2008年01月02日20時12分掲載  無料記事
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検証・メディア

08年元旦「社説」を読んで 地球益を共有、実践する年に 安原和雄

  大手メディアの元旦社説を読んだ。今年の大きな課題は何かを発見するためである。主張、意見が多様で共通項はないようにも見えるが、あえて「地球益」というキーワードを引き出した。日本が議長役を務める洞爺湖サミット(08年7月)の主要テーマは地球温暖化防止である。その成否に人類存亡の命運がかかっていると言っても誇張ではないだろう。地球益を共有し、実践を開始する08年としなければならない。 
 
 
 まず大手6紙の社説または主張の見出しを紹介しよう。 
読売新聞=多極化世界への変動に備えよ 外交力に必要な国内体制の再構築 
朝日新聞=平成20年の意味 歴史に刻む総選挙の年に 
毎日新聞=08年を考える 責任感を取り戻そう まず政治から「公」の回復を 
日経新聞=国益と地球益を満たす制度設計を 
東京新聞=年のはじめに考える 『反貧困』に希望が見える 
産経新聞=年頭に “危機の20年”へ備えと覚悟 
 
 産経新聞だけは千野境子・論説委員長の署名入りの主張だが、他の5紙は無署名の社説である。 
 
▽読売新聞 ― 日米同盟は堅持 
 
読売新聞はつぎのように書いている。 
 「唯一の超大国」とされてきた米国の地位が揺らぎ、多極化世界へのトレンドが、次第にくっきりしてきた。米国の揺らぎは、イラク戦争の不手際が招いた信頼感の減退によるものだけではない。より本質的な要因として、長らく世界の基軸通貨として君臨してきたドルの威信低下がある。 
 他方では、中国がめざましい経済成長を続けている。早ければ数年以内にも日本を追い抜いて、世界第2の経済大国となる勢いだ。それと並行して軍事力をも急拡大しつつあり、いずれは、軍事パワーとしても、米国に拮抗(きっこう)する一つの「極」をなすだろう。 
 しかし、日本外交の基軸が日米関係であり続けることには、変わりはない。中国との関係を適切に調整していくためにも、見通しうる将来にわたり、日米同盟を堅持していかなくてはならない―と。 
 
 現在の米国一極の世界から多極化世界への流れの行き着く先は「米中2大極」の世界だろうという読みなのか。多極化はもちろん避けられない。しかしそれでも「日米同盟は堅持」という考えである。なぜ軍事同盟としての日米同盟にしがみつく必要があるのか、その説明はない。 
たしか大平首相が「日米安保=日米同盟は神棚に祭って拝むべき存在」といったことがある。「神聖にして侵すべからざる安保」だから臣民(?)はひたすら思考停止病を装うほかに手はない、ということなのか。 
 
▽朝日新聞 ― 日本沈没を避けるために 
 
朝日新聞はこう書いている。 
 外から押し寄せる脅威よりも前に、中から崩れてはしまわないか。そんな不安にかられる。日本防衛の重責を担っていた官僚トップに、あれほどモラルが欠如していようとは。暮らしの安心を保証する年金が、あんなにずさんに扱われていたとは。 生活苦のワーキングプアも増えた。日本は沈みつつある船ではないのか。 
 どんな道があるだろうか。ここは衆参の1勝1敗を踏まえて、改めて総選挙に問うしかあるまい。政権選択の、いわば決勝戦である。 
 今度の総選挙はそんな勝負だけに、あらかじめ厳しい節度を求めておきたい。まず、与野党とも受けねらいのバラ色の政策ではなく、政権担当を前提に、可能な限り現実的な公約を競うこと。第二に、敗者は潔く勝者に協力することだ。世界の中の日本も曲がり角にあるが、まずは日本の沈没を防ぐため、政治の体勢を整えるしかあるまい―と。 
 
 「どうするか」、ではなく、「どうなるか」という視点に立っている。長文の一本社説を読んで、どうもしっくり来ないのは、どうなるか、という状況分析に終始しているためであろう。インターネット上ではピンからキリまで個性的な主張、意見が乱舞している。そういう状況下で「どうなる」という視点から踏み出さない評論家風の社説が果たして存在価値があるのだろうか。 
 日本沈没を防ぎたいのであれば、条件付きにせよ、ここは「民主党政権の出番だ」となぜ書かないのだろうか。 
 
▽毎日新聞 ―「公」をどう回復させるか 
 
毎日新聞は以下のように主張している。 
 日本と世界の混迷を振り返ると、そこには共通項がある。「責任」の欠如である。「公(おおやけ)」の感覚の喪失とも言えるだろう。 
 イラク戦争でも地球環境問題でも、米国がその理念と構想力で世界をリードするのが難しくなった。もう冷戦終了直後の精神的指導性を有していない。米国の混迷の間に、中国と資源国ロシアの台頭がめざましい。露骨に国益を追うことが多く、世界の不安定化に拍車をかけている。 
 責任回避は地球温暖化問題ではなはだしい。しかし、無責任では日本も同断だ。 
 「公」の回復について、思いをめぐらしてみたい。公共心や公共への責任感は、私たちが共通する課題にどう対処するか、平等な立場で、オープンに議論をたたかわせるなかで血肉となっていくはずのものだ―と。 
 
