2009年03月02日10時28分掲載  無料記事
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中国

権威に対抗する庶民文化「山寨」 ニセモノ横行をなぜ政府は根絶できないのか

  世界の工場と言われる中国は、ニセモノが横行することでも世界に知られている。国際的な不評を買うこの現状に中国政府もニセモノの取り締まりを行ってはいるが、現実はほとんど何の効果もあがっていない。なぜニセモノが減少しないのか。それには中国社会の根本的問題がある。いまや中国では「山寨」なる新語が出現し、大衆は高品質のニセモノを大いに歓迎している。この「山寨」は、体制にたてつく緑林の根城、「営寨」、毛沢東時代の「農業は大寨に学べ」の「山寨」に通じる、反体制、アンダーグランドの意味合いがある。人々の「山寨」支持はちょうど元宵節の日にCCTVビル炎上を痛快と思う庶民感情の表れのようだ。 
 
▽「山寨ケータイ」 
 
 NBAプロバスケットボールのスター選手、姚明は08年初め、香港フェニックステレビの番組『魯豫有約』に出演し、キャスターの魯豫から、「長い間海外でプレーしているけど、国内の流行についても知っているかい?」と聞かれ、姚明は「もちろんさ」と答えたところ、「山寨ケータイって何かな?」と聞かれた。 
 
 「山寨ケータイ」の名は遠くアメリカでプレーする姚明にまで届いていた。アメリカの有名ブランド、アップル社のiPhoneのような3.5インチ大型ディスプレイやマルチタッチパネルを搭載したもの、タバコケースになっているもの、コンサートの客席で振るペンライト付きのものなどがある。更に機能を充実させ市場を拡げることに日々思いを馳せる世界中の携帯電話メーカーは、「山寨」の中に思いもよらない答えを発見するだろう。 
 
 山寨ケータイの影響力が増すにつれ、この半年足らずの間に大陸には数え切れないほどの「山寨」製品が現れた。ハイテクノロジー製品から始まって、以前は価格が1万元(日本円で約15万円)前後していたノートパソコンやデジタルのフラットテレビ、庶民向けのあらゆる電子機器、例えばデジタルカメラやパソコンのマウスにキーボードまでが、文化的な領域に進入し拡がっている。 
 
 もとは粗悪なニセモノと言われていた商品の数々と文化的な現象とが、今では「山寨」という看板のもとに顔を揃え、統一された呼び名を持つようになり、発言権を獲得し、主流のライフスタイルに挑戦しようとの野心を持つに至った。例えば、山寨春晩(山寨版春節パーティ:CCTVで放映される中国版紅白歌合戦のパクリ番組)、山寨スター、山寨紅楼夢、山寨百家講壇など。更には山寨式民主、山寨版人民日報、山寨共和国……などを提案する人々まで現れている。 
 
 山寨化現象は中国庶民文化の爆発的な盛り上がりを強く反映している。民間パワーは、狡猾さに身を包んで、そこかしこのグレーゾーンに潜り込み、独占の構造を突き崩し、殿堂の中の主流に戦いを挑み、権力の傲慢さを制圧した。しかしもっと重要なのは、それが単なる自由奔放な空論ではなく、現実に莫大な利益を生む生産の連鎖を創り出したことだ。 
 
 山寨は新たな価値の連鎖までも創り出している。携帯電話のようなハイテク製品さえ「山寨化」が可能であるなら、かつて選ばれしエリートと国が独占していた文化の領域に、「山寨」が踏み込めないことがあろうか。 
 
 CCTVは25年間、総力を挙げて春節パーティ番組を制作してきたが、09年には「山寨版」の挑戦を受けることになる。12月14日の夜11時10分、「山寨春晩」の計画準備責任者で発起人の、インターネット上で「老孟」と呼ばれる施孟奇は、その日最後の会議を開いていた。11月の末に「山寨春晩」の計画を発表してから、13日の夜12時までの間に700以上の「山寨プログラム」の申し込みが殺到したためだ。「もう20年分の春節パーティを観たよ。これから選び出さなきゃならない。何しろたった3時間のプログラムなんだから!」老孟は言った。「絶対に口パク歌はやらないよ」。 
 
