2018年03月24日14時38分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(261)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読む(2)「石棺の二文字悲し原発の事故の残り火永久保存」 山崎芳彦

 今回は歌誌『翔』の第59号(平成29年4月発行)の原子力詠を読むのだが、福島第一原発の過酷事故によって核発電の重大な危険性、人々の生活の破壊や環境汚染が明らかになり、しかもその事故の全貌や原因は基本的な点で未解明である。したがって「新規制基準」が原発の安全性を担保するには程遠く、新基準に合格したからといってその原発を稼働・運転することが認められるはずもないのに、ここに来て大飯原発3号機、玄海原発3号機が再稼働することですでに7基が再稼働することになる。原子力規制委員会は、再稼働の審査申請をしている16原発26基のうち7原発14基で新規制基準への適合を認めているから、再稼働はこれからも相次ぐことが必至だ。安倍政権のもとでの原発推進政策が、福島原発の事故が現在進行中であり、多くの人びとの苦難がつづき、事故原発の後始末の見通しもつかず、核汚染廃棄物の山の前で立ち往生しているにもかかわらず、「原発回帰」、さらに海外への原発輸出の路線が、政府・大企業経済界のむき出しの癒着によって進められている。司法の判断の政権追随も目に余る。 
 
 福島原発事故から7年を過ぎて、福島の被災者はもとよりこの国の多くの人々が、万が一にも原子力発電の事故によって生きるための「人間の条件」が破壊され、人ばかりでなく生命あるものが存在できる環境の破壊、未来の破壊を繰り返してはならないと考えているに違いないのだが、しかし現実には核発電が再開され、人びとから収奪した税金をつぎ込み、さらに電気料を使って「原子力社会」の活性化を図るための政治が、安倍政権のもとで進められている。原発事故を防ぐことが出来ず、事故の結果もたらされるはかり知れない災害に対する責任を持てないものたちが、原発再稼働を決めている。そのことは、福島の経験で明らかではないのか。 
 
 福島をはじめとする全国の歌人たちの原子力にかかわって詠われている短歌作品を読み、記録し続けているが、その多くの作品の背景に何があるのか、原発事故被災者の生活の現実について、筆者の作品を読む力は貧しいことを、いつも自省しているが、及ばないと思っている。原発について直接触れない生活詠、自然詠、心象詠が少なくない。立ち止まって思いを凝らすのだが、作者の思いに届かないまま、作品を抄出していることが少なくないと思っている。それを少しでも補うために、さまざまな書物や記録映像、原子力にかかわるルポルタージュや、文学作品、時には研究書、論説などを読むことに努めている。 
 
 原子力市民委員会の『原発ゼロ社会への道2017』に「コラム」として収録されている志村高志さんの「富岡町から避難した6年間から考える」(2017年5月に書かれたもの)を読んで、感銘を受けた。その全文を記させていただく。 
 
