2018年08月01日19時13分掲載  無料記事
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文化

[核を詠う](268)『福島県短歌選集平成29年度版』から原子力詠を読む(3)「核のごみ何れ処分はできるだろう見切り発車を原発に問う」 山崎芳彦

 筆者の事情により長い間を空けてしまったことをお詫びしながら、前回に続いて『平成29年度版福島県短歌選集』の原子力詠を読み続ける。福島歌人の作品を読みながら、原発事故後7年を経ても、福島原発事故がもたらした災厄の先行きの見えない現実の中で懸命に生きて詠う人びとの作品からほど遠い、この国の原子力・核にかかわる実態について思わないではいられない。政府は「第5次エネルギー基本計画」で、原発を「重要なベースロード電源」としての位置付けのもと、原発の再稼働の推進、核燃料サイクル政策の推進、原発輸出を含む原子力技術の海外への提供などの「原子力政策の再構築」方針を決め、「福島の復興・再生」を謳いながら、原発回帰への道をさらに進める。原発推進勢力の「福島の原発事故の反省」とは、多くの人々が求める原発ゼロとは真反対の、原発の新増設・リプレイスを懐に抱えた原子力社会の維持・継続・深化への構想なのだ。 
 
 福島原発事故直後から朝日新聞記者として原発事故によって苦しみ続けている人びとの真実を取材し、発信し続けている青木美希さんの『地図から消される街―3・11後の『言ってはいけない真実』」(講談社現代新書、2018年3月20日発行)の「はじめに」には、 
 「私は7年間、福島第一原子力発電所事故を追い続けている。この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ。関心が薄れたところで、政府は支援を打ち切り、人々は苦しんでいる。…不都合な事実を『なかったこと』として揉み消そうとしている国家権力の思惑通りになってしまった。これを許したのは、新聞やテレビ、各報道機関の敗北であると言われても仕方がない。我が身をふくめて、あまりにも無力だったと猛省する。」と記されている。 
 
 その思いを込めた『地図から消される街』に書かれている内容は、「声を上げられない東電現地採用者」、「なぜ捨てるのか、除染の欺瞞」、「帰還政策は国防のため」、「官僚たちの告白」、「『原発いじめ』の真相」、「捨てられた避難者たち」の各章から成っている。エピローグに「報道では、福島の悲しい現実が出にくくなっている。現場の記者仲間からは疑問の声が上がる。『放射線量を書くな。帰還が進まなくなる』『危険だという話を聞きたくない人もいる』と上司に言われ、書きたいことが書けないと困惑する記者たちがいる。…被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとにかき消されていく。・・・」と記されているが、著者の「私は『不都合な事実』をここに記そう。」(「はじめに」)という決意を裏切らない、信頼に足る報道現場からのレポートを、筆者は貴重だと思う。 
 
 前掲書とあわせて、筆者はフランスの日刊紙「リベラシオン」の記者として原子力、環境問題を専門に貴重な活動をしているロール・ヌアラの著書『放射性廃棄物―原子力の悪夢、核のごみ捨て場からの報告』(及川美枝訳、緑風出版、2012年4月刊)を再読した。フランス、アメリカ、ロシアなどの各地の原子力産業による汚染の歴史と実態、再処理工場、廃棄物埋設処理施設、露天廃棄場などをめぐっての報告、そして「私たちが驚きとともに発見するのは、原子力産業が常に、原子力について議論する機会を、そして廃棄物を拒否する権利を、市民たちから奪ってきたという事実である。市民の意見を聞くなら原子力は生き延びられない。原子力は民主主義と共存できるだろうか?」との提起は、私達の国の「第5次エネルギー基本計画」に対する痛烈な批判であろう。 
 
