2007年03月02日06時00分掲載  無料記事
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北朝鮮はどこへ

〈18〉【韓国識者座談会】市場経済はなお「かごの中の改革」か 中国への依存に憂慮の指摘も

 北朝鮮は変化しているのか? 
 だとしたら、最終的に何を目指しているのだろうか? 
 7・1経済改善措置(北朝鮮が2002年7月1日付で発布した「経済管理改善措置」、通称「7・1措置」)が発令されたからの北朝鮮の一連の経済改革をめぐって、韓国ではさまざまな視点で分析されている。ある人は北朝鮮が改革解放を通じて資本主義の道に進むだろうと推測し、またある人は現在の動きにそのような目的はないと断定している。プレシアンと「北韓(北朝鮮)研究学会」の共同企画「北朝鮮はどこへ」の経済編を終えるにあたり、専門家の座談会を開いた。2006年5月26日にプレシアン本社で行われた座談会には、クォン・ヨンギョン統一教育院教授、チョン・グァンミン国際問題調査研究所専任研究員、ユ・ヨング社団法人ヒュンダイ社研究所理事長が参加した。司会はパク・インギュ=プレシアン代表。(プレシアン特約) 
 
 司会パク・インギ 本当に北朝鮮経済は変化しているのか、変化しているのならどの部分を指すべきかについて話し合いたいと思います。この5年の間、北朝鮮内で起きた変化は大きく分けて3つ。まず、流通部門での変化、党・政府・軍など経済を管理する主体そのものの変化。そして住民生活の変化。また、最近、活性化している中朝と南北の経済交流の比較も必要でしょう。 
 われわれが北朝鮮経済について関心を持ったのには、もう一つ理由があります。北朝鮮の住民たちがこれ以上飢えに苦しんでほしくないという点です。あとは、勝手な発想かもしれませんが、北朝鮮が自立できれば韓国の負担も減らせるという考えもあります。 
 
▼積極的変化か現実的変化の追認なのか? 
 
 クォン・ヨンギョン統一教育院教授 7・1措置の内容は計画経済の市場化・貨幣化・分権化する北朝鮮式の経済改革措置でした。経済学的に、経済を運用するのは計画機構と市場機構と大きくわけて2つあります。北朝鮮はその間、ほぼ100%近く計画機構によって経済が運用されてきた。 
 しかし、7・1措置によって市場調節機構を導入し、北朝鮮経済にあらゆる変化をもたらすことができた。個人経済の活動空間が増え、地方と小さな経済単位を中心に市場志向した経済活動が行なわれているということです。これを基に住民の生活を見ても、家計が国家に依存せずに自律的に運営する現象を表しています。 
 
 チョン・グァンミン国際問題調査研究所専任研究員 7・1措置以降を語るためには、まず措置が取られた背景をみるべきです。90年代の経済危機を北朝鮮は「苦難の行軍時期」と位置づけていました。しかし、実際には「飢饉の時期」でした。この間、20―30万、最大300万人が飢餓したといわれています。この時期には食糧配給も麻痺し、一般市民たちが自らの生活必需品を確保せざるを得なかった。しかし北朝鮮のマーケットというのは大きく制限されており、住民たちの生活は補償されなかった。そして非公式的な市場が急増した。つまりコメなどあらゆる物価をこれまでの数百倍に引揚げた7・1措置はすでに起こったいた変化を遅れて追認しただけだったのです。苦難の行軍後に急増した非合法的な経済活動という現実的変化をある程度追認した上でこれを制度化したものなんです。 
 結局、7・1措置は北朝鮮がいわゆる「計画」という名の下に、集権的管理システムの問題を受容して作られたものですが、非公式的なあらゆる変化はすべて制度化することはできませんでした。特に、個人の所有権と営業活動などと関連するものは全面的な改革がなしえなかった。 
 
