2018年04月05日15時48分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(262)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読む(3)「夕暮れを避難区域の街ゆけば一瞬よぎる原子炉デブリ」 山崎芳彦

 今回読む歌誌『翔』は創刊60号を記念して「還暦号」特集である。会員の短歌作品とともに散文特集で構成されている。波汐國芳さんの巻頭言「継続は力」によると、平成十四年十一月十七日に創刊、以来「編集事務は編集委員が行うが、製本作業は同人全員が集まって行い、いわゆる同人自らの手作りである。こうしてあっという間に十五年が過ぎ、そして六十号を迎えた。」とのことである。「とにかく継続の力によって、大きな発展があったことは疑う余地がない。しかも、未曽有の3・11東日本大震災及び原発事故の被災という負の現実に遭遇しながらも、それを乗り越えてここまで来たという思いが深い。それは作歌に当たっての自己の在り方を掘り下げ、皆で力を合せ、プラス志向で被災に怯むことなく、坂路を登る思いで頑張って来たから、視野がひらけ翔の発行を続けて来れたのである。」とも記している。 
 
 さらに波汐さんは「被災地福島の現実を直視しながら、ここに生きているという、その現実を歌い上げることによって、生の証を立てていくことを歌人の使命と受け止め、その創造的生き方によって己も感動し、他者にも感動をもたらすことで復興に繋げて行くという考え方が定着してきたように思われるので、意義深い歳月であったといえる。」、「今後の課題は何かこれまで培ってきたものを踏まえ、更なる発展をしなければならないのは勿論、同人各個における実りも願わずにはいられない。また、透視の視座から、詩的現実を創造していく営為を一層強く己に課していくことも大切である。」と結んでいる。 
 
 筆者にとっても、『翔』との出会いはありがたく、励まされることでもあった。3・11以後に発行された全号を、この連載の中で読ませていただいていることに、あらためて感謝したい。「還暦号」に特集された会員各氏の文章を読みながら、まことに個性的で深く広いバックグラウンドの上に紡がれた作品に思いを新たにさせられた。うかつに読んではならないと戒められた思いがする。「原子力詠」と括ることを安易にしてはいけないとも思う。 
 
 歌誌『翔』の作品を読んでいるさなかに、再稼働を開始したばかりの九州電力の玄海3号機(佐賀県玄海町)が、30日夜に配管からの蒸気漏れが判明し、その後配管の腐食による蒸気漏れであったとして31日午前6時過ぎに発送電を中止したことが明らかになった。3月23日に、約7年3カ月の長期停止を経て25日に発電、送電を開始したばかりの事故である。九州電力は原子炉外の2次系配管からの蒸気漏れで放射性物質は含まれていないので環境への影響はないと説明しているが、再稼働するための審査を受けるに当たっての厳密な点検をしたであろうはずなのに、放射性物質を含まない2次系の配管とはいえ、配管を覆っている外装板の隙間からしみこんだ雨水を保温材が吸って湿った状態になり腐食が進み、穴が開いたため蒸気漏れが起こったという九電の説明で安心できるはずがない。玄海原発の劣化状態を示すもので、運転停止を決断すべきだとする声が高まるのは当然だろう。 
 
 立地自治体である玄海町の岸本英雄町長は「(放射性物質を含まない)2次系の蒸気漏れと聞いたので私としてはㇹッとしたところ。ただ営業運転が遅れることはつらい」と語り、町民には「あまり過大に心配されないようにしてほしい」とし、九電に対し「世間、地域住民の皆さんが心配することがないよう稼働してほしい。後日、その旨は伝えたい」と述べたという。(以上、毎日新聞3月31日付) 山口祥義佐賀県知事は蒸気漏れの2時間後に県に九電から連絡があったのを受けて「どういう理由で、どういう形で(蒸気漏れが)起きているのか、よく調査して頂くということだ」と語ったというが、玄海3号機の再稼働運転に同意した責任あるものとして、口先による注文付けで済むことではあるまい。九電の報告の真実性、調査の在り方、調査対象範囲などについてどこまでの具体的な情報、見識、知識を持って対応しているのか、原発再稼働に同意することの重大な責任、果すことのできない責任があることへの自覚を示さなければならない。 
 
