2020年04月17日12時16分掲載  無料記事
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文化

[核を詠う](300)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(3)「電力と電力の間(あひ)にひとが立つ休耕田の太陽光パネル」 山崎芳彦

 塔短歌会・東北に拠る歌人たちの作品を、今回は『1099日目 東日本大震災から三年を詠む』(平成26年7月刊)、『1466日目 東日本大震災から四年を詠む』(平成27年7月刊)によって読み、原子力に関わると筆者が読んだ作品を抄出させていただく。抄出する作品以外の多くの貴重な、共感し、心うたれる作品群を読むことができる歌集が毎年編まれ続けられていることの意味は大きい。東日本に関わる歌人たちの営為が生むゆたかな果実を広く、詠う人々に限らない、多くの人々に届けて、忘れてはならない、残さなければならないこの国に生きる人びとへの発信が、さらに続けられることを願いつつ、筆者は読ませていただいている。 
 
 『1099日目』の巻末には「いま振り返るこの三年」と題した10氏のロングエッセイが掲載され、『1466日目』には「東日本大震災歌地図『99日目」〜『1466日目』 私たちが詠った場所」というまことに、他に類を見ないであろう詳細な地図・歌・解説などを組み合わせてまとめたタブロイド版の資料を付けるなど工夫を凝らしている、充実の歌集である。この歌集に携わり、作品を寄せている東日本大震災の被災による物理的、精神的負荷をさまざまに受けているであろう歌人たちの魂に、筆者は感動しつつ、さらに読み続けさせていただきたいと願うこと、切である。筆者も拙くとも詠う者の一人として励まなければならない。 
 
◇『1099日目 東日本大震災から三年を詠む』(平成26年7月刊・抄)◇ 
 (「はじめに」東日本大震災から三年が過ぎました。/三年を一つの区切りとする考え方があり、支援やエベントが打ち切られたり、また心のふんぎりをここでつけようとする人もいます。/しかし、先の見えない問題はあまりにも多く存在し続けています。阪神淡路大震災の例では、震災後三年を経過した年に、心のケアを必要とする子どもたちの数が最大値となりました。/これから現れてくることの重さを思います。〈略〉いつの間にか三年です。/今回は『いま振り返るこの三年』と題した、長めのエッセイも載せています。いまなら書ける、という人も、今書かないと忘れてしまう、という人も、書けない、という人もいました。/詠うことについても考えざるをえなかった、それぞれの、三年です。) 
 
行方不明者の数は( )にまとめられ河北新報(かほく)は未だ一面に告ぐ 
 
楢葉より逃げたる姉が夢にきてベランダに蒲団干したいと言ふ 
 
半世紀暮らしし街に帰ること叶はぬ姉の歯切れの良さよ 
 
使はない鍵ではあるが放せぬとカチャリと鳴らす電話の向かう 
 
現在(いま)の住まひに早く慣れてとは言へぬまま忽ち過ぎる虚ろなる時 
 
「除染作業に就いている人には済まないが帰らないかも」とつぶやき聞ゆ 
 
人と魔物の根競べなのさと誰かいふこゑまで透ける秋のスーパー 
 
あたりまへの日々は三年を離りをり 海辺に街に瓦礫の消えて 
                 (8首 宮城県仙台市・相澤豊子) 
 (作者は随想のなかで、「〈略〉二〇一一年の桜のころの記憶は空白のままです。春、夏、秋、冬。冬を三度越えて、今は春です。我ながら理解できないのですが、ふくらんできて桜の蕾を見、日だまりの土筆を見、春の来たことを喜べる自分が居ました。楢葉から新潟に避難した姉は、同だろうかと思いつつ…。」と記している。) 
 
拝啓アトムへ 知らないことを祈ります 近頃、きみの夢を見ます 
 
原子力以上の不思議で出来ているその心臓にいま触れさせて 
 
  (研究室配属が迫る春) 
「原子力関連研究室」の欄に可でも不可でもなく降る記号 
                 (3首 宮城県仙台市・浅野大輝) 
 
ふるさとの卒寿の義兄(あに)は除染して乳牛育て息子とくらせり 
                 (宮城県柴田町・及川綾子) 
 
勢ふも掠るるもあり廃棄物最終処分地反対の署名 
 
深山岳(ふかやまだけ)、田代岳(たしろだけ)、下原(しもはら) 候補地より澄みとほる水あふれて流る 
 
どこかには埋めねばならずどこかなるそのどこかとふ実存か要り 
 
辺涯のまた辺涯の辺涯へ押しやる力 山、溶暗す 
                 (4首 宮城県大崎市・梶原さい子) 
 
