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特集ブラジル農業にかけた一日本人の戦い<最終回>ブラジルを農場大国に押し上げた日本人移民の力 和田秀子(フリーライター) ![]() <13>食糧の安全とアマゾンの森林を守る 新しい夢への挑戦が始まった 和田秀子(フリーライター) ![]() <12>米企業の遺伝子組み換え汚染から「食の安全」を守りたい 和田秀子(フリーライター) ![]()
<11>世界的な農業転換の波に飲まれて 和田秀子(フリーライター) 前回は、1990年代初頭のブラジルにおいて、米資本である穀物メジャーが力を増していったことを述べた。横田さんらが所属していた「コチア産業組合」の崩壊を待ちわびていたかのように、穀物メジャーは勢力を拡大し、ブラジル国内の穀物をすべて牛耳っていったのだ。しかし、アメリカの国家戦略はここからが本番だった。横田さんは、周到に仕組まれたアメリカの長期戦略を、こう推測する。アメリカは当時、自国内での穀物の生産性低下に頭を悩ませていたため、あらたな食糧基地として広大なブラジルの土地を確保し、穀物の生産から販売まで、すべてを支配しようと考えていたのだ。(2008/07/30) <10>真綿で首を絞めるような米国の食糧戦略 和田秀子(フリーライター) 横田さんが、融資先を求めて日本で奔走していた約40日の間に、整地されていたバヘイラスの「戦後移住者開拓団地」には雑草が生え、無残な姿に変わりつつあった。5,000万円の資金を携えてブラジルに戻った横田さんは、さっそくコチア産業組合の上層部たちと交渉し、「戦後移住者開拓団地」の買い戻しを進めていった。その結果、「組合側から借り受けている一切の資材や耕具を返却すれば、借金を帳消しにし、土地の売却に応ずる」という契約を取り付けたのだ。1992年の夏のことだった。(2008/07/19) <9>窮状訴え日本への陳情の旅 和田秀子(フリーライター) ![]() <8>お金より家族より、夢と仲間を選んだ 和田秀子(フリーライター) ![]() <7>コチア青年が夢見た“ファゼンデーロ”への道 和田秀子(フリーライター) ![]() <6>セラード開発に日本政府が巨費を投じたわけ 和田秀子(フリーライター) この稿では、少し「日伯セラード農業開発協力事業」について補足しておきたい。この事業は、セラード開発のために、日本とブラジルが共同でおこなった国家プロジェクトで、1979年9月から2001年3月まで、3期に分けて実施された。日本からも、国際協力事業団(現・国際協力機構 JICA)を通じて多数の農業専門家が送り込まれ、600以上の農家が入植したといわれている。日本政府は、このプロジェクトが終了するまでの21年間に、なんと約600億円にもおよぶ資金を投入しているのだ。(2008/06/23) <5>セラード、新たな使命との出会い 和田秀子(フリーライター) ![]() <4>10年目のリベンジ、“バタタ成金”になるが… 和田秀子(フリーライター) 横田さんは、移住6年目で独立を果たす。こつこつ貯めた資金で、30ヘクタールの土地を購入し、晴れて農場主となったのだ。と、同時に、日系二世の女性と結婚して家庭を築き、順調に歩みを進めていった。「先生、10年間だけ元気で生きとってください。10年たったら、必ず成功して帰ってきますから」。そういってブラジルに渡った横田さんは、約束どおり、移住から10年目の春、故郷に錦を飾る。(2008/06/14)
<3>移住4年目で、馬鈴薯づくりのエキスパートに 和田秀子(フリーライター) コチア産業組合は、当時、馬鈴薯の栽培で大きな成功を収めていたため、ブラジルに到着したコチア青年たちの多くは、日系人が営む馬鈴薯農家へと配耕されることになった。横田さんも自身も、ブラジルに到着して間もなく、サンパウロ州にある日系2世の馬鈴薯農家へと送り込まれた。農場で働く現地の男たちは、みな真っ黒に日焼けして、屈強な体つきをしている。しかし、そんな彼らと対照的だったのが、横田さんの体格であった。(2008/06/12) <2>キッカケは、英語教師に叱られたこと 和田秀子(フリーライター) ![]() <1>海を渡ったコチア青年 和田秀子(フリーライター) ![]() <序章>ブラジルを農場大国に押し上げた、日本人移民の力 和田秀子(フリーライター) ご承知の通りブラジルは、ロシア、インド、中国とならんで“BRICs”と称されるほど、その目覚ましい発展ぶりが注目されている。このようなブラジル経済の動向や、現在、ブラジルが積極的に推進している“バイオエタノール”関連のニュースは、メディアでもよく耳にするようになった。しかし、こうしたブラジル経済発展の影に、少なからず日本人移民たちの貢献があったことは、あまり伝えられていない。 そこで、この連載では、約40年以上にわたり、ブラジル農業に力を注いできた戦後ブラジル移民のひとり、横田尚武さん(67歳)の歩みにスポットを当てることで、ブラジル農業において「日本人の果たした役割」をふり返ってみたいと思う。(2008/05/22) |
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