2018年08月21日13時51分掲載
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文化
【核を詠う】(269)『平成29年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読む(4)「福島県南相馬市小高区で七年ぶりに稲刈られたり」 山崎芳彦
『福島県短歌選集』を読み続けながら、核兵器、核発電について思うことが多い。8月6日の広島、9日の長崎それぞれの平和祈念式典をはじめ、全国各地さらには海外でも、核禁止を求める多くの活動が繰り広げられたが、改めてこの国の政府、安倍首相をはじめとする核容認・推進勢力の許し難い姿勢が際立っている。安倍首相は広島、長崎の式典で、国連の核兵器禁止条約に敵対する立場を、多くの国々の代表が出席している前であからさまにした。「近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。」と述べ、核兵器禁止条約の発効を目指す多くの国々の真摯な取り組みが「考え方の違い」を顕在化させているかのごとく同条約発効の妨害者として振舞った。「核保有国と非核保有国の『橋渡し』の役割」などと言葉を飾りながら、核大国による新しい核兵器の開発の進展、核脅迫による他国の支配を容認する安倍政府の言う「核廃絶」の欺瞞は国際的にも通用しない。
米国の「核の傘」の下にあって、核兵器が国を守るために必要だとするだけでなく、「防衛のために日本が最低限の核兵器をもつことは憲法によって禁じられていない」とする立場に立つ日本政府が、原発を稼働させプルトニウムをため込み、「核兵器を開発する技術を持っている」ことを隠そうともしないのだから、「日本が核抑止力の政策を変更することはない」としていることは、日本が核保有国になる可能性さえ否定できないことになる。
「厳しい安全保障環境」をを自ら醸成しなから、それを理由に、軍事力の強化、戦争できる国家づくりを進めているこの国の現状と、核発電を「ベースロード電源」と位置づけ「原子力政策の再構築」を推進することとを重ねれば、見えてくるのは現政権の原子力社会・国家への一層の傾斜ではないだろうか。安倍政権がこれまでどれほど、人々にとって危険な政策を進め、悪法を積み上げ、立憲政治の破壊をしてきているか、思うほどに、その悪質さに怒りを持たないではいられない。
核兵器・原爆の広島、長崎への投下により人類史上初めて核爆弾の犠牲を強いられた多くの人びと、いまでも過去形では言い尽くせない無惨極まりない原爆被害を体験させられたこの国の被爆者と核兵器廃絶を求める人々と世界の多くの人びとが共同し、長く懸命な努力によって国連の核兵器禁止条約の採択をかちえて、その発効にさらなる取り組みが続けられているのに、被爆国である日本の政府がその妨害者として、核大国の側に立って国際的な策動を続けていること、そして核の歴史の中で明らかになっている「原子力の平和利用」の名のもとに拡大してきた原発など原子力産業が放出する核放射線による深刻極まりない危険をすでに福島第一原発の壊滅事故によって経験しているのに、原子力エネルギーを生む核発電を維持し続け、海外への輸出による拡散を企んでいること。この国の政府と原子力マフィアは「核と人類は共存できない」真実を認めず、人々の現在と未来に負いきれない犠牲を強いようとしているとしか言いようがない。このような政府・原子力マフィアをどうしたら無力化することができるのか。この国の主権者であるはずの私たちができることは何か…絶望したくなるほどのこの国の政治の現実、社会の現状に打ちひしがれていては今日も明日もないのだろう。
そんなことを思いながら、筆者は8月6日から森瀧市郎氏が遺した「核と人類は共存できない」、「核は軍事利用であれ平和利用であれ地球上の人間の生存を否定する」ことを基軸とする言説を一巻にまとめた『森瀧市郎 核絶対否定への歩み』(広島原水禁結成40年記念事業企画委員会、1994年3月、渓水社刊)を読んでいる。筆者は森瀧さんの名や原水爆禁止運動における足跡の一端は知りながら、その著書などを読んでいなかった。大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』の中で原水禁運動にとってまことに取り返しのつかない混迷の深刻化の沸点ともいえる第9回原水爆禁止大会における広島原水協代表理事としての森瀧さんにかかわる苦渋の姿についての記述に強い印象を持ったが、しかしその時の筆者は体は広島にあっても森瀧さんとは遠い位置にあった。そして、その後の森瀧さんの原水禁における真摯な運動や果した役割を意識的に考えようともしなかった。しかし、その経緯について記そうとは、いま思っていない。
