2008年06月19日14時52分掲載  無料記事
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ブラジル農業にかけた一日本人の戦い

<5>セラード、新たな使命との出会い 和田秀子(フリーライター)

  億万長者になり、目的を見失っていた横田さんに、大きな転機が訪れた。不毛の地“セラード”との出会いである。 
 “セラード”とは、ブラジルの南西部、南北マトグロッソ州、ゴイアス州に広がるサバンナ地帯のことだ。その面積は、約2億ヘクタールにもおよび、日本の国土面積の約5倍に匹敵する莫大な広さである。しかしセラードは、いわゆるアフリカのサバンナのような痩せこけた土地で、農業には適さないとして、長年放置されていた。 
 
 その不毛の地の開発に、ブラジル政府は1970年以降力を注ぎ始める。世界で食糧危機が叫ばれるようになったためだ。そこで白羽の矢を立てられたのが、“緑の魔術師”と呼ばれるほど高い技術力を持っていた “コチア青年”たちであった。 
 ブラジル政府は、コチア産業組合に、セラード開発への協力を要請してきたのだ。 
 
 これを受け、コチア産業組合は、20名ほどの視察団をセラードに送り込んだ。横田さんも、そのなかの一人であった。 
 はじめてセラードに足を踏み入れたときの衝撃を、横田さんは今でも鮮明に覚えているという。 
「現地の子どもたちが、ドロンとした生気の無い目でジッと私らを見るんです。その目が忘れられなくてね・・・」 
 
 痩せこけた赤土が続くセラードにも、住んでいる人がいる。その多くは、ブラジルで奴隷解放がおこなわれた1886年以降、農場を逃れてセラードにたどり着いた黒人奴隷の子孫たちだという。彼らの食料は、一日に、わずかキャッサバの粉一握りほど。新生児の生存率は低く、約半数は一歳の誕生日を迎えられずに亡くなっていく。たとえ成長しても、栄養失調のため心身ともに著しく発達が遅れてしまうのだ。 
 
 「セラード開発が俺たちのやるべき仕事だ。不毛の地を開拓して、この子たちを救いたい」 
 横田さんは、飢餓に苦しむセラードの子どもたちを目の当たりにして、新たな使命を感じていた。 
 専門家によると、セラードの総面積約2億ヘクタールのうち、約1億2,700ヘクタールが開発可能で、これらの土地を開発することで、10億人分の食料が確保できると試算されていたからだ。 
 
 1974年には、数名のコチア青年が先発隊としてセラードに入植し、開拓をはじめることになる。ちょうどこの年、当時首相であった田中角栄が訪伯。そこで、コチア青年たちが開拓しているセラードを視察し「ここは将来、日本の食糧基地になる!」と感嘆の声をあげたといわれている。 
 
 この訪伯で田中角栄は、当時のブラジル大統領であったカイゼルと会談し、セラード開発を、日本とブラジルのナショナルプロジェクトとして進めるよう提案したのだ。 
 これがのちに、1979年から2001年まで、20年以上におよぶ「日伯セラード農業開発協力事業」へとつながっていくことになる。 
(つづく) 


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