2018年03月13日10時44分掲載  無料記事
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終わりなき水俣

書評:富樫貞夫 『〈水俣病〉事件の61年 未解明の現実を見すえて』 事件史を見続ける視点 熊本日日新聞論説顧問・高峰武

  水俣病事件と長年向き合ってきた法学者(熊本大学名誉教授)が水俣病事件をめぐる医学と補償の歴史をまとめたが、タイトルが本書の狙いを端的に表現している。 
 それは水俣病に、〈 〉いわゆるヤマカギが付けられていることだ。なぜか。工場排水中のメチル水銀によって起きた健康被害を余すところなく表現するには水俣病という病名は狭すぎるし、歴史的にも認定制度によって認定されたものと同義の語として使われているため、という。水俣病は医学概念ではなく社会概念という立場である。加えて地名が付けられたことから差別、偏見を生み出してきたことがある。このため本書では、いわゆる水俣病、というほどの意味として〈水俣病〉が使われている。大きな問題提起である。 
 著者が初めて水俣の地を訪れたのは一九六九年九月二十六日。偶然ではあったが、ちょうど一年前の同じ日、「水俣病の原因はチッソによる工場排水」という政府の統一見解が出されていた。当時十三歳だった胎児性患者の上村智子さんと出会った著者は、一日の休みもなく、昼夜智子さんを抱き続けている上村さん夫婦の暮らしぶりについて、両手両足が不自然に曲がって硬直した智子さんの印象、一回の食事に二時間かかることなどに触れながら細かに書いている。著者の原点である。 
 一九六九年、患者家族二十八世帯がチッソを相手に起こした民事裁判を支援するために水俣病研究会がつくられ、著者は訴訟をどう進めるかの理論構成を担うことになる。例のない訴訟。厳しい論議の末に、被爆国として立場からの「無害であることを証明できない限り大気中の核実験はやってはいけない」という「安全性の考え方」をヒントに、危険な化学工場を運営するチッソにはより高度の安全確保義務がある、とする過失論を提起する。これまでになかった過失論は「水俣病に対する企業の責任―チッソの不法行為」として水俣病を告発する会から出版された。以来、約五十年、一貫して事件を見続けて来た著者の指摘は示唆的である。 
 一九五六年に公式確認されて以降、熊本大学医学部研究班が原因究明に当たるが、取り上げられるのは、例えば研究班の指向性と体制の問題である。公式確認から三年後の一九五九年に熊大研究班は有機水銀説を発表するが、イギリスのハンター、ラッセルが報告した病理所見などをもとに「ハンター、ラッセル症候群」などと呼んだが、著者によればこれは「熊大流の理解」にとどまり、今、医学界ではだれも使わない言葉だとする。実証性に欠ける、というのが著者の批評で、研究班は各科ごとに競争し、共同で研究を進めるなどといった視点はなかった、という。時代という限界があったのだろうが、心したい教訓でもある。 
 本書にでてくるif not瓩箸い考えも興味深いものだ。原因と結果を法律上どうやって判断するか、そこででてくるのがこの条件説という。「もし、チッソがメチル水銀を流し、海と魚を汚染しなければ―これがif not瓩箸いΑ修呂燭靴撞を食べた住民の感覚障害などの症状が出たのであろうか」という問いである。法律上の因果関係あり、という判断はだいたい七割から八割程度の確実性があればよいとされている。これが行政行為である認定であり、医学行為である診断とはまったく違うものとする。本来、限定的な医学の役割が事件史の中でオールマイティーになってしまったのが、〈水俣病〉の認定という制度で、ここに混乱の大きな一因がある、と著書は言う。認定審査会をリードした新潟大学の椿忠雄教授への公開書簡が問題の在りかを明らかにする。 
 海外の研究者から聞かれることは、なぜこんな広範に被害が広がるまで止められなかったのか、最終的にどこまで被害が広がったか、という二点だが、実はこれに答えられないのが今の実態なのだ。しかも水銀の測定法が進んだ現在、過去の測定値の信用性にも疑問が出されている。要は未解明の部分があまりに多い。医師の原田正純氏がよく使った患者分布のピラミッドモデルを例に、ピラミッドの底辺部分の調査、研究がまったく及んでいない現実を著者は指摘する。 
 もう一つの論点である補償史。一九五九年の見舞金契約、一九七三年の水俣病一次訴訟判決と補償協定書締結、一九九五年の政府解決策、二〇〇九年の水俣病特措法を概観すると、国がいかにこの間、「事件処理」のみに腐心してきたかがよく分かる。事件における国家の責任は、単なる法解釈論を離れて歴史の問題として問われるべきだ、というのが著者の視点である。賠償責任の正否という法的枠組みの中では土俵が狭すぎ、事件史的事実から懸け離れてしまう。事件の主役の一人が国家だった。 
 本書は熊本大学学術資料調査研究推進室(水俣病部門)主催の五回にわたる講演と論文二本を収録したものだが、資料に付けられた一九五九年十二月三十日の見舞金契約にはやはり慄然(りつぜん)する。大人の年金十万円、子どもの年金三万円。原因がチッソと分かっても新たな補償要求はしない……。助ける者とていないなかで、患者家族がこれをのまされた。この異様な歴史を私たちの社会は本質的な意味で本当に清算したのだろうか。本書を読んでそう思う。 
(弦書房 二二〇〇円+税) 
 
*この記事は、本願の会の会報「魂うつれ」第72号(2018年1月)からの転載です。 
 
<「本願の会」とは> 
 
 「水俣病事件は近代産業文明の病みし姿の出現であり、無量の生命世界を侵略しました。その『深き人間の罪』を決して忘却してはならないと訴え『魂魄の深層に記憶し続ける』ことを誓って、平成6年(1994年)3月『本願の会』は発足しました。その活動は、生命世界の痛みを我が受難として向き合い、対話と祈りの表現として、水俣湾の埋立地に会員の手彫りによる野仏(魂石)を建立し続けていきます。現代における『人間の罪責』、その行方は制度的埋め立てによって封印されてはなりません。いまを生きる私たち人間が、罪なる存在として背負う以外に魂の甦りはないと懸命の働きかけを行っています。」 
 これは、水俣病情報センターのパネルに会員が書いた紹介文。 
「本願」があるからといって特定の信仰を持つ宗教団体ではないのは当然のことだが、従来の裁判や政治交渉とは異なる次元で水俣病事件を核にした「命の願い」を「表現する」人々の緩やかな集まりである。運動体でない。 
 発足時のメンバーには、故田上義春、故杉本雄・栄子夫妻と緒方正人さんら水俣病患者有志、それに石牟礼道子さんが名を連ねている。それから20余年、現在は石牟礼さん、緒方正人、正実さんらが中心となって野仏を祀り、機関誌『魂うつれ』の発行を続けている。 
 祀られている野仏(魂石)は55体。『魂うつれ』は季刊で発行、1998年11月の創刊、2017年7月で70号を数えた。 


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