2017年12月31日13時27分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(252)遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』の原子力詠を読む(1)「炉心溶融起こり駅舎もながされてこの後われにふるさとは無し」 山崎芳彦

[核を詠う](252)遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』の原子力詠を読む(1)「炉心溶融起こり駅舎もながされてこの後われにふるさとは無し」 山崎芳彦 
 
 今回から遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』(2017年10月17日、いりの舎刊)から原子力詠を読むのだが、著者の遠藤さんはこの連載で前回まで5回にわたって読んできた合同歌集『あんだんて』を発行してきた南相馬短歌会あんだんての会長、代表をつとめてきた歌人である。筆者は遠藤さんとお目にかかったことはないのだが、福島第一原発事故の翌年の2012年に合同歌集『あんだんて』第4集が刊行されたことを知って電話を差し上げ、同歌集をこの連載で読ませていただくお願いをしてこころよくお送りいただいたことを思い出す。それから5年を経て、また電話でお願いして『あんだんて』第5集〜第9集を、前回まで5回にわたって読ませていただいた。その中で遠藤さんが歌集『水際』を上梓されたことをうかがい、ありがたくも頂戴して大切に読ませていただいた。筆者なりに一生懸命、心を集中させて読ませていただいたつもりである。これまでも数多くの福島の歌人の原子力詠を読ませていただいてきたが、またひとつ今を生きているひとびと、これからを生きるひとびとにとって貴重な短歌作品が編まれたことをしっかりと受け止め、つたないけれどもこの連載で読んでいきたい。 
 
 この歌集の「あとがき」で遠藤さんは次のように記している。 
 「『水際』(みぎわ)は私の第三歌集です。二〇一一年の東日本大震災及び福島第一原発事故からの六年半を、被災地に住む者の視点で歌いました。 
 原発への危機感は二〇一〇年に出版した『水のうへ』をはじめ、これまでも継続して歌ってきました。しかし、実際の事故の衝撃は想像以上のものがあり、容易に言葉にすることが出来ませんでした。また、六年半も経ちますと復興のかげに押し遣られ、半ば忘れられたかのようにも見えます。が、実際はまだまだ現在進行形です。特に放射能問題の深刻さは、いじめや差別、風評被害、人間関係の分断など思わぬ方面にまで広がっています。全体としてドキュメント性の強い歌集になりましたが、事実だけではなく人の内面にまで対き合わねば表現できない困難さがありました。(以下略)」 
 
 同歌集には411首が収められ、��(震災直後より三年目まで、一部震災前を含む)、��(三・一一当日から直後まで)、��(震災四年目から六年半にかけて)と三章に分けて構成されている。合同歌集『あんだんて』に収められた作品もあり、この連載の中で抄出、記録したが、その作品も含めて、歌集『水際』の原子力詠として抄出させていただく。「核を詠う」の本連載であるため、筆者の読みによっての原子力詠の抄出となり、心うたれ、感動させられた少なくない作品を記録できないのは残念であり、作者にお詫びするしかないが、お許しを願う。 
 
 歌集『水際』を読んでいる時、筆者は高木仁三郎著『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書、2000年12月発行)を何回目かになるが読み直していた。筆者が読んでいたのは2012年2月の同書第13刷発行だが、福島第一原発事故をきっかけにして2011年夏過ぎからこの「核を詠う」の連載を開始し、当初しばらくは(連載29回目まで)原爆短歌を読み、記録し続けながら、原発についての書物を読み、反原発集会や行動に参加していたころ、高木仁三郎氏の著作、論文に学ぶことが多かった。すでに高木氏は亡くなっていた(2000年10月8日逝去)が『原発事故はなぜくりかえすのか』 
は「死期を意識しつつ最後の力をふりしぼって録音テープを残されました」(あとがきにかえて)、そのテープを起しての、高木氏の最後の著書になるのだが、筆者は同書に掲載された「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」に強く深い衝撃と感動を受けたのだった。つたなく力足らずではあるが「核を詠う」の連載を続けようと、励まされたことをあらためて思い起しながら、遠藤たか子さんの歌集『水際』を読んだ。 
 
