2006年04月21日02時46分掲載  無料記事
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沖縄/日米安保

沖縄は世界でも例外的な「軍事植民地」 チャルマーズ・ジョンソン氏インタビュー

  「私は冷戦の戦士でした」と語る米軍事評論家チャルマーズ・ジョンソンが、みずからの経歴と体験を踏まえ、「基地の帝国」としての米国の政治・経済構造を、第二次世界大戦直後の冷戦初期から、ソ連の崩壊を経て、現在のアフガン・イラク戦争までの歴史の流れのなかで論じている。「ブッシュのアメリカ」は、富裕層を利する大型減税の継続など小さな政府を気取っているように見えるが、その実、軍事支出は惜しまず、軍産複合体への予算のバラ撒きが経済を維持する有効需要になることを米社会は期待しているようだという。ジョンソンは、共産主義に対する自衛としての冷戦の意義に疑いの目を向けるようになったきっかけのひとつが、海兵隊員らによる少女集団レイプ事件の余波が残っている時期の沖縄訪問であったとも告白している。(TUP速報) 
 
 
「不思議の国の冷戦主義者」 
チャルマーズ・ジョンソンに訊く(パート1) 
[取材:トム・エンゲルハート] 
 
―あなたの人生の証しとなる瞬間、冷戦終結の瞬間からはじめましょう。あなたにとって、冷戦終結はなにを意味したのですか? 
 
チャルマーズ・ジョンソン 私は冷戦の戦士でした。これには疑う余地がありません。ソヴィエト連邦はほんものの脅威であると私は信じていました。今でも、そう思っています。 
 いろいろな点で、ソ連が一定の理想主義を鼓舞していたのは確かです。NKVD[1]やグラーグ[2]のせいで、何年も前に共産主義と袂〈たもと〉を分かっていても、インターナショナル[革命歌]を聞けば、起立するしかない大人たちがいますが、そういう人たちはすごいと思います。ソヴィエトに対して自衛しなければならないと私は考えていました。 
[1. Narodny Komissariat Vnutrennikh Del=内務人民委員部] 
[2.gulag=矯正労働収容所管理本部] 
 
 私の目から見て、わが国の怪物じみた軍事機構、その規模や経費、それに(大統領、ドワイト)アイゼンハワーが私たちのために正体を説き明かしてくれた軍産複合体の膨張を正当化する唯一の大義名分は、ソ連の存在であり、ソ連のわが国と対抗するという決意でした。ソ連が世界的な勢力であり、きわめて強大であるという事実が問題視されていましたが、私たちのだれひとりとして、その弱点が露見すると確かな眼で見抜いていませんでした。 
 
 (ソ連最高幹部会議長、レオニード)ブレジネフの権力が絶頂期にあった1978年のことですが、私は同地に滞在していました。当時、消費経済は存在しないという感じが確かにありました。米国・カナダ研究所の私の同僚たちには私有物がどっさりありました。おお、すごい、私はジョージア白ワインの上物を一瓶見つけました。キューバの人たちもなにかしら良いものを持ちこんでいました。ところが現地のバーに繰り出してごらんなさい。買えるのは、ウォッカだけです。 
 
 まったく不便な世界でしたが、あることについては、とても上手にこなしていました。わが国のミサイル防衛にかかわる話です。わが国が構築するいかなるミサイル防衛も突破する兵器を備えた唯一の国が存在しますが―それはロシアなのです。わが国は、あの国が持っている大陸間弾道ミサイル、トーポリM(Topol-M)、別名「米国名]SS27に対抗できるものを、いまだに持っていません。(大統領、ロナルド)レーガンが、スター・ウォーズ(戦略防衛機構)を構築するつもりだと言ったとき、とても賢いソヴィエトの兵器製造部門の人たちは、われわれはこれを阻止すると言いました。そして、そのとおりにやってのけました。 
 
 ダニエル・モイニハン(上院議員)が言ったように―1980年代のソ連崩壊を予告できなかったCIAを、だれが必要としているのでしょう? ソ連がアフガニスタンではじめた戦争やら、その他のいくつかのできごとが重なって、経済が凄まじいありさまになり、分解してしまうことを、320億ドルの予算を食う諜報機関が見抜けなかったのです。 
 