 長年人々の心に深く根づいてきた春晩でも、たまには違う趣向を、と思わせる。それは山寨が更に大きな「可能性」を秘めていることを証明した。10月、「青年学者 韓江雪」を名のるネット愛好者が、自身のブログ『靖康の恥から風波まで(1126年〔当時の宋の年号で靖康元年〕、漢民族の宋が女真族の金に敗れた靖康の変での、宋にとっての屈辱的な敗戦を靖康の恥という。風波は騒ぎ、揉め事の意)亭』を開設して、『百家講壇』に挑んだ。 
 ブログの主な語り手である韓江雪は取材に応じ、自分の目的は自分自身を証明すること、世の中に対する思いを表現するための出口を見つけたかったのだと言った。彼は以前、『百家講壇』から二度も門前払いを食らっており、ネット画像を通じてやっと物を言うことができたのだ。 
 
▽自嘲的ユーモアは反権力の象徴 
 
 確かに、以前は「山寨」と言えば「地下工場」を指した。「粗悪なニセモノ」という、人から軽蔑されるレッテルを貼られた邪道の商品、または社会から切り離された底辺の人々を指していた。それが今では、「山寨ケータイ」はじめ一連の製品がブームを呼び、高い注目を集めている。「山寨」という概念は、もはや以前のような日陰者ではない。明らかなマイナスイメージはなく、自嘲的なユーモアに変わった。ある領域では、「山寨」は殿堂とは無縁の、「反権力」の象徴、或いは「反伝統」を表す民間の新たな創造となっている。 
 ある評論家はこう話す。まるで中国武侠小説のストーリーだ、まずはセオリー通りに主流を中心とする円の外側をゆるやかに取り囲み、次第に力を増していって、ついには正統派勢力に勝負を挑み、これに取って代わる。 
 
 昔、「山寨」という言葉は政府の管轄外の土地という意味を持っていた。現在のデジタル製品には、模倣、早さ、大衆化という特徴が表れている。『電子時報』アナリストの簡佩萍はこう指摘する。「山寨文化が特にデジタル製品の中に表れやすい主な要因は、デジタル産業がスタンダードの変化が早く、技術と価格のハードルが高いという特質を持っているからです。自社開発するのはリスクが高いので、模倣、早さ、大衆化を特徴とする山寨のやり方は市場を確立することにおいて有効な戦略と言えます」。 
 
 中央財経大学の秦勇副教授は、「山寨製品はまるっきり海賊版や盗作というわけではない。新しさとアイデアの要素を多分に含んでいる。故意に権利を侵害したり、悪意のある中傷をするのでなければ、その創造性にある程度の自由を与えるべきだ」と話し、「山寨文化はおのずとその流行のルールを持ち、それに合わせて経済の淀みを解消していくだろう。無理に抑えつけるよりも今の調和社会には有益だ」と強調した。 
 
 ある人は山寨文化とアメリカのハイテクノロジーにおける「ガレージ創意文化」を比較する。最もよく知られた例は、ヒューレット・パッカードの創始者ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードが裏庭のガレージでコンピュータ会社を起ち上げた話だ。インターネットのヤフーやグーグルに至るまで、強調すべきは無から有を生み出したこと、自分の手を動かすというやり方だ。そしてもっと重要なのは、トライすることと失敗を恐れない起業精神で、それが結果的に「シリコンバレー」の繁栄を築き上げた。 
 
 こうした角度から見ると、「山寨文化」と精神の面でもよく似ている。同じような困難な環境のもと、裸一貫で事業を起こした。主に携帯電話産業に大変動を引き起こし、起業のハードルを大幅に低くした。広東省の深圳や東莞の街には、机の上にパソコン一台置いただけの露店が現れた。携帯電話に映画をダウンロードしてくれる。1回につき0.5元(日本円で7.5円)である。パソコン一台あればすぐに商売ができ、山のようにいる出稼ぎ農民たちは自分の携帯電話で映画を見ることができる。 
 
 本来ならDVDで見るものだが、問題は、工場の寮では一部屋に8人がひしめき合い、そうでない者も狭いアパート暮らしで、テレビとDVDデッキを置くスペースも電源も無い。その手に携帯電話ひとつあれば、映画を見たり音楽を聴いたり、写真を撮ることもできて、数千万いる出稼ぎ青年に仕事が終わった後の娯楽を提供した。 
 
 これは間違いなく欧米の販売業者には想像もつかなかった新市場だ。一部の携帯電話は賭博に使える。バイブレーション機能の要領でサイコロを振ると、違う点数が出るのだ。またある機種はカラオケの練習ができる。携帯電話を一振りすると次の歌か次のページに変えられる。更に別の機種は強い光線を出すことができる。上部にアイドルの名前が書かれていて、ファンがコンサート会場で使うのに都合がよい。 
 携帯電話に通話だけでなく特殊な機能を求めるのは、中国のユーザーに特有の心理である。国際展開する海外のメーカーや販売業者がどれだけ頭をしぼっても、おそらく思い付けないだろう、スポーツカーの「ランボルギーニ」だって携帯電話のデザインになるということを。 
 