 もし、万が一にもあってはならない事故、環境汚染につながる事象が発生していたら、取り返しのつかない事態が起きかねないのが原発であり、原発立地自治体の首長の判断に容易に任せることの出来ないことである。原発を誘致したかつての原発立地自治体の首長と同様の立場に、再稼働に同意する首長たちはある。 
 
 その意味では、茨城県で日本原子力発電の東海第二原発の再稼働をめぐり県と東海村に加えて周辺5市の事前了解も必要とする安全協定が原電との間で結ばれたことが注目されている。全国初めてのこととして今後の他の原発への影響は大きい。原発ゼロ社会を望む人びとにとって、当面、原発再稼働のハードルを高めることとして、このような「同意ルール」は一歩前進だろうと考える。原発のある各地ですでにこのような、県をまたいでの原発に関するルールを求める声と運動がある。福島原発事故の教訓である。無責任極まりない安倍政権の原子力政策のもと、原発ゼロへの一里塚として、原発の是非は電力会社と立地自治体の問題ではなく、全国民にとって目を背けることの出来ないことであることを、さまざまな形で示していく運動がますます求められている。 
 
 詠うことも、ささやかではあるとしても「己も感動し、他者にも感動をもたらす」力があるに違いない。歌誌『翔』還暦号の作品を読む。 
 
  ◇歌誌『翔』還暦号(第60号)抄 
津波後を危険区域の実家跡手繰り寄せれど境界おぼろ 
 
無念なる死とも思はずふるさとの津波の死者ら波に消えしか 
 
ふるさとの津波の死者よ八百の羅漢となりて闇夜に集へ 
 
若きらの多くが戻らぬふるさとの復興工事は徒車かも 
 
眠りより醒めてふるさとの海を恋ふ少年時代の初日の海を 
                      (5首 伊藤正幸) 
 
森の奥 絵の具流ししごとき沼みどり深々と獲物を待てり 
 
拠り所なくして佇てるこの今に燃ゆるがごとき日没を見る 
 
人間を地球の皮膚病と記ししはニーチェだつたか正にさうだよ 
 
裏切りの構図はもはやありふれて欠伸しながら茹でたまご食む 
                      (4首 中潟あや子) 
 
漕ぎ出でて求めしものかうつくしま 原発が爆ぜすかすかなるを 
 
原発のすぐその裏の「波立」の荒磯ひたうつ警鐘なりし 
 
セシウムの無きオアシスはいづこぞや裏磐梯の橅林のなか 
 
尾瀬原の木道に鳴る足音のきしむを福島が戻つてくるや 
 
瑠璃沼や瑠璃の目ひらけ うつくしま遠き福島見えてくるまで 
 
古里やみるみる遠退く海と歌 喇叭水仙のらつぱに呼ばう 
 
福島にぶらんこ漕ぎて夕焼けのたぐりたぐるを何処までも朱 
 
福島に鬱のとばりもひらけとやくれなゐしるきこのアマリリス 
                      (8首 波汐國芳) 
 
真直ぐに生くる姿よ菖蒲草すつくと立ちて紫紺の花を 
 
為政者の言葉も似たり蒲公英の綿毛ふはふは風にをどるを 
 
忘却とは忘れ去ること身構へて忘るる勿れフクシマの惨 
 
避難所に根を張るほどぞ六年を桃栗三年柿八年 
 
ぎごちなく「もう」ではなくて「まだ」ですよ米寿言祝ぐ戯れなるや 
                      (5首 三瓶弘次) 
 
古里の時鳥山の湧き水よ尽くることなき望郷の念 
 
亡き父母の知らぬ米寿を生かされて今宵吹き消すケーキの灯 
 
今少し いやまだまだと野良仕事手鎌を持てば若さがもどる 
 
月光を恋ひつつひらく夕顔の無垢なる花よいまは幻 
                      (4首 橋本はつ代) 
 
熊騒動起きたる日より散歩道他国の領土のやうな心地に 
 
熊鈴を強く振りつつ歩みたり熊の足跡残る畑を 
 
除染にて裏山の笹刈り取られ小動物の隠れ家はなし 
 
住宅と里山そして側溝と続く除染に大地きしむや 
 
六年を待ちて旗色変へたるや自主避難者の支援打ち切る 
 
海岸に防潮堤が出来上がり海と陸とが敵と味方に 
                      (6首 児玉正敏) 
 