 1989年にミハイル・ゴルバチョフ(ソ連大統領)がひとつの決断をします。ソ連はドイツ人がベルリンの壁を取り壊すのを食い止めることもできたのですが、彼はロシアの未来を考え、スターリンが東ヨーロッパで育てた、みじめな衛星諸国を諦め、ドイツやフランスに対する友好関係を選択すると決意しました。 
 
 だから、彼は壁の崩壊を静観したのであり、その瞬間、ソヴィエト帝国全体の解体が始まりました。沖縄の人びとがわが国を島から追い出そうとするとき、手をこまねいて傍観するようなら、同じことがわが国にも起こりえます。ひとたび、わが帝国が分解しはじめれば、なんの手も打てないまま、それは崩壊すると私は思います。 
 
 ソ連は破綻しました。米国にとって、なんというすばらしい名誉の証しだろう、と私は考えました。すべては終わり、ほんものの勝利の配当、偽りのない平和の配当を受けるときがきた。問題はこうでした―大掛かりな戦争が終息するとき、米国は過去にやっていたのと同じように振る舞うのだろうか? 
 
 第二次世界大戦のあと、わが国はあれほど速やかに軍備を縮小しました。周知のように、1947年には、わが国は非常に速やかにふたたび軍備拡大に走りましたが、その時すでに、わが国の軍隊は茶番めいたものになっていました。 
 
 1989年に、ベルリンの壁の崩壊以上にと言っていいほど、私を驚かせたのは、軍産複合体やペンタゴンの組織、世界に展開する艦隊群、それに役割の終わったわが国のすべての基地といったものを全面的に正当化するために、米国が即座に―純然たる膝蓋反射反応[*]として―代わりになる敵を探しはじめたことです。わが国の指導者たちにしてみれば、冷戦装置の解体を検討することだけは、どうしてもできなかったのです。 
 [*脚気の診断に用いられる、膝をコンとたたくと、足がピョコンと跳ねあがる反応] 
 
■私は面食らった 
 
 これはひどい、と私は考えました。それに劣らず、アメリカ国民が無頓着であるように思われ、私は呆れました。そして、彼らがあえてやったことは、ひどいものでした。父のほうのジョージ・ブッシュが大統領でした。彼は、アフガニスタンにもはや関心がないと即座に断言しました。もう終わったことなのです。 
 
 そのため、なんという大きな代償を私たちは支払うことになったのでしょう―わが国史上最大の隠密作戦をはじめておいて、無造作に離脱したせいで、ソ連に対する闘争に資するためとして、1980年代にわが国がスカウトしたアフガン人のだれもが、ただちにわが国を敵視するようになりました―そして、わが国に報復しはじめました。数あるなかで最大の報復は、もちろんのこと、9・11事件でしたが、それ以前にも多くのしっぺ返しがありました。 
 
 私は面食らってしまって、なにが起こったのか理解する必要があると感じました。冷戦におけるわが国の本分――同じ構造、同じ軍事ケインズ主義[*]、兵器製造に大きく依存する経済――が永続化すると明確に分かるやいなや、ほぼ瞬時に念頭にあがった一番大事な問いかけはこうでした。冷戦は、ほんとうはなにか別のものを隠すためのものだったのではないか? その別のなにかとは、第二次世界大戦のあいだに、大英帝国の後継者として意図的に創出されたアメリカ帝国であることを、これは意味しているのではないだろうか? 
[*全体の福利のための公共投資を重視する経済理論。この場合は、軍需中心の経済運営、つまり富国強兵政策] 
 
