2018年05月25日15時38分掲載  無料記事
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文化

[核を詠う](264)能登原発阻止を闘った短歌「愛し能登 原発地獄」を読む「原発のゴミ捨て場らし奥能登は俺もお前も網引き田を打つ」 山崎芳彦

 筆者の事情て前回から長い間を空けてしまったが、今回は1960年代後半から、日本型工業化社会、高度経済成長を目指す政府、製造業を中心とする大企業が一体となってのエネルギー政策のため、集中的に原発推進国策の標的にされた北陸地方で、原発を受け入れることは自らの地域が「原発地獄」に陥ることを容認することになるとして、反原発の闘いに取り組んだ農民の一人である前濱勝司さんの短歌を読む。「愛し能登 原発地獄」と題して「北陸地域問題研究会」の会報「いろりばた」の発刊第一号に掲載された短歌作品を、筆者は八木正著『原発は差別で動く 反原発のもう一つの視角』(明石書店、2011年6月に新装版として発行、同書の初版は1989年8月)によって読むことが出来た。著者の八木氏(故人)は社会学者であり金沢大学教授でもあったが、1986年に住民を主体とする「北陸地域問題研究会」を立ち上げ会報・ミニコミ紙「いろりばた」を発刊し、地域住民を主体にした反原発運動に大きな役割を果たした。『原発は差別で動く』の八木氏の論考とともに同書に収録され、著書の過半を占めている「いろりばた」は貴重な、いま改めて学ぶべき「民衆智」だと思う。 
 
 政府は今夏にも「第5次エネルギー基本計画」を閣議決定し、原子力を「長期的なエネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」とする位置付けを維持し、原発の再稼働を推進するとともに、核燃料サイクル政策の推進、原発立地地域支援、原発輸出・新規導入国に対する原子力技術の提供…などを国策として推進することを決めている。基本計画には、様々な言葉をちりばめているが、なし崩しの原発回帰路線を強化する方針である。この計画に明記はされていないが、原発維持・推進勢力の原発新増設、リプレースへの動きは強まっている。その突破口として、大間原発、島根原発3号機、上関原発など建設中の原発や、柏崎刈羽原発、泊原発など点検中の原発をめぐる動向は警戒しなければならない。 
 
 今回読む「愛し能登 原発地獄」について、八木正氏は、「会報 『いろりばた』の発刊に寄せて」と題して書いているが、その中で「会報名『いろりばた』の由来について」として次のように記している。(発刊第一号は1986年11月20日) 
 
 「第一号には、ご覧のように、珠洲市で自然農業を営んでおられる前濱さんに登場願い、短歌を披露して頂きました。前濱さんとは羽咋市でのシンポジウムの時の懇談会で初めてお目にかかり、出席者の多くの方々と同様、そのユニークな人柄にすっかり打たれてしまいました。/その後も、映画『能登はやさしや―能登原発に問う』(金沢出版社映像部制作)の撮影に同行した際に何度かお会いしていますが、なかでも珠洲市寺家(じけ)のご自宅に招かれた時の強烈な印象は忘れることができません。珠洲市高屋で反原発の闘いに取り組んでおられる住職の塚本氏にご案内願ったわけですが、われわれが招き入れられたのは、裸電球ひとつがぼんやり照らし出している囲炉裏端でした。/やがて前濱さんが囲炉裏に籾がらを盛り、運び込んだ柴木を折りながらその上から燃やしつけました。今、辛うじて残っている地方の囲炉裏でも、せいぜい炭火が使われているのが普通だと思うのですが、柴が燃やされ、もうもうと煙が部屋中にたちこめるのにはいささか驚きした。しかしその炎に照らし出される、何とも言えない温かい前濱さんの顔を見て、私は美しいと思いました。/その籾がらの火の中で焼いて頂戴した松茸のおいしかったこと、こんなこと書いて恨まれてもいけませんが、要するに、その時に感じた囲炉裏端の温もりが会報の名称の由来になっていることは、言うまでもありません。替わるがわる色々な人々が囲炉裏端に坐って何事かを語り継いで行く—―そんな場にしたいという願望とイメージをこめて、こういう名称にしてみましたが、如何でしょうか。前濱さんの短歌の第一首が、いみじくも同じ思いを歌に託しています。」 
 
 その前濱さんが「いろりばた」第4号(1987年3月16日)に「文化農業の確立をめざして」という魅力的な文章を書いているが、抜粋させていただく。 
「…金沢のお寺で、北海道の百姓、森山利勝さんとの(出会いの)機会(金沢出版社主催、『現代の声』講座)を得る事が出来ました。 
 そのひとつ、ひとつの事が、こんなに思っている人がいると、熱く胸に、心につきささって来ます。 
 『五人いると、大きな流れだって、変える事ができる。』/『笑顔で勝負しろ』/『伝票での借金はするな』/『何でも現金で買え』等々…。 
 これを反語にすると、『手を結ばせるな』/『常に険しい顔をさせろ』/『現金を持たせるな』/『金の無いのは首の無いのと同じ 借金をさせろ』等々となります。 
 時代が、空気が、事あるごとに、最もさわりやすい百姓をさわる事によって成り立ち、過ぎて来た様に思います。本来、流れや空気に良いも悪いも、大きいも小さいもないのだから、これからの百姓は事なかれ百姓に終る事なく、もっと本当の百姓になり切らなければと思います。良い悪い、大きい小さいをみつめ切って、したたかに生き、ウンコも、水も、土も、空気さえも、自分で始末の出来る百姓になり切らなければと思います。 
 私は気が小さいせいか、時々こんな事を考えます。/電気、ガス、水道、お金等が(全部)止まってしまえば、今が、いまでなくなってしまえば、と…。 
 そんな(ことを考える)時を持つと、少しは気が楽になったりします。そんな考え、(それを)見つめる事が、短歌、俳句、詩(を作ること)であったり、色んな出会いであったり、百姓そのものであったり致します。 
 そんなご縁のなかから少しずつでも、何かが見えて来たら、声を大きく、 
『食は文化なのだ』と、『私は人間なのだ』と、言えそうな気が致します。…」 
 (この文章には、「前濱さんが故郷に帰って、自分の考えで「自然農法」を12年も営み、原発に揺れる村を見つめてきたことは以前に紹介しました。その彼が、いわゆる「極道」の世界も経た人であると知ると、なお激しく心打たれます。」とのおそらくは八木氏の言葉が添えられている。) 
 
