2005年08月18日09時00分掲載  無料記事
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検証・メディア

警告すべきナショナリズムはどちらなのか 戦後60年、小泉談話めぐる日韓落差 醍醐聡・東大教授

 終戦60年記念日の15日、小泉純一郎首相は日本によるアジアの植民地支配と侵略への「反省とおわび」の談話を発表した。靖国神社への参拝は見送ったものの、年一回の参拝には「適切に判断する」としか語らなかった。同日、閣僚2人と国会議員47人が参拝した。一連の動きをどう見るか。「NHK受信料支払い停止運動」の代表をつとめる醍醐聰東大教授は、朝日新聞と韓国の朝鮮日報の評価の落差に注目する一文を寄せた。(ベリタ通信) 
 
 
 8月15日、小泉首相は靖国神社参拝を見送るとともに、戦後60年の談話を発表し、過去の植民地支配・侵略への反省と内外すべての犠牲者への追悼の意を表した。敗戦の日のこうした小泉首相の言動の評価をめぐって、私は注目すべき事実を目の当たりにした。それは、ジャーナリズムの小泉評価をめぐる内外落差である。 
 
▽危険なナショナリズムの警告相手を取り違えた『朝日新聞』社説 
 
 16日付『朝日新聞』は、「首相談話を生かしたい」と題する社説を掲載した。そのなかで社説は次のように述べている。 
 
 韓国はこの日、解放を記念する「光復節」である。ソウル市庁舎が3600枚の国旗「太極旗」で包まれた。植民地時代、日本が京城府庁舎として使った因縁浅からぬ建物だ。韓国民の民族心をくすぐらないではおかない。 
 ナショナリズムは、いつまでも折り合いがつかないものなのだろうか。 
 なぜ中国や韓国からそれほどまでに批判されなければならないのか。この春の反日デモなどの激しさは、逆に日本人の間に反発の気持ちを生んだ。 
 日本がまた軍事大国化し、他国を侵略することなどあるはずがない。過去の非を追及するのもいい加減にしてほしい。そんな憤りが、中国や韓国に対する批判的な見方や、うっとうしいと思う感情を醸し出していく。 
 
 先に、私は『朝日新聞』が北京や上海の日本大使館に反日デモが押し寄せた事件を論じた社説「事実を伝えてほしい」(2005年4月13日付け)を一読して驚いた。この社説が、「愛国教育」などで侵略当時の日本軍の蛮行ばかりを自国民に伝え、平和憲法を持って戦争に加わることのなかった日本の戦後史をほとんど知らせていない中国政府に苦言を呈しているのを目にして首をかしげたからである。 
 
 そこで、小論(2005年5月29日;新刊書紹介 野中章弘責任編集『ジャ−ナリズムの可能性』)をまとめ、知人に送った。 
 この小論のなかで私が指摘したのは、歴史の事実を伝えるよう求めるべき相手は中国ではなく、日本政府であるということだった。今回の社説を読んで私は、危険なナショナリズムの警告相手を取り違える体質が朝日新聞に根付いているという危惧を一層深くした。 
 
▽過去を賛美しながら過去を反省すると言う日本??『朝鮮日報 』社説 
 
 今朝方、NHK受信料支払い停止運動の賛同者の方から、メールをいただき、『朝鮮日報』が16日付けで標記のような見出しの社説を掲載していることを知らせてもらった。先の『朝日新聞』社説と読み比べ、小泉談話をめぐる評価の内外落差を思い知らされた。 
 
 長くなるが、その要旨を引用しておく。 
 
 談話が発表された日とその前日、中川昭一経済産業大臣をはじめ、小泉内閣の大臣3人が第2次世界大戦のA級戦犯の位牌のある靖国神社を参拝した。・・・・・政府自民党をはじめとする与野党の国会議員47人も、靖国神社に行って頭を下げた。 
 日本は一体なぜ、戦争を反省するとしながら、戦犯の位牌が祭られている靖国神社への参拝を繰り返しているのだろうか。日本は一体なぜ、アジア人の心にまったく響かない「反省談話」を60年間繰り返しているのだろうか。・・・・・ 
 日本に侵略された韓国や中国をはじめとするアジアの人々は、大陸への侵略、南京大虐殺、強制徴用、従軍慰安婦、731部隊の生体解剖の残虐な歴史を体験してきた。 
 にもかかわらず、日本はこのアジア人がともに体験した歴史に背いて、日本が記憶したい歴史だけを取捨選択するという姿勢をとってきた。 
 反省とは、基本的に「共通の記憶」と「共通の体験」を前提とする。現在、日本が推し進める教科書歪曲は、結局このアジア人の「共通の記憶」と「共通の体験」を否定することだ。 
 そのため、「過去を賛美しながら、その過去を反省する」という論理的矛盾を繰り返しているのである。 
 
 
▽過去・現在の事実を身勝手につまみぐいするところに真の和解はない 
 
 前記の朝日社説は主語をあいまいにした形で、「日本がまた軍事大国化し、他国を侵略することなどあるはずがない。過去の非を追及するのもいい加減にしてほしい」という日本国内の意識を代弁している。 
 
 ならば、朝日社説は、自虐史観に立って過去の侵略戦争の事実を歴史教科書から抹消することに執着する扶桑社教科書の採択に向けて、「つくる会」が全国各地でなりふり構わぬ攻勢をかけている事実をどう説明するのだろうか? こともあろうに、文部科学大臣が「歴史教科書から従軍慰安婦の記述が少なくなってよかった」と公言している事実をどう受け止めるのだろうか? 
 
 また、次期首相の有力候補の一人と目される安倍晋三氏ら「日本の前途と歴史を考える議員の会」の政治的圧力によって、NHKのETV特番から戦時性暴力に関する証言が抹殺された事実を、今年1月にいち早く報道したのは、ほかでもない『朝日新聞』だった。朝日社説は、自社の社会部が伝えたこの事実をどう受け止めたのだろうか? 
 
 日本は不戦の誓いをしているというなら、政府与党が今、その証ともいうべき憲法九条の改悪に執心している事実を、朝日社説は国内外に向けてどう説明するのだろうか? 
 
 さらに、朝日社説は、小泉首相が総裁選に当たって、A級戦犯を愛国の殉死者として奉る靖国神社参拝を公約に掲げ、この公約実行を政治信条としていることをどう評価するのだろうか? これでも朝日社説は、日本は「なぜ中国や韓国からそれほどまでに批判されなければならないのか」、「過去の非を追及するのもいい加減にしてほしい」と言い放つ資格が日本政府にあると考えるのだろうか? 
 
 参拝の日が8月15日かどうかをフォーカスすること自体、靖国神社参拝をパフォーマンスに利用する小泉劇場への翼賛を意味するのも同然であることを朝日新聞はじめ日本のメディアは気付かないのだろうか? 
 
 以上のような過去・現在の一連の事実から目を背けて、「民族心」、「うっとうしいと思う感情」などといった心情の次元に歴史問題をずらすのは、ジャーナリズムとしての理性の麻痺を意味すると同時に、道徳的退廃をも意味する。 
 
 歴史認識をめぐる問題は、どこかで「折り合いをつける」ナショナリズムの問題ではない。『朝鮮日報』社説が指摘するとおり、「共通の記憶」と「共通の体験」を前提とし、歴史の事実を直視して、それに理性を手向けることによってしか、真の和解はないのである。        (醍醐聡=だいご・さとし) 


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