■沖縄を知って仰天した 
 
 そこで、私はこう言わざるをえなくなりました―そうか、冷戦は、わがが主張していたような全体主義価値と民主主義価値との歴然とした衝突ではなかった。 
 
 1950年代のさまざまな時点で西ヨーロッパにいた場合、そういう弁明らしきものも可能でしょうが、それを地球規模の状況にあてはめ、中国を念頭に置き、そしてわが国の2度にわたる東アジアにおける戦争、つまり朝鮮とヴェトナムの両戦争を視野に入れますと、この全体像がガタガタに崩れ、私には再考すべきことが残っていると理解するようになったのです。何度もあったことですが―大学二年あたりの秀才タイプが、私に「先生はおっしゃることに辻褄〈つじつま〉が合っていないのではありませんか?」と言ったものです。 
 
 英国の経済学者、ジョン・メイナード・ケインズは、ある時、矛盾していると詰問され、「そうだね、新しい情報を入手すると、私は自分の立場を再考するのだよ。あなた、新しい情報をどうするのですか?」と返していましたが、たいてい私もこの言葉で応えています。 
 
 ソ連が崩壊してから5年後の個人的な体験もまた、もっと根本的に国際関係を再考するきっかけになりました。沖縄で非常に重大な事件の余波が残っているころ、私は沖縄県知事の招待を受けました。1995年9月4日のことですが、海兵隊員2名と水兵1名が12歳の少女をレイプしました。この事件は、(1960年の)安保条約締結からこのかた最大の反米感情の噴出を招きました。 
[参考文献――TUPアンソロジー『世界は変えられる・II』(七つ森書館、04年10月刊)所収、チャルマーズ・ジョンソン「帝国の治外法権――三つのレイプ事件が語る日米地位協定と沖縄」 
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0375.html] 
 
 私は生涯の大半、日本を研究して過ごしたにもかかわらず、その時まで沖縄に行ったことはありません。ハワイのカウアイ島よりも小さな島にアメリカの軍事基地が32か所あり、島の住民たちに過大な重圧を押しつけていると知って、私は仰天しました。熱心な冷戦の戦士たる私の最初の反応は、沖縄は例外に違いない、というものでした。これは世界の常識をはずれています。アメリカの報道機関はこれを伝えていません。これは軍事植民地です。 
 
 わが国の軍隊は、1945年の沖縄戦いらい、そこに駐留しているのです。そこにはありとあらゆる支配の臭いがたちこめていました。だが、これは目立つにしても、わが国の巨大な組織の一側面にできた不幸な吹き出物にすぎないと私は思いこみました。ところが、私が研究をはじめてみると、沖縄が例外ではないことを知りました。これが標準でした。世界中のアメリカの軍事的な海外領地のどこでも目にする光景だったのです。 
 
―わが国の軍隊が地球全体に駐留している様相は、あなたが世界におけるアメリカの位置づけを再考なさるさいの基本的な要因でした。あなたの最近の著書『アメリカ帝国の悲劇』[前出]のなかで、ペンタゴンの基地設置政策に関する章は核心部になっています。この本を好むにしろ好まないにしろ、書評者たちのだれひとりとして、わが国の現実の基地に関するあなたの解釈に踏み込まなかったのは、奇妙ではありませんか? このことをどのようにお考えですか? 
 
 【ジョンソン】どうしてなのか、私は知りません。アメリカ国民は、例えば、アメリカ国内の広大な米軍用地はものごとを整えておくために欠かせない自然な存在であると、自明の理のようにして認めていますが、どうしてそう思うのか、私には分かりません。軍用地に自然なところなどこれっぽちもありません。軍用地は人工的であり、金も食います。近年で最も興味深い儀式のひとつは、基地閉鎖の発表にともなう大騒ぎです。なんと言っても、国防総省が無用の施設を閉鎖するのは、完全に理にかなったことですが、大騒ぎの渦中にいては、そうは考えません。 
 
 わが国の社会における軍産複合体の影響について、私たちが甘い幻想を抱くありさまに、私はいつも呆れています。私たちは、供給サイド経済学とか、ラッファー曲線[*]とかいった婉曲表現を用います。われわれは人工的に雇用を創出している、などとは決して言いません。WPA(大恐慌期の雇用対策局)がしばしば穴掘り・埋め戻し反復事業と揶揄〈やゆ〉されていたとすれば、今、私たちは爆破物を作っていて、それを人びとに売っています。 
 