 ユ・ヨング社団法人ヒュンダイ社研究所理事長 チョン博士の話は農民市場のような自然発生的なマーケットと中国の東北3省から生活必需品が押し寄せてくるなど北朝鮮当局が統制しにくい状況が発生し、7・1措置を通して市場価格の現実化をしようとしたとする視点です。しかし、それはすこし違うように思えます。追認であることは確かだが、もう一方では広範囲な変化の始まりともいえるのではないでしょうか。特に分権化はとても重要な変化だ。朝鮮労働党から内閣に多くの経済決定権を移譲し、内閣責任制を強調しています。また中央政府で握っていた部分は地方単位で移譲する動きも多くある。工場と企業所の独立採算制を強化することだけを見てもそう。 
 独立採算制拡大措置は、すでに1984年から実施されていました。しかし、この措置は企業の自立性を伸ばすという面でとても重要です。企業が、該当年度に政府が割り当てた生産量を除外した残りの部分を単体で処理できる企業留保金認定および成果給制度が生まれた。これは2002年に突然つくられたものではなく、その間の変化を一つに集めただけであって、多少(この事実だけでは説明が)不足な面もああります。 
 
 クォン 1990年代以降、脱冷戦の時代が到来し、北朝鮮が過去と同じ体制を維持するのは難しくなった。「我々式(独自)の社会主義」と「自力更生」で維持してきた北朝鮮経済は、ソ連と同じ中央集権的命令システムによって維持されてきました。そして北朝鮮経済は自力更生経済だとはいうが、事実上ソ連との社会主義友好性貿易つまり支援によって維持されてきた。旧ソ連との経済関係が北朝鮮の総再生産構造でどのくらいの役割を果たしたのか研究したところ、約30%ほどで多くの比率を占めています。北朝鮮の主要機関産業中100個ほどがソ連との経済協力システムのなかで維持されてきたものです。 
 この産業たちの維持のためにソ連が提供した恵沢は計り知れません。単なる原油提供だけではなく技術協力と産業設備の代替、原資材提供などの役割をソ連は果たした。そのソ連が崩壊してしまい、北朝鮮も「これからはほかの方法を模索しなければ」といったことを悟った。そのスタートとして羅津・先鋒自由貿易地帯が開設され、北朝鮮は資本主義市場経済国家らと新しい関係を結ばなければ生き残れないということを認識したんです。しかし、当時の悩みは体制全般に対する変化への模索ではなかった。 
 
 1990年代中盤の食糧難など苦難の行軍期に、北朝鮮当局も自然に戦略の変更を考えざるを得なくなった。また、一方ではチョン博士が言うように、この時期に自生的な市場経済が登場しました。これが大きく拡散したために後追い的に改革を推進した面もありますが、それよりは「社会主義強盛強国」という目標を達成するために主導的な変化戦略を模索した面が多い。 
 
▼原資材・消費財・輸入物資は市場化 
 
 司会 チョン博士は温州商人についての文章をいくつか書いていますが、マーケット形成が実際の経済にどのような影響を与えたのかをお話し願いますか。 
 
 チョン 北朝鮮では伝統的に農産物の取引きにのみ極限されたマーケットを許容しており、工業品の取引きは数回にわたって封鎖しようとしてきた。7・1措置以降にも米などの売買を禁止しようとしたけど、反発に直面し、取引きを許容せざるを得なくなったんです。そのような過程をみれば7・1措置を始めて時にも市場に対する立場が明確ではありませんでした。 
 このような状況が急激に変化したのが2003年内閣指示24号および27号の文献の文献が発表されてからです。ここで問題は市場活動の主体はだれで、どのように拡大したのか。流通と生産がどのように結合されたのか。当局が市場を容認しながらも国家財政の正常化、つまり国家納入金の徴収などでどのような変化が発生したのかという点。 
 
 協同団体や国営企業所は7・1措置以前にも市場活動と関係を結んできた。このような過程で事実上個人の経営権が貫かれる変化が生まれ、それはまさに非公式的な所有権の分化過程が広範囲に進行した。しかし、法と制度の側面ではそれがどんなに具体化されたのかをみると、いまだ明示的に個人の生産手段所有と経営活動を補償する段階には至っていません。 
 
 06年の11期最高人民代表者会議では国家予算収入上、いくつかの重要な変化がありました。不動産使用料収入が新しく設定され、社会保険料収入を2倍以上に増やすという話もあった。その間国営企業体が正常に運営されない状況のなか国家財政税入体系の機能が弱まっていたのが、新しい財源の確保、つまり市場活動に対する課税が相当な比重を占めいている状況に移行しているのではないでしょうか。 
 ここにはとても重要な意味があります。北朝鮮では公式的には租税、つまり税金と関連した政治は存在しておらず、これを持って「我々式の社会主義の優越性」と言ってきた。国家が市場を容認しつつ補助金を撤廃し社会保険、医療、住居などすべての部分で個人たちの負担が増えた。問題は租税の決定と負担に対するシステムが明確ではないため、深刻な政治的負担が発生する可能性が濃いということです。 
 