 「公」や「責任」感覚をどう取り戻すか、これを「復古的な国家優先主義を否定する」という留保条件付きでテーマに選んだのは悪くない。責任回避の具体例として地球温暖化を取り上げているのも適切である。 
 ただこのテーマは直ちに日米にはね返ってくる。京都議定書から離脱した米国の責任は重大である。EU(欧州共同体)に比べて何かと腰が引けている日本もいささかみっともない。「公」、「責任」を指摘するからには、この際「地球益」に視野を広げることはできないだろうか。 
 
▽日経新聞 ― 国益と地球益の実現をめざして 
 
日経新聞の主張はこうである。 
 2012年までに1990年比で欧州が8%、日本が6%、温暖化ガスの排出を削減する。この京都議定書の目標は、温暖化を食い止めて気候を安定化させるという究極の目標に比べれば、本当にささやかな1歩でしかない。ただ、それは文明史上画期的な意味を持つ1歩でもある。 
 地球温暖化の責任には「共通だが差異がある」という原則の確立は先進的だ。92年採択された国連気候変動枠組み条約に明記されたこの原則により、産業革命以来膨大な累積排出量になる先進国がまず差異ある責任を果たすのが京都議定書だ。 
 経済社会の中に、環境という価値をきっちり組み込まない限り、ことは成就しない。 
 京都議定書から10年、制度設計に背を向けてきた日本は、特殊な国というレッテルをはられつつある。洞爺湖サミットが不安だ―と。 
 
地球温暖化防止をめぐって国益と地球益とについて大いに議論するときである。地球益の重要性はこれまで主としてNGO(非政府組織)やNPO(非営利団体)が唱えてきた。この時点で大手メディアが社説で言及したことは評価したい。 
 ただ国益と地球益を見出しにうたいながら、なぜかそれぞれの説明が十分ではない。すでに周知のこととという判断なのだろうか。また国益と地球益とは果たして両立するのか、という問題も残されている。特に地球益は今後のキーワードになるだけに少し詰めた議論が必要ではないか。 
 
▽東京新聞 ― 広がるワーキングプア 
 
東京新聞はつぎのような論調である。 
 2002年から6年連続の景気拡大があった。が、各統計が示したのは裏腹の貧困の広がりだった。ワーキングプア層とも呼べる年収200万円以下が1023万人(06年)。相対的貧困率(平均所得の半分に満たない人の比率)はOECD諸国中、米国に次いで世界2位。若年層に絞ると、4人に1人が非正社員で、3人に1人は年収は120万円ほどとの調査も。 
 グローバル競争の勝者は一部の大企業で、労働者の7割を占める中小企業に恩恵はなく、06年の全産業の経常利益は54兆円。10年前の倍ながら、全雇用者の報酬は6%減で残業時間も増となるところに一部の勝者と大多数の敗者の法則が貫かれてる。 
 税と年金、医療、介護などの社会保障制度の検討も早急に行われるべきである。消費税増税をいう前に政府・行政には信頼の回復など為(な)すべきことが多い―と。 
 
 この社説の結びに「たすけあいネット」代表運営委員氏のつぎのような指摘が紹介されている。「最後には社会を変えたい。いくら働いても暮らしが成り立たないような社会はどうかしている」と。同感である。 
 小泉政権以来顕著になった「構造改革」という名の新自由主義路線が産み落とした現実がこれである。多くの人々が人間としての尊厳を失っている。その一方で一握りの勝ち組の拝金主義者たちが笑みを隠さない。こういう不公平なひん曲がった社会に持続性はない。 
 
▽産経新聞 ― GNPよりGNHの哲学 
 
産経新聞の以下の主張は興味深い。 
 世界至るところで、国益むきだしの資源あさりやグローバル化とは名のみの野放図な経済活動が跋扈(ばっこ)している。(中略) 
 ヒマラヤの麓(ふもと)にブータン王国という小国がある。いま、この国は国民総幸福量(GNH)という独自の国家戦略で国際社会の熱い関心を集めている。 
国家戦略には‘始と電力の開発教育・医療の無料化8利主義経済学批判ぅ哀蹇璽丱螢坤爐悗侶找ゼ己啓発と伝統文化の維持自然環境の保全足るを知る仏教経済学の尊重―などの具体的な政策目標を伴う。 
 国民総生産(GNP)よりGNH。小国は小国らしく。それは、やむにやまれぬブータン流「覚悟の国家戦略」とも言えるのだが、経済的に豊かでも幸せを実感できない勝ち組先進国から、ブータンの政策立案者に講演依頼などが相次ぐ状況は、極めて示唆的である 
―と。 
 
 21世紀は小国の世紀である。ここに登場するブータンがその一つである。7つの国家戦略は、日米などの大国とほぼ180度の差異を浮き彫りにしている。「国民総幸福量」という発想とその実践が卓抜である。 
 注目すべきもう一つの小国は中米のコスタリカである。憲法改正(1949年)によって常備軍を廃止し、今日に至っている。日米安保=軍事同盟下で平和憲法9条(軍備放棄など)の空洞化を進め、強大な軍事力を保有する日本とは異質である。しかも自然環境保全、人権・平和重視の教育 ― に徹しているのも特色である。世界の多極化を論じる場合、、これら小国の存在感こそ見逃せない。 
 