 世界の兵器製造大手のものに比べるまでもなく、わが国の兵器が特に上等というわけではありません。大量の兵器を非常にすばやく製造できるのが、わが国の取り得というだけの話にすぎません。 
[*税率と税収の相関を表し、税率0パーセントで税収0、税率100パーセントでも(経済活動の停止により)税収0になり、中間の最適税率で税収の極値を示す山型の曲線] 
 
■世界の「構成部品」の削除 
 
 
―プロの編集者として言わせてもらいますが、私たちが世界を見渡すさい、卓越した世界編集能力を発揮しています。 
 
 【ジョンソン】まったくそのとおりです。私たちは世界の構成部品を削除しています。つまり、サンディエゴ市の住民は、当地とロサンジェルスの間に、第一海兵師団の司令部、キャンプ・ペンドルトンと呼ばれる広大な軍用地が存在することに、いささかも驚いていないようです。かつての朝鮮戦争のころ、私自身がそこにいました。私は自分が乗務していたLST[兵員・戦車などの陸揚げ用の揚陸艦]883号の艦長に運悪くも行き遭いました。私たちはひとりの仕官をキャンプ・ペンドルトンに移送する命令を受けてい 
ましたが、彼は「私が移送することになっている人物を知っている」と言いました。それは私でした。(笑う) 決して忘れられません。海兵隊の教練軍曹の世界は別の宇宙です。 
 
 自然環境の熱烈な愛好者としては、多くの意味で、あそこにキャンプ・ペンドルトンがあってよかったと思います。あれは緩衝地帯なのです。たぶん10年ほど前のことですが、私はあそこの司令官としばらく過ごしました。たまたま話題が鳥類保護のことになり、彼は「私はこれらの鳥類を保護するようにとの命令を受けている。配下の者が、鳥の巣の上に戦車を走らせるようなことをすれば、私はその部下を軍法会議に付するだろう。ところで、いまいましい鳥がサンクレメントのほうへ飛んでいってくれれば、その男にも浮かぶ瀬があるというものだ」と言いました。 
 
  その時ですら、私はこう考えていました―この基地でやっていることは、どれを取っても、格別お国の役に立っているわけではないが、それこそ、あんたたちが役立っている数少ないもののひとつだ。現在では、言うまでもなく、軍が環境規制の履行義務の免除を熱心に求めていますので、あのささやかな利点もなくなってしま 
いました。 
 
■米帝国の構成単位は軍事基地 
 
―さて、振り出しに戻りますと、あなたは帝国を目撃なさって、さらに…… 
 
【ジョンソン】……帝国の概念から定義しなければなりませんでした。たいていの場合、帝国は植民地宗主国と定義されますが、分析的に言って、私たちが帝国を語るとき、外国の人びとの利益がいかに損なわれようとも、私たちの利益に奉仕させる支配権の外部投射をもっぱら意味しています。 
 
 では、私たちの帝国はどのような種類のものでしょうか? その構成単位は植民地ではなく、軍事基地なのです。これは、帝国概念を擁護する人たちがたいてい決めつけるほどには常識はずれなものではありません。と言うのも、中東におけるローマ帝国の主要な軍事基地を数えあげることが容易にできるのですが、その数は、現代において、この地域に守備隊を置くのに必要な基地の数とほぼ一致することが判明しています。約38か所の主要基地が必要なのです。ローマ時代の軍事基地の配置を地図上に記すことができます 
し、現代の基地を記すこともできます。 
 
 基地の帝国―これが、世界に700か所、またはそれ以上あると国防総省が認めている軍事基地の理屈を説明するのに最適な概念です。 
 
■戦利品としての基地 
 
 ところで、これはアメリカ国民の安全保障のためだと、私たちは自己正当化しています。ほとんどの場合、わが国による戦争のどれかで、なんらかの戦略上の目的を念頭に置いて、これらの基地を占領したのが始まりだったというのは、ほんとうのことです。それから戦争が終わっても、私たちは基地をぜんぜん手放しません。これはゲームの一環である、戦い抜いた人間たちが手に入れる戦利品なのだ、と私たちは気づきました。海兵隊は、第二次世界大戦中の最も悲惨な最後の激戦で、損失をこうむったのだから、自分たちは沖縄に駐留して当然であると、今日にいたるまで信じています。 
 
