2018年03月16日12時27分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(260)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読 む(1) 「被曝せし福島荒野果てもなく犬の遠吠え聴く夕べなり」 山崎芳彦

 今回から、福島の歌人グループ「翔の会」の季刊歌誌である『翔』(編集・発行人は波汐國芳さん)の第58号(平成29年2月刊)〜61号(平成29年12月刊)の作品群から筆者の読みによる原子力詠を抄出、記録していきたい。歌誌『翔』については、この連載の中で平成23年(2011年)4月発行の第35号から、つまり2011年3月11日の東日本大震災・東京電力福島第一原発の過酷事故以後に発行されたすべての号にわたる原子力詠を読ませていただくことになる。力不足の筆者の読みによる原子力詠の抄出なので、作者の方々にとって、意に添わない不本意な面が少なからずあるに違いないにもかかわらず御勘如をいただき、原発事故により厳しい環境のもとにあっても短歌作品を生み、歌誌に編み続けてきた詠う人々に敬意と感謝の思いを深くしないではいられない。筆者なりに心を込めて読ませていただいている。 
 
 今回は第58号の作品を読むのだが、編集発行人の波汐國芳さんはこの号に「セシウム深野より発つ―—二十九年度の提言―」と題する巻頭言の中で昨年の干支・酉を踏まえて「鳥には翔があり、翔るため、その翔が不可欠の要件であり・・・『翔』にふさわしい活動をするためには己自身の心に翔を抱き込むしかない」と記した。そして「3・11大震災と同時発生の原発事故被災地福島の今を生きていることの証を作品の中に昇華する必要があることです。これは福島に住む者でなければ出来ないことであり、それを己に課していくことが必要であります。しかもその成果が顕著に見えるような年にしたいと思います。そのためには、自然発生的な詠嘆ではなく、また事後報告的な歌ではなく、被災地の生活をとらえた主題制作等も考えなければなりません。」、「又、視えない現実の透視による、詩的現実の創造ということを改めて考えてみたいと思います。我等は直感象徴の伝統的詠法によって、震災も原発事故も事前に作品の世界で透視できたのですから、そのことも再認識したいと思います。/ともあれ、…原発石棺の日々を克服しつつ、現在の地点に立っていますので、日本的自然主義における私性を乗り越え、今日的な新しい視座で、詩的ドラマ的人間像の創造も目指したいものであります。」と、まことに厳しく深い思いを述べた。 
 
 これから読んでいく平成29年中に発行された『翔』各号の作品には、会員歌人各氏の個性、特徴が豊かに生きている多彩な歌が、毎号一人10首ずつ収録されている。福島の地に生き、暮らし、さまざまな生活態様、感性を持ち詠う人々の作品であり、歌句として表現されていなくとも福島原発事故の被災の影を秘めているだろうことを考えると、「原子力詠」としての抄出を行うことは筆者にとっては力に余ることである。繰り返しになるが、読みのつたなさによる作者・作品に対する不行き届きについてはお許しを願うしかない。 
 
 ところで、筆者は今、脱原発社会の実現をめざし公共政策を提言する専門的組織として2013年に設立された原子力市民委員会の「原発ゼロ社会への道2017―脱原子力政策の実現のために』(原子力市民委員会発行、問い合わせ・申し込みは、原子力市民委員会事務局、筺FAX 03-3358-7064)を読んでいる。改めて福島原発事故から7年を過ぎた現状、これからの課題について学ばされているが、原子力社会の継続を図り、さまざまな悪政を展開している安倍政府に対して、その同調勢力に対して憤りを強く持たないではいられない。同書の第一章では「東電福島原発事故の被害と根本問題」について詳しく鋭い現状分析と論点提起を行っているが、その冒頭部分(第一章の総説)の記述の一部を引用したい。 
 
 「原子力災害の根底には放射能による環境汚染があり、人々が構築してきた有形・無形の資源を棄損するだけでなく、人間生活の基盤である自然生態系を汚染し、将来にわたり利用可能性を損なう。…放射能汚染が厄介な点は、被ばくの可能性が長期にわたって続き、それによる健康被害が判明するのに多くの時間がかかりまた、被ばくリスクの評価が人により大きく異なるというところにある。」 
 
