまで読んできた多くの原子力詠短歌作品とも重ねて、筆者の思いも乱れ、考えることも多い。まとまりの無いことを書き連ねてしまうことが続いているが、お詫びしながら『あんだんて』第八集の原子力詠を抄出・記録させていただく。 
 
 ▼「白き繭」(抄)                高橋美加子 
カナカナの声ひびきあう夕暮れは遥かになりしひとの恋しき 
 
昨日今日、今日から明日へのつながりは神のみぞ知るわが地震(ない)の国 
 
ふりそそぐ秋の光はかげおびて曼殊沙華咲く荒れ田の畦に 
 
ふるさとは元のふるさとにはあらず老いは黄泉への帰還選びぬ 
 
残照の畑にひまわり黒々と種を孕みてうなだれて立つ 
 
友からの苦しみを告げる便りあり銀河の光る切手とともに 
 
粛々と除染は続く二十キロ圏フレコンバッグの山を連ねて 
 
八千ベクレルの土安全というのならオリンピックの工事にどうぞ 
 
農地除染終えし田んぼに早苗ゆれ空の光を映し広がる 
 
 ▼「催花雨」(抄)                根本洋子 
斎場は原発事故に逃れたる隣人知人の再会の場所 
 
ジオラマに造られし街のふるさとよ集いし人らと思い出語る 
 
肩の荷を一つおろせし納骨という儀式なり古里に入る 
 
村人を待つかのように狛犬は倒れたるまま六年目の春 
 
立ち寄ればどぶろく祭でにぎわいし神社の境内荒れたるままに 
 
高台の宿舎に明かり点きはじめ除染作業者らいま戻りしか 
 
かの日より六度目の春この街は桜に染まる馬陵のお墓 (相馬市馬陵城跡にて) 
 
仮置場設置するとうふる里の田は均されて砂ぼこり立つ 
 
いつのまにフレコンバッグ重なりて帰省のたびに抱くせつなさ 
 
朝日うけフレコンバッグ光りたる希望というには遠いふるさと 
 
飯舘の道筋示すかのようにフレコンバッグは累々つづく 
 
飯舘という名の村をバス走る車窓より見ゆ「ゴミ捨てるな」と 
 
天バツやタイミングという政治家よ口唇寒しマスクはずすな 
 
  随想「反省とは省みること」(根本洋子) 
 この度の地震で、被災された熊本県と大分県の方々には、心よりお見舞い申し上げます。(略) 
 さて、こちらの復旧・復興のほうに目を向けてみると、黒いフレコンバッグが増え続けています。ということは、それだけ放射性物質に汚染された土地の除染が進んでいるということなのですが、放射能が入っているフレコンバッグは、あくまで仮置場とした場所に、あくまで一時的に詰め置いているだけで、いつそれが片付いて、その場所が、元の田や畑、公園の敷地に戻るのかという保証は今のところ全く無いという。この最終責任の所在は、モヤモヤした霧の中状態ですらある。 
 帰還への希望には、まだまだ遠いふるさとなのです。帰りたいけど帰れないふるさとへの望郷を抱き、体調を崩しながら避難生活を送っているのも「放射能」という忌まわしいもののせいなのです。それなのに、今も地震で揺れている九州の原子力発電所は、稼働させている。何かあったら・誰が・どうやって・どんな責任を取るというのか。もう想定外という言葉は使ってほしくない。 
 福島第一原子力発電所の事故により、未だ避難生活をしている人がいて、放射能で汚された土地が残されていることへの反省が無い。 
 私達は実験動物ではない。同じ日本人なのです。フクシマと呼ばれたことへの反省も無く、教訓にもせず、学習さえせず、再び同じことを繰り返そうとしているのか。政府関係者よ、私達は事故を風化させない、この苦悩を短歌をとおして、これからも訴え続けてゆきたい。 
 
 
 ▼「猫のせなか」(抄)              梅田陽子 
晴れの日も「荒天により取水せず」東電今日も何か隠した? 
 