 高木さんのメッセージには、 
「(略)とにもかくにも、『反原発の市民科学者』としての一生を貫徹することができました。/反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国・全世界に真摯に生きる人々と共にあること、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信からくる喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。(略)/残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて『プルトニウム最後の日』くらいは目にしたかったです。でも、それはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシアの原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。」 
「後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。」 
と記されている。 
 
 この高木さんのメッセージを受けた人々の一人として遠藤たか子さんがいる、筆者もその一人でありたいと思いながら、遠藤たか子歌集『水際』の原子力詠を読み継いでいきたい。 
 
  ◇歌集巻頭の歌 
ことごとく汚染されたる地のさくら咲きそめて会ふことしの春に 
 
 〈�機咫�
 ◇ウクライナの文 
行けばある警戒区域の検問所コンビニすらりと出でたる先に 
 
見のかぎり汚染田ならむ素枯れたる泡立草の黄花群れたつ 
 
この先は産土への道結界ぞ赤色灯五個ちかちか回る 
 
ゆふやみの濃くなりきたる避難地区行けどもいけども家の灯らず 
 
冷蔵庫のそばにもの書きかんがへる十キロ先の餓死者、餓死牛 
 
半年の間につぎつぎと人逝きて栗の渋煮の得手友も逝く 
 
二時間の一時帰宅を終へし母しきり嘆かふその草の戸を 
 
避難先三たび変はりしわが母がときに酷薄な表情を見す 
 
九州のどんぐり落葉が園児らに届いたニュースよ すくわつとする 
 
このまちに戻りし子等か見学のジャージー列なし図書館めぐる 
 
「大変なことが起こりましたね」図書館に衿正し読むウクライナの文 
 
災禍後の人心百年荒む説読みて少女の手紙も読みて 
 
原発はなぜ反対しなかつた?被災地の「被」をけふは問はるる 
 
閉まりたるシャッターやうやく上げられて被災後一年ユニクロが開く 
 
 ◇精霊ばつた(抄) 
0・11(*)ならばよいかと歩きだす公園しきりに飛蝗(ばつた)の飛べる 
   (* μ㏜/h・マイクロシーベルト/時 空間線量率) 
 
