2018年09月08日09時41分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(270)『福島県短歌選集平成29年度版』から原子力詠を読む(5)「恋しきは野の花々よふるさとを逐はれて街に住みゐるわれは」 山崎芳彦

 『福島県短歌選集平成29年度版』を読み始めてから、筆者の事情もあって時間がかかってしまったが、今回で読み終える。福島第一原発の事故によって苦難を強いられながら日々を生き、7年を経てもなお「原発苦」、「原発の罪の告発」などを短歌表現し広く世に発信し続ける福島歌人の作品を読み、拙くともこのような形で伝えることが、為しうることの少ない筆者の「反核」の行動の一つであるとも考えている。拙くとも詠う(訴える)ものの一人である筆者も、もっと詠わなければならないとも思う。 
 
 この間、原子力発電に関わって多くのことがあり、この国の政・官・財・学の原子力推進マフィアによる原発回帰へのやむことのない策動が進められていることに、改めてその罪深さに憤りを覚えるが、8月末に、政府と東京電力が福島第一原発事故による放射線汚染水を海へ放出することを企む「汚染水の処分方法に関する公聴会」なるものが、福島県内と東京都内の3カ所で開かれた。福島原発構内に約100万トンが「保管」され、さらに増加している「汚染水」を海に放出することを意図した「公聴会」である。この「公聴会」では、福島県漁連が「汚染水の海への放出は、漁業に壊滅的な打撃を与える」として強い反対意見を表明したほか、参加者の圧倒的多数が海洋放出に反対する意見を表明し、政府・東電が「ほとんどの放射性物質を取り除く多核種除去設備(ALPS)で処理済みで、トリチウム(3重水素)しか含まれていない処理水を希釈して海に放出しても健康被害をもたらすことはない」とする「虚言」に対する批判、公聴会に提出の資料のまやかしを指摘する意見が相次いだと報じられている。 
 
 「原子力規制を監視する市民の会」、「国際環境NGO FoE Japan」が公聴会に先立つ8月29日に経産省、、資源エネルギー庁、多核種除去設備等処理水の取り扱いに関する小委員会などに提出した「要請書 説明・公聴会の開催の前提は崩れました 小委員会での検討をやり直してください」 
によると、福島原発のタンクに貯蔵しているALPS処理水のなかにトリチウム以外の核種の放射性物質(ヨウ素129、ストロンチウム90、ルテニウム106)が告示濃度限度を超えて含まれていたことが、東電の公表データからも読み取れる状況であるにもかかわらず、「多核種除去設備等処理水の取り扱いに関する小委員会」の委員にそのデータを説明せず、東電は「トリチウム以外のものは何とかできている」と説明していること、公聴会資料にも「現在、タンクに貯蔵している水(多核種除去設備等処理水)は、トリチウムを除く放射性物質の大部分を取り除いた状態」としていてトリチウム以外でも告示濃度限度を超える放射性物質が含まれている実態が反映されていないことを、データを明示して指摘している。(以上は筆者要約) 
 
 その上で、同要請書は、 
「資料は総じて、トリチウム以外の放射性物質は除去されていることを前提に、トリチウムについても、自然由来や、原発や再処理工場、核実験で放出された量と比べてもタンクに貯蔵されている量は相対的に大きくはないことや、トリチウムが他の放射性物質に比べても危険度が小さいことが強調され、希釈して海洋放出する方法を容認するものになっています。 
 核実験や再処理工場等から既に大量のトリチウムが放出されていることについては、そのこと自体が問題であって、追加の放出を免罪することにはなりません。甲状腺がんなどの原因となる放射性ヨウ素の危険性は言わずもがなですが、トリチウムのリスクについても、さまざまな指摘がなされています。福島第一原発周辺海域では既に大量の放射性物質が放出されていますし、いまでも放射性物質が観測されています。私たちは、これ以上の放射性物質の海洋放出には反対です。」と、明確に「海洋放出反対」を表明している。 
 
 公聴会では「福島原発汚染水の海洋放出」に反対する意見が多数を占めたのだが、政府・東電などはさらに「福島原発の廃炉の促進」、「放射線アレルギーの解消」、「風評被害の解消」、「福島復興」などを、原発回帰路線を進むためにも、さまざまな手段で、汚染水問題、放射性廃棄物の処理問題で策謀と権力による強行へと進もうとしていることを思わなければならない。すでに、なし崩しの原発再稼働、福島の原発事故被害避難者に対する強制帰還策、「自主避難者」の切り捨て、被曝被害隠し、被曝のタブー化…などを多くの人々の反対を無視して強行してきている、原子力推進勢力あげての非道から目を逸らすわけにはいかない。 
 
 福島歌人の作品は、福島を詠っているだけでなく、この国の原子力にかかわる現実を詠っているのだと思いながら、今回が最後になるが『福島県短歌選集』から原子力詠を読みたい。 
 
 
セシウムの定かならざる不安にて我が家の野菜孫ら食べざり 
                        (松川千鶴子) 
 
ミサイルの発射誇示する北の指導者核が地球をほろぼすものを 
                           (水口美希) 
 