 それにしても、若いほうのブッシュの時代のネオコン、その他に―基地の帝国では必ずしもないのですが―帝国の概念が、これほど速やかに受け入れられるようになるとは、ビックリさせられました。 
 つべこべ言っても、あの人たちの多くが言ってたように、この用語を誇らしげに口にするのは、合州国の起源そのものに唾を吐きかけるのと同じことです。私たちは、あれほど専制的な態度で支配権を振るっていた国王を攻撃し、他のだれにも増して反・帝国主義者であると自慢していたではありませんか。私が思うに、それもアメリカ=スペイン戦争[*]までのことでした。わが国が帝国になっていたのは、それよりずっと以前からであるのは、言うまでもないことですね。 
[*スペインによるキューバ支配をめぐる紛争を端緒に、1898年、フィリピン領有をめぐる戦争に発展。当時の米国の帝国主義的な振る舞いについての参考文献――前出『世界は変えられる・II』所収、レナト・レデントール・コンスタンティノ「歴史の痛ましい傷――フィリピン侵略、ヴェトナム戦争、そしてイラクへ」] 
 
―あなたがお書きになっているように、おおよそすべてのものごとが軍事化してしまったという意味で、わが国はなんだか一本足の帝国になってしまったのではありませんか? 
 
■沖縄の方がいい暮らしができる 
 
 【ジョンソン】それこそが、アメリカ帝国のほんとうに不気味な点です。たいていの帝国には、軍事が付きものですが、わが国では、軍事優先政策が、国防のためでなく、さらには政治目的を追求するための力ですらもなく、ひとつの生き方、豊かさや快適さを達成するための手段になるまでになっています。請け合っておきますが、第一海兵師団の将兵たちは、カリフォルニア州のオーシャンサイドに駐屯しているよりも、沖縄に駐留しているほうが、そうとういい暮らしができるのです。 
 壁が崩壊したあと、5年間もソヴィエト軍は東ドイツから撤退しませんでした。 
 彼らは国に帰りたくなかったのですね。貧しいロシアに帰った場合に予想される暮らしぶりよりも、ずいぶんいい生活をしていたのです。 
 
 たいていの帝国は、軍事のそういう側面を隠そうとしています。私たちの問題はこうです――どういう訳か、私たちはわが国の軍が大好きなのです。軍隊を私たちの社会の縮図、役に立つ制度であると考えています。「われわれのボーイズ[兵たち]を応援しよう」というのほど、偽善的だったり、政治家たちが連発したりするものは他に類を見ません。 
 言ってみれば、兵士になった男子や女子が、あらゆる出自のなかで最も賞賛に値する人間では必ずしもありませんし、よその国の社会に入りこんで、その意味からして、君たちは善行を施しているのだと諭されているならば、なおさらのことです。この場合――なにがどうなっているのか理解できなかったり、かわいそうなイラク人たちに英語でどなりつけたりする集団に組みこまれた、そのとたんに――私たちの社会の重要な一側面である人種差別が表面化します。 
 
―わが国の帝国維持費は国防予算であると、あなたもお考えであると思います。これについて、私たちに分かりやすく説明していただけますか? 
 
 【ジョンソン】帝国の侮れない力は、帝国が私たちの社会に浸透している様相、私たちが帝国に依存するようになっている様相に見ることができます。 
 過去の帝国――ローマ帝国、大英帝国、大日本帝国――は、英国民やローマ市民や日本臣民を豊かにするのに役立ちました。私たちの社会においては、武器の製造と販売が、いかに深い根っこのところで私たちの生活手段になっているか、つまり、わが国が4大兵器製造企業――ボーイング、ロッキード・マーティン、ノースロップ・グラマン、ゼネラル・ダイナミックス――を有しているという話にとどまらず、これらの企業が、可能なかぎり多くの州、可能なかぎり多くの選挙区に巨額の請負契約をばらまいていることを私たちは認めたくないのです。 
 
