2008年08月30日15時16分掲載  無料記事
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戦争を知らない世代へ

関東大震災と中国四川省大地震で改めて防災意識を高めた 中谷孝

  九月一日と聞いて、関東大震災の日とピンと来る人はそれほど多くはないかもしれない。私は大正十二年(一九二三年)のこの日に遭遇した。当時三才だったが、それから八五年経った現在もその情景が眼に浮かぶのは余程の恐怖だったのだろう。そして今年五月に中国の四川省で大地震が起きたとき、私が他人事とは思えなかったのは自分の震災体験とともに、日中戦争に参加して青春時代をかの大陸で過ごしたからであろう。二つの震災の現実を見て、改めて防災意識を高めた。 
 
 午前中母と海岸で遊んで帰宅した私は始業式が終って帰った小学一年の兄と庭に面した座敷で葡萄を食べていたと云うが其の記憶は無い。かすかな記憶はその直後からである。 
 突然大きく家が揺れ、電燈の笠が天井に当って砕け散った。慌てて台所の母の所に行こうとしたが立つことが出来ない。家が菱形に歪み縁側のガラス戸が割け散った。屋根瓦は止め土と共に落ちて土ホコリが舞う。揺れが少し収まった時、お手伝いさんが私を抱いて庭の芝生に飛び出した。 
 
 記憶はそこで途切れている。その後、津波の第二波を恐れて横須賀線の線路に避難して迎えた夜景が眼に浮かぶ。 
 大群衆の中でおびえていた私の記憶は、横浜・横須賀の大火災に真っ赤に染まった空である。突如立ち昇る火柱、暫くしてドーンと響く音、後に聞いた話では横須賀の海軍燃料タンクの爆発だったとか。記憶は其処まで。疲れて眠ってしまったのだろう。 
 
 今回、四川省地震の報道を見て、現地住民は私の幼児体験の何倍もの恐怖に怯えたことだろう。その規模は前代未聞である。地震大国日本は何時大地震に見舞われるか予測できない。政府予測の様な甘いものではなさそうだ。高層建築群が予想通りの強度を保てるだろうか。都心道路は倒壊建造物に塞がれるのではないだろうか。ライフラインを断たれた暗黒の夜の恐怖は想像を絶する。 
 
 四川省地震の様な規模の地震に遭遇したら首都圏を直ちに救援することは不可能である。 
 生きるか死ぬかの瀬戸際、生きたい本能から利己的になり、他人のことは構っていられないという浅ましい行動に走る人は多い。自己、家族を守ろうとするのは当然であるが、その愛を他人に迄及ぼすことが出来るだろうか。 
 
 私は時折、東京都心に出かける。ショルダーバッグには、防煙ポリ袋、小型ライト、飴が入れてある。闇黒の地下街火災を想定している。幾らか役にはたつと思う。あとは運命にまかせるしかない。 


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