2021年01月12日21時17分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(319)波汐國芳歌集『虎落笛』を読む(1)「振り向くを嘗ての原発銀座とや透きて動ける他界のひとら」 山崎芳彦

 今回から、福島の歌人・波汐國芳さんの歌集『虎落笛(虎落笛)』(角川文化財団刊行、2020年11月発行)の作品を読ませていただく。この連載の中で、波汐さんが2011年3・11以後刊行された歌集『姥貝の歌』、『渚のピアノ』、『警鐘』、『鳴砂の歌』から原子力詠を抄出させていただいてきたが、あの原発事故被災以来福島からとどまることなく、福島で生き、被災とたたかう人々の真実を詠い続け、前進し、深化、充実をつづけている95歳の歌人の人間力に、筆者はお世話になり、励まされてきた。そして、その一連の被曝地福島を主要テーマとする五冊目の『虎落笛』を読ませていただいていることに深い感慨を覚えている。波汐さんは、この五冊目の歌集を「一応の区切りとする」と言われているが、さらにこれまでの長い歌作を踏まえての課題を自らに課されている。今回筆者は、表題にあえて「原子力詠を読む」としないで、作品の抄出をさせていただく。 
 
 波汐さんは『虎落笛』のあとがきで次のように記している。 
 「『鳴砂の歌』に続く第十六歌集は『虎落笛(もがりぶえ)と題し、主として二〇一九年四月以降の作品に前歌集では収録しなかったものと一部書下ろしのものを加えた三一五首を以て編集構成しました。虎落笛とは、強い冬の北風が竹垣やさくに吹きあたってなる笛のような音のことですが、これを私は過酷な冬を潜り抜けて奏でる音楽性の透明感のようなものと受け止め、現に私が置かれている環境条件、分けても被爆地福島の地から起ちあがろうとする前向きな意思表示の軸心に据えようとするものであります。すなわち,前篇を『落暉の譜』とし、後編を『再起の譜』とする二譜仕立ての構成の中に収め、余剰を削ぎ落しての簡潔な響きを求めるものであります。 
 二〇一一年三月一一日(平成二三年)の東日本大震災と同時発生の東京電力福島第一原子力発電所事故から九年が経過しますがこの間被曝地ふくしまを主要テーマとしたものは『姥貝の歌』『渚のピアノ』『警鐘』『鳴砂の歌』それらにこの度の『虎落笛』を加えて五冊になりますので、一応の区切りとするものであります。言ってみれば前歌集でも触れた原発石棺の日々からの詠唱でありますが、東日本大震災以降の締めくくりとして私の愚かな詠唱のありのままをここに示すのであります。ああ詩(うた)とは裸の心。それが今の心境です。そして今後の問題としては、目指しております口語定型短歌詩の追求とその纒の仕事を己に課したく思うのであります。今回はこのような作品をいくらか挿入することによって、編集の過程で主観の客観化に役立てようと試みました。(以下略)」 
 
 筆者は、この「核を詠う」の連載の中で、波汐さん、今は亡き朝子夫人(平成30年逝去、歌集『「花渦」の作品を本連載で抄出させてだいた)にありがたいご助力をいただいてきたことを思い、『虎落笛』の中で詠われている朝子夫人を喪った波汐さんの悼歌の数々を読み、改めて哀しみの思いを深くしている。 
 