 クォン 単純に総合市場(いちば)の登場をもって市場化として理解してはいけないと思います。その間北朝鮮経済は中央執権的な命令経済体制でした。中央計画当局が各工場の生産能力と与件を把握し、必要な原資材と資本、労働力を調達し生産品もすべて国家が購買する方法でした。しかしこのような方法は7・1措置以降、主要産業を維持し、地方工場は市場に任せる方法に変化した。地方工場や特段重要ではない4,5級の企業所では国家がかつてのように手伝わないということです。企業は必要な原資材を市場を調達し生産しろというシステムに変わったわけです。 
 
 企業は国家の命令指標によって生産活動をしろというのではなく、自ら経営計画を立て、市場の登校も把握し原資材も調達し、しまいには企業運営に必要な資本も調達しなくてはならない。これがまさに生産要素部門での市場化です。金正日委員長が2001年10月3日談話文を通して、社会主義物資交流市場、つまり企業間で源資材交流市場をつくれと言及したところから出てきた。金委員長のこの言及によって生産部門においての市場的調節機能が導入されました。その翌年、7・1措置が取られたが、その成功のためには生産物販売市場が必ず許容される必要がありました。 
 7・1措置の革新的な点はは独立採算制です。企業は経営目標として収益を出し利潤の一部は国家に納付しなくてはならないのに、そのためには企業が自立的に生産物を販売できる生産物販売市場が許可されなくてはならない。これによって総合市場という消費市場を導入されだんです。 
 次に北朝鮮が導入した市場は輸入物資交流市場です。工場や企業の生産を正常化するにも北朝鮮の市場には原資材が足りない。不足している原資材は結局海外から輸入しなくてはならないのに、これによって中国と合弁形態で昨年6月から全国5つの都市に輸入物資交流市場といったものを作っています。 
 北朝鮮には現在、社会主義物資交流市場という生産要素市場、総合市場という消費財市場、海外原資財を購買できる輸入物資交流市場など3大市場が存在しています。 
 ここから北朝鮮の市場化が生産要素、最終消費財、輸入原資財など3面で展開されていることがわかります。資本主義的視点からみると、最終的に必要な市場は労働・金融市場なのだが、北朝鮮経済改革の性質からみるとまだ許容されていません。 
 
 ユ 原資財調達については、これまでは国家計画委員会と国家物資供給委員会が計画を樹立し、原資財供給体系を一貫して作ってきた。しかしそれでは回らなくなると、工場や企業所で物資調達員というポストを作った。全国を自由にとびまわる物資調達員たちの活動は北朝鮮経済の活力を与える唯一の要素だったのに、クォン博士の言葉通り、原資財市場を導入し、国家物資供給委員会を放棄、計画当局は国家1級企業所のようなところに対してのみ介入することにした。残りはそれぞれにまかせたというのは実に重大な変化です。生活品や原資財、中間財を総合市場や輸入物資市場で買わなくてはいけない変化が始まった。 
 
 かつて北朝鮮には注文供給制で工業製品を販売する国営商店、80年代中盤全国的にひろまった直売店、農民市場のような自然発生的市場といった3つの市場がありました。 
 しかし、現在は新に総合市場に統合され、販売主体である商人が登場し、市場税を徴収する経済主体が現れた。10日市形態の地方農民市場も常設化され、市場税を払う。結局、全国的にどの市場においても市場税を払う形態にすべて変わってしまった。 
 
 クォン 市場が拡散され一般化されたんです。以前にはお金があっても求める財貨をどこかで買うことができなかったけど、今はお金があれば買える状況に変化したと聞いているが、これはすさまじい変化です。 
 
 ユ 少なくとも2000年まで北朝鮮の経済は「不足の経済」でした。物資を一つ持っていれば価格を思い通りにつけることができるほど物資中心の経済。しかし、最近では、中国から生活必需品が大量に流れている。地方産業工場で作る生活必需品が実際に種類が増え質も過去より少しずつ上昇してます。 
 
