2018年01月24日15時12分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(255)遠藤たか子歌集『水のうへ』から原子力詠を読む「臨界事故隠しにかくせる年月のながさよ二歳児三十歳(さんじふ)になる」 山崎芳彦

 前回まで3回にわたって2011年3月11日以後の作品を収めた遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』から原子力詠を読んだが、同歌集を読む中で遠藤さんが「原発への危機感は2010年に出版した歌集『水のうへ』をはじめ、これまで継続して歌ってきました」(『水際』のあとがき)ことを知り、お願いをしたところ、まことにありがたいことに歌集『水のうへ』(2010年、砂子屋書房刊)をご恵送いただくことができた。今回は、その歌集から原子力詠を抄出、記録させていただく。福島第一原発事故以前に歌われた原発への危機感を短歌表現した作品を、この連載の中で、福島の歌人の東海正志『原発稼働の陰で』、佐藤祐禎『青白き炎』、若狭の歌人の奥本守『紫つゆくさ』大口玲子『ひたかみ』などの歌集から読んできたが、今回の遠藤さんの『水のうへ』も原発事故以前に、短歌人の事実を視る確かな眼差し、鋭い感性によって原発への危機感を作品化し、発信していた貴重な一巻であると思う。 
 
 この歌集に、 
○いつぽんの宵闇桜みて帰る友ありうりずんの島よりきたる 
○焼き鳥の串をならべて語らへば原発と基地の構造は似る 
 
 という歌が収められている。沖縄の米軍基地が、沖縄の人々を苦しめ、その人々の尊厳を踏みにじり続け、危機の中に置いていることを、「国民の生命と安全を守る、国土を守る」と揚言する日本政府は日米同盟、日米安保を理由に容認し、人々の生命にかかわるさまざまな「事故」に対して米国にものを言えない。陸も空も海も米軍の思うに任せ、沖縄県民の怒りを圧殺している。前回読んだ歌集『水際』にあった「避難先に食料を送りくれたるは沖縄の友 五年が経つた」と重ねて、そして今頻発している沖縄軍の「事故」、それへの政府の対応に対する遠藤さんの思いを、筆者は想像している。 
 
 それは福島原発のある地に住み、深刻な核放射線による災害、人々の生活を根底から危険にさらし、さらに増幅しかねない、陸も海も空も汚染し生命あるものを脅かす原発を各地で稼働させているこの国の支配権力の不条理は沖縄の現状に重なっているという思いとつながる。だから福島原発事故の前年の2010年に刊行の歌集に「原発と基地の構造は似る」と詠った作品を収めたのだろうと、読者としての筆者は受け止めるのだ。 
 
 遠藤さんと電話で話したときに「原発をうたうことはライフワークです」という意味のことばがあったが、「子らの世に徴兵あるなテトラポットにぶつかりぶつかり圧し寄せる潮」(『水のうへ』)など、人間が平和に生きることへの希望を、美しい自然詠や深い心象詠などとともに詠い続けるに違いないと、作品を通じて筆者は思っている。 
 
 歌集『水のうへ』の「あとがき」に、「歌集名『水のうへ』は『千載和歌集』の紫式部の一首からとりました。三十歳代で夫を亡くしてから、もはや二十年になろうとしていますが、この時期は図らずも日本の『失われた二十年』と一致します。バブル崩壊後の日本、特に東北の産業、経済、文化の衰退は未だに深刻です。このような中で、歌いつづけて来られた私自身の、また不安な社会の象徴として考えるとき、千五百年前に紡がれた言葉はまさにぴったりなのでした。」と記している。紫式部の歌は「水鳥を水の上とやよそに見むわれもうきたる世を過ぐしつつ」である。 
 
