2006年08月22日01時06分掲載  無料記事
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中東

レバノン、イスラエルそして「大西アジア危機」 フレッド・ハリディ

openDemocracy  【openDemocracy特約】すべての戦争は異なっている。しかし、7月12日から8月14日まで続いたイスラエルとヒズボラの間の戦争はまさに、一部の戦争はその他の戦争とずっと違っているということを証明している。この戦争は、同地域の最近の歴史でのほかの紛争と似ているところがあるが、重要な点は以前の戦争からの脱却であり、以前の戦争を超えたものであるということかもしれない。 
 
 *それは1948年以来の5回あったようなアラブ−イスラエル戦争を超えている。 
 *それは1975、76年に始まり、1990年まで続いたレバノン戦争の新たな章を超えている。 
 *それは1979年のイラン革命後、同地域の別の場所で起きた戦争を超えている(関連していたとしても)。 
 
 その特殊性という最初の定義は、それがその地域全体で優位性と生き残りをかけた戦争であるということである。その地域とは、イラン、アラブ世界、イスラエルだけでなく、インド、パキスタン、アフガニスタンを含む新興の政治的・戦略的空間である。 
 
 米国が主導した2001年のアフガニスタン、2003年のイラクでの政権変革と同様に、2006年のレバノン戦争も、大義はこの地域全体に属し、その影響は地域全体で感じられるであろう。その地域とはベイルートからテルアビブ、バグダッド、カブール、ムンバイまでを含む。 
 
 これが2006年夏の戦争が異なるという主要な意味である。なぜなら、この一見まったくの局地戦争(作戦地域の意味で)は、ハイファとヘラート、その間にあるすべての地点を結ぶ関連しあった問題の複合体のほんの一局面にすぎない。いまや、単純化し過ぎた歪曲もなく、ひとつの重層的危機を語ることが可能である。その危機は、1990年代中ごろ以来、新しい世界地域から生まれ、そこを単なる「中東」ではなく「大西アジア」と定義づけした。 
 
地殻変動 
 
 この地域のそれぞれ個別の紛争、つまりパレスチナ、イラク、アフガニスタン、イラン、そしていまレバノンでの紛争は、相互に関係しているかもしれない。だが、はっきりさせなければならないのは、「どのように」であり「どれくらい」である。中東での個別の国や準地域での出来事を、より広範な地域や世界的な文脈に置こうとするのは、政治的・知的な会話の見慣れた部分である。 
 
 このプロセスは、陰謀論や秘密議題の用語を伴いがちである。(アラブ・イスラエル紛争、イラン・イラク戦争、イエメンの革命、スーダンやアルジェリアの内戦、さまざまな暗殺、石油価格の変動は、ほんの数例である)。 
 
 それはまた、外部の機関や組織に言及することで推進されこともある。(使われるものには、冷戦基質、世界的“シオニスト”運動、英国やフランスなど昔の帝国の陰謀、近年は“グローバリゼーション”と米国の“民主主義の促進”などがある)。 
 
 今日の課題は、そのような退行的なアプローチを超え、大西アジア全体での国家の現在のダイナミックな現実、国家間関係、非国家主体、政治的・社会的勢力のレベルにおける結合を明確に表現することである。 
 
 なぜなら現代において、個々の国と出来事がより幅広い地域的構図に組み込まれていることは切迫した事実である。レバノンとイスラエル、イラクやアフガニスタン、トルコ、リビアでの出来事は、幅広い地域、世界的な文脈でのみ理解できるようになりつつある。(後者は米国の政策とロシア、インドそれに中国の移りつつある関心と支配権を含む) 
 
 しばしば引き起こされる連鎖は透明で、複雑な現実となっている。 
 
 *隣国の核やその他の計画を見て、それに応じて反応する国家の現実 
 *地域の他の国で活動する反対グループ、軍事グループにとっての現実 
 *衛星テレビ時代の世論にとっての現実 
 *地域の緊張を封じ込めたり、管理しようとして、ほとんど失敗している外の世界、特に米国と欧州の現実 
 
今日、この新しい現実は、アラブを非アラブの大義で結ぶ新しい汎イスラム意識など、いろいろなかたちで明らかである。また、それは、アラブ世界だけでなく欧州に住むイスラム教徒の間でも明らかである。それは、米国の軍事・政治的戦略の選択的言語の不履行にも反映されている。 
 
ジョージ・W・ブッシュは「大中東イニシアチブ」(史上最も哀れなプロジェクトのひとつ)を提案したが、この地域についての彼の概念は、意味深い。それはアフガニスタンを含む(彼の“テロとの戦い”の目的に関しては、当然である)。だが、地域全域でテロ、イスラム原理主義、核拡散それに汚職を拡大している責任がどの国よりも大きい国が除かれている。すなわち、パキスタンである。 
 
真新しいカンバス 
 
 イスラエルとヒズボラの間の戦争のもっと広い意義は、この新しい現実の一部分である。周辺地域の多くの人が、それをアラブとイスラエルの6回目の戦争(1948−49、1956、1967、1973、1982)と見なしたのは当然である。実際、類似点がある。 
 
 *イスラエルの都市で生じた不安感、それに外部の干渉と地元のさらなる抵抗の関係(1948−49年) 
 *レバノンでのイスラエルの大規模な介入(1982年) 
 *国連安保理の関与(1956年、1967年、1973年) 
 