■軍事予算が国家破産に追い込む 
 
 軍事予算が国家を破産に追いこもうとしています。軍事費の規模は過大に膨れあがり、合理的な軍事目的の範囲を超えています。わが国のそれは、世界の軍事支出総額の半分にちょっとだけ届かないだけです。それでいて、わが国は、世界で最も小さく、最も貧しい、ふたつの国にてこずっています。わが国が侵略する前のイラクのGDP[国内総生産]の規模はルイジアナ州のそれと同じでしたし、アフガニスタンは確かに地球上で最も貧しい地域のひとつでした。 
 
 それなのに、これらふたつの場所がわが国を身動き取れなくさ 
せています。 
 
 わが国は、軍事的に見て、つじつまの合わない、あまり利口とは言えない予算を組んでいます。これがわが国の産業界に資金を供給するために使われている仕組みや、わが国が今でもかなり効率的に製造している品物のひとつが兵器であるという事実を理解するときのみ、この無茶苦茶ぶりも割り引いて考えることができます。これは、民間企業ではなく、ペンタゴンの対外有償軍事援助部門が仕切っている、巨大な輸出ビジネスなのです。 
 
 これは、もちろん、自由主義的な経済活動ではありません。巨大メーカー4社、それに単一の大口顧客がかかわっているだけです。国家社会主義型の事業が、アメリカのどこの大学のどの経済学課程でも教えていない仕組みで、経済を動かしています。むしろ、大恐慌から抜け出るためにジョン・メイナード・ケインズが提言した政策――雇用維持のための景気循環対策型の政府支出――に近いものです。 
 
 基地閉鎖の話が出るたびに、国民は集団的な不安神経症に陥ってしまいますが、これは政治とはなんの関係もありません。ポーツマス海軍工廠〈こうしょう〉[原潜建造基地]が廃業となれば、ニューイングランドの人たちは、ここ、サンディエゴの住民に海兵隊飛行場の閉鎖を通告した場合と同様、頭にくることでしょう。ご当地の基地となれば、いつも同じ光景です。よくもわれわれの基地を奪えるものだ! われわれの議員は基地をもとに戻すべきだ! 
 
 これが、わが国の軍事優先主義と軍事帝国の最も陰険な側面であると思えるものを浮き彫りにしています。私たちはこれから今さら離れられないのです。薬物依存の意味で、嗜癖〈しへき〉しているというわけではありません。それを手放せば、わが国が経済システムとして破綻するというだけの話であり、そうなることが分かっているのです。恐ろしいことです。 
 
■軍事ケインズ主義の先例はナチス 
 
 歴史上の先例を見れば、心底から怯〈おび〉えるはずです。軍事ケインズ主義――つまり、不景気や恐慌のために混乱した経済や、危機に瀕している国民につけこんで、転回させること――の最も大掛かりでユニークな先例は、ドイツです。アドルフ・ヒットラーが1933年にドイツの首相になってからの5年間、現代の天才のひとりとして賞賛されていたことをお忘れなく。そして、国民は職場に復帰しました。これは、もっぱらナチス党[国家社会主義ドイツ労働者党]とドイツ産業界との連携による軍事ケインズ主義を通 
してなされたのです。 
 
 工場を再開するために人工的な政府需要に頼るのを、労働組合と労働者階級を強化する方策と見て、当時の多くの人びとが、これこそは真にケインズ主義的な問題解決法であると主張しました。資本家たちは、労働者階級を強化するきらいのある政府方針を恐れました。彼らは革命にかぶれるかもしれません。あの世紀には、革命はもう十分でした。この国では、いぜんとして国民はボルシェヴィキ思想[ソ連共産主義]に対する恐怖症にかかっていました。ある程度までは、私たちはいまだにそうですね。 
 
