2026年01月28日20時19分掲載  無料記事
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「ごちゃまぜ川口」と路上の実践──鍋倉雅之さんが考える多文化共生のかたち

新宿駅東南口。行き交う人びとが足早に通り過ぎていくこの場所で、毎日のように立ち続けている人がいる。鍋倉雅之さんだ。 
 
声を張り上げるわけでも、誰かに詰め寄るわけでもない。ただそこに立ち、通り過ぎる人に向けて言葉を差し出している。手にしているのは、「わたしは差別に抗う」と書かれたポスター。赤い薔薇をあしらったデザインが目を引く。 
 
鍋倉さんは、この路上での活動を「路哲(ろてつ)」と呼んでいる。路上に立ち、考え、問いを投げかける。いわば“路上で哲学する”試みだ。 
 
反ヘイトや反差別の街頭活動と聞くと、対立や緊張を思い浮かべる人も少なくないかもしれない。 
しかし近年では、露骨な糾弾や敵対的な言葉を前面に出すのではなく、音楽やポスター、踊り、そしてコールを通じて、差別に抗う意思や政治的なフラストレーションを共有する取り組みが広がりつつある。 
 
鍋倉さんの立ち方も、そうした表現を通じて通行人の関心を引き寄せ、対話へと開かれた場をつくろうとするものだ。 
「差別に反対する人間がここにいる」という事実は、言葉を交わす場面だけでなく、感情や態度として路上の空気とも混ざり合う。それを目にした人や外国人が、「自分はひとりではない」と感じる瞬間が生まれることもまた、彼が路上に立ち続ける理由の一つだという。 
 
2026年1月11日、埼玉県川口市で行われた「ごちゃまぜ川口 NO HATE MARCH」。多様な人びとが集まり、外国人差別に抗う意思を示したこの運動について、鍋倉さんは何を感じ、どう評価したのか。 
そして、新宿の路上に立ち続ける「路哲スタンディング」は、彼自身にとってどんな意味を持っているのか。 
その思いを、あらためて聞いた。 
 
 
──まず、鍋倉さんご自身の活動について教えてください。 
 
私はほとんど毎日、新宿駅東南口などの路上に立って「ノーヘイト」の意思を示す活動をしています。いわゆる「路哲」と呼ばれているスタンディングですね。通行人に対して、差別は許されないという最低限のラインを、公共空間で可視化することを目的にしています。 
その立場から、1月11日に川口市で行われた「ごちゃまぜ川口」のデモ行進にも参加しました。 
 
 
──実際に参加してみて、まずどんな印象を持ちましたか。 
 
一番印象的だったのは、街の反応がとても良かったことです。沿道から手を振ってくれる人がいて、子どもたちも手を振り返してくれた。 
これまで川口市内では、レイシスト側によるヘイトデモを見てきましたが、そのときの住民の反応は、正直かなり冷めていました。無関心というか、「関わらないでおこう」という感じです。 
 
今回はそうではなかった。街の人が、ちゃんと身体を出して反応していた。その違いは大きかったですね。 
 
 
──日本では、政治的なパレード自体が珍しい印象もあります。 
 
そうなんです。日本では、政治的なパレード文化はほとんど根付いていません。地元の兵庫でも様々なお祭りはありますが、政治的なパレードは皆無に近い。例外的に、兵庫県知事の斎藤元彦氏に「NO」を示すパレードがありましたが、それくらいではないでしょうか。 
 
だから、「ごちゃまぜ川口」が、事前に地域への告知をしていたとはいえ、ここまで受け入れられたことには驚きました。 
 
 
──なぜ、街に受け入れられたのだと思いますか。 
 
音楽やキャラクターのデザインが親しみやすかったことは大きいと思います。トラックの上にDJとMCがいて、巨大なフラッグも掲げられていた。全体として、華やかで明るい雰囲気がありました。 
 
正直、何も知らない人が見て「これは反ヘイトのパレードだ」と一瞬で分かるかと言われると、そうではないかもしれません。でも、その分、威圧感がなかった。それが住民に受け入れられた理由の一つだと思います。 
 
 
──運動としての評価はいかがでしょうか。 
 
大成功だったと思います。 
ヘイトに対するプロテストの方法論はいくつもありますが、今回のように、政治性を直接的に打ち出さない穏健なパレードは、非常に効果が大きい。 
 
「ヘイトスピーチはだめだよな」ということを、言葉で説得するのではなく、多文化共生がいかに豊かなものかを、こちらから示す。まずは”体験”として見せることが重要だと考えています。その意味で、「ごちゃまぜ川口」は「一つの理想型を見た」という思いです。 
 
 
──対話の重要性については、どう考えていますか。 
 
もちろん対話は大事です。ただ、今はSNSでヘイトが拡散され、メディアでも外国人の素行の悪さばかりが強調されがちで、一般の人たちが無自覚にヘイター寄りの感覚を持ってしまう状況があります。そうなると、対話自体が成立しにくい。 
 
外国人に忌避感をもつ人に話を聞くと、強い敵意というより、「なんとなく怖い」という印象論で語る人も多い。だからこそ、対話の前に、実感として多文化共生を共有する必要があると思っています。 
 
 
──パレードの参加者は主催者発表で1200人でした。どう受け止めていますか。 
 
10代や20代と見られる若い人たちが参加していたのが印象的でした。 
これは、地道なポスティングや事前の周知活動がしっかり機能した結果だと思います。住民が好意的に受け止めてくれたのも、そうした積み重ねがあったからでしょう。 
 
また、それぞれの現場で反差別活動をしてきた人たちが、新しい人を誘って少しずつ輪を広げた結果でもあります。私自身も、「路哲」の活動を通じて知り合った人に声をかけて、今回初めてこのような運動に参加してくれた人もいました。その人がまた友人を誘って参加する。そうやって大きなイベントになったのだと思います。 
 
 
──近年、反ヘイト運動をめぐる空気の変化は感じますか。 
 
感じますね。 
たとえば、蕨駅や西川口駅でのヘイト街宣に対して、以前は限られた顔ぶれしか抗議していませんでした。それが最近では、「見たことのない人」が「差別をやめろ」と声を上げるようになっている。 
 
プロテスターとしてではなく、住民として怒っている感じです。「この人たちに抗議してもいいんだ」と認識され始めている。ヘイトをばらまく側が、「保守」ではなく「公共の敵」と見なされ始めている感覚があります。 
 
 
──最後に、「ごちゃまぜ川口」とご自身の路上活動の関係をどう捉えていますか。 
 
形は違いますが、向いている方向は同じです。 
路上で立ち続けることも、パレードで街に出ていくことも、「ノーヘイトの人間がここにいる」という事実を積み上げる行為です。 
 
多文化共生を、理念だけでなく体験として共有する。その積み重ねが、差別に抗う一番の力になると思っています。 


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