2007年05月23日10時16分掲載  無料記事
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日中・広報文化交流最前線

湖南省長沙市の日本熱〜その今昔〜 井出敬二(在中国日本大使館広報文化センター長)

  5月18、19日、湖南省長沙市を訪問した筆者は、同地の日本語学習熱、現地日本人会の活動ぶりを垣間見る機会があったので、以下の通り報告したい。 
 
●石川好氏が語る「長沙と日本の関係史」 
 
 5月19日、湖南省日本人会、湖南師範大学共催で「日中友好シンポジウム〜地球市民を目指して」が、湖南師範大学内で開催された(写真参照)。このシンポジウムは湖南省日本人会が主導し、湖南省内の10の日本企業(業種はデパート、自動車・オートバイ製造、その関連企業など)より資金を集めて、実施したものである。 
 シンポジウムで基調講演をされた石川好・秋田公立美術工芸短期大学学長(「日中新21世紀委員会」日本側委員、「2007日中文化スポーツ交流年」実行委員会委員)は、20世紀初めの長沙での日本への熱い関心と日本語学習熱を語られた。 
 
 湖南は、元来教育熱心な土地であり、中国最初(976年創設)の最高学府である岳麓書院(現在の湖南大学構内にある)では、南宋の学者朱子が教えていたこともある。しかし、日本語学習熱が盛んだったということはあまり知られておらず、石川好氏が語った多くの逸話を、皆が関心をもって聞いていた。石川好氏のお許しを得て、以下の通り紹介したい。 
 
 「近代において、清朝政府に不満を持つ中国の知識人には湖南省出身が多く、当時、彼らは、明治維新に大きな影響を受けていた。 
 湖南の知識人は、広東省から有名な思想家梁啓超を招き、学校を開設した。その教育モデルは日本の明治維新であり、日本人教師も招かれた。 
 長沙市は日本語学習熱が当時の中国で一番高かった場所であり、「リトルジャパン」(中国語で「小日本」)と呼ばれていた。 
 徳富蘇峰は、1906年、長沙を訪問した後、「長沙の名所旧跡には必ずと言って良い程『アイウエオ』や『いろは』が落書きされている」「これは日本人の落書きにあらざるは勿論に候。以て風気の趣く所を見るに足るべく候」と書いている。 
 宇野哲人は、1907年、長沙を訪問して、「長沙は湖南における貨物の一大集散地である」と、その繁栄ぶりを日本に紹介している。また「もし将来、中国の局面開展する期あらば、湖南人はその重要なる部分を占むること疑なかるべし」と湖南人への尊敬も記述している」 
 
 石川好氏は、「宇野哲人さんの予言は見事に当たった。新中国を作った毛沢東、彭徳懐、劉少奇らは、湖南人である。」と述べた。(その他、革命の志士黄興、近年では胡耀邦元共産党総書記、朱鎔基前総理も湖南省出身。)湖南省の聴衆達は、ここで大いに満足げな表情であった。 
 しかし、その後の日中関係の悪化に伴い、1921年、長沙を訪問した芥川龍之介は、長沙の人々の間の反日的な機運について記述することになる。 
 (長沙は日本軍と国民党軍が会戦した地であり、戦後、日本の遺族達が慰霊に訪れていた地でもある。) 
 
 毛沢東は、17歳の時に故郷の韶山(長沙市から約90km)を発つ時に、日本の幕末の人、釈月性の詩を元に、「孩児立志出郷關/學不成名誓不還/埋骨何須桑梓地/人間無處不青山」という詩を詠んだ。毛沢東が、1913年から5年間通った第一師範学校の建物が、今も長沙市内に残っており、同校内には、毛沢東が座ったという机も残っている。この学校は、青山学院の建物に似せて建てられたという(写真参照)。石川好氏によれば、毛沢東も明治維新に強い関心を示し、西郷隆盛の文章を読み、1917年には宮崎滔天(孫文の友人で、中国革命の支持者)を長沙に招待したいとの手紙を出している。 
 
●高まる日本語学習熱 
 
 湖南省長沙市に常駐している日本人の人数は必ずしも多くないが、これまでも以下の交流活動を活発に実施している。彼らの活動ぶりは本当に素晴らしく、筆者は心からの称賛を惜しまない。 
日中交流座談会「中国人の考え方、日本人の考え方」と題する意見交換会を2005年2月、同年10月、06年3月の三回開催(場所は全て湖南大学外国語学院)。若者達を中心に、日中の出席者達が活発な意見交換を行った。 
 湖南省日本人会会員達が連れ立って、湖南省の農家に一泊宿泊体験をし、農家の人達との交流を行った。 
 その他、湖南省内の日本語教師・学習大学生との交流を頻繁に実施。 
 
 筆者は、長沙市内の8つの大学・専門学校(注)の日本語学科長らと、日本語教育事情などについて意見交換を行った。また日本語教師として働いている海外青年協力隊員やその他の日本人教師の皆さんにもお目にかかり、お話しすることができた。 
(注:湖南大学、中南大学、湖南師範大学、湖南農業大学、湘潭大学、長沙学院、中南林業科技大学、長沙明照日本語専修学院) 
 
 教師達は、以下を述べていた。 
2004年から大学生の日本語弁論大会と日本文化紹介イベント(「日本語コンクール」)を開催しており、多くの大学が協力している。(このイベント開催には、JICA海外青年協力隊員も多大なる協力をしている。) 
 湖南省の日本語教師達による「湖南省高等教育学会日語専業委員会」という組織を作り、昨年正式に湖南省教育庁から組織として認可された。 
 2000年代に入ってから、いくつかの大学で、新たに日本語教育を開始した。日本語学習熱は高まる傾向にある。 
 現在、湖南省で日本語を教えている大学・専門学校で、「日語専業委員会」に所属している機関は、14ある。全体での日本語学習者人数は、大学院で45名、大学本科で2517名、大学の成人教育・専門学校などで2263名、その他で66名で、合計4891名となっている。 
 
 600名もの日本語学習者を擁する湖南省内随一の日本語学校である長沙明照日本語専修学院の関係者達は、「卒業生達は、中国各地の日本の企業に採用して頂いており、日本企業で働く機会を与えられることで彼らの将来が開ける。もし日本企業が採用してくれなければ就職は本当に厳しい。日本企業には本当に感謝している」と述べていた。 
 筆者は、湖南師範大学と長沙明照日本語専修学院の両校の学生達に講演する機会を得た。筆者からは、これまでの日中協力の歴史を説明し、今後の日中協力関係の発展を、若い中国人達が積極的に担って欲しいと要望した。(つづく) 
(本稿中の意見は、筆者の個人的意見であり、筆者の所属する組織の意見を代表するものではない。) 


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