 私たちが採りいれた経済政策は、アドルフ・ヒットラーのやったことと非常よく似ています。私たちは飛行機やその他の兵器システムを大量に生産しています。このことを考えると、ソ連がついに崩壊した1991年の状況がただちに思い起こされます。私たちは冷戦の終焉を迎えることができませんでした。瞬時に、私たちはそう気づいたのです。国家安全保障会議の戦略大綱であるNSC68号文書[1950年作成の対ソ核戦略マニュアル]を読めば、特によく分かりますが、実を言えば、冷戦が始まったころでさえ、その真因は、大恐慌時代を生き抜いてきた中年後期のアメリカ国民が抱いた、アメリカ経済は資本主義自由企業体制を踏まえただけでは自立できないという明確な思いに宿っていたと信じている人は大勢います。 
 
 そして、これが――おお、なんとしたこと――私たちがこの道に踏みこんで、たかだか20年のうちに、約3万2000発の核弾頭を積みあげる結果を招いたことの、きっかけになったのです。あれは核兵器備蓄量のピークを記録した年であり、まったく理不尽なことです。現時点でも、私たちは9960発保有しています。 
 
 ところで、2007年度ペンタゴン予算もまた理にかなっていません。4393億ドルです…… 
 
―……戦費は含まずに…… 
 
 【ジョンソン】戦費は別です! こういう人たちは、私たちを説き伏せて奇想天外な軍備を構築させようとしましたが、これについて、マドレーン・オルブライト(クリントン政権の国務長官)がコリン・パウエル将軍に一矢報いた有名な皮肉はこうです――「あなたがいつもお話になっている、とびきり上等の軍隊が、私たちの使い物にならないとしたら、それを保有することの眼目はなんですの?」 
 
 さて、今、それを使いたいなら、さらに1200億ドルの請求書がまわってきます! (笑う) 
 
 でも、公式の予算ですら合点がいきません。ロッキード・マーティン社のF22[次期主力戦闘機]――史上最大の単一契約の対象機種――のような兵器だらけです。これはステルス機であり、まったくもって無用の長物です。 
 
 彼らはバージニア級原潜をもう一隻造りたがっています。こういうのは提督たちの玩具〈おもちゃ〉にすぎません。 
 
―私たちがもっと若かったころは、ペンタゴンの役立たず仕事とか、100万ドルの軍用モンキーレンチとかを書き立てる記事がいつもたくさんありました。今では、だれもそういう記事を書く手間をかけようとはしないのではありませんか? 
 
 【ジョンソン】そうなったのは、まともで正常な会計報告をペンタゴンに期待するのは無理だと完全に諦めたからです。ノーベル賞[2001年受賞]経済学者のジョセフ・スティグリッツとハーバード大学の同僚とが、ペンタゴンの実質予算を集計し、わが国が遂行している目下の戦争の経費が約2兆ドルであることを突きとめました。彼らがそれに算入したのは、これまでに兵器を購入するために支出された分の国債の利払いなどの類です。これが数十億ドルというかなりの額になります。 
 
 彼らは、なにはさておき、退役軍人給付金の支払い額について、ある程度は信頼できる数値を把握しようと努めました。これが今年度分として公的には680億ドルになっていて、第一次湾岸戦争後に申請し、給付金を受け取った退役軍人の膨大な数だけを考えても、あまりにも小額であることはほぼ確実です。 
 
 大筋で言って、ハムヴィー戦闘車の下で155ミリ砲弾3発が破裂するような爆発に巻きこまれ、思いきった救命処置によって一命を取り留めるといったような医療の奇跡について、夜のニュースで聞いたりします。すんでのところです。 
 
■ラムズフェルドさえお手上げの予算拡大 
 
 ABCニュースのアンカー、ボブ・ウッドラフ[*]みたい。彼 
の命を救った人物は、抱えあげたとき、この男は死んでいると思ったと言いました。だけど、こういう戦傷兵たちの多くは永久に国の庇護のもとで生きることになります。私たちは彼らを見捨てるつもりでしょうか? これでは、有名になった反戦小話が生まれた1930年代に逆戻りです。連邦議会議員たちが、わが国がわれわれの兵士たちのためにしてあげないことはなにもない、とよく言っていました――そして、わが国がしてあげていることは、そのとおり、なにもありません。 
[*今年1月29日、イラク軍に同行して取材中、即製爆破装置による攻撃に遭遇、ABCのカメラマン、イラク兵数名とともに重傷を負うが、一命を取り留める] 
 