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  「富岡町から避難した6年間から考える」(志村高志) 
 あの日から6年が過ぎた。東日本大震災おび福島第一原子力発電所事故が私たちにもたらした大きな被害のひとつが広域避難である。震災当初より長期化は予想されていたが、その内容とはどんなものであったろうか。広域かつ長期的避難以外にも、問題が山積しているのは言うまでもないが、事故による避難の6年間を今一度考えてみたい。 
 私の暮らしていた富岡町では「危機的状況にあるため全町避難」として2011年3月12日に町からの指示が発令された。要するに原子力発電所の爆発が起こってからの避難ではなく、予防措置としてのものだった。この点は飯舘村のように爆発後の汚染による避難とは出発点が違っている。 
 それまでの地域と東京電力との関係性は「絶対的な安全性」、すなわち地域に被害を及ぼすことがないという言説の上に成り立っていた。当初、避難者が口にした「着の身着のまま」の言葉が示すとおり、本当に大事故になるとは考えなかった住民が多かったのではないかと推測される。事故の実態を把握できる立場にいた住民も確かにいたことことだろう。だからと言って、用意周到に避難準備ができる余裕があったとは到底思えない。そして富岡町民の避難(町指定の避難先は川内村)後に福島第一原子力発電所は爆発した。 
 飛散した放射性物質は目にも見えず、臭いもしない。熱量を感じることもない。避難している私たちを襲ったのが初期被ばくである。そして私たちの生活の場が放射能によって汚染され、奪われていったのである。情報もない中での避難はまさしく「過酷」という表現がしっくりしてくる。睡眠や食事といったこともそうだが、状況把握が出来ない不安が続き、今でも言い表せない大きな恐怖は頭から離れることはない。 
 日本の原子力政策は2011年3月11日で否応なく変らなくてはならなかった。しかも、国民や地域住民の意向もなく、合意形成の議論もなく、過酷事故という暴力的な形でなされたのである。事故前の原子力政策では、体験したこともない原発事故を想像する中での協議が繰り返され、対策として科学技術の裏付があるとされる実に不確定な「論証」が幅を利かせていた。巨大なエネルギーを制御できるという傲りの中で、経済性を優先するオペレーションが行われていた。もし、原子力政策を遂行する中で、ことあるごとに一度立ち止まり「見直し」がされていたのであれば、このような原発事故は発生したであろうか。 
 原発事故は今もなお継続しており、危機的状況を脱しているとは言えないのである。だからこそ、いま問われるのは、事故発生後の現実社会から目を背けずに、原子力政策を考え直すことなのだ。 
 事故の検証という点においても、国会や民間などさまざまな機関で実施されてはきたが、被害当事者の参加はごく限られており、東電の利害から完全に独立した委員構成ではなかったこともあって、不明なことも多く残され、客観性に乏しいままに行なわれてきたのが実態であると感じる。被害の実態を徹底的に検証するような事故調査がなされていない状態が、本当に事故検証といえるのだろうか。そのような調査には確かにコストも時間も膨大にかかるだろうが、原発事故はそれだけ巨大な被害をもたらすという現実に向き合う他はないはずだ。 
 そうした中、復興政策と称して「帰還政策」のみが進行するばかりで、問題の本質を見出すことが出来ない状態であるにも関わらず「復興の加速化」がなされ、思いもよらぬ弊害が復興政策によって新たに生み出されようとしている。まさしく復興政策の失敗である。その帰還政策がもたらす大きな社会問題と健康などの未確定なリスクとの間で翻弄され、原発事故の不確定要素に取り囲まれ、これからも苦しい避難生活を継続しながら避難者たちは存在し続けていくことだろう。 
 国策である原子力政策は、今一度、被害の実態をしっかりと踏まえて、同じ過ちを繰り返さないために、これまでのあり方を根本から改めなくてはならない。将来予想される健康被害や避難継続者の困難だけが事故の形だけなのではなく、原発事故がもたらした巨大な被害は、居住者、移住者、帰還者といったどの立場の人々であっても、現在進行形で存在し続けているのだから。 
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 歌誌『翔』59号の作品を抄出・記録する。 
 
千年に一度の震災ならばこそ語り継ぎ行け千年までも 
 
あるじなき庭に群れ咲く勿忘草この花まさに心あるらし 
 
壁薄き仮設の長屋にまる六年いつまで続くや堪へどころが 
 
古里を支へに六年たれの言ふ仮設の長屋も住めば都と 
 
デブリとは悪魔の辞書に記されしデブリ・デビル・デスの三段活用 
                      (5首 三瓶弘次) 
 
福島にうつくしまとて波に乗りおだてに乗りて分けし海はや 
 
福島や行方不明のうつくしま喇叭水仙の喇叭に呼ばう 
 
光差す癌センターの生まれしを被曝ゆゑとは諾ひ難し 
 
手触るれば氷の額照りて兄上はうつつに今を他界の鬼ぞ 
 
風吹けば風にし起つを青樫の葉のさやさやとセシウム掃くや 
 
名も知らぬ大鳥さ庭に啄むをひかる嘴もてセシウム絶やせ 
 
セシウム魔覚めゐる夜々も合歓花の眠りこければ束の間ですか 
                      (7首 波汐國芳) 
 