かの日から六年経ちたり廃棄物を埋めし地上に白詰草さかる 
 
地下保管されしフレコン三袋を逐一(ちくいち)搬出の説明を聞く 
 
手順良く若い作業員三人が埋設箇所を掘りはじめたり 
 
上層の土はシートに取り置きて下層の土は除去をするらし 
 
青色の保護するシート撤去され漸くフレコンバッグ現る 
 
クレーンに吊り上げられしフレコンバッグ六年間をわが庭の中 
 
二日間の好天に恵まれ搬出はとどこおりなく終了したり 
 
搬出後の穴をはやばや埋め終えて作業員は笑顔で帰り行きたり 
                      (8首 三田享子) 
 
ゼオライトの配布なきこと通知あり七年目のけふ淡雪の降る 
                         (三星慶子) 
 
慎ましく暮らしおれども六年の借り上げ二間(ふたま)に足の踏み場なし 
 
たまあには原発の歌があってもいい我ら避難して六年半近し 
 
福島の再来必ずや亡国にそのこと肝に再稼働すべし 
 
首都圏への送電の町は破壊され咎人無きままもうすぐ七年 
                      (4首 守岡和之) 
 
国連の核兵器禁止会議にて日本の席は折鶴おかる 
 
核兵器廃絶しようと集えるに日本は欠席世界はびっくり 
                      (2首 森ヒロノ) 
 
いわきの地呪ひあるらし地の底ゆ響きくる音にまた身構へる 
                         (八幡義雄) 
 
ふるさとの家跡に残しし夏椿の木肌なめらかに光あつめて 
 
ふるさとの山脈望む分譲地にこれから暮らさむわが家の建つ 
 
仮設出でて新しき地に生きゆかむ冬のコートのボタンつけ替ふ 
 
父よりも母よりもいのち永らへて震災のり越え八十路となりぬ 
                     (4首 山崎ミツ子) 
 
部屋ぬちに塩置き礼なし帰り来る帰るといふにあらぬところへ 
 
瓦剝ぎ玻璃戸を外し壊さるるわが家に雪ひらしきりに降れり 
 
如月の除染されたる庭土を尉鶲ひくく跳びまはる 嗚呼 
 
父母の地に陽が射し鳥なき風が舞ふ放射線量三・八の地 
 
雪の原見をればふとも兆しきぬ かの日ののちは巨きなる嘘か 
 
サブドレイン汲めども尽きずシシュフォスの科のごとくに今も水汲む 
 
まぼろしとなりたる家に風渡り逝く夏の日の細き雨降る 
                      (7首 山田純華) 
 
窓を打つ強き風ありふるさとの人無き地にも吹きいるらむか 
 
遁れ来てわが終焉の地と決めぬ厳しき雨あし舗装路を叩く 
 
仮設舎の虚しさ語る郷の友の記事を切り抜く冬がまた来る 
 
震災前の農の仲間と語りゐる妻の瞳に野火の光れり 
 
恋しきは野の花々よふるさとを逐はれて街に住みゐるわれは 
 
原発の事故に墓すら逐はれたり何方(いづち)にみ祖(おや)の住み処求めむ 
 
震災前は大家族なりきいまさらに言へど詮無し二人となりぬ 
 
原発に逐はれて六年新築の家の木目にはつか安らぐ 
 
避難して二年住みゐるこの町に住所移さず後ろめたさあり 
                      (9首 吉田信雄) 
 
富岡の海岸近く土台のみ残りし跡地に菫花咲く 
 
やうやくに新居に移り住みしとふ仮設にて夫亡くしたる友 
                      (2首 吉田雅子) 
 
原発にて廃業となる酪農業牛舎解体身切(せつ)なく見入る 
 
帰還して足鍛へむと散歩する友と出合ひて話の尽きず 
 
帰還する庭の電線に燕らの囀りききて初夏に入りゆく 
 
避難にて若松中学野球部に頑張る孫に電話声援す 
                      (4首 渡部愛子) 
 
「汚染水」新聞記事にも今は見ず風評被害は静かに潜む 
                         (渡部悦子) 
 
荒れ果てし泡立草の茂る田を常磐道を走り眺める 
 
ふる里の牛舎解体の重機の音(ね)心の奥まで無気味にひびく 
                      (2首 渡部豊子) 
 
夕暮れを避難区域の街ゆけば一瞬よぎる原子炉デブリ 
 
この星に生まれ育ちて六十年平和のなかに不気味な気配 
 
原発の浜通り区は避難区と悪夢につつまる病床のわれ 
 
連なりし仮設住宅ひつそりとその傍らに白躑躅咲く 
 
被災者が帰り来し町大堀の相馬焼茶碗ふたつ購ふ 
 
原発の避難区域の家々ぞ常磐道ゆがらんどうに見ゆ 
 
原発の事故より六年経ちたるをいまだに人の住めぬ町々 
 
震災の三・一一境とし歌詠まむかと迫るものあり 
                      (8首 渡辺浩子) 
 
 『平成29年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読むのは今回で終る。福島県歌人の皆さんのさらなるご健詠を期待し、次の同選集の作品も読ませていただきたいと願う。 
 次回も原発詠作品を読む。              (つづく) 


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