 しかし、シリコンバレーと大きく異なるのは、シリコンバレーがより多くのエネルギーを創り出すことを重視しているのに対し、山寨は良心をもって「違法すれすれ」のことをする。海外メーカーの携帯電話は1台2000〜3000元(日本円で約3万〜4万5000円)だが、これは一般庶民の1ヶ月分の給料にあたる。山寨ケータイなら1台200〜300元(日本円で3000〜4500円)で手に入るのだ。NokiaがMokiaやHokiaに、Sony EricssonがSuny Ericsonに化けていて、ユーザーが本物と見紛うようにつくってあり、価格は7割以上安い。山寨ケータイが海外メーカーと渡り合える理由はそこにある。 
 
 国際展開するメーカーでも中国の大手メーカーでもない、末端の小売市場が設計、製造した携帯電話だ。高盛銀行の研究報告によると、全世界で一年間に生産される携帯電話は1億2000万台を超え、その90%が広東省深圳で造られているという。山寨ケータイの半数が海外へ売られているのだ。 
 
 ビジネスとして見ると、法律のグレーゾーンを綱渡りしているために支払わねばならない不確定なコストを除外すれば、山寨製品の営業販売能力はウイルス並みだ。その強大さは、伝統的産業界の暗黙のルールを根底から覆す勢いである。 
 
 文化の広がりとして見ると、庶民レベルの新たな創造、庶民の知恵というレッテルのおかげで、「山寨シリーズ」は驚くべき注目度を得た。そして反骨精神の結集する地となった。主流文化はまだ沈没してはいないものの、瀬戸際へと追いやられ、山寨文化を基準とする新たな価値の序列が確立されようとしている。 
 
 しかし、「山寨」を低俗な文化だ、起業の模造だ、普及させる値打ちは無い、中国の恥だとさえ言う人もいる。だが「理論」と「実践」の間で、「山寨精神」は中国中の産業の中に散らばり始めている。友好的ではなく、手を離したら暴れだす山寨文化だが、幅広い市場の反響を呼ぶだろう。 
 
 その「違法すれすれ」の戦略は、実は独占を突き破るための戦略でもある。表面上はWTO加盟後に開放されたかに見える中国だが、多くの業者の目には、「三元経済」に変わったと映る。第一元は国の政策と資源を握る国営企業、第二元は世界資本をバックに中国に乗り込んできた外資の大企業、そして、第三元が民間パワーに支えられ自ら起ち上がった企業、資源が独占された状況にも関わらず、なお海外市場に向かっている企業だ。以前、浙江省温州では靴の生産基地として皮革、靴の甲やかかと、ボタンなどの材料一式がそろっていた。今は深圳が「山寨ケータイ」の本拠地である。 
 
 支持者の目には、山寨は非主流の庶民文化を代表するもの、民間の新しい何かを創り出すパワーとして映る。それは権力に挑み、主流に対抗し、存在の価値と輝かしい意義のバランスを取りながら充実させていくことを主張しているからである。 
 
▽インターネットは山寨の促進剤 
 
 インターネットは「山寨」を発展させる最も有効な促進剤となっている。社会学の顧曉鳴氏は、インターネットが人間にもたらした新しい複雑で微妙な感覚は、公共の言語では具体的な語彙を与えられないと言った。「山寨」という言葉はこうした複雑な感覚を表現するものの一つである。 
 
 「朝、山寨ケータイのアラームで起き、顔を洗ったら“迪澳”(クリスチャン・ディオールの中国名「迪奥」のパクリ)を塗り、“康師博”(中国の大手食品メーカ「康師傅」のパクリ)のインスタント・ラーメンを食べ、“豪牛”(中国の大手乳製品メーカ「蒙牛」のパクリ)のヨーグルトを飲み、そしてさっそうと“アディワス”(アディダスのパクリ)のウエアを着込んで出かける……」と、山寨製品は無尽蔵だ。自称「山寨族」のあるネットユーザーはこんなふうにネット上に「山寨生活」をイメージしてみせる。 
 
 12月2日、CCTVの「新聞聯播」で「山寨現象」について特集した。番組アンケートではネットユーザーの五割が山寨製品を肯定的に見ている。この中国式庶民文化の爆発が、社会全体の精神的な気質をどこへ導いていくのか、これがいま海外で大きな関心を集めている。 
 