冬けやき裸木となりて風に立つ長き老後を鼓舞するごとく 
 
寒風がけやきの枝をしならせてわが詩魂にも揺さぶり掛け来 
 
光年の遠きはたてに思ひ馳せ裸木の間のシリウス見つむ 
 
かさこそと欅の落葉が軒下に音たて母の住み処たぐらす 
                      (4首 伊藤正幸) 
 
都会にてフクシマ語る人達よ福島の闇は住まねば見えじ 
 
除染にて削がれし跡に顔出だす蚯蚓くねりて何をこぼすや 
 
八重椿ときを違へて咲き始む除染除染と騒がるるなか 
 
桜咲く隣りに深き穴を掘り汚染土埋むる除染ぞ寒き 
 
安全を見届けぬまま突き進む技術立国制御が効かず 
 
そそくさと笑みたる写真選び終へ母への介護六年を閉づ 
 
二つ三つと日ごと数ふる福寿草遠きゆ春が近づきてくる 
                      (7首 児玉正敏) 
 
悲しみの色の濃くなる夕暮れに西日に染まる庭の柿の木 
 
胸底の深き哀しみ鎮めんか庭のコスモス静かにゆれぬ 
 
石棺の二文字悲し原発の事故の残り火永久保存 
 
震災の原発の事故五年経て寒き朝なり木枯しが舞ふ 
 
震災後六年となるを原子炉の冷却事故に肝をば冷やす 
 
白黒をつけたき思ひに捕らはれぬまなかひのもや静かに晴れて 
                      (6首 渡辺浩子) 
 
鬱といふ魔物が裡に住みたるか夕陽が暗く見ゆる日のあり 
 
あぢさゐの花咲き出でて福島の被災われらに笑み送らんか 
 
苦瓜の伸びゆく蔓に手を添へて福島おもふ地球の片隅 
 
よもぎ萌え風吹きわたる野に佇てば煩ひもまた癒ゆる思ひす 
 
朝採りの青菜の汁を味はひて独りの時が過ぐる静けさ 
                      (5首 畑中和子) 
 
明け方の震度五弱に揺られしを津波避難のサイレン響く 
 
震災の教訓あるも高台を目指す車が数珠つなぎなり 
 
余震あり驚きをれば寒々と彼の日重なる霜月の雪 
                      (3首 御代テル子) 
 
亡き君の筆圧のなきメモ書きの紙背に滲む無念の炎 
 
散策の吾に梔子咲き出でて他界の君が手招きをなす 
 
清らなる阿武隈川の源流を君の俤探りて辿る 
 
蟋蟀となりてやもめの吾を見に来たるか君よ啼きて呉るるな 
 
君が逝きひと年巡り吾妻嶺にまばゆきまでの冠雪の華 
 
君と手を携へ生き来し四十年たぐれば痛し吾の心は 
                      (6首 三好幸治) 
 
夕顔の蔓枯れ果ててわが庭の汚染土の山むき出しの冬 
 
何時の日かセシウム抜けると残しおく柚子の実今年も検査通らず 
 
何時の日か捥ぐ日あらむと伐らずおくこの柿の木にそつと手をやる 
 
セシウムの抜けざる庭にこの春も花溢れよと球根を植う 
 
被曝より六年経つも福島の土剝ぎ落とす除染作業ぞ 
 
被曝より逃れゆきしを菌などと侮られゐるわれらの仲間 
 
被災者の仮設住宅居の灯明りの未だ還れぬ人等想はす 
 
卒寿なる夫が上梓の歌集なり福島の今を生きる証しと 
 
短歌に生き数多の本を上梓せる卒寿の夫は吾のほこりぞ 
                      (9首 波汐朝子) 
 
 次回は歌誌『翔』第60号の作品を読む。      (つづく) 


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