同書の「日本語版へのまえがき—―フクシマを経験しつつある日本の友人たちへ」にロール・ヌアラは次のようにも記している。 
 
 「日本の東北地方を襲った津波と福島原子力発電所の相次ぐ爆発は、複数の災害が錯綜する入れ子構造の様相を呈している。自然的要素と工業製品とが絡みあって、我が惑星を露天の実験室に変えてしまったのだ。もはや地球上のいかなる場所もこの実験から逃れることはできない。本州東北部を破壊した地震に、地質学的な震源地があるのであれば、福島原子力発電所は、人間中心時代を象徴する震源地といえよう。…放射性廃棄物の管理についていえば、人間の産業活動全体を問題にせざるを得ない。なぜなら、廃棄物管理が我々と未来との関係を変えてしまうからである。廃棄物を相手にする時、我々はそこに、人間の脳で考える時間とも、歴史的な時間とも違う、放射能独自の時間の尺度を見て恐怖におののく。放射性廃棄物独特の時空間を前にして、人類はめまいがするほど遠い未来を考えることを強いられている。」 
 
 「1957年9月29日、マヤーク(旧ソ連)、1979年3月28日、スリーマイル島(アメリカ)、1986年4月26日、チェルノブイリ(旧ソ連)、そして2011年3月11日、フクシマ(日本)。その場所が軍事基地であろうと商業用原発であろうと、原因が天災であろうと、人為的ミス、あるいは技術的ミスであろうと、これらの日付はすでに原子力事故の歴史となっている。しかし、世界のたった16%を供給するにすぎない民生原子力エネルギーを問い直すためには、惨事も事故も全く必要ない。いっとき足を止めて考えてみるだけで、このエネルギーは実に多くの疑問を提起するのだから。」 
 
 「そのいくつかをあげてみよう。例えば、原子力ははたして本当に割に合うものなのか? 原子力は温暖化など気候変動に対抗する助けになりうるのか? 安全な原子力は存在するのか? 原子力は最大多数の人々に低価格のエネルギーを供給できるのか? 経済危機になった時、いったいどこの国が原子力発電所の建設に踏み切れるのか? 原子力産業は、原発を正しく運転させるために必要な能力を持つ人員を充分に確保できるのか? 原子力を安全なものにする方法はあるのか? 原子力は民主主義と共存できるのか? 民主主義は原子力への依存度の高い国々で成立しうるのか? 原子力は一国のエネルギーの自立に貢献できるのか? 何世紀、いやそれどころか何千年もの間危険であり続ける放射性廃棄物をどのように管理するのか? 未来の世代にどのような遺産をのこすというのか? 等々である。」 
 「選択が迫られている。今日、そして今」とも、ロール・ヌアラは記している。改めて、この国の政府と原子力推進勢力の悪質な「エネルギー基本計画」の虚偽を拒否しなければならない。 
 
 前回から長い間を空けてしまったが、『福島県短歌選集平成29年度版』から、原子力詠を抄出、記録させていただく。筆者の読みによる抄出であり、不本意な作者の方にはお詫びを申し上げたい。 
 
里山に新しき緑あふれ出でフクシマの空は青く澄みたり 
 
人の世の偽り全て包むがに花びらのごと春の雪降る 
 
農に生きたる過ぎし日の思い語る父傍えに母の穏やかに笑む 
 
秋色の涼風となりふる里の山野をしばし巡りてみたき 
 
豆餅を作りましょうと電話ありて母を訪ねる小正月の午後 
 
木枯しに耐えて留まる柏葉に母の心の重なりてみゆ 
                    (6首 菅野恵美子) 
 
買ふ買はぬ福島産の棚の前に交はしゐる声やがて遠のく 
 
遁れゆく安住の地のありやなし天も地も揺るまして禍つ火 
 
ひもすがら雪は降りふる汚染土も埋みてこの町白きひといろ 
 
「故郷」を唱ふを聞けば泪いづ被災のどの子も姿勢正して 
                    (4首 鈴木こなみ) 
 
野菜畑借りて大根、ねぎ等を作つて隣の人に呉れけり 
 
東日本大震災に弟は栗・落花生を一人味はふ 
 
秋深く「牛の親子」の三〇号を死ぬまで描きてわれに贈りし 
                     (3首 鈴木 進) 
 
妻みとり倒れし師の真似しないでと言いしは誰か忘れてしまいぬ 
 
麦踏みの話をせんとし止めにけり麦さえ知らぬ孫らと思えば 
 
桃りんご作り得るのもいつまでか汗にまみれて炎天に佇つ 
 
炎天下反射シートに釘を打つ己の業に止め刺すがに 
 
曼珠沙華彼岸をまたず爆ぜそめぬかつて務めし堰の巡路に 
                     (5首 鈴木 武) 
 
