2019年05月04日14時22分掲載  無料記事
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憲法

憲法英文解釈のすすめ  山端伸英

 日本国憲法については当然、多くの憲法学者や著述家が論じていると思う。ただ僕は学生のとき、ゼミの教師に勧められて六法全書の片隅にある英文憲法を読んで、かなり翻訳された現憲法との相違があるという印象を持った。「日本国民」としては第9条の論争に見られるように日本側のイニシアティブを強調したいのであろうが、トルーマンの冷戦準備を背景にGHQの憲法作成は連合軍総体の理想を追う形で完成を見たと言ってよいのではないか。日本にいるときダグラス・ラミスの日本国憲法に対する著作があるのは知っていたが、未読である。しかし海外では圧倒的多数が「日本国憲法」を読むときは英語で読んでいることは確かだ。メキシコでは、高畠通敏、田中道子らの監修による「POLITICA Y PENSAMIENTO POLITICO EN JAPON, 1926-1982」COLEGIO DE MEXICO刊にスペイン語版が収められているが(書名のアクセント記号は文字化けを避けるため省略)、その翻訳は現行憲法の日本語版から訳されている。これは日本の戦後すぐの国体派リベラルのコントロールを無批判に受け入れた非学問的態度と言えるだろう。 
 
 ここでは国内での議論のために「前文」だけを小生なりの英文解釈で訳し、現行の日本語を先頭に置き、そのあと小生の試訳を《 》で囲って提示し、そのあとに英語原文を置いた。安倍という無法者がいるにもかかわらず、官邸版webの日本国憲法はまだ英文原典を掲示しており、そこでの分け方に従ってこの前文をABCDに分けた。書き出しは、「日本国民は」ではなく、「わたくしたち、日本人民は」とした。peopleは一箇所だけ人々としたが、あとは「人民」とした。はじめに現れる「協和」という部分( peaceful corporation)は「平和的協力関係」とした。ここは90年代に保守派から「平和貢献」という名の「軍事貢献」のレトリックを生んだ箇所でもある。またCの部分のnation は、断じて国家(State)ではないので「国民」としたが、「民族」としたほうが実はアメリカ市民的な内外への多元主義が明示されるのではないかと思った。しかし、ここでは思いとどまった。訳文を提示する前に、小生の憲法に対するスタンスを以下のように提供しておく。竹前栄治氏の「GHQ」(岩波新書)、ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」(岩波書店)、久野収「憲法の論理」(みすず書房) などの影響を受けている。 
 
1.憲法はGHQのイニシアティブで作成された。 
2.天皇および国体政治家階級は1945年9月27日にマッカーサーに天皇訪問を行ない『国体保持』を期した。 
3.ケーディスはじめ当時のアメリカ最良の知性が憲法草案をGHQ内の反動ウィロビーや冷戦の動きを先取りしながら、日本の良心とも連絡し合い、1946年11月を期して『死闘』を続けた。 
4.翻訳時点で幣原喜重郎氏が最後に朱筆を加えている。しかし、翻訳時には逆コース派の台頭が始まっていた。 
5.それにもかかわらず、英語原文は干渉を免れて発表された。 
6.世紀の大惨劇だった第2次大戦のあと、アメリカのユニヴァーサルな良心の手になった不動の理想と普遍性を携えた憲法となっている。 
7.敗戦の意味を捻じ曲げようとする犯罪者どもと戦う正当な意味を憲法そのものが保証しており、当面、現憲法を変える動きを国民が無言に支持するときは憲法違反状態であるといえる。その際、国際連合(米英露中仏を中心とする連合軍)は国連憲章第53章を行使する根拠を得ることになる。 
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 それでは、ここから日本国憲法の前文だけの試訳を上記した順で提示する。こういう試みは日本で既に行なわれているだろうが、日本の現状をみて、小生なりの抵抗をここで明示しておきたい。議論を期待するが、このあとも、しかるべき条文の英文解釈を試みることもあるだろう。その導入として第1条と第9条の「英文解釈」も試みておく。これらはみなさんに直接英文に当たっていただくための導入であり、お勧めでもある。 
 
日本国憲法:前文 
A: 
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 
 
《わたくしたち、日本人民は、正当に選挙された国会における代表者を通して行動し、わたくしたち自身とわたくしたちの子孫のために、すべての諸国民との平和的協力関係の成果とこの領土全域にわたる自由のもたらす恵みをわたくしたちが確実なものとしなけれなばらないと決定した。同時に、政府の行動によって断じて再び戦争の脅威に見舞われべきではないと決意した。ここに、主権が人民にあることを宣言し、この憲法を確定する。 
政府とは、人民とのひとつの神聖なる信任であり、人民から由来する権威であり、人民の代表によって行使される権力で、人民によって享受される福利である。このことはこの憲法が基づく人類の普遍的な原理である。わたくしたちは、これに反するすべての憲法、法令、条例、詔勅を拒否し排除する。》 
 
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. 
Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith. 
 