『核絶対否定への歩み』を読みながら、森瀧さんの、まことに大切な核についての深い学び、自らのものにされた知識、思想、そして被爆者であった森瀧さんのたゆむことのない核廃絶のための活動、豊かな人間性が躍動した世界的な反核の人々との交流…などにうたれた。同書の中に記されている「生存のために」の項のなかの被爆30周年(1975年)の原水禁大会における基調演説の後半における「核絶対否定」の宣言の部分を画期的な、いまでも生きているものだと読んだ。43年前の子の基調演説で、それまで数年にわたって「原子力平和利用」がもたらす反人間的影響について研究し、世界各地を訪問し学者、さらにさまざまな形での核による被害者との交流などによってより明確になった核の「軍事利用、平和の名の下での利用」の絶対的否定の確信を原水禁運動において打ち出したこの演説の内容は、非核文明の21世紀を展望する画期的なものだと、筆者は考える。いま「核と人類は共存できない」という言葉が使われることは少なくない。しかし、社会のなかで真に認識され通用しているとまでは言えないだろう。改めて、森瀧さんの言説を噛みしめて、「核絶対否定」を言いたい。同書全体に一貫する「核と人類は共存できない」、「核を絶対に否定しなければ未来はない」真実を読んでよかったと思っている。
森瀧さんの「核絶対否定」の宣言を引用させていただく。
「私たちの運動は、広島・長崎の体験から『核兵器絶対否定』の運動として起こりました。従って初期の段階では、私たちも核エネルギーの平和利用のバラ色の未来を夢みました。しかし今日、世界でほとんど共通に起こってきました認識は、平和利用という名の核エネルギーが決してバラ色の未来を約束するものではなくて、軍事利用と同様に人類の未来を失わせるものではないかということであります。つまり、平和利用という名の原子力発電から生ずるプルトニウムは、いうまでもなく長崎型原爆の材料でありますから、軍事利用に転用される可能性があることは明白であります。またプルトニウムは、半減期二万四千年というもっとも毒性の強い放射性物質であり・・・全く人工的に生産されるものであります。ですから原子力発電がたとえ安全であるとしても、そこでは多量のプルトニウムと放射性廃棄物が生産されるのであります。しかもその放射性廃棄物の究極的処理の道はまだ解決されておらず、解決の見込みもないと言われています。」
「こんな状態で、人類のエネルギー源は、核分裂エネルギーに求めるほかないといって原子力発電所をこぞってつくり、そこからプルトニウムと放射性廃棄物を莫大に出し続けるということになれば、そのゆきつくところは・・・この地球全体がプルトニウムや放射性廃棄物の故に人類の生存をあやうくされるのであります。私たちは今日まで核の軍事利用を絶対に否定し続けて来ましたが、いまや核の平和利用と呼ばれる核分裂エネルギーをも否定しなけばならぬ時代に突入したのであります。」
「しょせん、核は軍事利用であれ平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、と断ぜざるをえないのであります。結局、核と人類は共存できないのであります。共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。我々は、あくまで核を否定して生き延びなければなりません。核兵器を絶対否定してきた私たちは、平和利用をも否定せざるをえない核時代に突入しているのであります。『核兵器絶対否定』を叫んできた私たちは、いまやきっぱりと『核絶対否定』の立場に立たざるをえないのであります。『平和利用』という言葉にまどわされて『核絶対否定』を躊躇っていたら、やがて核に否定されるでありましょう。」
