2007年04月22日12時03分掲載  無料記事
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日中・広報文化交流最前線

中国と「パブリック・ディプロマシー」 井出敬二(在中国日本大使館広報文化センター長)

  4月18日、筆者は、中国の名門大学である清華大学で開催された「パブリック・ディプロマシー」に関する国際シンポジウムに出席した。これは知り合いの中国人教授に誘われたものである。パブリック・ディプロマシーとは何か、また中国が自国の対外イメージを改善するためにはどうしたら良いかという興味深い議論が行われたので、以下の通り紹介したい。 
 
●「パブリック・ディプロマシー」とは 
 
 このシンポジウムのタイトルは「パブリック・ディプロマシー:国のイメージと2008年北京五輪」というものである。 
 主催者は、中国国際文化交流センターと、清華大学国際コミュニケーション・メディア研究センターである。 
 前者の組織は、中国文化部系統の組織であり、理事長は王兆国・中国共産党政治局委員である。 
 清華大学は、理科系中心の大学であるが、最近は文化系、特にメディア、コミュニケーション、文化産業関係で力を入れている。清華大学関係者は、今後パブリック・ディプロマシーに関するシンポジウムを毎年開催したいとの意向を述べていた。 
 参加者は、内外の学者、中国人ジャーナリスト等、約60名であった。 
 
 シンポジウムでは、以下の欧、米、イスラエルの研究者達が発言を行った。 
 米国・南カリフォルニア大学パブリック・ディプロマシー・センターJoshua S.Fouts所長 
 米ハーバード大学ケネディ・ガバメントスクール、Eytan Gilboaフェロー(イスラエルの学者) 
 米インディアナ州ペルドウ大学コミュニケーション学部Jain Wang准教授(中国系学者) 
 英ウェストミンスター大学Hugo de Burgh 中国メディアセンター所長 (元BBC特派員) 
 英ウェストミンスター大学メディア学院Coling Sparks院長 
 
 「パブリック・ディプロマシー」とは何か分かりにくいと思うが、上記の学者達の説明をまとめると以下のようなものである。 
 「パブリック・ディプロマシー」の定義=「直接外国市民と接触し、彼らの考え方を変え、ひいては政府の考え方を変えること」「文化、教育、情報、市民交流により、国際関係をマネージする試み」 
 「パブリック・ディプロマシー」を理解するキーワード、キーコンセプト=「NGO外交」「市民外交」「企業外交」「新しい技術の利用」「外交の内政化」「短期的視点と長期的視点」「イメージと評判」「双方向のコミュニケーション」 
 
 国のイメージというのは、現実とは必ずしも一致しないかもしれないが、以下のようなものがあるとの指摘があった。 
 米=「自由」「チャンスがある」「自己主張」 
 独=「技術力」 
 日本=「製品の小型化」 
 イタリア=「スタイル」。以前の英米メディアは、イタリアを「腐敗とマフィアの国」として描いていたが、最近は「美食とおしゃれ」「生活と仕事のバランスの取れた国」といった、非常に 肯定的イメージに転換している。 
 仏=「シック」 
 英=「工業製品」「階級と歴史」 
 スウェーデン=「デザイン」 
 
●外国人学者の中国への助言 
 
 上記の外国の学者達が中国がパブリック・ディプロマシーを展開していくに当たっての助言として述べていたのは、以下の諸点であった。 
 ─中国にとっては、北京五輪の際に起き得る様々な問題に対処しないといけないが、同時にパブリック・ディプロマシー面でのチャンスでもある。 
 ─外国人記者が、中国の何に関心を持っているのかを理解して、対応すべき。彼らが関心があるのは、少数民族の権利、環境保護、人権、土地売買に絡む問題、AIDS血液輸血、文化的建築物の保存・破壊、当局のメディアへの政策、五輪準備の過程での中国市民の権利がどう守られているか、等である。 
 ─中国は「調和社会」「平和的発展」をモットーにしているが、その具体的内容を世界に分かりやすく説明していくべき。 
 ─中国は海外の対中イメージを科学的に調査して、イメージ改善の実践をすべき。 
 ─中国の官庁では、スポークスパーソン・システムが構築されつつあるが、メディアの期待に更に応えるためには改善の余地がある。 
 ─中国について、欧米で議論される際、中国側出席者のコミュニケーションのやり方、戦術を改善すべき。米国のやり方も見て、様々なレベルでのメディアの視聴者との対話を積極的に展開すべき。人の前に姿を見せるだけで、大きな違いがある。 
 ─米国の中流社会との文化的コミュニケーションを通じて、米国の中流社会の一部にある中国への否定的な見方を中立化すべき。 
 ─インターネットを活用して、米国の若者に働きかけるべき。 
 
 出席者達が口々に述べていたのは、インターネット、ヴァーチャルな世界の重要性である。例えば、IBMは250人のスタッフ、1千万ドルの予算をかけて、毎日、インターネットの世界をチェックしているそうである。 
 ただ、同時に、コミュニケーションは双方向でなければならないとの指摘もなされた。筆者は、インターネットで、双方向のコミュニケーション、そして共通の理解の達成度を、どうしたら、どこまで高めることができるのか、という問題意識を持っている。 
 
●ブランド作り(branding)の限界と課題 
 
 ある学者は、各国がそのイメージ作り、ブランド作りの努力をすることは勿論意味があるが、やはり大切なことは、直面している問題を一つ一つ解決していく努力だと述べていた。またブランド作りの努力によって、国のイメージを「増幅する」ことはできるかもしれないが、全く新しいイメージを「作り上げる」ことは難しいとの指摘もあった。 
 つまり「見かけ」を繕うよりも、「中身」が大切だ、ということのようである。 
 それでも最近の以下の状況に照らせば、ブランド作りの面で配慮を怠ってはいけないということも述べていた。 
 (1)ブランド情報の氾濫:ブランドに関する諸情報が大量に氾濫している。 
 (2)情報技術の顕著な発展、ものごとが何でもかなりの程度伝わっていくようになった(透明化の進展):伝統的メディアの重要性の減少。 
 (3)市民の質の変化:一般市民が抱く期待・要求が増大している。国や企業・組織に対する忠誠心が減少している。 
 (4)市民の生来の欲求の変化:社会的価値の重要性の向上。「文化」への関心が高まっている。 
 
 筆者も、中国における日本のパブリック・ディプロマシーを担当している者として発言させて貰った。たまたま、その日(4月18日)の日刊紙「環球時報」には、「世界的には、日本のイメージは中国のイメージよりも良い」という記事が掲載されていたので、それを紹介しながら、では何故中国においては、日本のイメージは残念ながら、その他の世界の諸国に比べて悪いのか、ということについて日頃考えていることを述べた。また筆者はかってソ連、ロシアでも働いたが、様々な体制の下で、パブリック・ディプロマシーはどう展開されるのか、また体制移行期に特有の課題についての問題意識も述べた。 
 
 このシンポジウムで聞いたことは、筆者の仕事にとっても参考になることが多かった。欧米においては、「パブリック・ディプロマシー」に関する研究(者)の層が厚いと感じた。日本においても「パブリック・ディプロマシー」についての認識は高まっていくだろうし、我々の仕事への期待も高まっていくだろうと感じた次第である。(つづく) 
(本稿中の意見は、筆者の個人的意見であり、筆者の所属する組織の意見を代表するものではない。) 


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