▼購買力向上は明らか 
 
 チョン 購買力が急激に向上したということが一般的な状況なのか、特殊な部分でのみ向上したのかを評価するのが重要ですが、北朝鮮住民全体に一般化された状況ではないと思えます。いまだに労働平均賃金は2000−3000ウォンで、コメ1キログラムが1300ウォンする状況では公式的な職業以外にほかの職業を持たざるを得ない状況です。高い購買力を全員が享有しているとは言いがたい。また、商品の質を向上させたというけれど、北朝鮮自体の産業集積を基本に北朝鮮の生産施設と技術によるものではありません。中国からの商品の流入がさらに重要な役割をしたと思えます。 
 
 ユ 購買力向上や市場活性化は明らかですが、実際の貧富格差、両極化が深刻化していることは指摘すべきです。実際、消費層は少数でしょう。その少数は結局、経済活動に参加する人(商人)になるだろうし、また、国家や党、官僚など一定に恵沢を受けている階層がもらった生活必需品を転売し、購買力をつけてきたという面もある。それは90年代の自然発生的な市場での一般的な様相でした。 
 
 クォン しかし単純に一部だと決めるのは難しい。在米同胞で北朝鮮全域を旅行した人の言葉によると、ヘジュ総合市場、平壌統一通り総合市場以外のほかの通りにも相当な量の家電製品が展示され、よく売れていたそうです。特に国境地帯の住民たちのあいだではビデオ、DVDの購入が流行で20戸中1戸にはあったそうです。 
 もちろん、人口の半数はいまだに一日一食もままならないが、残りの5割のうち2−3割は購買力のある階層です。外部には北朝鮮でどうやって金儲けが可能なのかと疑問を感じていますが、北朝鮮に出入りしている中国商人たちは商売がうまくいっていると証言しています。北朝鮮経済では闇市場が90年代初めから急成長し、その領域で成長した階層の購買力は相当に大きく、消費市場の拡大につながっているんです。 
 
 ユ 地方の間の格差も考慮すべきでしょう。都市地域と国境地域が相対的に活性化され、国境でなくても北部の大都市も活性化されている。しかし内陸や両江道、慈江道の一部地域、江原道北部のほうは遅れているといわれています。 
 
 クォン 階層的に言うと、苦難の行軍でもっとも打撃を受けた階層が都市勤労者でした。食糧生産の主要階層で、代替食料の調達に有利な農民階層に比べ、年勤労者たちが飢餓による打撃が大きかった。 
 しかし7・1措置以降、逆転しました。むしろ都市勤労者に有利な状況に変わったんです。消費市場が都市中心に活性化され、市場を根拠地にし、2,3つの職業活動を自由にできるようになり、富を蓄積できる状況になりました。7・1措置の打撃を受けたほかの階層としては国家体制と関連した党・政官僚、事務員たちではないのかと思います。主に生活費、つまり月給をもらい生活しなくてはいけない階層なのに、交換経済との接近度が低く、最近もっとも大きな打撃を受けています。 
 
 チョン 飢饉の際にもっとも被害を受けた層は確かに地方工業都市の労働者たちでした。しかし、7・1措置以降、地方都市の勤労者がもっとも恩恵を受けたというのは納得しがたい。炭鉱のような戦略部門の労働者たちが7・1措置によって相当な賃金引上げの適用を受けましたが、そういった部分を除外すると一般の勤労者たちが一番の受恵者だというのは同意できません。 
 
▼改正刑法になお「非合法商業活動」 
 
 ユ 個人所有に対する法制化はまだなされていません。1990年代の民法改正では生産手段の個人的所有部分を否定しており、いくつかの部分では低い水準の個人的所有を認める流れもみられます。しかし北朝鮮の現在の経済構造をみると生産手段の私有化は不可能で賃貸形式に発展する可能性が高い。財政当局の立場でみると、これによって不動産賃貸料収入や保険料などが増える形になると思われます。 
 
 チョン すでに潜在的にあらゆる法制度の変化が生まれています。北朝鮮ですでにあらわれているさまざまな現象がどのように法制度化されたのかについて、かなり慎重に見る必要があります。同時に北朝鮮が最近、改正した刑法も検討すべきです。改正された刑法には依然として「非合法的商業活動」という表現が残っています。「非合法的」と言うが、その規定はとてもあいまい。財政当局は非公式的な市場活動に対しても相当な額の納税を要求しています。北朝鮮の財政構造をみると、市場での租税収入が重要な比重を占め始めています。しかし憲法では依然として「税金のない国」と規定しています。社会的にも租税に対する認識がほとんど形成されておらず、徴税を強化すれば新しいジレンマが生まれるしかない。 個人的経営やサービス活動に対して、多少あいまいではあるけれど、法的にはある程度容認しておきながら、非合法的な商業に対する規定が刑法によって多様に定められてるわけです。 
 刑法によって規制するというのは北朝鮮社会で社会主義的経済関係から抜け出す行為が広範囲に行なわれていることを反映しているのだと思います。 
 
