2006年12月09日22時27分掲載  無料記事
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日中・広報文化交流最前線

知を愛する人たちの日中対話(2) 井出敬二(在中国日本大使館広報文化センター長)

  11月26日及び27日、浙江省杭州市内の浙江樹人大学にて、日中の哲学者達が集まって、「日中哲学フォーラム」が開催された。前回に続き、このフォーラムでの興味深い議論を紹介したい。 
 
●中国伝統哲学の今日的意味 
 
 1990年半ばから中国では儒学の復権が見られ、最近では中国人民大学という名門大学で「国学」と呼ばれる学問(中国伝統哲学等を学ぶ)の学部が設けられたりして、中国伝統哲学のいわば「復権」が見られる。筆者が本年6月に山東省済南市及び曲阜を訪問した時、孔子の故郷であるこの地方で、儒教の復興の意義を行政府当局の人たちからも聞かされた。国際儒学論壇という国際シンポジウムも、内外の専門家を集めて北京で2004年から開催されている。 
 このような最近の傾向が持つ意味について、筆者はかねがね様々な専門家から意見を聞きたいと思っていた。 
 
 会議において、ある中国人哲学者は、ハイデッガーが中国の天道の思想に向かったことに言及しながら、「西方の科学理論では解決できない、より深刻で複雑な問題が生じた時に、中国の道思はその魅力を表す」と述べ、道教などの中国伝統哲学の役割を指摘した。 
 これに対し、別の中国人哲学者、そして日本人哲学者は、「「道」が重要というのであれば、では何故その「道」は失われてしまったのか、そして如何に「道」を再発見するのかということを考察しなければならない」、「「道」、「無為」の考えでは、これまでの中国を救うことが出来なかった。」「魯迅が孔子を批判したことにも理由がある」と指摘した。 
 
 つまり、安易に中国の伝統哲学帰りすれば良いというものではないという問題意識もあるようである。今後、中国が経済発展とともに益々自信を深めていく中で、中国自身の精神文化に戻りたい、特に東アジアの思想的リーダーとも言える孔子を掲げて伝統文化に誇りを持ちたいということなのか、それとも西洋や日本などの哲学的業績を取り込んだ上で発展をしていくのか、目が離せないところである。 
 
●マスクス主義の今日的意義 
 
 ある日本側参加者は、今日の中国におけるマスクス主義の意義を質した。つまり、ソ連邦の崩壊後、既にマルクス主義は今日的有効性を失ったとの見方が日本の一般市民の間ではあるが、現代の中国で如何にマルクス主義が生かされようとしているのか?という質問である。 
 これに対し、中国の哲学者達は、過去ソ連経由でマルクス主義、スターリン主義を学んでいたが、今はドイツ語原典テキスト、そして日本等諸外国の研究を参照している。「調和の取れた社会」という現在の中国の政策も、マスクス主義を踏まえていると答えていた。 
 
 マルクス主義哲学は常に鋭い批判を内包している。批判にどう答えていくのかという点は、どの時代のどの社会にとっても大きな課題であろう。 
 因みに、ある中国の大学の先生に聞いたところでは、最近の若者は実利に役立つ授業には熱心だが、大学でのマルクス主義の授業には身が入っていない者が多いとのことである。 
 
 大学の哲学教育において「疑うこと」を教える意義について、意見のやりとりがあった。筆者からは、大学時代の哲学の授業で、「物事は疑ってみる」ことを教わった記憶があることを紹介した。「疑った」後、「ではどうするか」かも考えないといけないが、教育において、「正しいことはこれだから、そのように理解しなさい」ということだけを教える教育もあれば、「疑ってみる」ことを提起する教育もある。筆者は、青年が健全な批判的精神を養うことの意義を認める立場である。 
 
 筆者が出席できなかったセッションでは、大学における哲学教育についても日中で意見交換されることになっていた。日本側出席者が用意したレジュメを拝見すると、最近の日本の大学で教養教育が弱くなっていることへの懸念が表明されていた。中国の大学における教養教育のあり方がどうなっているのかも含め、哲学教育をめぐる意見交換も大変興味深いものである。 
 
●哲学研究をつうじた日中の相互理解 
 
 Philosophia(「哲学」)とは、「知を愛する」ことである。その点で共通した人たちの集まりは楽しいものである。 
 筆者にとり嬉しい発見は、日本で哲学を学んだり、日本の哲学者達との交流を行ってきた中国人哲学研究者達が、現在中国で活躍し、哲学分野での日中交流を推進する力になっていることである。改革開放以降日本に留学した中国人学生達は、理工系が多いが、哲学という分野でも留学生が日中の相互理解に貢献してくれている。 
 ある若手の中国人哲学研究者は、筆者に対して、「近代日本人の哲学的著作を系統的・全面的に翻訳し紹介する全集を中国語で出版したいので、日本の関係者から協力を得たい」と熱っぽく語ってくれた。 
 
 「知を愛する」人たちの様々な交流は、日中の相互理解を増進し、若い世代の進む道を指し示す上で非常に大きな貢献をしてくれるものと期待している。今回の日中哲学フォーラム開催に尽力された日中双方の関係者に改めて厚く御礼申し上げたく、更に交流を発展させて頂くようお願いしたい。 
 (本稿は筆者なりのまとめなので、日中哲学者達が本来意味したこととずれる点もあるかもしれず、その点は、御容赦頂きたい。筆者からは日中の参加者に、今回のフォーラムの議論の結果を、一般向けの書籍にして出版してはどうかとお願いしたので、後日そのような書籍が出版された曉には、そちらを御参照願いたい。)(つづく) 
 
 (本稿中の意見は、筆者の個人的意見であり、筆者の所属する組織の意見を代表するものではない。) 


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