 歌集『虎落笛』の作品を読み、抄出させていただく。 
 
  [1 落暉の譜] 
 ▼虎落笛(抄) 
虎落笛(もがりぶえ) 泣く声ならむ福島の人ら覚めよとノックするらし 
 
終(つい)の世の歌のしらべや天に哭き地にしうおーとひたに吠ゆるを 
 
草深野セシウム深野に生(あ)るる歌 虎落笛より生るる其(そ)を聴く 
 
ああ福島起たす心の一しきり何を奏でん虎落笛とや 
 
虎落笛福島の地に奏(かな)ずるを被曝九年のおもいならずや 
 
福島にほんとの歌をみちびかん吾妻嶺の風 笛吹くような 
 
 ▼血を売る婆(抄) 
妻看取る夕べを風の獣らが声黒々と吠えたてめぐる 
 
癌の妻 癌に負けぬと言い張るを根こそぎにする我のいたわり 
 
 〈病臥の妻に付き添う深夜、ふと黒塚の故事が脳裏に過(よぎ)れば〉 
妻の血の希薄な夜更け額(ぬか)照りて血を売るという婆訪ねんか 
 
おお我の存在の量 天秤の妻の揺れ揺れに測りてみるも 
 
妻逝きて支え無くしし身の芯のきりきり痛む反り返るまで 
 
 
 ▼唯一つ(抄) 
花摘みの召使ぞや異次元の妻なり妻のその花明かり 
 
蝶一つひらひ視野ゆこぼるるを呼び戻したき汝(なれ)の霊(たま)ぞや 
 
おお汝(なれ)は私の卑弥呼 朝鏡(あさかがみ)きらと額(ひたい)のかがやきいしを 
 
 ▼トド吠ゆ(抄) 
火葬炉に妻焼き戻る野の夕べゆらゆら我も炎立ちたり 
 
草深野セシウム深野其(そ)に住みて遂に一生を終えし妻はや 
 
妻の死を早めたるもの何処までも手繰れど尽きぬこの悔い深野 
 
妻逝けば北極海に哭く声の吠ゆるが如きトドとなりしか 
 
 ▼烈風に撓う(抄) 
妻が逝き支え無くしし我なれば秋風のなかふとよろめくも 
 
木枯らしの夕べを天に叫ばんか阿武隈川の喉乾くまで 
 
森の奥あな妖精と出合しか声もかけずにすれ違いしを 
 
妻逝きて荒磯の浜に立つわれか烈風のなか撓うる心 
 
 ▼生きし証し(抄) 
ああ汝(なれ)は清(すが)しきおみな窮屈なこの世抜け出(い)で天に在(おわ)すを 
 
福島やセシウム深野悔い深野手繰りたぐるを夕光の紅(こう) 
 
墓誌の碑に我と妻との歌彫れり平成生きし証しの二つ 
 
 ▼磐梯のそびら(抄) 
一つ根と思えば親しき熱さかな磐梯のマグマ 私のマグマ 
 
被曝後を訪う磐梯ぞ 磐梯に重ねて軽くなり行くこころ 
 
セシウムの無きオアシスはいづこぞや裏磐梯の橅林のなか 
 
会津嶺と共に駆くるを山頂の傾きかけて天なだれたり 
 
 ▼南天の紅(抄) 
雪積めば撓む孟宗のしたたかさ被災われらは誰が頬打たん 
 
福島に何を討てとや紫蘭の芽 矛(ほこ)を掲げて兵士のごとし 
 
阿武隈川起(た)たす荒川のみなもとを橅(ぶな)の一樹に探り当てたり 
 
雨脚の嵩むを見れば福島に起ち上がりゆく一つぞ川も 
 
福島や烈風のなか ともる灯の今かこぼれん百合花の蕊(しべ) 
 
夕顔の白が際立つ夕まぐれ妻丹精の花なればこそ 
 
 ▼被曝拾遺 
除染とて削(そ)ぎとらるるを野紺菊のむらさき深きその静ごころ 
 
起(た)つ心未(いま)だ残るを汲みあげん浜昼顔のその底ひより 
 
安達太良山(あだたら)の空明るきも容(い)れ来てや被災の心を癒すこの川 
 
球根の芽が起(た)つ庭に起つ嘴(はし)の次々に起ちセシウムを食(は)め 
 
おお、福島今にも沈んでしまいそう原発事故がこんなに重い 
 
福島にほんとの海を呼び戻せ鷗の咽喉の紅尽くるまで 
 
セシウムの居らぬ夜が欲し合歓花の睫毛さやさや眠りの間こそ 
 
雪深野 セシウム深野ひた分けてゆけば陽(ひ)あたる街に出(い)でんか 
 
福島にほんとの海が戻らぬを死者ら泣く声 磯の洞(ほら)より 
 
万葉の恋歌呼ばん真野沖の被曝の貝の口あけやるを 
 (真野は万葉の歌人笠郎女の恋歌〈巻三・396〉で知られる) 
 
福島産葡萄贈らば福島ゆ放射能が来(く)と疎まれんかも 
 
郭公よ瓦礫の街に来て鳴けば海遠光る古里呼ぶや 
 
放射能に追われ追わるる道すがら己が足音に振り向くわれぞ 
 
神棚へ雨後の榊の二枝切る セシウム佇つを危ぶみながら 
 
髪燃えて老いらが雪を運ぶさえセシウム運ぶ獄吏と思う 
 
振り向くを嘗ての原発銀座とや透きて動ける他界のひとら 
 
うつくしま とんでもないね 犬掻きの掻いても掻いても地獄島だね 
 
大熊町ああ爆(は)ぜ痕の大熊町過去世筒抜けの伽藍洞である 
 
トリチウム残りのあらば「鰐ヶ淵」に鰐現れて喰らい尽くせよ 
 (「鰐ヶ淵」はいわき市にある危険海域) 
 
ああ福島うつくしまなんて乗せられて軌道を逸(そ)れたSLだった 
 
セシウム禍危ぶみ訪いし「滝桜」枝垂れしだれて天引き込むも 
 
 次回も歌集『虎落笛』を読んで行く         (つづく) 


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