2020年02月04日14時35分掲載  無料記事
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文化

[核を詠う](293)波汐國芳歌集『鳴砂の歌』から原子力詠を読む(3)「核融合成る世紀とぞ陽(ひ)のほかに陽をしつくらば其(そ)に焼かれんを 山崎芳彦

 今回も引き続いて波汐國芳歌集『鳴砂の歌』から、筆者の読みによって原子力詠を抄出させていただく。「原子力詠」とは言いながら、作者の本意に適う読み、作品の受止めになり得ているか、いつも迷いがあるのだが、もし読み違いがあれば、お許しを願うしかない。とりわけ、原子力発電所の重大事故、福島第一原発の過酷事故が人びとの生活、自然環境にもたらした災厄を思えば、さらに原発立地地域や、いつ事故の影響を受けるかと不安をもつ人びとの「生きる」現実を考えれば、その生活や思いと原子力社会の現状は切り離しがたいと思う。福島原発事故以後運転を停止している原発が多いとは言いながら、原発が存在し、その稼働を推進しようとする政治・経済が権力をほしいままにしていることを考えれば、短歌作品を読みながら「原子力詠」の枠は容易には定めがたい。いま読ませていただいている波汐さんの作品から、原発とのかかわりを断って筆者は読むことができないのである。歌集『鳴砂の歌』から抄出させていただく作品数は多い。 
 
 波汐さんが編集・発行人である季刊歌誌『翔』を、福島原発事故発生後刊行されたほとんどの号を読ませていただいてきたが、各号に波汐さんの「巻頭言」が書かれている。『翔』第37号(平成23年11月刊)の巻頭言「生の証、瓦礫の中から立ち上がる心」を、『鳴砂の歌』を読みながら、読み返して、改めて感銘を深くした。その「心」が『鳴砂の歌』に躍動していると思った。巻頭言を採録させていただく。 
 
 「『今何を歌うか』『如何に歌うか』という問いは、自分が置かれている環境のなかで、歌人の誰もが取り組まなければならない課題である。それは如何なる主題に取り組むべきかという問題であり、如何に表現するかという、主題と表現の問題に他ならない。/言うまでもなく、歌における不変の課題は生と死と愛であるが、東日本大震災に加えて原発事故による被災で生存が脅かされている環境に我々は置かれている。その意味で、これらの問い掛けは文学の根本的な課題でもある。私は、これまでも作歌は生の証を立てることだと主張して来たが、未曽有の大震災と大津波によって、財も心も共に根こそぎ奪われ、加えて原発事故による放射能被害を蒙ったことでの地域共通の思いは、苦難の中から如何にして立ち上がるかということである。我々歌人としても、前向きに苦難を克服し、立ち上がる心を歌うことで生の証としなければならない。負けてはなるまい。立ち向かわなければなるまい。闘わねばなるまい。震災は天災であるにしても、原発事故は天災ではない。造ったのは人間であり、人間が運営する企業の採算の限界が招いた災害であるから、その可否も含めて、根本的に将来を展望する見地から問い直さなければならない。しかも、この災害を天から与えられた試練として受け止め、前向きに行動することで、負の要素をプラスに変換することが必要である。歌の感動とはいかなる逆境にも負けず、前向きの行動の中から得られるものだからだ。」 
 
 「巨大地震、巨大津波に加え、原発事故の被害という未曽有の苦難から如何に立ち上がるか、その行動力の熱源を自己の生に求め、それを歌うことが即、生の証ではあるまいか。魂を傾け、生との関わりにおいて震災を歌い、原発を歌うことが我々の課題である。それに熱いエネルギーを注ぐことが出来れば、その実りこそが生の証である。/今、この地に歌人として生きて在ることの意義を改めて噛みしめたいのである。」 
 