 クォン 市場経済機能を導入し、一部個人の経済活動を許容するとなると、その部分を無税にはできないということになります。結局、韓国における付加価値税と似たような租税制度の導入が必要であり、財政改革と金融改革が必ず必要になる。しかし北朝鮮ではもっとも遅れている部分が財政改革と金融改革部門です。 
 北朝鮮は7・1措置以降、事実上「税金」という表現は使っていませんが、個人経済活動に対しての徴税の性格を持つ「国家納付金」というものを「サービス部門経済単位」に新しく加えています。国営企業所に対しては「国家企業利得金」というものを加え、共同農場と個人農場には「土地使用料」を加えています。そのほかの国家機関に対する使用料金もとっています。この点から、北朝鮮が現在、過渡的な段階にあることが分かります。個人的には北朝鮮が決して、私的所有を許容するようには思えません。かといって変化がないと評価してもいけない。かつてなかった賃貸料のようなものがうまれたということは利用権と使用権を認めるということです。中国もこのようなことが長らく定着しており、私有権化され取り引きされています。北朝鮮もそのようになる可能性が高い。 
 しかし北朝鮮ではこの部分に対して極端に危機感を感じており、自ら財政危機に陥るジレンマから抜け出せていない。個人の経済活動は徐々に拡大しているが、事実上いまだに私有権問題と関連し、明確な立場を表明していないため、それと関連する税源を開発できていないんです。 
 
 ユ 結局、賃貸料の形の税金制度が定着し、各種取引行為に対する取引税の形にまでなれば、国家財政の足しになるということではないかと思います。 
 
 クォン 国家の財政のためには数十の税源が作られなくてはいけないんですが、北朝鮮は中央集権的計画経済下での租税形態を市場調節機能の導入によって新しく変え、いまだに新しい租税を発掘できていない。租税の種類が5つか6つしかないのが現実です。 
 中国でも1980年代中盤にすでに租税改革を通じて多様な税源を作った。しかし北朝鮮はこのような改革を推進できずにいます。 
 北朝鮮は7・1措置を中国を参考に推進しているようですが、税制改革がまだ進んでいないのは、おそらく改革を担当する経済官僚が不足しているからでしょう。中国ほど体系的な構図のなかで経済改革を推進していないために、そうなったのではないかと考えられます。 
 
▼「市場」が占める割合は20−30% 
 
 司会 北朝鮮経済全体が市場の原理によって動き始めると見ていいのでしょうか? 
 
 ユ 生活必需品の流通空間でも市場は住民の経済生活においてとても重要です。しかし、北朝鮮経済全体での市場要素比重は30%以下にすぎません。 
 北朝鮮では軍需産業体系、つまり第2経済部門と一般民間経済体系が相互関係を結んでいるため、計画経済と市場経済を切り離して考えることはできません。その意味では、「市場と計画の相互浸透現象」が進んでいるといえます。たとえば、軍人の服や食料など消費物資の生産を含める軍需品生産は北朝鮮経済で相当な比重をしめているが、この部分は決して計画経済からぬけだすことはできません。 
 
 クォン 中国の事例をみてみます。1980年代初め頃、中国が計画経済と市場経済の結合形態をもって改革を推進してきました。中国ではこの段階を「社会主義商品経済」段階と呼んだ。当時、計画経済と市場経済空間が農産物価格を例にあげてみた場合、7:3程度の比率でしたが、1980年代後半になると5:5となり、1990年代には市場から流通される農産物の70%以上が市場的調節によって流通される体系となりました。 
 しかし中国と比較して北朝鮮の市場経済比率を測定するのは少し困難な面があります。 
 7・1措置以降、北朝鮮はむしろ先軍時代の経済建設路線を強調しており、今年に入っては特に国防産業を先において、農業と軽工業を同時に発展追求するとしています。これは結局国防産業維持に必要な重工業は計画経済システムのなかで維持し、残りの住民生活と関連した軽工業・サービス・流通分野を市場経済にまかせるということです。そういった面から評価すると北朝鮮経済の市場経済の比重は30%にもならず、20%程度のレベルだとみるべきでしょう。 
 