 「土壌汚染は広い範囲にわたり、いまだ深刻である。除染の効果には限度があり、生産活動から撤退しても被ばくから逃れることはできない。…汚染が顕著な場所では、長期的な居住禁止や土地利用の規制などを検討せざるを得ない。福島第一原発の事故炉からの降下物も続いている。」 
 
 「また、住み続けること、あるいは帰還することを判断した場合も、社会関係が弱体化しているために生活環境は整わず、整っているように見える場合でも人間関係の分断や目に見えにくいストレスが継続していることが多い。しかし、福島県内では、被ばくを『不安』に感じることが悪いとして、"不安対策"ばかりに力が入っている。」(以上は「放射能汚染による環境の多面的機能の破壊」より) 
 
 「こうした深刻な被害の全貌を捉えた上で、…私たちは「人間の復興」を目指すべきことを論じた。…道路や建物など物財の復旧はあくまで手段であり、本来の目的は人々の生活や仕事を再建することだとする考え方だ。多くの予算を投入して産業を興すというようなやり方で『地域の復興』をとげたように見えても、すでにそこにいる人は外から来た人ばかりかも知れない。多くの被災者が避難先で困窮し、『復興』の置き去りにされるということになってはならない。」 
 
 「そのためには、被災者の意思を反映し、その人権が尊ばれるような形で被害の把握とその評価がなされるべきである。とりわけ、『被ばくを避ける権利』が尊ばれるべきである。放射性物質の拡散実態の把握と被ばく線量の把握に力を入れ、食の安全を確保するとともに、住民が安全のための生活形態選択の判断を行うための条件を整える必要がある。また被災住民と除染・廃炉の作業員の双方に対して包括的な検診と医療保健体制の構築が望まれる。地域共同体や自治体の再建のための施策が望まれる一方、避難した人々への生活支援を充実させる必要がある。また、長期の展望をもって帰還を考える人々のためには、それが可能になるような措置を行うのが望ましい。」(以上は「『人間の復興』を目指すべきこと」より) 
 
 「ところが、2011年以降の実際の展開は『人間の復興』からは遠ざかるばかりだった。…政府が推進する『復興』は多くの被災者を苦難のなかに置き去りにし、形の上で地域社会が再生しているかのように装うという方向に進んでいった。初期被ばくの評価は一向に進まず、空間線量の低下ばかりが喧伝される。福島県民健康調査では、子どもたちの甲状腺がんが多く発生していることは認めつつも事故の影響は考えづらいとし、医療や患者支援の充実に関する議論は行なわれていない。そして『リスクコミュニケーション』の名によって、『将来も健康影響はない』、『不安をもつことが健康に悪い影響を及ぼす』といった判断の押し付けが進められた。」 
 
 「そして、自らの判断によって避難していた住民への支援を切り上げ、帰還せざるをえないようにする政策がとられた。また避難指示解除準備区域や居住制限区域から避難していた住民に対しては、早期に帰還させるため、避難指示区域の解除に当たって、社会的な議論や住民との協議・合意を経ることなく、年間20ミリシーベルトという避難指示区域設定時の基準をそのまま用いた。これはICRP(国際放射線防護委員会)や旧原子力安全委員会による勧告から逸脱している。」 
 
 「被災者の中には住民の意思を無視したこうした施策を是としない人々が多い。そうした人々は行政と交渉したり、住民間での情報交換に努めたりしながら、『人間なき復興』のあり方に抵抗し、被害の補償や『被ばくを避ける権利』を掲げて訴訟を提起する人々も少なくない。」(以上は「『人間なき復興』の進展」より) 
 
 原子力市民委員会の『原発ゼロ社会への道2017』の第1章の冒頭の一部(第1章の総説の中の「大綱2014からの展開」)の引用をさせていただいたが、同書全体からみると端緒のごく一部からの引用であり、A4版300頁に近い全体を筆者はまだ読み切っていないのだが、2013年4月に設立され、今日まで続けられている原子力市民委員会の精力的な活動に裏打ちされた脱原発を目指し可能にする道筋を追求する中でまとめられた貴重な一巻から学びたいと考えている。「核を詠う」短歌作品を読むうえでの支えになるとも考える。 
 
