2007年07月03日13時08分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200707031308102

労働問題

これが安倍再チャレンジの正体だ!(下) ねらいは経営者が「権利侵害する自由」の確保 川副詔三(『地域と労働運動』編集長)

  安倍内閣「規制改革会議」の「再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォース」が5月21日に出した「提言」は、労働裁判や現行労働行政さえ目の敵にしながら、経営者の自由を確保するため、経営者の解雇権の強化や、派遣労働者の派遣期間制限や派遣業務制限の撤廃、試用期間の延長といった労働者を保護するための各種規制の撤廃を今後三年間で実現すべきと主張する。 
 
◆現行労働体系の労働者保護規定に対する限りない敵意 
 
  「提言」は労働者保護法としての現行労働法体系を目の敵にしている。次の部分はそれを表現する。 
 
  「行政庁、労働法・労働経済研究者などには、このような意味でのごく初歩の公共政策に関する原理すら理解しない議論を開陳する向きも多い。当会議としては、理論的根拠のあいまいな議論で労働政策が決せられることに対しては、重大な危惧を表明せざるを得ないと考えている」 
 
  まさに、規制改革会議という名前の通り、新自由主義哲学を大上段に掲げイデオロギー闘争に臨む姿勢を示している。 
 
◆「解雇を規制する裁判はおかしい」 
 
  その上で現行労働法体系を根本から批判する。労働者保護を基本コンセプトとする現行労働法への彼らの敵意はすさまじい。次に引用する司法に対する次の彼らの主張を見ればそれは明らかである。 
 
  裁判というものは、実在する現行法に基づく判断である。現在はまだ存在しない法律としての「規制が撤廃された後の労働法」に基づいて判断が行われるわけではない。司法判断が現行労働法体系を基礎として示されるのは余りにも当然のことである。しかし、安倍政権の「規制改革会議」は、現行労働法に対する敵意ゆえに、司法判断が現行法体系に基づいて行われているということに対してまで、我慢がならないらしい。 
 
  これは先にも引用したものだが再掲してみよう。 
 
  「労働市場に対して法や判例が介入することには根拠がなく、画一的な数量規制、強行規定による自由な意志の合致による契約への介入など真に労働者の保護とならない規制を撤廃することこそ、労働市場の流動化、脱格差社会、生産性向上などすべてに通じる根源的な政策課題なのである」 
 
「解雇規制を中心として裁判例の積み重ねで厳しい要件が課され、社会情勢・経営環境の変化に伴って雇用と需要のミスマッチが起きた状況においても、人的資源の機動的な効率化・適正化を困難にし、同時に個々の労働者の再チャレンジを阻害している」 
 
  こうした観点に立って長い司法批判が続く。「提言」から冒頭の一節だけを示しておこう。 
 
「また、判例の集積をそのまま立法化することを当然視したり、判例の動向とは異なる立法を行うことを忌避しようとしたりするなど、判例と立法との関係に関するこれまでの一部行政や研究者の捉え方にも問題が多い。判例とは、所与の法令を前提にして、いわば法令自体の政策的当否に拘らず、現に存在する法令の条文の読み方を示したものにほかならない。立法に当たって重要であるのは、ある法令やその読み方の帰結としての判例、なかんずく最高裁判例などが、社会経済的に合理的な結果をもたらしているかどうか、を政策判断の観点から厳格に検証することである」 
 
  このあと、司法批判が続いているが、それは直接「提言」を読んでもらいたい。彼らの哲学としては、自由であるべき労働市場への司法介入が目障りで仕方ないということなのであろう。 
 
◆ねらいは経営者が「権利侵害」する自由の確保 
 
  司法介入を排除した労働契約の自由な締結という哲学を振りかざしてはいるが、すでに述べたように、労働契約法案の就業規則条項が労働者の自由意志を全面否定して一方的に使用者に労働契約決定権を与えようとしていることについては知らんぷりを決め込んでいるのである。 
 
  彼らが求めているのは、労働者の自由意志によって労働契約が実現する「自由で開かれた労働市場」ではなく、経営者が労働者の意志を全く無視して、一方的にすべてを決定できる労働市場の実現なのである。 
 
  司法判断は、労働者から見れば、余りにも不法・無法な労働法無視の権利侵害に耐えきれず、労働者が困難な裁判闘争に立ち上がった結果示されるものでしかない。司法判断が現行法を前提として公正に下されることは確率として高いわけではない。かなりに司法判断は経営寄りである。 
 
  しかし、労働者はこれ以上経営者の権利蹂躙に耐えることはもはや不可能という忍耐の限界点ではじめて裁判闘争に立ち上がるのである。それは氷山の一角である。全国どこでもかしこでも見られる権利侵害という事態の集中的表現、それが労働裁判である。 
 
