2006年07月26日13時17分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200607261317133

中東

【IPSコラム】独仏和解に学べ 相互報復の悪循環を断ち切るために ヨハン・ガルトゥング/ディートリヒ・フィッシャー

 【IPSコラムニスト・サービス=ベリタ通信】レバノンで、ガザで、イスラエル北部で爆弾がまたしても罪のない市民の頭上に落とされている。なぜなのか。今日起きていることを理解するためには、歴史を振り返って見る必要がある。理解するということは、正当化したり、許したりすることを意味するのではない。だが、将来同じことが再び起きるのを防ぐために不可欠である。 
 
 パレスチナは英国が行った入植者植民地主義の犠牲者である。パレスチナは、1917年のバルフォア宣言でユダヤ人に与えられた。 
 
 「ドイツはホロコーストに責任があるから、賠償の一部として、ユダヤ人国家をドイツの中につくるべきだ。バーデン・ヴュルテンベルク州がちょうどいい大きさだ」とドイツ人に言う者がいた。「それは不可能だ。今そこに住んでいる人たちはどこに行ったらいいのか」とそのドイツ人は抗議した。これは、いまイスラエルの領土となっているところに住んでいるパレスチナ人が感じなければならないことは示している。 
 
 もちろん、聖書に記された歴史、古代のユダヤの聖なる場所があったところ、それに間もなく60年になる国家としてのイスラエルの存在という現実からして、イスラエル人とパレスチナ人がもとのパレスチナで平和的に共存できる解決策を見出すことが必要である。 
 
 パレスチナはさらに、1967年の戦争の後のイスラエルの占領による犠牲者でもある。イスラエルは2005年9月にガザから撤退した。だが、ヨルダン川西岸と東エルサレムを占領し続けている。よって、国連憲章のもとで、不正な戦争による占領からの解放の行動として、自衛の権利はパレスチナに当然、生じる。国連安保理決議242 (1,i)は、1967年に占領した領土からイスラエル軍が撤退することを明確に要求している。 
 
 しかしながら問題は、パレスチナが国家として現在、存在しないことである。自衛の権利はあるが、それは誰に生じるのか。非国家のパレスチナ人か。彼らは多くの場所に住む。アラブ・イスラム世界か。これは、「分割して支配する」というシーザーの原則に沿って、西側植民地国家によって引かれた人工的な国境で主に分けられた、多くの、しかも強く結びついた人々を意味する。レバノンなのか。もしそうなら、レバノンにおける多くの軍事化された派閥のひとつとして、ヒズボラもそうなのか。イスラエルに領土が占領されているシリアにも適用されるのか。 
 
 これは断続的な戦争なのか。1948年5月に始まったイスラエル国家とアラブ国家の間の戦争を第1段階とし、1967年6月に始まったイスラエル対アラブ国家の間の戦いを第2段階とする一対一の戦争で、次第にアラブ全体を敵にし、現在ではイスラム全体に広がっているのか。 
 
 戦争は攻撃と防御からなる。防御はふたつの形を取る。侵略者の領土まで報復攻撃をしかける(攻撃的防御)、国境を越えずに自国領土にとどまって、侵入者を単に撃退する(防御的防衛)である。相互殺りくと戦闘員の捕獲は、驚きではない。近代戦争では、ロケットの使用と空中からの爆弾の投下は標準的となり、近代後においては、国家テロないし非国家テロによる市民の殺害が標準になった。 
 
 問題は誰が始めたのかではなく、誰に責任があるかでもなく、「自己防衛」として正当化できるかできないかでもない。当事者はあらゆる手段で自分自身を防衛する。問題は、戦争行為が「バランスがとれている」かどうかではない。強い当事者は持っているものを使う。そうすることで、弱い当事者は軍備増強の熱望を刺激され、核兵器さえも得ようとする。 
 
 問題は、戦争の特徴である相互報復の繰り返しという悪循環である。それは、ユダヤ人とアラブ人の間の未解決の紛争の基礎にあるものである。 
 
 この問題は、標的の選択と破壊のレベルの段階的縮小によっては解決できない。アルベルト・アインシュタインは国際連盟の軍縮交渉を、町の議会が連続刺殺事件の後、町の人が外出する時、持っていけるナイフの長さと鋭さについて議論することにたとえた。 
 
 休戦は差し迫った苦しみを止めるために緊急であるが、もとになっている紛争が解決しない限り、一時的なものにとどまる。イスラエルはどのように戦争をするのかではなく、どのようにしたら平和になるか考えるべきである。 
 
 ドイツとフランス、それに今日の北欧共同体のメンバー同士の戦争の長いサイクルを終わらせたのは、相互に役に立つ協力を通じた、すべてにとってよりよき未来を作るという共同事業であった。それは、失意と絶望にさいなまれている人々の創意と希望を呼び起こすものである。 
 
 ひとつの解決法は、1958年の欧州共同体をモデルにし、パレスチナが完全に承認された、中東共同体かもしれない。 
 
 1945年初め、ドイツは占領した25ヶ国と戦争状態にあり、ユダヤ人、ロマ人、スラブ人(特にロシア人)の3民族をジェノサイドにさらした。現在、ドイツはそれらすべてと理性的関係を持っている。どのようにしてそれがなされたのか。重要なのは、和解である。それは謝罪と賠償を通じ、とりわけ新しい教科書を通じて真実を語らせ、隠すことなく、再び繰り返さないというドイツの誓いとともに、ナチズムの恐怖を犠牲になった国とドイツ人の将来の世代に伝えることである。ドイツはまた、支配的な役割を避けながら、欧州共同体建設の柱になった。ドイツは米国の友人であり続けた。だが、よき友人として、その友人が道を踏み外し、イラクを攻撃した時には「ノー」と言った。 
 
 その成功談から学ぶことは、イスラエルの利益にもアラブの隣国の利益にもなるであろう。今日の危機の中、善意を持った人々は、平和的な中東はどのようなものなのかを議論するために結集すべきである。 
 
*ヨハン・ガルトゥング 
1930年ノルウェー生まれ。オスロの国際平和研究所を創設。国際NGOトランセンド(TRANSCEND)の共同設立者。紛争当事者の妥協点を調整するのではなく、対立や矛盾から飛躍して新しい創造的な解決法を探し出す「超越法」 (Transcend Method)を編み出した。トランセンド研究会(TRANSCEND-Japan)」名誉会長。 
http://www.transcend.org 
http://www.wako.ac.jp/~itot/tran/ 
 邦訳著書 「平和への新思考」(勁草書房,) 「90年代日本への提言――平和学の見地から」(中央大学出版部)「仏教――調和と平和を求めて」(東洋哲学研究所) 「市民・自治体は平和のために何ができるか――ヨハン・ガルトゥング平和を語る」(国際書院)「構造的暴力と平和」(中央大学出版部) 「平和的手段による紛争の転換――超越法」(平和文化) 「平和を創る発想術――紛争から和解へ」(岩波書店) 「グローバル化と知的様式――社会科学方法論についての七つのエッセー」東信堂) 
 
*ディートリヒ・フィッシャー 
the European University Centre for Peace Studies (www.epu.ac.at)所長、TRANSCENDの共同設立者。  
共著「国際平和の経済学 冷戦時代の教訓と国連の強化に向けて」(同文館出版) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。