 歌集『水のうへ』には「シュラウドに亀裂深まる秋の日の前方後方墳何も言はざれど在る」という作品があるが、2002年に発覚した東電原発トラブル隠し事件(米国のゼネラル・エレクトリック・インターナショナル〈GEI〉社のアメリカ人技術者から、1980年代後半から1990年代にかけて行った東電福島第一原発、福島第二原発、柏崎刈羽原発の計13基の点検作業でシュラウド〈炉心隔壁〉のひび割れなどが発見されたことの報告が改竄、隠蔽されていることへの告発が2000年になされ、2002年に至って原子力安全・保安院の調査で不正が明らかにされ、運転停止、社長らの辞任につながった。)を短歌表現し、「グラウンドゼロになるかも知れぬわが町のどんぐり林のどんぐりかこれ」とも詠って、その危機感は深かった。そして『水のうへ』刊行の翌年に福島第一原発事故が起きたのである。 
 
 『水のうへ』から原子力詠を読んでいく。2011年3月11日の福島原発事故の前に、原発に対する危機感がこのように詠われていたのだ。 
 
  (1995年ナトリウム漏出火災事故を起こした「もんじゅ」は運転を停止 
  していたが2010年再開) 
越の敦賀のさくらはいかに見終はりぬ もんじゆの停止ふげんの廃止 
 
半減期にとほき事故後の二十五年チェルノブイリに白象は来ず 
 
    * 
行きゆくに此処はどこの町ふるさとの交叉路ごとに誘導員佇つ 
 
原発事故想定訓練二日目の冬陽うごかず刈田に染みて 
 
閉めきつて外に出るなと云はれしと父がひつそり新聞拡ぐ 
 
木造の屋内退避の汚染率うたがへど父母とゐる解除まで 
 
事故あれば被曝地となるこの町のそら晴れわたり鶸の群とぶ 
 
地下室(シェルター)をもつ家ひそかにふえるまで古りし原発の故障はつづく 
 
    * 
青葉西風(あおばにし)吹けば晴れると伝へつつふるさと父母も原発も老ゆ 
 
グラウンドゼロとなるかもしれぬわが町のどんぐり林のどんぐりかこれ 
 
どんぐりを食みゐしころの人間にゴマカシりや秋の川ゆく 
 
シュラウドに亀裂深まる秋の日の前方後方墳なにも言はざれど在る 
 
    * 
早ばやとさくら咲く日の加速感けしがたくして核のゴミ増ゆ 
 
サクラサクラ流れて二重ドア開けば制御室湖底のひかりを湛ふ 
 
換気音はげしき建屋(たてや)に原子炉の安全説かるガラスを隔て 
 
此処は何年のちのわが町ふりむけば敷地に人影あらぬ原発 
 
    * 
いつぽんの宵闇桜みて帰る友ありうりずんの島より来たる 
 
焼き鳥の串をならべて語らへば原発と基地の構造は似る 
 
そこにある陥穽ときに視えざれど何があつても生きよわが子等 
 
ニュートンのりんごを見たり原発の丘なり種を継ぐ傷みに樹ちぬ 
 
     * 
きらきらと水しぶきをあげ防波堤濡れてゆきたり原発の海 
 
原発の海の響みをさびしめば砂上をはしる砂の音する 
 
しばし目を瞑り数ふる原発に働くめぐりの幾人の顔 
 
浮標(ブイ)揺らし出で行きし船がゆつくりと沖に向き変ふ 歳月透ける 
 
臨界事故隠しにかくせる年月のながさよ二歳児三十歳(さんじふ)となる 
 
おそらくはわれらぐつすり眠りけむ臨界事故のあかとき闇を 
 
今なにを視るべしわれは前方(さき)は過去(さき)沖へ沖へと潮けむり這ふ 
 
颯(さ)とはしる波間をめがけ風なかをいくたひも海へ降りくる鷗 
 
削られし山の斜面の土ぼこり黄を撒きてゐつ春の疾風に 
 
みぎ火発ひだり原発 早春の風の岬は波荒く寄す 
 
配管のひび操作ミスありながら原発稼働すなにごともなく 
 
      * 
  (34年経過の福島第一原発3号機) 
ゆきやなぎ芽吹かずビオラの凍る朝プルサーマルの準備はじまる 
 
あつたはずの体育館なし樫の木なし無きものぐるりと柵は囲へり 
 
      * 
にがよもぎ初めて見たり柔草なりスラヴ語にチェルノブイリと知れど 
 
 次回も原子力詠を読む。              (つづく) 


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