水位なのか水質なのか大雪の二月の川を人は危ぶむ 
 
境目は常に震へてゐるのだと抗ふことなく川は流るも 
 
骨になりこの地に残るといふことのしづけさにけふの日が差してゐる 
 
避難して来たる一家に良き畑はありけむ草毟るがに雪掻いて 
                 (4首 福島県いわき市・小林真代) 
 
田圃一枚残せなかつた祐禎の残した歌と一軒の家 
 
人波のゆくへを知らず 後方(しりへ)よりWe shall overcomeが聞こえる 
                 (2首 福島県須賀川市・佐藤陽介) 
 
映されし群れをなしたるタンクから必死の努力未だ三年(みとせ)なり 
 
突然に汚されしまち人去りて久しくなるも春はまた来ぬ 
 
復興の新たな住まひへ移る日は希望と名残入り混じりたり 
                 (3首 宮城県仙台市・鈴木修治) 
 (作者は随想に、「震災発生から三年が過ぎた。被災後、早立ち直り前へ進み始めた人はいるが、一方、未だ立ち上がれずにいる人もいる。ただ時間はどんどん進んで行く。〈略〉今後東日本大震災の記憶が日本人の脳裏から次第に薄れてゆくにしても被災地の人たちには伝説的に語り継がれてゆくに違いない。時代が移るにつれて起きた事象の認識が変化すれば、説話化された事象と真実が乖離して形を変え受け継がれてゆくのではないかと考えたりする。」と記した。) 
 
生命に放射能識(しき)あらざりき地上に核分裂のさほどなければ 
 
雪深き夜の電話に郡山過ぎるときマスクして眼を閉じよと言われき 
 
棄てられ土地が今朝また 放射能か津波か少子化かは知らざる 
                 (3首 福岡県出身・広島市・田中濯) 
 
昔はよかったと思う昔は四年前 原子力発電所はその時もあった 
                 (東京都目黒区・花山周子) 
 
三月四月五月 紫陽花梅雨までを躁のさ中に走りていたり 
 
山向こうの水源地より運ばれて水道水はほの青く灯る 
 
行き場なく青ざめた土さっきまでたしかに公園として踏みいき 
 
「心まで汚染されてたまるか、さうだとも」読むとききっという「さうだとも」(高木佳子 「青雨記」) 
                 (4首 福島県福島市・三浦こうこ) 
 (作者は随想に記す。「これまでの三冊を読み直してみた。この歌集がどこまで続けられるか、或いは自分が続くかへの不安もあっての事だった。三冊のなかにも人の出入りがあり、一人一人の時間の、つまり人生の変化もあり、ああ、この歌集は生きているな、と思った。三冊続けたからそう思えることなのだ。/毎年、次はないな、と思えるほど苦しんで産む10首なのだが、自分の思いとたっぷり格闘する時間が、どれだけ大切なことかがわかりはじめている。人の歌も、人の考えも、自分がまず詠い考えなければその深いところが分からない。/震災を、誰がどんな事をどんな立場で詠ったっていいと、今は思っている。」) 
 
フクシマに残ると決めて父と行く立志伝なき一族の墓 
                 (福島県いわき市・吉田健一) 
 (前回本連載〈299〉の標題に、この吉田さんの歌を掲載してしまったこと、お詫びします。筆者) 
 
◇『1466日目 東日本大震災から四年を詠む』(平成27年7月刊・抄)◇ 
 (「はじめに」東日本大震災から四年が経ちました/災害公営住宅が建ったり、運休していた鉄道の路線で運転が再開されたりと、目に見える変化がある一方で、何か、いよいよ混沌としてきている感じもします。まだ二十万人以上の方が避難生活を送っています。汚染水は漏れ続けています。そして、二千五百人以上の方が行方不明です。/その中を、暮らしていきます。〈略〉今回は、地図を付けました。歌の舞台となった土地を、地図の上で認めることができます。今までの歌のごく一部に対してではありますが、また、違った見え方をする歌もあろうかと思います。、そして、土地もまた、異なる見え方をするかもしれません。) 
 
  (折込の求人広告月収は四十万円除染作業員) 
「福島の方が普通に生活をしているエリア」だから安心 
 
福一(ふくいち)にさほどは遠くない街の時給は六百八十円 
                 (2首 山形県山形市・井上雅史) 
 