 前回に引き続いて歌集『鳴砂の歌』の作品を読む。 
 
 ◇水林考(抄) 
ぶなの樹となりて聴きいる水の音今福島に起つ心はや 
 
水林(みずばやし)とう橅林ありて福島に水起つを聴く ありありと聴く 
 
福島に住みつきわれの五十年 阿武隈川ゆ引くうたごころ 
 
吾妻嶺の笹を吹く風さやさやと被災より起(た)つ 今六合目 
 
 ◇起ちあがる川(抄) 
水芭蕉笑(え)む尾瀬迫る 除染とて被曝の怒りほぐされゆけば 
 
頑張るぞ九十余歳うたをもて福島おこしにわれはつらなる 
 
この川は偉大な奏者 放流の水もてダムのピアノを叩き 
 
 〈供喇擁佞里靴蕕戞
 ◇辛夷の喇叭(抄) 
花火爆ず福島に爆ぜ ひゅるひゅるとほぐれてゆくを私の心 
 
被曝地に生くるあかしのうた心容(い)れて傾け合う朱盃なり 
 
この国に五輪・本当の春呼ぶを辛夷の喇叭吹けファンファーレ 
 
原発爆ぜ噫(あな)すかすかの街なればずんずん小さな明日の見ゆるを 
 
 ◇グランドピアノ(抄) 
大津波来れば如何にと問いながら聴きしを海のグランドピアノ 
 
被災後を防潮堤のその先に海岸退けば古里見えず 
 
 ◇朝の道(抄) 
吾(あ)を生みし母あり母にもう一人受賞のわれを産みしは妻ぞ 
 
来(こ)ん春を訪いたきものを滝桜共に訪いたし君在りてこそ 
 
 ◇夕顔の笑み(抄) 
夕顔の苗分け笑みを分けんとぞ 癌に克ちたる妻なればこそ 
 
明日がある まだ明日がある風そよと夕顔の笑み運びゆくから 
 
ああ福島セシウム深野嘆く吾(あ)をひそひそ笑う夕顔の花 
 
 ◇鬼の面(抄)(波汐さんは第14歌集『警鐘』で第32回詩歌文学館賞を受 
   賞された。「鬼の面」はその賞の記念品と聞いた。 筆者) 
 
鬼の面得て舞う我を映してやスクリーンとなる この五月闇 
 
正賞の鬼の面得てこの夜半を短歌の鬼となりゆくわれぞ 
 
頂きし鬼の面なり其(そ)をかぶり舞い舞いて翔(と)ぶ歌の鬼はや 
 
鬼の面かぶりて舞うを極まれば大見得切りて倒れたきかな 
 
 ◇さわらびの音譜(抄) 
水仙の喇叭に呼ばん草深野セシウム深野に埋もれぬ心 
 
ふくしまやほんとの野道戻り来よ奥より土筆・園児ら連れて 
 
風生(あ)れてこの被災地の大橋のハープにそよと楽(がく)奏でんか 
 
ふくしまにほんとの森ら戻り来よ ぜんまいわらびの音譜を掲げ 
 
薇蕨(ぜんまい)の音譜起(た)て起て傾(なだ)りより セシウム奴等(めら)に負けぬ歌こそ 
 
ふくしまに森が戻るや薇蕨の音譜優しき楽奏ずるを 
 
ああ福島手繰りたぐりて葉牡丹の葉のざわざわとどこまでも渦 
 
 ◇地球愛しむ(抄) 
月に視る地球愛でんかさ緑の野が何処までも連なりいるを 
 
たった一つの愛(は)しき地球に住むわれら一つ心に衛らんものを 
 
核融合成る世紀とぞ陽(ひ)のほかに陽をしつくらば其(そ)に焼かれんを 
 
セシウムの覚(さ)めいん青葉蚕(こ)が食めりさやさや食めばあともう僅か 
 
文明も休みゆけとや今其処で片栗の花が招いたような 
 
ああ福島セシウム深野分けゆくを己が足音(あのと)に立ち止まりたり 
 
宇宙より見放(さ)くる地球 遠く小さく其(そ)にひっつきて叫ぶ吾(あ)もいる 
 
 ◇長兄逝く(抄) 
野辺送り 兄葬りて振り向けば炉の火に反りてゆがむ面見ゆ 
 
原発の事故後を畑に出(い)でられず家籠りしつつ病みし兄なり 
 
原発の事故に農より野良仕事取り上げられし兄の終(つい)ぞや 
 
 ◇四季楽句(その二)(抄) 
雪積めば撓(たわ)む樹の末(うれ)きりきりと力を溜めてセシウム打たん〈冬〉 
 
雪深野セシウム深野 福島に分けて己も究(きわ)むるわれか 
 
福島や行方不明のうつくしま喇叭水仙の喇叭に呼ぶも 〈春〉 
 
セシウムに塞げる胸もひらけとや友は浅間の春を送り来 
 
水仙の喇叭に呼ばん除染はや終りしからに戻るふくしま 
 
橅(ぶな)の樹が招く水音清やかにセシウム深野を攀ずる確かさ 
 
セシウムに負けてたまるか橅林に水のさやさや起( た)つわがこころ 
 
風吹けば風にし起つを青樫の葉のさやさやとセシウム掃くも 
 
今年又さくら咲けどもセシウムがさえぎり花見の宴訪れず 
 
福島に鬱のとばりもひらけとやくれないしるきこのアマリリス 
 
 次回も歌集『鳴る砂の歌』の作品を読む。      (つづく) 


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