 しかし、もっと深い現実は異なっている。それは、第6次アラブ・イスラエル戦争、レバノン内戦の再燃、第2次パレスチナ・インティファーダの国際化、「テロ戦争」の最新の勃発であるばかりでなく、それらすべてを超えている。 
 
 より幅の広い、より長期化した、もうひとつの紛争の一部である。それは、中心がたくさんあり、政治的・社会的運動を伴った、急速に変化している地域国家の連合が関与している。 
 
 重要な起始点は1979年である。一世代の後の今になって思い返せば、この紛争は1970年代末以来、進んでいたことは明らかである。特に、70年代の最後の年のふたつの戦略的爆発、2月のイラン革命と12月のソ連のアフガニスタンへの介入、以来である。 
 
 「大西アジア」の形成と、そのような致命的な効果を生み出すことになる連鎖の成立は、それらの動乱の時代における出来事で既に明らかであった。1978年のレバノンへのイスラエルの介入は、それに寄与したが、ヒズボラをふ化させ、1978年のイスラエル・レバノンの対立を長期にわたる紛争に変えたのはイラン革命とレバノンのシーア派への持続した国家による支援であった。 
 
 イランとそのレバノンの同盟者が、イスラエルと米国と最初に絡んだのは1980年代のレバノン戦争においてであった。それは、非常に大きな軍事的・政治的結果をたらした。一方、同地域の東では、若いイスラム共和国がイラクとの8年にわたる戦争で試練を受け、強固になっていた。米国とその保守的なアラブの同盟国は、イスラエルからのわずかの支援を受けて、アフガン・ムジャヒディンのゲリラと殺人者を後押ししていた。そこからウサマ・ビンラディンとその仲間が生まれようとしていた。 
 
 これらの起源は、さまざまな形で実を結んだ。レバノン戦争の観点からは、ふたつのことが特に関連している。第一に、アラブの側の主役は国家ではなく、武装した政治グループである。そして、ヒズボラはその結果として、以前の戦争の場合と比べ、交渉し、合意に至るのがより一層困難になることが明らかになるであろう。 
 
 第二に、シリアとイランなどの国がヒズボラの側に関与する限りにおいて、両国はこれまでの紛争でのアラブ諸国とはまったく異なるような関与を追求するであろう。なぜなら、彼らはいまや休戦とか前線の画定、和平交渉には余り関心がなく、レバノン紛争を米国とその他の問題での取引材料に使ったり、国内と地域で民族主義的で過激な正統性を強化するために使うことに関心を持っているからである。 
 
 イランの場合は、イラク内でのその役割、核濃縮計画とヒズボラに対する支持の間には直接的あるいは差し迫った因果関係はない。だが、すべては地域への影響力を強め、米国とその主要な同盟国(エジプト、サウジアラビアそれにイスラエル)と対決するための、イランの幅広い動きの一部を成している。 
 
 この大西アジア危機は、中東を特徴づけたどの個々の危機、革命あるいは戦争よりもずっと複雑で、重層的で長期間続くものである。現在の西アジア戦争は三角形の紛争を絡んでいる。 
 
 *イランと過激な同盟者(シリア、イラクのシーア派、ヒズボラ、ハマス) 
 *過激なスンニ派の武装勢力(イラクにおけるのとアルカイダのネットワークにおけるもの) 
 *米国とその地域の同盟国 
 
 レバノンにおいては、イラン・米国の紛争が支配的であり、アフガニスタンやサウジアラビアでは、スンニ派・米国の次元であり、イラクにおいては、紛争はその三角形のすべての点を抱え込んでいる。米国はシーア派とスンニ派の両方と戦っており、ふたつのグループのメンバーはお互いに殺し合い、威嚇している。 
 
 現在のイスラエル・ヒズボラの紛争は、以前のアラブ・イスラエル戦争のような二者間の関係から見るのではなく、この多次元の文脈で見なくてはならない。長い歴史の見方からすると、1914年に始まった欧州戦争に似ていると言っていい。それは突然、ほとんど偶然に爆発したとしても、ずっと前から計画されていた地域紛争であった。 
 
 一旦始まると、その地域の主要国を引きずり込み、すべての人たちにとって悲惨な結果をもたらし、多くの人たちに破滅的結果をもたらした。それは粛然とさせる比較であるが、大西アジアでの現在の出来事の構図からすれば、極端なものではない。現時点において、進歩の可能性はあるかもしれない。しかし現在のところ、容易に見て取れるものは危機である。 
 
*フレッド・ハリディ 英国を代表する中東政治研究家。オックスフォード大学、ロンドン大学オリエント・アフリカ学大学院で学ぶ。現在、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの国際関係論教授。邦訳書 「現代アラビア――石油王国とその周辺」(法政大学出版局)「イラン――独裁と経済発展」(同)「危機の三日月地帯――ソ連脅威論の検証」(新評論)「カブールからマナグアまで――第三世界をめぐる米ソの角逐」(同)「現代国際政治の展開――第二次冷戦の史的背景」(ミネルヴァ書房)「国際関係論再考――新たなパラダイム構築をめざして」(同) 
 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 
 
原文 
http://www.opendemocracy.net/globalization/westasia_crisis_3833.jsp 
 
(翻訳 鳥居英晴) 


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