▽地球益と国益、企業益そして民益と 
 
 以上、大手6紙の社説、主張を紹介した。それぞれの論調が多様で、さながら社説という商品の百貨店という印象もあるが、日経社説にヒントを得て、そこからあえて「地球益」というキーワードを引き出したい。08年7月には北海道・洞爺湖サミット(主要国首脳会議)が地球温暖化防止策を中心テーマに開かれる。地球益か、国益かをめぐって火花が散るのだろう。 
 
 さて地球益とは何を指しているのか。その含蓄を考えたい。地球益のほかに国益、企業益がしばしば持ち出されるが、私はこれに民益も加えたい。 
 
(1)国益と企業益の再定義を 
まず国益はこれまで国家の利益あるいは権益と考えられてきたが、この国益論はもはや時代遅れとなっている。その理由は軍事力中心の安全保障観に支えられた国益論であり、米国主導のアフガン、イラク攻撃・占領政策の行き詰まりから明らかなように、世界に混乱と破壊をもたらす以外に「益」は期待できない。 
 日本の自公民政権がインド洋での米軍などへの給油活動再開にこだわっているのも、国益論に基づいている。石油の大半を中東地域に依存している日本は、石油確保のためにも米軍への協力は必要という考えに執着しているが、これは軍事力による資源確保論であり、人命や自然環境を破壊してまで資源エネルギーを収奪する正当性はない。 
 21世紀の国益は、その国が世界から尊敬されるところから始まる―という再定義が必要である。ブッシュ政権が率いる米国はもはや世界の尊敬を失っている。冷笑さえ浴びている。 
 
 企業益は従来、目先の企業利益追求を第一と考えてきた。一握りの勝ち組と大多数の負け組を生み出す弱肉強食型の新自由主義路線がその具体例である。しかしこの種の企業益も行き詰まりが顕著になってきている。東京新聞社説が主張している「広がるワーキングプア」の実態がそれを実証している。 
 新しく再定義されるべき企業益は、企業の社会的責任(CSR=企業の社会的貢献度を重視すること)、社会的責任投資(SRI=環境、雇用、人権などに配慮のある企業の株式に積極的に投資すること)を軽視しては成り立たなくなってきた。目先の利益に執着することがいかに「偽」を誘発し、企業の没落へとつながっているかをイヤというほど見せつけられた昨年だった。 
 
(2)民益と平和憲法理念 
 民益(国民益、市民益、民衆益など)はどう理解したら適切だろうか。民益は守り、生かさなければならない。また民益の欠落した国益、企業益はそもそも成り立たないと考える。民益を支える条件としてつぎの平和憲法の理念、精神を生かし、実現していくことを挙げたい。米国主導のグローバリゼーション、新自由主義路線(=市場原理主義)、それに追随する日本の自公民政権によって、以下の憲法の理念、精神は事実上、空洞化が進んでいる。これをどう再生していくかが大きな課題であることを強調したい。 
 
*前文の平和共存権 
*9条の「戦争放棄、軍備および交戦権の否認」 
*13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」 
*18条の「奴隷的拘束および苦役からの自由」 
*25条の「生存権、国の生存権保障義務」 
*27条の「労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止」 
 
(3)地球益―破滅か生存か 
 このまま地球環境の汚染・破壊をつづけて地球の破局に進むのか、それとも立ち止まって引き返すことができるのか、その重大な岐路に立っている。その行方を占ううえで7月の洞爺湖サミットは重大な責任を負っている。地球益を共有し、その尊重と実践で足並みが揃えばまだ希望は残されているが、楽観は許されないだろう。 
 
 地球益を実践していくための条件として次の諸点を挙げたい。地球益、再定義された国益・企業益、さらに民益は相互依存関係にあると考える。 
*「共通だが差異ある責任」の実践 
 地球温暖化防止という目標は先進国、途上国に共通だが、その責任の負い方は異なる、という原則で、米、日、EU、ロシアのほか中国、インドなど二酸化炭素(CO2)の大量排出国が特別の責任を果たす必要がある。その責任を果たしてこそ新しい国益、企業益にもつながることを理解したい。 
 
*平和、発展、環境保全の相互依存性 
 第一回地球サミット(1992年)のリオ宣言に盛り込まれた「戦争は持続可能な発展を破壊する。平和、発展、環境保全は相互依存的であり、切り離すことはできない」を今こそ再認識し、実践するときである。そのためには軍事力中心の安全保障観が時代遅れであるという理解を共有しなければならない。さらに世界から軍事同盟を解消し、海外軍事基地を撤去することが求められる。 
 
*脱「成長主義」戦略への転換 
 ブータンの国民総幸福量(GNH)も一つの有力な選択肢である。経済成長主義にこだわるのは資源エネルギーの収奪・浪費を招くほかない。それが軍事力行使にもつながる。大国は小国に学ぶときであろう。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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