B: 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 
 
《わたくしたち、日本人民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を采配する崇高な諸観念を深く認識している。そして、わたくしたちは平和を愛する世界の人々の公正と誠実さを信頼し、わたくしたちの安全と存在を維持することを決定した。わたくしたちは平和を維持し、専制と隷従、圧政そして不寛容を地上から永遠に追放するために闘っている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと欲する。わたくしたちは、世界のすべての人民が、恐怖と欠乏から免がれ、平和に生きる権利を持つことを承知している。》 
 
We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want. 
 
C: 
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 
 
《いづれの国民も自国民だけに責任を負っているものではない(他国民を無視してはならない)、この政治的モラルの法則は普遍的なものである。しかも、この法則に従うことは、自分たち自身の主権を支え、他の国民との独立的関係を正当とするすべての諸国民の責務であると、わたくしたちは信ずる。》 
 
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations. 
 
D: 
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 
 
《わたくしたち、日本人民は、わたくしたちの民族的名誉にかけ、全力をあげてこれらの崇高な諸理想と諸目的を達成することを誓う。》 
We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources. 
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以上が憲法前文である。試みに第1条と第9条の訳を置いておく。第1条は、日本側の訳でも「主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるが、この「総意・WILL」は戦後史において、イタリアの国民投票のような形で明示されたことはない。天皇制をめぐる「人民の意志」はどこにあるのかの議論を始めていただきたい。 
 
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 
 
《天皇(王様)は、主権(sovereign power)の存する日本人民の意志にその地位を由来させているという条件のもと、日本国家の、そして日本の人々の統合の象徴であるべきである。》 
 
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power. 
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 また第9条は、次のようにも解釈できる。注意するべきは、条文のa sovereign right of the nation の部分をいくぶん躊躇しながら訳したことだ。憲法の専門家がこの英語をどのように解釈しているのか知りたい。小生の見るところ、「国権の発動たる」と訳されているこの部分に、既に日本の政治形態に対する大きな論争が隠され封じ込められている。ここには「人民概念」と「国民概念」の衝突すら見出されるのではなかろうか。: 
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
 
《日本人民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国民の突出した権利としての戦争、および国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇とその行使を、永久に放棄する。》 
 
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. 
 
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 
 
《前項の目的を達成するため、陸海空軍は、その他の戦争を可能にするもの同様、断じて維持されることはない。国家の交戦権は認められない。》 
 
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized. 
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 ついでに第10章だが、ここで初めて「日本国民」the Japanese nationalという表現が出てくる。憲法の主人公は「日本人民」であり、来歴や国籍を問わず「日本人」である。これがあるから第22条の「国籍離脱」の自由も存在する。 
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。 
《日本国民であるために必要な条件は、法律によって決められるべきである。》 
 
Article 10. The conditions necessary for being a Japanese national shall be determined by law. 
 
 もっとも、戦後の立法過程や法制全体は、民権よりは国権側の都合に傾いている。無法者にとって強行採決が必要な所以である。 
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 最近の日本における状況は、海外にいても肌で感じることは出来る。しかし、それにも増して、日本国憲法の日本語訳自体が本質的な問題を抱えていることを繰り返し確認するべきだろう。どうしてこういうことになったのか? それは日本が敗戦後、戦前体制に代わる勢力を持たなかったことによるのである。国体護持派は、天皇条項をごり押ししたといっても過言ではなかろう。天皇制の世襲などが、連合軍側の民主化政策と齟齬を起こしている形跡は現在でも、英語版の中にさえ見てとることが出来る。しかし、それゆえに大切なのは「象徴」という言葉ではなく「人民の意志」という言葉であり、それは国体派リベラルの手によって「国民の総意」と見事なマニュピュレーションを張られたわけである。それでも、冷戦の本格化する前に連合国側がこれを日本人民に提示できたことの意味は絶大なものがあるということは二言を要するまい。 
 
(2019/05/02, Mexico City) 


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