「先日の国際会議で私があえて提起したテーゼは、『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』ということでありました。くりかえして申します。『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』と。人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません。私は被爆二十周年のこの大会で、全世界に訴えます。人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていないのであります。」
『福島県短歌選集』の作品を読む前に、筆者の核についての思いを長く記してしまったが、福島歌人の作品を読んでいく。
歴史上の悲劇重なる八月は異口同音に非戦を語る
(高橋正義)
あの頃は目に余るほどのトンボ数見掛け少なき近頃の異変
(高村輝雄)
溜池の放射能測定に来し人ら胴長に替へ水に入りゆく
雨止みてギシギシ掘りに出でゆけば梨畑あらはに猪の跡
猪に掘られし梨畑呆然と今朝は眺めて息子と均す
(3首 伹野惣一)
除染廃棄物搬出の記事に並び色刷りの滝桜花天蓋のごと
小店数並び在りしが毀たれてこのあたりすでに思ひ出だせず
(2首 津田光子)
新しき土に家庭菜園復興のミニトマト育ち夕光に朱を灯す
"故郷"となりゆく陸奥に住みしより土地の恵みに心をつなぐ
(2首 永塚 功)
福島を起(た)たさん力ありありと野馬追の野馬反りのたしかさ
ああ我ら何にも悪きことせぬを原発地獄のシジフォスとなる
日本一深き闇なりああ福島 原発爆ぜてえぐれしからに
被曝地に五年過ぐるを葉牡丹の巻き戻しても尽きぬ渦ぞや
原発に「波立」(はったち)の海 騒立ちの尽くるを知らぬ警鐘なりき
文明も休みゆけとや今其処で片栗の花が招いたような
汚染土のシートの山の連なるにああふくしまが隠されている
(7首 波汐國芳)
避難して売りに出されし隣り家の立て看板にさくら散りくる
ふる里の父母のみ墓を思いおり今年も咲きしか花ほととぎす
(2首 二瓶みや)
還暦を祝ひて早も五年過ぐひとりふたりと減りて集へる
手入れせず荒れし田畑の続く先けふ訪問の家が見えをり
(2首 野口きよ子)
羽ばたかず上昇気流に乗りてゐる鳶よとんび明日が見えるか
楢葉なる時鳥山の湧き水よ尽くることなき望郷の念
(2首 橋本はつ代)
五年間米つくり無し足腰の鈍き動きを今朝も知らさる
五年へて除染の終えた村の田は虫喰い様に田植されたり
飼料米なれど植えたる田にひびく蛙の歌は六年振りなり
新藁(わら)匂う刈田を見ればほっとする六年ぶりの村のたそがれ
原爆の落とさる戦端ひらきたる「ニイタカヤマノボレ」の合言葉
(5首 原 芳広)
ビオラの花こぼれ種子より咲きほこる避難地の庭に来てなごみたり
ワレモコウすすきにミズヒキ避難地の会に飾ればみな懐かしき
避難先にて味噌づくりに精を出す麹香りて過ぎし日思う
風化せぬよう相馬訛りに語りべら力を込めて震災を話す
ひと住まぬわが古里はけものらの住処となりぬああ原発の地
原発のデブリ処理も出来ぬまま再稼働許すフクシマを見よ
(6首 半谷八重子)
亡き父が手植えの木々も切られゆき広がる視界に立ちつくしおり
(廣田智代子)
年明けに除染の土を運び出すと若き女性の業者は言ひぬ
大地震より六年経ちてやうやくに除染の土の運び出さるる
緑なるシートの下に三段に積まれし土嚢は水含みたり
土嚢より流れ出でたる泥水に白きコンテナ汚れてゐたり
(4首 古宮優子)
短歌の師の歌集『警鐘』快挙なり文学館賞受賞に輝く
(古山信子)
収穫は不可と通達ありしとぞ折角の柚に冬の来向かう
鈴生りの柚子いたずらに熟れてゆく除染はいまだ及ばぬ里山(やま)に
(2首 星 陽子)
福島県南相馬市小高区で七年ぶりに稲刈られたり
東北(とうほぐ)は二千五百四十六(にせんごひやぐよんじふろぐ)のゆぐへふめいのいのちをさがす
うたふとはうなふことなり福島(ふぐしま)の六年半(ろぐねんはん)のこころをうなふ
(3首 本田一弘)
着のままに西へ西へと逃げてゆくセシウムまじりの降る雪の中
立ち入りを許されし少女のふるさとはフレコンバッグの黒き野の原
放射能は「移る」とつぶてを投げる教室に正す声ひとつなく
ばい菌と虐げられしも生きゆかん「いじめの手記」を幾たびも読む
戻りたい戻りたくとも戻れないぽろぽろと雨まよなかの雨
(5首 本田昌子)
六年経て手繰り寄するごと家攫いし津波の恐怖を媼語り初む
(正木道子)
次回も『福島県短歌選集平成29年度版』の作品を読み継ぐ。
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