2006年10月01日09時45分掲載  無料記事
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検証・メディア

「言論封殺」は許せない 加藤紘一議員邸放火と右翼の暗躍 池田龍夫(ジャーナリスト)

 小泉首相は8月15日朝、A級戦犯を合祀する靖国神社参拝を強行した。首相在任5年余、9月退陣直前に“念願”を果たしたわけだが、“独りよがりの暴挙”に批判の声が高まっている。忌まわしい過去(侵略戦争)に対する反省を曖昧にしたまま、「心の問題」にすり替えて参拝する倣岸不遜な政治姿勢を許せるだろうか。 
 この点を忠告し続けていたのは加藤紘一・自民党衆院議員だ。小泉首相参拝強行を聞いた直後の15日、国会内で記者団に「日本のアジア外交を壊した。国内、近隣諸国の受け止め方はきつく、ポスト小泉に荷物を残す。日中、日韓関係をどう打開するのか、諸国は厳しい目で見るだろう」との警告を発したのである。何と数時間後の15日夕、加藤議員の山形県鶴岡市の実家が、放火全焼する惨事が発生。右翼団体構成員の政治テロだったことが明らかになり、“不吉な時代状況”に戦慄が走った。 
 
▽新聞は、「テロ」と闘う姿勢を示せ 
 
 言論封殺テロの恐怖。……政・財界要人を問答無用で殺傷、言論活動を封じて軍部が独走した「戦前昭和の悪夢」が蘇る。 
 8月15日夕、加藤議員の実家に放火した男は右翼団体「大日本同胞会」(東京都新宿区)幹部の堀米正広容疑者(65歳)で、割腹自殺を図ったところを鶴岡署員に取り押さえられた。右翼団体構成員の身元はすぐ判明、18日には東京の所属事務所の家宅捜索を行った。堀米容疑者は病院で傷の手当のあと、29日に逮捕状が執行されたが、新聞各紙一連の報道に、「テロを許すな」との問題意識が不足していたように思う。加藤議員の実母(97歳)が散歩中で難を免れたから、それで“ヤレヤレ”といった感度だったら一大事だ。 
 全国紙の中で第一報(8・16朝刊)を一面に掲載したのは、朝日(4段)産経(3段)両紙だけで、他は社会面回し。地元の山形新聞は一面・社会面トップで展開していたが、相対的にテロ行為への取り組み方が甘かったと言わざるを得ない。 
 
 鶴岡署が放火現場で身柄を確保したのに、29日の逮捕まで新聞各紙は、「右翼団体幹部」の表記で匿名報道を続けた。この点につき、服部孝章・立大教授は「警察から流される情報以上の報道を積極的に行わず、今日(逮捕)まで匿名のままとしたのは問題だ。当初から容疑者扱いでなくても、けが人が誰かという報道はできたはず」と述べていた(東京8・30朝刊)が、尤もな指摘である。 
 また、1990年「昭和天皇の戦争責任」に言及した本島等・長崎市長が右翼団体幹部に銃撃されて重傷を負うテロ事件があったが、被害者の本島元市長は「今回の事件後に世論が盛り上がらないことを心配している。私が襲撃された時には、発言を支持する38万人もの署名が集められた。今回の小泉首相の靖国参拝では、国民全体が何となく『小泉首相が言うのだから参拝してもいいのではないか』という雰囲気になってしまっている。参拝に対して批判的な発言をした加藤さんの家が燃やされるという事件が起きたという意味をもっと国民は深く考えてほしい」と、朝日紙上(8・30朝刊)で指摘、権力批判をためらう時代風潮に警告を発していた。 
 
 最も感度が鈍かったのは小泉内閣だ。「小泉首相は何を思う。かつての盟友、加藤紘一元幹事長の自宅と集会所が焼かれた『テロ』に対し、発生から13日たってやっと『言論は暴力で封殺してはならない』と述べた。みずからの靖国参拝と関連づけて考えたくない様子が。ありあり」と、朝日夕刊コラム「素粒子」(8・29)が首相を厳しく弾劾していた。さらに驚かされたのは、ウズベキスタン・タシケント市で記者会見(8・29)した小泉首相が、同行記者の「官邸の反応が鈍いとの指摘があるが…」と追及され、「聞かれなかったから答えなかった」という(毎日8・30朝刊)小泉流“逃げ口上”だった。 
 
 5年前の「9・11テロ」時の対米協力ぶりに比べ、冷淡すぎる対応ではなかったか。大規模国際テロであろうと、国内テロであろうと、「テロ」への即応処置を怠ったら、“恐怖の連鎖”につながるからだ。今回、はしなくも日本政府に危機管理意識が欠如していることを露呈してしまった。放火事件直後に、河野洋平・衆院議長が加藤議員に見舞い電話したのをはじめ山崎拓氏、谷垣禎一財務相、野党党首らがテロ批判談話を出しているのに、安倍晋三官房長官ら官邸サイドが全く無反応だったことに驚愕した。真っ先に政府声明を出し「テロ撲滅」を国民に訴える責務を放棄した罪は大きい。 
 