 チョン 事実、このような変化が、市場化なのか、計画システムの強化なのか、ということは長く討論されてきました。北朝鮮で市場化というのは消費財の流通領域で顕著な現象だが、計画を強調したとしても現実的には計画外の生産に依存せざるをえません。また、北朝鮮経済システムを一つの国民経済でみるのはあらゆる面で誤った解釈を導きかねない。 
 内閣傘下の人民経済、市場と関連した領域、党傘下の経済、軍が主導する経済などがそれぞれ違った方向でまわっている。いわゆる「4重経済システム」なんです。北朝鮮の「先軍時代経済路線」とは、国防がすべてにおいて優先されることを意味しています。このような方針は06年の新年辞(訳注・1月1日に全国紙に掲載される1年の政策路線)にも明白に書かれています。北朝鮮の国防経済は内閣の人民経済とは分離されているんです。 
 
 ユ 中国の市場社会主義路線が成立する過程で小平と陳雲が経済路線で衝突した際、陳雲が主張したのは鳥かご経済理論でした。これは「計画という鳥かごのなかに市場という鳥を自由に遊ばせる」という構想です。中国では1980年代半ばに陳の「鳥かご経済理論」が衰退し、市場社会主義に急激に動きましたが、北朝鮮はこの「鳥かご経済理論」にとても近い。 
 7:3という比率といいましたが、それは象徴的な話であり、実際には市場という鳥が計画という鳥かごのなかで遊んでいる。計画中にも多重性が存在しています。過去に党が国家戦略の次元で重要視していたいくつかの産業、もしくは金日成主席が重視した産業に物資が優先的に配置されました。いまも同じこと。金正日国防委員長の意思が大きく作用しており、このような現象は市場経済的な説明では理解できないでしょう。 
 
▼過去に戻れない状況にある 
 
 司会 一部では7・1措置が失敗したと断定する人がおり、臨時変通的な正確であろうという人もいます。また一方では1月に金委員長の訪中後、北朝鮮が大胆な措置を掲げるだろうと予測する人もいた。北朝鮮の経済改革はこれからどうなるのでしょうか。 
 
 ユ 北朝鮮をみつめる外部の視線はほとんど改革解放をさらに活発化させることを望んでいるようです。7・1措置より少し進展した経済管理改善措置があらわれることを望んでいます。またもう一方では開城、金剛山、羅津・先峰のような特区がさらに増えて強化されることを期待しています。金総書記の訪中はこのような期待を生みました。 
 
 しかし問題はこの改革を実行するための要件です。7・1措置はすでに進行した変化を現実化させるものですが、ここにさらに改善措置を加えるならば、それが実質的な効果を生み出すことができるのかが問題です。結局、対米関係などの「情勢」が重要な変数なんです。 
 
 クォン 北朝鮮は現在、過渡期的な段階にあります。だから成敗を判断するのは早い。しかし、多くの部分で市場機能を導入してきているので、ある日突然、すべて中央集権的命令システムの経済システムに戻すことはできません。過去に戻れない状況にあるのだ。それで北朝鮮はむしろ7・1措置をさらに拡大する措置として2004年1月経済管理を現状より少し分権化する措置を下した。たとえば国営企業所の管理において、7・1措置では企業が得た利潤を融通できる権限を与えたが、当時は上限があった。しかし2004年1月にはその上限も廃止されました。 
 対外経済関連措置も変わっています。中国のマスコミによると、これまでは北朝鮮に投資した外国企業が生産した製品はすべて輸出させ、国内市場への接近を禁止してきたが、これを解禁したそうです。 
 
▼依然として食糧が主問題 
 
 チョン 北朝鮮が改革解放を始めて時点を1984年合弁法制定とみるならば、その歴史が20年は超えました。しかし今日までも依然として食糧問題が主たる問題として残っています。コメ問題を解決できなかっただけではなく、消費財不足も解決できませんでした。変化の有意味性を否定はしませんが、いったい何が変わったのかという疑問もある。20年前も今も当面の経済目標が同じで、「食」が依然と問題として残っています。 
 
