2019年03月16日00時40分掲載  無料記事
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文化

映画 「よあけの焚き火」  土井康一監督のメッセージ

  ドキュメンタリー映画や番組で知られている桜映画社がこのたび劇映画を製作し、ポレポレ東中野で上映中です。大藏流狂言を受け継いできた家族が出演します。伝統の継承を軸に家族の葛藤や絆、さらには地域のあり方を問いかけながら現代日本を見つめた映画です。以下は土井康一監督のメッセージです。 
 
●土井康一氏のこの映画製作への思い 
 
  『よあけの焚き火』の原案はポーランドの作家ユリー・シュルビッツの『よあけ』という絵本にあります。 シュルビッツの『よあけ』にはさらにルーツがあり、それは唐の詩人、柳宗元(りゅうそうげん)の 『漁翁(ぎょおう)』という詩に行き着きます。 
  もともと中央の官僚であった柳宗元は政治的な争いに敗れ地方に左遷されます。 その失意のなか左遷先で目にした美しい自然と、そこに生きる人々の姿に心を打たれて読んだ詩が 『漁翁』だと言われています。 名もない漁師が明け方に川岸で火を起こし、朝食を摂っている。ふと気づけばいつの間にか漁師の姿はなく、 船を漕ぐ声だけが響いてくる。やがて日が昇るとあたりが一斉に色を帯び、空を仰ぎ見れば漁師の残した 焚き火の煙の先にはただ雲が浮かんでいる…、そのような情景をうたった詩です。 
  シュルビッツの『よあけ』は『漁翁』の登場人物を老人と孫に置き換え、湖を舞台に夜更けから 夜明けの瞬間までを美しい色彩で描いたものです。 
 
  『よあけ』と『漁翁』。この2つの作品が描き出す情景に、私は小さな、しかし確かな希望を見出し、 こんな映画を作りたい、と強く思いました。 また私は自分の映画で “家族” を描いてみたい、と常々考えていました。 自分自身が所属する最小の社会単位である家族を見つめる事なくして、さらに広い地域、国、 世界の事を想像し、描く事ができるのだろうか、と思うからです。 この映画は『よあけ』と『家族』、この2つのキーワードから始まったのです。 
 
  家族の事を考えた時、その日常が、“伝える”、“伝わる” というやり取りに満ちていることに気がつきました。 特に子供達とのコミュニケーションはその連続です。 伝える、伝わる、というのは一体どういうことなのか……。 
 
  私はその問いの答えを本作の主演を務めてくれた能楽師狂言方の大藏基誠、康誠親子に求めました。 650 年以上の伝統を受け継いできた大藏流狂言。その重い歴史の下に生まれた親子。 受け継ぎ、そして伝えることを宿命として背負った彼らの姿から “伝えること” とは何なのか、 そのヒントが得られるのではないか、と考えたのです。 
 
  一方で私を突き動かした『よあけ』の印象には大いに苦しめられました。 シュルビッツの『よあけ』も柳宗元の『漁翁』もその結末には鮮やかな、全てを包み込むような 夜明けの感情が込められています。それなのにどうしてもこの映画はそんな “よあけ” を迎えられない。 撮影は苦労をしながらも順調に進み、撮れている画も台本に書いた通り、ストーリーも台本通り繋がった。 それなのにどうもすっきりしない…… 
 
  思えば学生時代から私が表現するものには常に、悔しさ、怒り、喪失感、ノスタルジーといった “ぬぐい去れない過去” に起因するような感情が取り憑いていました。それらの原点には 10 代で体験した 父親の死があるのだろうと思います。20 年以上の時を経たというのに、自分でも意識しないところから 未だ染み出してくる影のような感情。この過去への固執が初めての作品のしかも最後の仕上げ、 という大事な局面になって現れたのかもしれません。 
  しかし、完成の期限がいよいよ迫ったある日、いくつかの大胆な編集を加えてみたところ、 思いがけず光明が見えました。 最後に解決へと導いてくれたのは康誠と咲子、この二人の子供達の姿でした。 親子の濃密なやりとりの先に、子供たちが自分の足で歩んでいく姿が見えてきたのです。 過去に縛られていた自分自身の作品が解き放たれ、自由になったことを感じました。 大げさなようですが、それは私の眼前にあった父の死の影がそっと後ろに回り、 背中を押してくれた瞬間であったと思っています。『よあけの焚き火』はこうして完成しました。 
 
  「わたしも狂言、やってみたいな。」この映画のキャッチコピーです。 映画の中で静かに脇役を務めてくれた咲子が発するこの言葉は、単に伝統芸能への好奇心から出たもの ではありません。家族を失った咲子の、未来を生きる子供達の、小さな決意と希望を指し示しています。 自分の力では抗えない “運命” を背負った康誠と咲子。 そんな2人が漠然とした未来ではなく地面を踏みしめて歩く今日の一歩。 私はその姿にこそ希望があるのだと信じています。 
 
 
●土井康一  監督 
 
  1978年、神奈川県生まれ。自由学園、多摩美術大学卒業。写真と映画という2つの方法で独自の作品を手がける本橋成一に師事し、『バオバブの記憶』(08)などの助監督をつとめる。2009年より桜映画社にディレクターとして勤務。小栗康平監督『FOUJITA』(15/監督助手)、文化庁工芸技術記録映画『彫金』(17)、『蒔絵』(18)で教育映像祭優秀作品賞、国際短編映像祭映文連アワード部門優秀賞受賞。テレビ東京『ガイアの夜明け』『カンブリア宮殿』などのテレビ番組やCM、プロモーションなど、多くの作品を手がけている。 
 
●大藏基誠 (父の役) 
 
  1979年、東京に生まれる。能楽師狂言方大藏流、25世宗家大藏彌右衛門の次男。4歳8カ月で初舞台(「以呂波」)を踏み、今日までに「末広がり」「那須の語」「千歳」「三番三」「釣狐」「花子」を披く(ひらく)。小・中・高校に出向いて学校狂言を展開し、若い世代に伝統芸能の楽しさを伝える。 


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