 「いろりばた」各号には北陸の地に根ざして暮らす農業、漁業、主婦、大学生、大学教授、会社員…集い、それぞれの視点から原発問題にかかわる多彩な記事が掲載された。ただ、筆者は八木氏の『原発は差別で動く』に転載された「いろりばた」を読んだだけで、「「北陸地域問題研究会」のことや「いろりばた」に記事を寄せた人々についての情報や知識を持たない。 
 
 だが、「いろりばた」に掲載された、北陸地域の「原発銀座」と呼ばれることになってしまった各地で反原発に取り組んだ人々の思いを考えながら、国の「第5次長期エネルギー基本計画」が決定されようとしていたこの3月に、福井県敦賀市(渕上隆信市長)の市議会(原幸雄議長)が国に対する意見書を採択し、国の原発政策(エネルギー基本計画、長期エネルギー需給見通しなど)を支持し、原発再稼働や新増設・リプレースを促進することを求める内容を読んで、改めて「原発地獄」にはまり込んだ原発立地地域の無惨な現状に、筆者は慄然とした。敦賀市議会の「意見書」は次のような内容である。 
 
 「本市は(原子力発電の)立地地域として、エネルギー基本計画、長期エネルギー需給見通しなどの方向性を理解し、その実現に向けた取組に対して全面的に協力してきた。それにもかかわらず…国は一方的に高速増殖原型炉『もんじゅ』の廃止措置を決定した。…国と立地地域との信頼は大きく損なわれた。本市は、国策である原子力発電との共存共栄を、半世紀にわたり市の方針としてきた。しかし、現在、日本原電敦賀発電所1号機、『ふげん』、『もんじゅ』の廃炉及び敦賀発電所2号機の長期運転停止によって、市の財政も地域経済も困難な状況に追い込まれているのは間違いなく、人口減少にも拍車がかかる状況である。」 
 「さらには、本市で計画されている『敦賀発電所3,4号機増設計画』については・・・「福島第一原子力発電」事故以降、国の安全審査が中断し、未だ本体工事に着手できない状態にある。このような状況が続くことは、今後の本市の発展、エネルギーの安定供給や温室効果ガスの削減目標達成にも大きな影響を与えることが必至であり、長期的な視点に立ち最新の知見を反映した安全性の高い原子力発電所への転換にもつながる『新増設・リプレース』について早期に明確な方針が示される必要がある。」 
 「よって…今年度にも方向性を出すと言われている『第5次エネルギー基本計画』の見直しにあたり、敦賀市が今後も国策である原子力政策に協力していくためにも、ベースロード電源である原子力発電の将来のあり方について、原子力発電所の再稼働や運転延長、バックエンド対策及び廃炉の計画を見通した上で、2030年度以降も見据えた長期的視点に立って議論を行い、『新増設・リプレース』を含めた原子力政策の確固たる方針を示すことを強く要望する。」(以上は、敦賀市議会で採択された国への意見書の概要である。 筆者) 
 
 政府・原子力関連企業に取り込まれ、このような内容の国への要望を出さざるを得ない原発立地自治体で生き、暮らす、当該立地自治体の人々はもとより、近隣の自治体、さらには全国的な原発ゼロ実現を目指す取り組みによって、原発に依存するこの国のありようを変えなければならないと、改めて思わないではいられない。 
 
 筆者にとって未知の「詠う人」である前濱勝司さんの短歌「愛し能登 原発地獄」16首を読もう。 
 
いろり辺に 生きた人等と 酒をくむ/人 皆な同じ 輝いて見ゆ 
 
原発のセールスをせし 村人は/きれいな服着て 甘き口持つ 
 
ここ十年 原発にゆれ 欲に過ぐ/村人達は けわし顔持つ 
 
百姓は 生かさず 殺さず 知らせせず/寄らしむべしと 阿呆どもの言う 
 
原発に ただ酒たかる 餓鬼もいて/一日一日が 地獄なりけり 
 
市議選に 三ヶ所よりの金を取る/名士顔せし 獣たちは 
 
貧しきは より貧しきの流れなり/畳乞食の 数多くいて 
 
物欲の激し 友等の 多くいて/吾れ うつむきて 地面をはえり 
 
原発の視察 九回せし 友は/肩そびやかし 原発を言う 
 
村八分 葬式だけの付き合いと/友さびしげに 香典を出す 
 
極道と うとまれし過去 思いしが/今日も 一日 田の草を取る 
 
極道と 背なで指さす 声聞けば/心も 身体も 火照りて 止まず 
 
キリコ祭り 海を渡りし ちょうちんが/獄のくらやみ 照らし出すなり 
 
秋が好き 百姓が好き 能登が好き/胸 ふくらませ マツタケをとる 
 
原発のゴミ捨て場らし 奥能登は/俺も お前も 網ひき 田を打つ 
 
発展 という名の 盗み 許しおり/やさしき心 寡黙なる 能登 
 
 次回も原子力詠を読む。                (つづく) 


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