 なぜそうなのか。国内システム改革にも問題があったが、国際関係に着案しなくてはなりません。中国は70年代にアメリカとの関係を正常化させました。ベトナムも2001年に貿易協定を結び、アメリカとの関係が完全に正常化した。ベトナムの04年対米貿易黒字が39億ドル。中国はさらに大きかった。これは東アジア社会主義体制移行において、やはりアメリカが輸出商品マーケットとして重要な役割を果たしていることを意味します。東アジア社会主義の体制移行においてはアメリカの役割を看過してもいけないし、今のような拘束局面が持続されてもいけない。最近のベトナムの経済成長はアメリカとの関係が全面化、正常化されたことによる大規模貿易黒字が起因している面が大きい。 
 
 米朝経済関係の責任は北朝鮮にだけあるのではない。北朝鮮も社会主義体制崩壊後に資本主義体制に入るために多くの血と涙を流すような努力をしました。しかし、国際通貨基金のような国際機構に入るために、経済システム改善をどれほど積極的行なったかという点では、北朝鮮も反省しなくてはなりません。20年前も今も依然として食の問題が主な問題として残っているのはどういうことなのか? 根本的な方向転換が必要だということです。何よりも日米との経済関係を正常化させるのが死活的な課題でしょう。 
 
 
 司会 最後に、中朝経済関係、つまり北朝鮮経済の対中国隷属問題についてお聞きします。北朝鮮の経済が中国に隷属されているために南北経済協力を通じてそれを牽制しなくてはならないという声があります。よって南北経済協力に対するアメリカの了解を得るために米韓FTAを締結しなくてはならないという論理の展開もあります。中朝経済密着に対する憂慮の声は多い。 
 
 クォン 中朝関係に対して深刻に憂慮する視点と過敏反応という二つの極端な視点があります。まず、なぜ中朝経済関係が密着しているのかから見るべきです。中朝経済密着化のきっかけは2004年金永男最高人民会議常任議長が中国を訪問してから。それ以前まで中国の対北政策は中国の経済発展制作と均衡がとれず「抱擁政策」とは言いがたかった。 
 しかしこの後抱擁政策に進み、両国経済関係が急激に縮まり、中国の中央政府が地方政府の北朝鮮進出を積極的にプッシュした。また対北経済投資や貿易を総括する機構まで内閣に解説した。これは一言で中朝関係が新しく戦略的協力関係に成立したことに沿ったものだと見られます。 
 中朝貿易の内容をみると、2004年中調交易額は13.8億ドル、2005年15.9億ドルで少し増えています。しかし数値は増えたが、北朝鮮の対中輸出は減り、輸入が増えた。これに対し、北朝鮮の市場化が拡大され、住民らの対中消費要求が分趣旨、自然に中国産消費財があふれることによって現れる輸入増大の現象とされているが、中朝貿易関係は明らかになっていない問題があまりに多い。この数値には無償支援が相当ふくまれています。よって中朝経済関係を中国の市場占有、地下資源のような論理としてみるには無理がある。 
 もちろん総合市場の工業品の80%が中国製という事実は憂慮すべきです。しかし中国の対北戦略と政策は米中間の関係のなかで展開されるものだから、従属や隷属のような選定的な表現は言いすぎだと思います。米朝関係が改善され日朝関係が正常化されたらいつでも中朝間の経済関係は変われる部分があるからです。 
 
 チョン 北朝鮮の中国に対する貿易依存度はほぼ40%だ。これは一つの国家の対外経済関係だという点からみると、正常ではありません。ましてや貿易関係の内容をみると、実際には北朝鮮は主に食糧やエネルギー資源、そして機械類などを輸入している。逆に北朝鮮の輸出品は水産物のような1次商品が中心です。これは先進国と開発途上国間の貿易です。このような関係が持続されるならば、選定的な表現を排除しても問題になります。報道では、平壌第一百貨店の店舗1000個を中国の温州商人に分譲するとされている。温州商人は平壌のみならず地方にも流通ネットワークを持っている。彼らが結局中国商品を流通に供給するということです。北朝鮮が中国の消費財の市場となっていくことは否定できません。 
 