 歌誌『翔』58号の作品を読み、原子力詠を抄出していく。 
 
 ◇『翔』58号(平成29年2月発行)抄 
平穏は続かぬものよ震災と原発事故の往復びんた 
 
忘れ物あるとて家に戻りたる友よいづこぞ津波後五年 
 
還暦の祝ひに集ひ同室の友の二人は津波に消えつ 
 
故郷を離れず住みてをりしかば逃げてゐたるや津波来る前 
 
冷や酒を夕にふふみて閖上の母の捌きし赤貝を恋ふ 
 
平穏に過ぐると思ひしわがひと世津波の後に来るのは何ぞ 
                     (6首 伊藤正幸) 
 
わが畑の向日葵の実に群がりて啄み続くる小鳥は追はず 
 
わがむらの老人会はあふるれど子供の数は片手となりぬ 
 
フェルメールの水差しを持つ女には福島の憂さを流す光が 
                     (3首 児玉正敏) 
 
福島や うつくしまなんて自惚れの手繰り手繰るを唯の浮島 
 
磐梯は重きを負へり福島の今をし負へり背沈むまで 
 
二つ箭山の天刺す岩の矢もて討て原発容れし下心こそ 
 
さらば冬 セシウム深野抜けたきを噫さ緑の駿馬とならう 
 
そびらだけ残る磐梯すがやかに被曝ふくしまの鬱も噴くべし 
 
阿武隈川そらの奥処ゆ流るるかうつくしまなんて自惚れも又 
                     (6首 波汐國芳) 
 
聖帝の「国見の逸話」を打ち遣りて「美し国」唱ふる浅慮を嘆く 
 
あどけなき悪魔の口許に翳されし小さき蝋燭そはフクシマぞ 
                     (2首 三瓶弘次) 
 
古里を原発爆ぜて逃れたる弟汝の今日は納骨 
 
吾を待つかの里山へ心急く三十七粁ドライブコース 
                     (2首 橋本はつ代) 
 
夕やけの光集めて凛と立つ面あげて立つ向日葵の花 
 
重々とかうべを垂るる向日葵が敗戦投手の姿想はす 
 
月影に浮きて見え来る温泉街 風評消えず窓の灯まばら 
 
重機音こよひの宿に聴く我ら遅きを想ふ海辺の復興 
                     (4首 紺野 敬) 
 
高原を車連ねて行く夏の傾りの黄の波ひまはりの咲く 
 
娘と友に誘はれて行く高原の会津見おろす向日葵の里 
 
ひと時は畑も路地も向日葵が咲いて居ましたセシウム消すと 
 
震災の後に蒔かれしひまはりは全国からの支援の黄色 
 
秋彼岸に山墓訪へばすすき穂のゆらゆら義姉の御霊顕ちくる 
                     (5首 古山信子) 
 
除染後の砂地に咲きし草花に手触れて思ふ何処ゆ来しかと 
 
光りつつ過ぎたる燕のさながらに吾も飛びたし確かな明日へ 
                     (2首 畑中和子) 
 
被曝せし福島荒野果てもなく犬の遠吠え聴く夕べなり 
 
笑まふ娘の遺影を仰ぎ六年目 被曝地フクシマ未だに癒えず 
 
次の樹を育む土となるものを除染に剥ぎ取る落ち葉ぞあはれ 
 
山林の除染に担ぐ草刈機の音が被曝の村を切り裂く 
 
除染車は近づくなかれうるさいと言はれ戸惑ふみぞれの朝よ 
 
除染地の寮より戻り我が家の座椅子に座るどつしり座る 
                     (6首 桑原三代松) 
 
東電はけろりと詫びぬ五年経て炉心溶解隠しし罪を 
 
再稼働以ての外ぞ東電よ原発の夢まだ捨てぬらし 
 
人間がいかに踠けど太陽に刃向かひ得ぬよまして宇宙に 
                     (3首 三好幸治) 
 
原発の事故が閉ざしし六号線開通なりしに行きて確かむ 
 
人住まぬ大熊町の不気味さよ白き穂芒怪しく揺るるを 
 
風吹けば風に騒ぎて泡立草黄の波立つる死者の怒りや 
 
被災より五年余経つも福島へ未だ戻れぬ人多しとふ 
 
何時の日かセシウム抜けると残し置く柿柚子の実の稔るも空し 
 
セシウムの無き庭戻り来るはいつ朝採り野菜の味を思へば 
 
汚染土の山隠さむと這はせたる夕顔の蔓枯れしが哀れ 
                     (6首 波汐朝子) 
 
 次回も歌誌『翔』から原子力詠を抄出・記録する。   (つづく) 


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