放射能に逐はれて逃げし日のありき路面の亀裂をくるまに越えて 
 
避難せし生家の食器、食器棚三年を経ていかになりしか 
 
とくべつな夏だとおもふ生き延びて精霊ばつたを掌にのせる午後 
 
 ◇ワープ(抄) 
巻き戻し見るデジカメの吾妻山まだ放射能とばぬ空ある 
 
避難せる部屋より工事のすすむ見えドア三〇〇戸並べるが建つ 
 
午後九時を過ぎしスーパー売れ残る胡瓜すべてが福島産なり 
 
被曝地は風化待たれてゐるならむアーサー・ビナード核の世を説く 
 
 ◇かなしい音(抄) 
福島に被災後三たびの夏はきてモミヂイチゴが白花ゆらす 
 
放射能みえねば測るはかること知ることなりとターレス言ひき 
 
三年も使ひしものを線量計はじめて鳴り出すふるさとの道 
 
「あの四斗惜しかつた」といふ母の味噌手伝ひ搗きぬ事故二日前 
 
へびのとなりみみずのむかうに住む暮らし原発事故前確かにあつた 
 
家建つるふえて更地もふえる町人住めぬ町フクシマにある 
 
 ◇抱へてゆかむ(抄) 
幾たびも流されながら遡る鮭を目守(まも)れりけふの真野川 
 
ことにわが失意救はる気付きつつ言(げん)に出ださぬみちのくびとに 
 
たぶん何処へ行かうが随きくるフクシマを一生われは抱へてゆかむ 
 
 ◇銀杏(抄) 
拾ふ者ことしもあらぬか掃き寄せて線量値すこし高いぎんなん 
 
燃料棒とり出す朝を大いちやうぴしつぴしつと銀杏(ぎんなん)降らす 
 
 ◇千日(抄) 
父母よりも電動ベッドが先にきて杖きて四度目の引越しは雨 
 
またすこし遠くなります父母の家けさははじめて雪が積もつた 
 
原発を嘆けどなげけど越すたびに表情すこし晴れくる母は 
 
ふるさとに帰つたやうだと母はいふ被災後はじめてわが家を訪ひて 
 
ほぼゐなくなりたる内部被曝者と聞きたりあれから千日が経つ 
 
 ◇耳順(抄) 
刻みたる馬鈴薯一キロ変色をしてもどりくる食品検査 
 
山茶花が花ごと北風(しもけ)におらぶ午後 線量計の数字はうごく 
 
いかならむ予兆かアイソン彗星のかがやきを増し耳順を迎ふ 
 
 ◇海棠(抄) 
ふるさとの道に入りゆく坂のうへ蔵の白壁から見えてくる 
 
スリッパ立てにスリッパ挿されて誰もゐぬ生れし家見残せる夢のごとしも 
 
せんせんと水を巡らせゐし生家主なき家となりて久しき 
 
除染まだ水道もまだ石灯籠たふれしままの寺の参道 
 
三年半ぶりの墓参にわれは告ぐ先づは愛でくれし長男の死を 
 
死ンダラバ構ハヌ放射能アツタツテ家族ト一緒ノ墓ニト媼 
 
置き去りの車沈めて素枯れたる草に占めらるる母港の校庭 
 
湿らせし二重マスクの苦しさに二時間以内に故郷見巡る 
 
 〈�供咫�
 ◇水際(抄) 
  (2011年3月11日 南相馬市図書館) 
ながいながい地震に館内とびだしてうねる地面に摑まらむとす 
 
地震(なゐ)いまだ止まぬを見れば駅前は騒然として人のあふるる 
 
「逃げて逃げて」わが声届けと窓を開け速度おとして君らへ叫ぶ 
 
それぞれの車にエンジンかける見ゆ津波の轟音せまれるなかに 
 
若きらを逃がさむ思ひにわがくるま津波の前を駈け抜けてきつ 
 
  (3月12日午前、富岡町へ。自宅において原発の爆発音を聞く) 
つながらぬ太郎のメールが繋がりて「避難」を促す着信履歴 
 
  (3月13日 道の駅へ避難) 
家を棄てネコ棄て故郷を棄てるかに避難す原発事故後二日目 
 
  (3月14日〜18日 猫と共に飯舘→福島→飯舘) 
コンビニに売るはガムのみガソリンも情報もなく逃げ来しわれら 
 
放射能濃くただよへる村里をよぎる生死の水際をよぎる 
 
  (3月19日 Iさん一家のお世話で避難バスに乗る) 
両手延べ立つときふとも思ふなり被曝検査(スクリーニング)は十字架のかたち 
 
  (3月20日 新潟県長岡市の避難所に一泊→大宮駅) 
新幹線のホームに降りれば世の果ての表情に息子迎へくれたり 
 
  (3月27日 次男のアパート) 
午前九時すぎに聞こえる東京の山鳩のこゑ生きてゐる声 
 
  (3月31日 千葉) 
ここに住めよと友が探せる白き家ありがたきかもデジカメに撮る 
 
  (4月3日 光が丘公園) 
久々の散歩にしばし立ち止まりケーナのフォルクローレを聴けり 
 
民族の旋律かくも沁むものか「相馬流れ山」咽喉に歌はむ 
 
  (東京都の節電対策) 
十一万の避難者の一人われは見る電車が照明消してはしるを 
 
  (4月9日 東京国際フォーラム「放射線被曝の今とこれから」) 
ひとりづつ不安な傘を携へて此処に集まりきたる千人 
 
炉心溶融起こり駅舎もながされてこの後われにふるさとは無し 
 
  (4月28日 新宿→郡山→三春→南相馬) 
帰りたい御霊はどこへ帰るのか雨の日ツンと家がにほへり 
 
原発の遺せるものをしかと視よ 二万四千年(*)後の半減期 
  (プルトニウム239) 
 
かざぐるま回りて南風(みなみ)ふく午後はマスクをかけるいえのなかでも 
 
ふいに向き変へて回れるかざぐるま まだ水を購ふ暮らしかつづく 
 
 次回も遠藤たか子歌集『水際』の作品を読む。〈�供咾虜酩覆�続く。 
                            (つづく) 


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