 ユ チョン博士のように憂慮する専門家は多いと思います。しかし私の見解は違います。北朝鮮経済で貿易が占める比率は低い。鉱山開発とテアンガラス工場などいくつかの部門で中国が進出しているのにすぎません。消費市場商品の8割が中国産だとしても、北朝鮮の消費財商品での変化をひっぱる動因として肯定的にみるべきです。北朝鮮は中国から友好物資を供給してもらうのに慣れているので、不足な部分をもらっているのです。生活必需品以外に北朝鮮経済の中国依存度が高まると表現できるレベルにいたっていません。 
 
 また、北朝鮮も経済的に対外的な出口を持たなくてはいけないのに、アメリカの封鎖に打ち勝つ余地もなく、結局中国を活用しているのであり、長期的には東南アジアとの交流拡大などを導くために関係を深めています。それは北朝鮮の対外経済接触面を伸ばす重要なきっかけになります。 
 
 チョン そのような考えを否定はしません。しかし中国、ベトナムのように東アジア社会主義国家の体制移行と成長はアメリカ、日本などからの資本と技術の導入、市場の拡大など国際的条件の変化のなかでなされたものです。北朝鮮は現在このような重要な国際的条件が欠如しています。このような状態では中朝経済密着がさらに深まり長期化されるなら、中国の経済と類似する形になることもありえます。 
 
▼経済改革促進のための韓国の役割は何か? 
 
 司会 結局、北朝鮮が外交上の孤立をとかなくてはいけないということですが、その糸口はどこにあるのでしょうか。 
 
 ユ 簡単にいうと、北朝鮮の経済成長潜在力を育てる交流協力構造を作らなくてはなりません。北朝鮮は1958年から10年あまりで年間20%以上の高速経済成長を経験したことがある。そのような経験があるので、今も高速成長に対する潜在力を信じているようです。 
 しかし、情報技術革命時代では今どのように高速成長を成しえるのかが問題です。情報技術革命は速度と多様性が前提にならなくてはならないのに、北朝鮮当局としては住民たちに情報技術革命時代にみあう水準に情報を開放しなくてはいけないのが悩みでしょう。 
 また、成長潜在力を確保するならば最小限、鉄道、道路、港湾、物流倉庫など産業インフラがなくてはならないのに、この点では相当な問題があります。分断された状況であるため安保的危険を減らすために道路の代わりに鉄道を発展させたことなどの構造的な問題もある。 
 最後に韓国は、輸出主導型産業はもちろん情報技術産業、生命工学、環境産業、観光産業のような部門で北朝鮮の成長潜在力を育てる助けができるだろうということを付け加えておきます。 
 
 クォン 経済協力は南北が望んでこそなしえるものです。北朝鮮式改革開放には方向が明らかにあります。これを無視し、われわれが望む方向に南北経済協力を率いる方法は現在ありません。北朝鮮式改革開放の性格と方向を前提にしたうえで、どちらにせよそれが成功する方向を模索しなくてはならない。究極的には南北経済共同体を作ることを模索するべきだと思います。 
 韓国政府は5大経済協力を提起していますが、南北当局者間が共感し、北朝鮮経済開発の5カ年計画を共に樹立し、南北経済協力を導かなくてはならないと思います。我々が経済成長5カ年計画を通して経済成長したという経験もあるし、それによって南北経済協力基金を使うならよほど効率がよい。 
 具体的には北朝鮮の立場では、外貨稼ぎが急務で、外貨産業を考慮する経済協力パートがなくてはなりません。また、数十年あとの統一を考えると、南北経済共同体を指向する必要がある。東北アジア経済協力構図のなかにその経済協力要素があります。南北が共に北朝鮮5カ年経済計画を作るというのは現在は難しいが、いつか北朝鮮も十分に呼応できると思います。 
 
 チョン やはり北朝鮮は生産の社会的基盤、インフラ整備に多くの努力を注がなくてなりません。そして開発支援の体制がきちんとそろわなくては。南北経済協力が主に、緊急な食料支援中心であるが、インフラ開発に対し、長期的な視覚で接近しなくてはならない。 
 南北が共存するためには南北の経済成長に寄与できる統合的な企業モデルを作るのが重要です。すでに日本にいる在日同胞資本が84年から北朝鮮に入っていますが、成功したものが少ない。いますぐに南北経済協力の成功と失敗を論じるよりは、どのようにすれば異質な企業管理システムを融合できるかを考えるべきです。 
 
(翻訳・李ソヨン) 
 
原文掲載2006年6月5日 


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