我が背丈ほどの深さに埋められし汚染土今日は掘り出されゆく 
 
汚染土の入りたる箱の白きいろ地上の光を纏ひて眩し 
 
六年を共に過ごしし汚染土も別れとなれば余情わきくる 
 
野や山に僅かに残る吾亦紅行く末おもへば心さむざむ 
 
座ること立つことさへも難儀なりそれでも母は独り居を選る 
 
庭草を引きつつ語るは亡父のこと母と二人の時を恋しむ 
                      (6首 鈴木文子) 
 
悠々と姫昔蓬伸びてをり入れ替へし土にしかと根を張る 
 
小止みなくひびく重機また一軒解体されて更地増えゆく 
 
秋の田に澄める虫の音虚しかり我に代はりて泣く虫達か 
 
あれつきりの向かひの床屋達者か更地にすだく虫の音澄める 
 
海に生き海に毀された村のあとたどりゆく涯に蒼き海原 
 
七年忌は決別の時機ぞさとすがに三春の僧の玄侑宗久 
                     (6首 鈴木美佐子) 
 
大方の刈り取られし田の一ところ黄金耀ふ稲穂重く垂る 
 
復興の宅地となりし一隅に譲らぬ人の田を耕せり 
 
集落の南面の田圃高く埋め夏の涼風遮られをり 
 
寒の夜の月天心の明らけし仮設の電灯少し減りたり 
 
風化とは時の移りが為してゆく原発事故の被災人なげく 
 
原発事故五年経たるも筍の売れぬが故か繁る篁 
 
たかむらの線量数値低くけれど風向きにより高き場生ず 
                     (7首 鈴木八重香) 
 
核のごみ何れ処分はできるだろう見切り発車を原発に問う 
 
深層の核のごみ処理AIを論ず世ほかに手だてはなきか 
 
核のごみ処分地選ぶ科学的特性マップ国が公表 
 
二十年ほど時かけて核のごみ処理場候補地しぼりゆくらし 
 
核ごみ処理受託自治体適否かの調査補助金年十億円とう 
 
高レベル核ごみ二万五千本更に増えゆく野ざらしなるや 
 
トイレなきマンションに等しと批判出る核のごみ処理地の見あたらず 
 
核のごみガラス固化体廃棄物地下閉じ込めの計画中とう 
 
廃棄物核ごみガラス固化体を埋める一郭四万本強 
 
手たてなき核ごみふえてゆくばかり原子炉稼働許してはならぬ 
                    (10首 鈴木結志) 
 
重ねてはまたつき崩す木の積みのやはらかき香よ静かなりけり 
 
ほそほそと続く道のへ傷つきし人らは未だうづくまりゐる 
 
看過といふことばありたりたとふれば足元の葉楓の紅 
 
権力に抗すとぞ言ふその口腔(くち)の開ける顔こそ権力に充ち 
 
夕の冷え言ふ人ありてほそほそとストーブ点けぬ黄の火の種を 
 
どの梔子を切ってゆかうか もう海は見ないと言ひて逝きし貴方へ 
                      (7首 高木佳子) 
 
汚染土のフレコンバッグは続きをり飯舘村の悲しみみつめて 
                         (高田優子) 
 
酷熱に命をかけて鳴きいるか蝉の生き様際立つ真昼 
 
汚染土のどんと置かれし光景を異常に思う人等減りゆく 
                      (2首 高橋友子) 
 
学童の通る道優先に進みゆく除染のつづく雪の降る中 
 
家々の除染は大方終りたり農地に除染の人のるいるい 
 
除染にて出でし汚染土積まれをり中間保管の山に堆く 
 
ひと日おきに透析に通ふ此の道に除染の人等折々に居り 
 
るいるいと山に動くは除染の人麓の山肌こりこり剝ぎて 
                      (5首 高橋文男) 
 
 次回も『福島県短歌選集平成29年度版』を読む。   (つづく) 


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