2008年08月14日23時02分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200808142302004

中国

国の威信を賭けた祭典の裏に旧態依然とした思想と習慣 中国人作家の見た北京五輪

  CGの花火、かわいい少女の口パク歌の開会式、かつてのプロパガンダの手法はいまも生きている? 一般庶民はこの祭典のために多くの不自由をしいられている。五星紅旗を振り「加油」を叫ぶ観衆は、聖火リレー応援の動員の延長か? 中国の若い作家が中国人の心理をオリンピックに見た。 
 
◆国の威信を賭けた祭典−オリンピックに見る中国の表象と本質。「優越感」か「恥辱感」か、浮かび上がるのは旧態依然とした思想と習慣◆ 
 許知遠 
 
 タクシーは北京安貞橋からオリンピック村へと向かっていた。「時代が変わったが、まだガイジンが怖えんだな」と話すのは、50歳をすぎた北京なまりの運転手。その小さな目のおかげでいっそうユーモラスに映る。 
 
 道路の両側には鮮やかな花が飾られている。緻密に計算して置かれた花の鉢には、合成樹脂の大きな緑の葉を使って、大きな花束に見えるように小さな鉢を組み合わせてある。しかし、せっかくのこの演出もあまりいただけない。本物の花が自然の魅力を失い、かえって造花のように嘘くさくなってしまっている。 
 
 車内の話題はオリンピック。6月も末になり、一時は落ち着いていたオリンピックムードも再燃してきた。この花もその現れで、4000万余りの鉢が北京市内のメインストリートに飾られているが、街に美しさを添えるというよりも、趣味の悪い飾りになっている。 
 
 運転手もこの花がお気に召さないらしく、間近にせまった8月8日にも不安を抱いている。「オリンピックが始まったら、俺は第四環状道路の外に行くよ。街を流していて、万一ケチでもつけられたら面倒だからね」。 
 
 その気持ちも分からないでもない。このスポーツの祭典のために、彼らは英語を勉強させられ、厳しい決まり事を守り、車内をきれいに掃除するよう強いられ、あげく、もし“外国のお客様”からクレームが出ようものなら、どんな目に遭うか分かったものではない。オリンピックは盛大なパーティーではなく、次々に生まれる規制のオンパレードなのだ。 
 
 しかし彼も負けずに主張する。外国人が来るからって、なぜ自分たちの生活が影響を受けなくてはならないのだ。しかもこの騒動に巻き込まれている外国人さえいると言う。「俺のイタリア人の友人はアパレル関係の仕事をしているんだが、ビザがとれなくなったそうだ」。 
 
 我々中国人には自信が足りないのだと彼は主張し、古い話を持ち出してきた。「朝鮮では、俺の親父の銃弾でアメリカの兵隊を倒したものさ」。彼の父親は1950年代初頭の朝鮮戦争に行った古参の兵隊だった。 
 
 この短いやり取りからも、今の北京の様子を垣間見ることができる。外国人の前で(とくに白い肌の外国人の前で)、我々はいまだに戸惑っている。骨身に傲慢さがしみ込んで、自分たちは尊重されるべきだと思っているくせに、いざとなると自信がもてずに相手のご機嫌をとってしまうのだ。だから人に軽く扱われると激怒するし、称賛されても自信につなげることもできず、いい気になって傲慢になるだけなのだ。 
 
 イギリスのサッチャー元首相は中国の心理を「優越感」「脆弱性」「恥辱感」という言葉で分析した。「優越感」は中国特有の長きにわたる伝統であり、いつも自分を世界の中心だと思っていることである。「脆弱性」もまた歴史の深い部分に起因する。中華文明はたしかに輝かしいものであったが、周辺の強い民族にしばしばたちうちできなかった。漢王朝は匈奴と和親策をとらざるを得ず、宋は最終的にモンゴル民族に併合され、繁栄をきわめた明王朝も北方の満州民族に取って代わられている。 
 一方、「恥辱感」はここ1世紀半のあいだに生まれたものだ。それ以前の周辺民族にまつわる記憶が愉快なものではないにしても、彼らは最終的に大いなる中華文明に溶け込んだ。しかし西洋人はこのゲームの法則を根本的に変えてしまった。彼らは我々に溶け込むこともなければ、我々の繁栄や発展に心を動かす様子も見せなかった。 
 
 今の中国は多くの矛盾をかかえ、過去の記憶と習慣に絶えず振りまわされている。北京オリンピックを最高に盛り上げようと世界各国の要人を招く様子は、周辺諸国が朝貢に来たことの再現だ。外国人を丁重にもてなすやり方にしても、遠方の人間を手なずける懐柔策と言えないか。懐柔の本質は根深い不信感である。人を本当に信用しなければ、対等に扱うこともない。 
 100年前、外国人は租界で暮らしていた。特権を与えているかのように見えるこのやり方も、中国の統治者に言わせれば、相手を本当の意味で中に入れないための最善の方法であった。20年前、中国で暮らす外国人は外交公寓(外国人向けアパート)に住み、友誼賓館(外国人向けホテル)で買い物をした。これも形を変えた租界ではないか。 
 そして今、多くの外国人を見かけるようになったが、それでも彼らは厳格に区別され、どこの国の人間であろうとみな「ガイジンさん」と呼ばれる。我々は本能的に彼らを信じていない。だから何か大きな行事があれば、彼らの喝采と称賛を得たいとは思うが、同時に距離をとってうまくコントロールしたいと考える。そうやって不協和音が生じるのを防ぎたいのだ。 
 
 2008年の北京オリンピックで中国の何が示されるだろうか。中国がまわりに示したいのは自国の繁栄、強大さ、発展し続ける新しい国のイメージである。しかし実際にスポットライトの下に、旧態依然とした思想と習慣の織り成す巨大な暗い影がくっきりするだろう。 
 
原文=『亜洲週刊』08/7/6号コラム「昨日と今日」許知遠著 
許知遠:2002年北京大学卒、雑誌『生活』共同発行者、中国語ネット『金融時報』のコラム作家。近著に『中国紀事』。 
翻訳=本多由季 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。