「このワラビ秋田産なの」一言が五年をへてもはずせぬ現実 
 
雪しまく峠を自転車で避難したあの人のことが忘れられない 
 
哀しみはおんなじなのに「帰還」という言葉は集団(そこ)に軋轢を生む 
 
道いっぱい並んで走る学生の自転車戻る六度目の春 
 
 ▼「舟戸松原」(抄)               柴田征子 
海人が家をつらねる舟戸松原の部落解散津波跡にて 
 
岐阜よりの入植はるか干拓の歴史あらたに基盤整備が 
 
被曝の地簗場人なく放ちやれの籠に積まるる末枯れのみち 
 
水張田の面に雨ぐも映しつつ被曝地の苗あをあをと伸ぶ 
 
 ▼「五年目の春」(抄)              原 芳広 
住民ら反対するも解除なる特定避難の百五十二戸 
 
チチンプイ痛いの飛んでけ山積みのフレコンバッグは早く飛んでけ 
 
種まきも育苗もなき春五たび種まきざくらは今年も咲(ひら)く 
 
藪も庭も表土五センチ入れ替えてみんみん蝉の鳴かぬ夏去る 
 
若き日に伊豆で求めしサボテンは除染作業の後に萎るる 
 
流失すフレコンバッグ四百袋 背筋の寒い事のつづきぬ 
 
田を均しプレハブ棟の立ち並び明かりの点り車溢るる 
 
隣村の除染へ通う四百人まなかいに建つプレハブに住む 
 
町民の戻り始めた楢葉町肥えたる鮭の川に戻り来 
 
避難指示解除のちかき小高まち花火打ちあぐる秋祭りの夜 
 
五年目の秋に代掻きしたる田は次年度作付け再開を待つ 
 
年賀状に「家を建てた」とおってがき産土すてる避難者の増ゆ 
 
 ▼「兄に告ぐ」(抄)               大部里子 
復興の菜の花畑黄金に五月の風は波打ち撫でゆく 
 
核災の五年目五月孫が来るじいちゃんの墓おそうじをする 
 
七五三の写真のアルバム届きたり孫の晴れ着を息子(こ)はいつくしむや 
 
原発事故五年のあわいに兄二人逝きしを念う福寿草が咲く 
 
新緑の峠を越えてふくしまへ孫と待ち合わす穴原温泉 
 
核兵器の無い世界にと広島へ訪れ来たるオバマ大統領 
 
異国にて戦死の二人の兄に告ぐ広島訪問よオバマ大統領 
 
 ▼「桐の米びつ」(抄)               鈴木美佐子 
桑の盆作りたる友もはるかなり震災の後はメールをかはす 
 
帰還とふ語を辞書に見るわが町の大半は帰還困難区域 
 
被災者なれど幸せと思ふ家ありて畑もありてキャベツ丸まる 
 
四十年国に寄与した原発の送電塔はゆるぎなく建つ 
 
「お前らは月十万円の口か」にべもなく蛸焼きを売る露店の男 
 
駅通り新町通り廃れゆくまちのすがたを目のあたりにする 
 
家も田も荒るるに任す震災後四年の歳月なすすべもなく 
 
今までより四五年後がより大変との言葉にれかむ目眩がおそふ 
 
震災より四年の歳月かび生えし桐の米びつ我楽苦多となる 
 
原発の被災者ですが腰を据ゑいわき市民になりすましてます 
 
やんはりと出身地問はる被災者と隠すつもりは些かもなし 
 
さりげなく無視してくれてありがたう市民大学の申し込みをする 
 
立前と本音はずれて被災者とまたも言へずに自己紹介す 
 
バスの中口ごもりたり税金も納めないでに反論もせず 
 
故郷は戻る所にあるまじき屋根瓦直し植木はさめど 
 
熟柿食むひよどりの声あかるくて除染終りたる庭に佇む 
 
 ▼「五年を経て」(抄)              根本定子 
ショベルカーアーム振りふり壁壊し育ちし家はいま沈みゆく 
 
六十五とよはひ書きつつおどろきぬ来し方行く末に思ひめぐらす 
 
汚染土を入れかへし庭ひろびろと光あつめて水仙むれ咲く 
 
除染時に敷きたるバラスすきまよりホトケノザ見ゆいつ生ひ初めし 
 
春待ちぬ帰還せる人数割か母は九割戻ると信ず 
 
 ▼「家路を急ぐ」(抄)              高野美子 
錆び深き鉄路を照らし躑躅咲く再開を待つ五年目の駅 
 
帰還なき家の庭先あらぶれど玄関のうへ表札光る 
 
「晩年は大事大事」と青葉木菟いまは晩年余生にあらじ 
 
けふもまた夕顔見むとそぞろ行く花のむかうは母おはす側 
 
故郷を追はれし友は終の地をいわき市と決め墓を守りぬ 
 
遠く住む人の言葉は思慮深しされど故郷われは住み継ぐ 
 
農地いま除染とともに変はりゆく稲穂を閉ざす仮置き場の塀 
 
肩を組み故郷を守る阿武隈嶺けふの雪雲しかと食ひ止む 
 
生きるもの帰巣本能もちをれど家路を急ぎ家路を忘る 
 
超特急北の大地を走る日に特急ひたち消ゆるわがまち 
 
 ▼「蓑虫」(抄)                 社内梅子 
冬間近別れの手紙を書き終えて切手貼る右手なぜか震える 
 
閻魔のごと帰還促すわが声に息をのみこむあなたの反応 
 
誰にでもひとつやふたつ秘密ありくるり葉で巻き蓑虫になる 
 
カメムシをいきなり踏んで見えたもの赤い血の肉まだ生きている 
 
このボタンもあのヒマワリもみなあなたから形見となりてつきあぐるもの 
 
 ▼「木菟のこゑ」(抄)              遠藤たか子 
データ放送にけふの風向きたしかむる慣ひも五年ふくしまの夏 
 
ゆふぞらのいづ方よりかふとぶとと降るこゑのある耳を澄ませば 
 
ほーほーほー低く淋しく聞こえくる声は人ならず獣にあらず 
 
熊本城の瓦いつきに滑り落つる地震にも稼働す川内原発 
 
氷塊も燃料棒の溶けたるもデブリなり登山用語と知りぬ 
 
放射性物質またく気にせぬ日のありて気になり仕方のない夜もある 
 
ひと住めぬ村かなしけれ塀こえて若かへるでの爪紅そよぐ 
 
木々芽吹く村をし行けど人を見ずよくきたといふ父も亡しはや 
 
移転先の最寄り駅なるになぜここに居るのといふ顔に見まはす母は 
 
このごろの母はケイタイ切るときに「お大事に」といふ我にまでいふ 
 
見ているはセンボンヤリの小さき花 お金では買へぬものがあります 
 
 次回は『あんだんて』第九集を読ませていただく。   (つづく) 


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