2024年03月25日19時05分掲載  無料記事
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文化

野添憲治の《秋田県朝鮮人強制連行の記録2》 朝鮮人強制連行の現場を知ろう 

 冊子『秋田県の朝鮮人強制連行』の冒頭に置かれた序文にあたる野添さんの文章を紹介する。この序文が書かれたのは2015年5月。序文によると、この調査を進めた秋田県朝鮮人強制連行真相調査団の準備会が動き出して20年になると記されている。1995年だから敗戦後50年ということになる。調査は難航を極めた。すでに亡くなった関係者も多いだけでなく、「朝鮮人」といっただけで顔色が変わり、おびえたように家に入る人もいた。野添さんはそれをその心理を「戦時中に日本人の心に深くくい込んだ朝鮮人に対する差別」がまだいきいきと残っている」と描写している。そして「いまだに敗戦後になっておらず、戦争は今も続いている」と記す。そうだとすると前回前文に書いた群馬の慰霊碑撤去の行政代執行は公権力まで巻き込んだ差別の横行であり、この国は、よく言われる「新しい戦前」どころか、何も変わっていない、戦前のままががいまも続いていることになる。野添さんはこの序文の最後を「ぜひ現場を訪れて日本人の犯した事実を自分の目で確かめていただきたいと考えて本書をつくった。ぜひ小誌を利用して歩き、まず事実を知ってほしいと願っている。」という言葉で締めくくっている。(大野和興) 
 
 
秋田県内の朝鮮人強制連行の現場を知ろう 
一加害者の立場で真実を胸に刻むー 
 
 秋田県朝鮮人強制連行真相調査団が準備会という形で活動を始めてから、ことしで20年になる。秋田県内では個人の優れた調査はいくつかあったが、組織的に朝鮮人連行者の調査はされてこなかったので、調査団の作業は最初から困難だった。資料は少しよりなかったので県内外の証言者(朝鮮人•日本人)を探して証言をとり、その証言に基づく現地調査(現在まで55回)を行い、また少人数での調査も数多く行った。もちろん全部自費であり、働き盛りの人たちは勤務を休んで参加してくれた。 
 
 だが、調査を始めたのが敗戦後50年と年月は長く、秋田県内に連行された朝鮮人、また一緒に働いた日本人も少なくなっており、証言者を探すのが難しくなっていた。ようやく見つけても、証言を拒否されることもあった。年配者のなかには「朝鮮人」と言っただけで顔色が変わり、おびえたようにして家に入る人もいた。戦時中に日本人の心に深くくい込んだ朝鮮人に対する差別や「戦陣訓」が、まだ生き生きと残っていることを知らされた。いまだに敗戦後になっておらず、戦争は今も続いているのである。 
だが、証言を基に現場を歩き、その裏付けを得ようと公文書や記録探しもしたが、あまり残っていなかった。県史をはじめ、市町村史にも朝鮮人強制連行のことは殆ど書かれていない。秋田県の公文書情報公開制度を使って何度も公開を求めたが、戦時中の朝鮮人の動向を記した資料は出てこなかった。 
 
 こうしたなかで、「朝鮮人労働者に関する調査」(秋田県)を入手した。日本の旧厚生省が1946(昭和21)年6月17日付で「朝鮮人労働者に関する調査の件」を都道府県知事に通達し、秋田県では勤労署(現職業安定所)を通じ、管内の鉱山や事業所の敗戦直後の朝鮮人労働者の実態を調査して報告させたのである。この調査で秋田県内で朝鮮人を使役した事業所は26カ所で、官斡旋と徴用が5105人、自由募集が1654人で計6759人となっている。調査団の知らない事業所も多くあり、また名簿も付記されているので調査は大きく進展した。 
 
 また、韓国では2004(平成16)年に日帝強占下強制動員被害真相糾明委を発足させ、日本に強制連行された人たちの調査を始めた。2005〜6年で22万31人が名乗り出たが、その中に秋田県内に連行された人を、当時ソウル大学へ留学していた山内明美さん(現大正大学準教授)にお願いし、糾明委員会の許可を得て、コンピューターから246人の名簿を見つけて送って貰った。その名簿を持って韓国に3回行き、無事に帰った人たちの自宅に行って話を聞いた。その前にも一回行っているので、合わせて18人から証言を得ている。 
 
 こうした動きもあり、現在までに調査団では朝鮮人が働いた事業所を77カ所、人数にして約14,000人を把握している。なお、昨年までに大館市花岡町で七ツ館犠牲者慰霊式をはじめ、吉乃鉱山朝鮮人犠牲者追悼慰霊式を5回、発盛精錬所朝鮮人犠牲者慰霊式を8回やってきた。また、会報も82号まで発行しているが、まだ調査が出来ないでいる所もあるので、調査の作業はこれからも続けたい。まだ、秋田県内での朝鮮人強制連行の実態は明らかになったとはいえない。しかも、花岡鉱山には約4500人が連行され、そのうち100人は死亡していると連行された朝鮮人は言っているのに、一基の墓さえ見つかっていない。なお、全国の強制連行された現場を歩くと、日本人の戦時中の行為を反省するとともに、犠牲になった朝鮮人を悼む慰霊碑が民衆の手で建てられているのが多いのに、秋田県には朝鮮人たちが働かされ、また犠牲者が多く出ているのに、県内には吉乃鉱山墓地に2基、発盛精錬所に一基だけより建てられていない。 
 
 調査団が長い時間をかけて明らかにした現場も、風雪にさらされたり、また人為的に壊されて跡形もなくなっている所もある。ぜひ現場を訪れて日本人の犯した事実を自分の目で確かめていただきたいと考えて本書をつくった。ぜひ小誌を利用して歩き、まず事実を知ってほしいと願っている。 
 
2015年5月15日 
秋田県朝鮮人強制連行真相調査団 
野添憲治 


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