在りし日の母の作りし凍み豆腐凍てつく夜道歩きて想ふ 
 
福島の被曝者われら声挙げむラッパ水仙のラッパを借りて 
 
水仙の花の一つに触れをればギリシャ神話のナルシス顕ち来 
 
花を待つ人の心も抱きてやほつほつ莟膨らみにけり 
                      (4首 紺野 敬) 
 
短歌の師の歌集『警鐘』快挙なり文学館賞受賞に輝く 
 
師の君の十四歌集の重みなり内助の妻にも桜花咲く 
 
眠剤の欠片ふくみて眠る夜の夢は空つぽ明日があれば 
 
仏壇のカサブランカが開きたり春の彼岸会香りを放つ 
 
雪明り眠れぬ夜の底ひより逝きにし人の面影顕ち来 
                      (5首 古山信子) 
 
夕暮れに学校帰りの中学生背を見つむれば吾に重なる 
 
夕暮れを避難区域の街ゆけば一瞬よぎる原子炉デブリ 
 
この星に生まれ育ちて六十年平和のなかに不気味な気配 
 
原発の浜通り区は避難区と悪夢につつまる病床のわれ 
 
陽のひかり書斎の窓に春の歌うたへとばかり射し込み来るも 
 
母の老い正面に受け歩み来し道はるかなりわれの未来も 
                      (6首 渡辺浩子) 
 
わが思ひ纏まらぬ夜にみんみんと急かする如き蝉の声なり 
 
生き終へし母の睫毛に宿る露そつと拭ひて別れ告げたり 
 
夕暮れを終のひまはり何思ふ大き面伏せ風に耐へつつ 
                      (3首 畑中和子) 
 
神経の痛みに眠れずゐる夜の地震の揺れを叱りたくなる 
 
我が姿見えぬひと月危ぶみて近所の人が訪ね来たりぬ 
 
来るべきが来たる感じに血圧を下げる薬の束受け取りぬ 
 
七十年生き来て心の片隅に貧しき日々の楽しさ残る 
                      (4首 岡田 稔) 
 
新年の会話が弾むその中に入れぬ老いの寂しさがある 
 
はばたきて暮らしたるはまぼろしぞ深呼吸して米寿待つ吾 
 
露抱く葉牡丹朝陽にきらきらと花なき庭にひときは映ゆる 
 
忘れまじ六年たてど大震災大揺れ津波原発の惨 
                      (4首 御代テル子) 
 
我が生きる意味をあれこれ考える事よりもまず温もりが欲し 
 
この窓は浄土に続く結界か溢るる光に引き込まれさう 
 
黄の蝶に姿を変へて舞ひ下りし吾子と連れ添ひ行く野の道よ 
                      (3首 桑原三代松) 
 
進みゆく「日米安保」の傍らに飢えてさ迷ふアラブの孤児ら 
 
温暖化防止を原発再稼働癒着しゆくか事故を踏みつけ 
 
日本に迫る津波とトランプの勝利にライフジャケット纏ふ 
                      (3首 三好幸治) 
 
卒寿越え歌に励める師の歌集歌への想ひはるかなるかな 
 
師の受賞知らせる新聞手に取りて歌への想ひ新しくする 
 
除染後に消えしと思ふ福寿草庭隅に咲く黄の鮮やかに 
 
三月の風冷たきに父とゐし震災の日を思ひ出すなり 
                      (4首 鈴木紀男) 
 
被曝七年避難解除の村なれどフレコンバッグ置きざりのまま 
 
被曝より七年経てど好物の山菜未だ口に出来ぬも 
 
卒寿越す夫なり歳に抗ひつ短歌に打ち込む背な輝かせ 
 
文学館賞の知らせにチューリップのカップ掲げて夫に乾杯 
 
贈与式に遠方よりの短歌の友子等も集ふにわが胸はづむ 
 
あまたなる歌友の祝ひの便りとぞ夫の目益々ほそくなりゆく 
                      (6首 波汐朝子) 
 
 次回も歌誌『翔』の原子力詠を読む。          (つづく) 


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