あの頃は低きと思ひし線量は今の十倍河北新報(かほく)に確かむ 
 
「雨に濡れるとハゲになる」頭(づ)を庇ひ逃げ帰りたりランドセル揺らし 
 
この子達だけはと言ひし母親のあまりに若き視線にたぢろぐ 
 
走り回る子らのふるさといづこにあらむ指三本をにつこりと出す 
 
いつかきつと叶ふと信ずる研究者宇宙空間にパネル連ねたし 
 
この夢が現(うつつ)とならば原子力のいらぬ世界に 宇宙太陽光発電 
                 (6首 宮城県仙台市・大沼智恵子) 
 (作者は随想に、「忘れられない出会いがある。震災直後の三月末に久々にピザ屋が開いていて、焼けるのを待っていた親子連れと話をした。『安全と言われている二〇キロ圏のすこし外になるのだけれど、叔父さんの家に避難してきた。』と言う。そしてまだ三〇歳前と見える乳飲み子を胸に抱いたその母親は『私たちはもういいけど、この子供達だけは守りたい』と言ったのだ。私は「こんな若い母親にそのような言葉を言わせてはいけない!』と痛切に思った。政財界の上に立つ人々はこの母親が自分の娘、孫だったらという想像力を持って原発に対処してほしいと思う。」と記している。) 
 
電力と電力の間(あひ)にひとが立つ休耕田の太陽光パネル 
 
太陽光パネルに映る空ありてときに鉄(くろがね)ときに銀(しろがね) 
 
米に値を付け太陽に値を付けて下げゆく部屋がこの世にはあり 
 
売れぬかもしれぬ米だと言ひながらそれでも籾は湯にふやけゐる 
                 (4首 宮城県大崎市・梶原さい子) 
 (作者は随想のなかで、「〈略〉たぶん、太陽のエネルギーだけで、相当まかなえる。日本の技術が本気を出したら、蓄電も含めてとうにまかなえてる。でも、そうできない。そうしない力があって、その力は、米の値を下げる力にも繋がっている。/田んぼとソーラーパネルと人。/変だ。でも、現実だ。/四度目の春。田植えが始まる。」と書いている。) 
 
百年後も決して終はらぬ三月がまた来る冬のコート着たまま 
 
またサルが出たんですつてと隣人は犬を懐に入れて散歩す 
 
放射能に心かたくせし日のやうに窓閉じてをりサルに怯えて 
 
この土地で暮らしたるゆゑ水のからだ土のからだは甘くて苦い 
                 (4首 福島県いわき市・小林真代) 
 
原発の新規計画いまだ消えず君の故郷を脅(おびや)かしいる 
 
肉体のドレーンに膿積もるように福一のドレーン重くなりたり 
 
防護服身にまといたるひとびとのすべての額に触れたかりしが 
                 (3首 福岡県出身・広島市・田中濯) 
 
  (明確な答へを持たぬままデモに参加した) 
雨にぬれ国税庁わきの坂のぼる怒号の列はなかなか見えず 
 
電力は足りてゐるぞと歌ふがにがなる女と、鐘と、太鼓と 
 
夕焼けに国会議事堂せり上がりここに集へる幾百人は熱 
 
受け取りぬ厚手の紙に〈経産省前テント広場ニュース第29号〉 
                 (4首 青森県つがる市・松木乃り) 
 
土を数うる単位の一つ「線量」の密度高めてシートは覆えり 
 
庭にある四角い異物の中の土 重い元素を含みて重し 
 
人の目に見えないものを無理矢理にみて知り得たる知恵の幾ばく 
 
人間が感知できざるものの嵩測る器械をひとが造れり 
 
目に痛きグリーンシートの照り返し 夕暮れて庭の色に沈みゆく 
                 (5首 福島県福島市・三浦こうこ) 
 (作者は随想で、「日本の電力は今、火、風、土、水で賄われている。いみじくも古代の哲学者が『四元素』と呼んだものによって、日本が動いている。しかし、近代科学は元素の意味を変えてしまった。頭では知っているけど、触れられない、見えない元素。目に見えないものは、怖い。百年に満たない時を経て、この狭い国は、その西と東で、新しい元素による災禍を被った。この運命をなんと言おう。しかし、だからこそ日本はこの悲劇を超えて、本当に大事なものを創り出していかなければならない。それが出来ると信じたい。この春、身近に新しい命が誕生した。今はまだ人の顔も見分けぬ幼子と、人の親となったわが子のために、未来の平安をこころから祈っている。」と書いている。筆者は老齢の身だが、共感しつつ読んだ) 
 
 次回も塔短歌会・東北の歌集を読む。          (つづく) 


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