▽「富田メモ」報道の日経新聞に嫌がらせ 
 
 これより先、日経7月20日朝刊に「昭和天皇は靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示していた」との特ダネ(富田メモ)が掲載された翌21日未明、日経本社通用口に火炎瓶を投げつける事件が発生した。大事に至らなかったものの(犯人は逃走)、明らかに言論機関に対する脅迫行為。しかし、日経21日夕刊の社会面ベタ扱いが気になる。右翼の動向に脅えて“配慮”したと勘ぐりたくはないが…。「富田メモ」の衝撃度からみて、朝日(社会面4段)東京(同2段)両紙の判断が妥当だろう。たとえ被害が僅かでも、言論機関の姿勢を紙面ではっきり訴えて欲しかった。 
 
 ともかく、言論封殺を狙った事件が多発する社会風潮を早期に食い止めないと、危険きわまりない。「自由な言論」への脅迫とみられる事件は2005年以降だけでも、由々しきケースが続発している。05年1月、富士ゼロックス会長(『新日中友好21世紀委員会』座長)の小林陽太郎氏邸玄関脇に火炎瓶1本が置かれ、後日銃弾1発が郵送された。「首相の靖国参拝につき、個人的には止めてもらいたい」などと直言したことへの脅迫とみられる。同年7月にはフリーライターの山岡俊介氏の自宅マンションが放火された。月刊誌でОDAの不正を暴いた記事への嫌がらせとみられる事件だ。 
 今年1月には、フリーライターの溝口敦氏の長男が暴力団関係者に刺される事件が発生。月刊誌などに“暴力団の無法ぶり”を告発し続けているライターで、一部勢力からマークされていた。2月には再び小林氏邸近くの警備員詰め所の敷地から拳銃の薬きょう数個が見つかった。次いで5月、糸川正晃衆院議員(国民新党)の事務所と毎日新聞東京本社に、銃弾と脅迫状が郵送された。都内一等地の再開発に関する国会質問と新聞報道への脅迫とみられるイヤな事件だ。このあと7月の日経本社火炎瓶事件、8月の加藤議員邸放火事件が続き、社会不安を増幅させている。 
 
 堀米容疑者は「加藤議員の靖国に関する発言に反発を感じていた」と自供しており、所属する「大日本同胞会」の存在が気がかりだ。「公安関係者によると、男が在籍していると見られるのは、1982年4月に政治団体として届け出た右翼団体。東京・歌舞伎町に本部がある組織で、構成員は数百人。男は94年ごろ事務局長を務めたとされる。 
 右翼に詳しい民族運動家の説明では、同団体は1930年東京駅で浜口雄幸首相を狙撃し、重傷を負わせた佐郷屋留雄の流れをくむ。『理論より実行』を合言葉とし、行動を重視する」と、山形新聞(8・18朝刊)が詳しく記していたが、「浜口首相を狙撃した犯人・佐郷屋」の記述に慄然とした。昭和五年のこの事件以降、五・一五事件(昭和7年)二・二六事件(同11年)など、テロが吹き荒れる暗黒時代に突入して行ったのである。政府の言論統制と行動右翼の跳梁跋扈によって、議会も言論機関も完全に沈黙させられた“悪夢”が呼び覚まされたショックは大きい。1978年、尖閣諸島・魚釣島への上陸を強行した“前科”がある右翼団体とも各紙が報じていた。 
 
 「憂うべきは、言論への批判を恐れる人々が、萎縮して沈黙する現状ではないだろうか。苛烈で容赦ないバッシングが目立つ折、過敏なまでに警戒心を強めているのだろう。孤立するのを避けようと少数派と自覚した人が発言を控えるため、結果的に多数派がことさら幅を利かせる『沈黙のらせん』と呼ばれる現象が進んでいるのかもしれない。いつの間にか、言論の自由が狭められており、戦前に逆戻りしかねないようにさえ映る」(毎日8・18社説)。 
 偏狭なナショナリズムを煽るような時代状況は危険きわまりない。「言論無くして国ついに亡ぶ」との至言を、今こそ胸に畳んで、無法暴力集団に立ち向かわなければならない。新聞界全体が結束して「自由な言論と議会制民主主義擁護」の大キャンペーンを張るよう提言したい。 
 
(本稿は、「新聞通信調査会報」10月号に掲載された「プレスウォッチング」の転載です) 


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