2008年06月23日17時49分掲載  無料記事
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ブラジル農業にかけた一日本人の戦い

<6>セラード開発に日本政府が巨費を投じたわけ 和田秀子(フリーライター)

  この稿では、少し「日伯セラード農業開発協力事業」について補足しておきたい。 
 この事業は、セラード開発のために、日本とブラジルが共同でおこなった国家プロジェクトで、1979年9月から2001年3月まで、3期に分けて実施された。日本からも、国際協力事業団(現・国際協力機構 JICA)を通じて多数の農業専門家が送り込まれ、600以上の農家が入植したといわれている。日本政府は、このプロジェクトが終了するまでの21年間に、なんと約600億円にもおよぶ資金を投入しているのだ。 
 
 なぜ日本政府は、ブラジルの農業開発に対して、これほど力を入れたのか? その背景には、ちょうど現在と同じように“世界的な食物不足”と“穀物価格の高騰”という問題を抱えていたからだ。当時、首相であった田中角栄のもとで、日本政府がこれほど莫大な資金を投じて「日伯セラード農業開発協力事業」を推進した裏には、食料不足に対する強い危機感があった。 
 
 1965年ごろから、日本の食物自給率が急速に低下し始めていたことに加え、1970年初頭から続いた世界的な天候不順のため、穀物不作が深刻化していたのだ。こうした状況を受け、ついに1973年、当時アメリカ大統領であったニクソンが、大豆輸出禁止措置に出る。 
 
 他国では、大豆は飼料用にしか使われていないが、日本では米に次ぐ貴重な食料である。当然、そのほとんどをアメリカからの輸入に頼っていた日本は大きな痛手を受けることになった。慌てた日本政府は、こうした食糧危機を回避するため、アメリカに代わる大豆の生産国を探し求めた。その結果、ブラジルがもっとも有望だとの結論にいたったのである。 
 
 それが、日本がセラード開発に莫大な資金をつぎこんだ、理由のひとつであった。 
 
(つづく) 


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