  法律というものは、ごく一般的表現にとどまる。しかし、裁判は具体的事実に対する具体的判断である。労働裁判の場合は単に個別的事象ではなく、日本の労働社会で日々くり広げられている権利侵害に対する法律判断である。労働裁判における判例とは、そういう意味で、労働現場の権利状況に対する生きた判断である。 
 
  法律がもしも、現実の国民的権利状況や人権状況にビビッドに反応して定められるべきものであるとすれば、判例を考慮に入れるのは意味のあることである。もちろん、労働裁判の判決は社会的な労使の力関係が強く反映するから、労働者から見れば決して法的に公正と評価できるものではない。したがって判例をすべて法律にすべきであるというわけには到底いかないが、しかし、労働法の有り様を考えるときに、裁判例における労使の争いの内容やそれに対する司法判断を重要な要素として考えるのは当然のことである。 
 
  労働裁判の判例に対する規制改革会議の敵意は、労働契約法案の就業規則条項に対する彼らの態度と軌を一にしている。即ち、現に裁判沙汰になっている労働者に対する権利侵害を経営側に自由にやらせろという要求に他ならない。それを裁判所が現行労働法をもとに、自由かつ無制限には認めないからといってこのような批判をするなどというのは、恥知らずにも程があるというものである。 
 
◆労働行政にも挑戦状 
 
  規制改革会議が現行労働者保護法制に対して抱いている敵意は、司法判断にむけられているだけではない。労働行政に対しても、あるいは、労働法を作り上げていく場合の審議会そのものに対してまでむけられている。 
 
「なお、労働法制の立法過程において、使用者側委員、労働側委員及有識者委員で構成する審議会での、利害当事者たる労使間における見解の隔たりは常に大きく、意見分布も埋まらぬままの検討により、結果は妥協の産物となりがちである」 
 
「労働政策の立案の在り方について検討を開始すべきである。現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない。しかも、主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者等非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない。特定の利害関係は特定の行動をもたらすことに照らすと、使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め、利害当事者から広く、意見を聞きつつも、フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきである」 
 
  このように現在の労働行政の在り方とそれを推進する行政庁を全面否定し、規制改革会議にすべての決定権を持たせろといわんばかりである。 
 
  これは、労働者保護を基本コンセプトとする現行労働法体系とそれを支えるすべてのものに対する敵意と挑戦状である。そして、現行労働法体系ならびにそれを支えるものすべてを解体して、新たな新自由主義的労働法体系を作り上げようとする野心的な提言でもある。 
 
◆「労働者保護は再チャレンジをさまたげる」 
 
  そして、全体としてのまとめを次のような言葉で行っている。これは、彼らが理想とする労働法というものについての考え方である。それが、規制改革会議の新自由主義イデオロギーに基づくものである等々はすでに述べた通りである。 
 
「全ての人々にやり直しの機会と希望を与え、格差や不平等を固定化させない社会をどのように実現するのか。再チャレンジを可能にする社会の実現には、労働者が学歴・性別・年齢等に関係なく個人として正当に評価・処遇され、能力と努力に応じて事後のやり直しが何度でも可能となる、また、企業においても積極的に人材を活用できる労働法制の整備が不可欠である」 
 
「再チャレンジを可能とする労働市場を実現するための国の役割は、多様な働き方の枠組の提供とそれらに対する中立的な制度設計の構築であり、法律による過度の労働者保護でもなければ、数値目標による就業率向上策等でもない。労働分野においては、以上のような観点から、新しい時代にふさわしい労働市場システムの在り方について、今後3年間検討を進めていくこととする」 
 
 
◆ねらいは「解雇の自由」 
 
  このようなまとめを受けて、「提言」は労働法制抜本的変革の個別具体課題を提言している。そこには解雇権濫用法理の見直しから始まって派遣法の見直し以下沢山の課題が並べられている。 
 
  もしも、彼らいうことが実現させられてしまったならば、その時、近代世界に共通して存在してきた労働者保護を基本とする労働法体系は日本社会から姿を消し、かわって、経営者に対しては一方的に労働者を自由自在に使用することができる権利を保障した労働法体系が支配するようになるであろう。 
 
  規制改革会議はそのための時間は今後3年だといっている。労働者、労働組合はこれまでの労働者保護を基本とした労働法を守るためにこれからの3年間、何ができるか待ったなしで問われているのである。 
 
  労働契約法案反対をはじめとする労働法制の規制緩和反対闘争は労働組合の死命を制する重大問題となったのである。 
 
(『地域と労働運動』80号より) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。