2007年12月31日21時58分掲載  無料記事
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日本の縮図・釜ケ崎から

<1>寒波と強風のなか38回目の越冬闘争が始まる 生田武志(野宿者ネットワーク)

 日雇労働者の街、釜ヶ崎は12月28日から「越冬」に入った。 
 釜ヶ崎にある三角公園での毎日の炊き出し、「あいりん総合センター」の軒先で布団と毛布を敷いて雑魚寝する「布団敷き」、夜10時からの医療パトロール、地区外で野宿する仲間に呼びかけ、市民に釜ヶ崎の実情を知らせる「人民パトロール」、三角公園にたき火をたき、のど自慢、バンド・演歌歌手の演奏、モチつき大会、ソフトボール大会などを行なう「越冬まつり」、仕事始めの1月4日に大阪府・市に押しかけ、要求書を出して野宿対策を迫る「お礼まいり」などがこの越冬期に集中的に行なわれる。 
 1月8日まで「越冬実行委員会」による越冬で、その後は「釜ヶ崎キリスト教協友会」による越冬が3月まで続き、その間、ほぼ毎日の夜回りなどが行なわれる。 
 
 釜ヶ崎越冬闘争は、1970年に始まり、今越冬が38回目となる。日雇労働者にとって、仕事が完全になくなり、行政の窓口も閉ざされ、厳しい寒さが訪れる年末年始が最も苛酷な季節である。大阪市における年間の「路上死」者は毎年100人を越える。そして、その死亡者は0.62平方キロの釜ヶ崎近辺に集中する。不安定就労の極限である日雇労働者が、行政、企業の「使い捨て」によってみすみす路上で死に至るという事態が続いているのだ。この厳しい時期、野宿を強いられる「一人の仲間も死なすな!」を合い言葉に、日雇労働者、野宿者、支援者によって毎年越冬闘争が続けられている。 
 
 12月30日は2日遅れ(雨のため)で「越冬突入集会」が行なわれた。同日の夜から31日の朝まで、ぼく(生田)は「布団敷き」の警備に入った。この日、ここで寝たのは52人。(写真はその布団敷きの様子)。この日は、大阪に寒波がやってきた上、布団が吹き飛びそうな強い風が吹き荒れた。しかも、この布団敷きの周辺でも他に100人を越える人たちがダンボールハウスや毛布一枚などの装備で野宿を続けているのだ。 
 この「布団敷き」には、けがを負って路上で倒れていた人、近くで毛布も何にもなしで寝ていた人、20代で行き場所のない若者、病気で動くのも苦しそうな人がやってくる。事実、去年はこの布団敷きにやってきた一人が翌朝、病死の状態で発見された。越冬時期の釜ヶ崎は「死が隣り合わせ」の状態が続いている。 
 
 JR大阪駅から環状線に乗り、天王寺駅の隣の新今宮駅を下りると、その南に「地図にない街」がある。釜ヶ崎(あいりん地区)である(地図上は「西成区萩之茶屋」周辺に相当)。駅の南にある大きな建物は「あいりん総合センター」。そこは「寄せ場」で、今も2万人の日雇労働者が仕事を求めて日々ここに集まってくる。 
 
 釜ヶ崎は、粗末な安宿を意味する「ドヤ」街として1904年頃に形成され始めた。建築、土木、港湾などの仕事を求める労働者は、一日1000円程度のドヤ(現在120軒程度)に泊まり、朝の4時頃から仕事を探し始める。しかし、日雇労働の仕事が減ったいま、いくら捜しても仕事が得られない多くの労働者が収入源を失い、ドヤ代を払えなくなった。そして、多くの人が釜ヶ崎周辺の路上や公園、河川敷で野宿を始めた。 
 その数は、釜ヶ崎地区内だけでおよそ1000人。その周辺地域をあわせると約2000人。現在、日本の野宿者の総数は3万人弱だと思われるが、野宿者がこれほどまで集中する地区は他には存在しない。釜ヶ崎は日本の貧困と野宿者問題の中心地であり、その様々な問題を凝縮して示している。 
 
 釜ヶ崎には「日本一」とされる記録が数多くある。例えば、釜ヶ崎の結核罹患率はカンボジアや南アフリカよりも2倍近く高く、「世界最悪の感染地」(毎日新聞2006年9月4日)と呼ばれている。原因は、栄養不足や不安定な生活、つまり「貧困」である。また、釜ヶ崎の救急搬送件数は現在1日30件程度(0.62平方kmの釜ヶ崎だけで大阪市全体の約1割)で「救急車出動数が全国最多」を何度か記録している。 
 また、釜ヶ崎には暴力団が20団体以上、800余人の暴力団員がいて、これも日本最高の人口密度であるらしい。また、先に触れたように、路上死は日本では稀と思われているが、大阪市全体で年間100人以上が路上死し、それは釜ヶ崎近辺に集中する。 
 
「越冬」を辞書(ウィキベティア)で調べると、「何らかの方法で冬を乗り切ることである。特に、動物に用いることが多い。人間に対して使われる稀な用例として南極越冬隊が挙げられる」とある。しかし、野宿の現場では「越冬」は毎年使われる通常の言葉なのである。 
 
 釜ヶ崎は、日本社会が抱える労働、差別、貧困、医療、福祉の矛盾が集中する「日本の縮図」であるとしばしば言われる。その釜ヶ崎から報告する。(つづく) 
 
*生田武志(いくた・たけし) 
 1964年生まれ。同志社大学在学中から釜ケ崎に通い、さまざまな日雇い労働に従事、日雇い労働者・野宿者支援活動に携わる。現在、野宿者ネットワーク、釜ケ崎・反失業連絡会に参加。著書に『ルポ最底辺─不安定就労と野宿』(ちくま新書)『「野宿者襲撃」論』(人文書院)など。「つぎ合せの器は、ナイフで切られた果物となりうるか?」で「群像」新人文学賞・評論部門優秀賞(2000年)受賞 


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