 わが国の約束のいくつかを反故〈ほご〉にしなければならないのは、ほぼ確実でしょう。例えば、トライケア(Tricare)は、退役軍人とその家族を対象とした政府所管の医療制度です。予算は、2007年度分でたったの390億ドル。だが、対象者の数はうなぎのぼりに増えようとしています。とても追いつきません。 
 
 あの尊大なイデオロギー煽動家、ドナルド・ラムズフェルドでさえ、最近の予算にはお手上げのようです。なにひとつ削られていません。すべての兵器が認められました。彼は「米軍の変革」を唱導していますが、考えうるかぎりの状況に対応可能な核装備をわが国はすでにじゅうぶん保有しているのに、いったいどうしてこれ以上の金をかけるのでしょうか? 
 
 それなのに、今は国防情報センター研究員を務めている元・上席国防省予算分析官、ウィンスロー・ホイーラーによれば、エネルギー省は2006年度の核兵器予算として185億ドルを支出しています。 
 
■ベトナム以上に深刻な重傷者の問題 
 
―ペンタゴン予算とは別枠ですね。 
 
 【ジョンソン】もちろん、別です。これはエネルギー省の予算です。 
 
―言い換えれば、丸ごと隠された予算があると…… 
 
 【ジョンソン】おお、巨額にのぼります! 1兆ドルの4分の3というのが、私が採用する一切合財含めた金額です。4400億ドルが、公認の予算額です。国防総省監査官、ティナ・ジョーンズが月68億ドルとして計算した戦費分の補正予算は、少なくとも1200億ドルになります。 
 
 さらに他の項目もすべて加算するわけですが、とりわけ多額になるのが、退役兵の医療費です。それほど前のことではありませんが、ヴェトナム戦争期の犠牲者数を上回るまでに人数が増えた重傷者たちの医療手当てのことです。 
 
 ヴェトナム戦当時では、犠牲者は遺体になっていました。ここで言う人たちは、生きている人間なのです。政府にとって、彼らはとても都合の悪い存在なので、日が暮れてから空輸され、国民の目が届かないなかで、飛行機から降ろされています。 
 
 ジョン・マーサ(下院議員)は――どれほどクレイジーなミサイル防衛の仕掛けであっても、宇宙空間配備のどのような代物であっても、購入するさいに頼りになる――かつてなかったほど大物の防衛産業の友人です 
が、古参の退役海兵隊員として、しばらく病院通いをしただけで、少しばかり目を覚ましたようであり、これは私にとってはうれしい驚きです。 
 
 このメッセージを一般社会に届けてくれるかもしれないもうひとりの人は、漫画“ドゥーンズベリー”《*》の何本かに実態を描いたギャリー・トルデューです。トム、あなたの母上が漫画家であられたことは存じていますし、私たちはふたりとも、漫画シリーズ“Pogo”の作者、ウォルト・ケリーの熱烈なファンです。ポゴの最も有名なセリフが、今日の話題になんとふさわしいことでしょう。それはこうです――「今日、敵に遭遇したが、それはぼくたちだった」 
 
[原文] 
Tomdispatch Interview: Chalmers Johnson on Our Military Empire 
posted March 21, 2006 at 7:29 am 
http://www.nationinstitute.org/tomdispatch/index.mhtml?emx=x&pid=70243 
Copyright 2006 Tomdispatch 
 
[トム・ディスパッチ・インタビューTUP版バックナンバー] 
速報549号 ハワード・ジン「帝国の拡大限界」 
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/595 
速報556号 ジェームズ・キャロル「蚊とハンマー」 
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/602 
速報558号 シンディ・シーハン「ブッシュ大統領の自滅」 
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/604 
速報563号 ホアン・コール(パート1)「ブッシュの戦争」 
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/609 
速報566号 ホアン・コール(パート2)「米軍のイラク撤退」 
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/612 
速報598号 マーク・ダナー「ブッシュの戦争の虚実」 
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/647 
 
[翻訳] 井上利男 /TUP 


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