 江湖の言葉では山寨は「緑林の好漢たちが占拠する根城」と言う。以前、広東、浙江で生まれた家内工業タイプの工場と、その後全国的にひろまった「ニセブランド」は人々にとって印象的な山寨製品だ。始めのうちはざつな技術だったが、その後ニセモノとは思えないほどの偽ナイキ、偽アディダス、偽グッチ、偽LV、偽ブランド腕時計をつくれるまでになり、中国の街や村に普及していった。 
 始めは知的財産権問題で本物のブランドを悩ませたが、法律のグレーゾーンの多さに、徐々に本物に迫っていき、独特な中国式文化の現象が加わり、中国通の外国人が観光で買っていく「土産物」にまでなった。 
 
 山寨の概念を俗世間のレベルから主流の範囲にまで上げたのは山寨ケータイだ。山寨ケータイは常に技術革新をし、「ニセモノ、騙し」のイメージを払拭し、一定程度の社会的認知を得た。 
 
 いまや「山寨ケータイ天国」と呼ばれる深センの華強北(IT製品商店街)では、商店でも偽ノキアを強引に売りつけようとはしない。むしろ堂々と、ノキアの印刻のある携帯電話は「本物ではありません」と言いながら、「本物とほとんど同じです」「よく見なければわかりません」などと説明し、「機能はもっといい」とまで言う。もちろん価格も魅力的だ。オフィスでも、ブランドでない携帯電話を持っていても恥をかくことはない。反対に、山寨機の価格や機能が話題になり、“楽此不疲”(楽ちんで疲れない)、“鎖愛”、“iOrange”、“G2”、“愛瘋”など、山寨機の名称を集めれば、ネット上で笑いを集め、そのうち人々の話題へとなっていく。 
 
 その後、山寨スターも登場した。ジェイ・チョウ(台湾の歌手)のそっくりさん周展chi(支+羽)ある職業技術学校のスポークスマンとしてネット上で有名になったが、イメージはCCTV向きだった。旧暦の大晦日に出された「元日山寨大会」では山寨スターの大競演が行われた。スターがものまねをすることは以前からあったが、いまの山寨スターはものまねの範疇を越え、広告などほかの媒体にまで侵入している。 
 だが、山寨スターの道は狭く、芸能生活も制限を受ける。1989年には歌手の那英が台湾の歌手、蘇Rui(くさかんむり内)のものまねで、「蘇内」という芸名で『変わらぬ心』というアルバムを出した。フェイ・ウォンもテレサ・テンのものまねでその古い歌をカバーした。二人ともその後に自分のイメージを打ち出さなければ、ただの「ものまね夫人」で終わっていただろう。 
 
▽3つあわせた山寨検索エンジン 
 
 ネット上には山寨検索エンジン、「百谷虎」がある。この名称は、百度、谷歌(グーグル)、雅虎(ヤフー)をあわせたもので、baigoohoo.comというドメイン名もこの三大検索エンジンを取っている。「多重検索で一網打尽」という山寨味たっぷりのキャッチフレーズで、一回の検索で三大検索サイトの内容をすべて検索できるという、このうえなく簡単な原理だ。三大検索エンジンで検索したコンテンツを自分のサイトを通してユーザーに見せるという、掛け値なしのパクリ主義。 
 
 世界の携帯電話市場のシェアを見ると、ノキア、サムスン、ソニーエリクソン主力の上位5社が世界市場の八割を占めている。しかし、中国では上位5社は市場の5割にもなっていない。それは、中国大陸で流通するブランドの総計が5割以上のシェアを占めているからだ。外国の銀行投資レポートでは山寨機を「白ブランド携帯」(White Brand Cell Phone)と称したが、中国の市場では「ブラック携帯」と呼ぶようになり、2年前から取り締まり対象になっている。 
 
 黒から白へは、2種類の市場の考え方の開きを説明している。なぜ「白」と呼ぶかというと、このような携帯電話は売り手や販売流通によってどんなブランドにもなるからだ。製品のブランド部分が白くブランクになっている。西側市場では市場の分類中、「チャンネル」が押す製品に属する。中国ではこうしたチャンネルはこれまでにない実力を見せている。 
 
 「黒」と呼ばれるのは、山寨機がつくられる過程で企業に善し悪しがあるからだ。誠如華の技術者、潘少欽と楊奕が社内で行った「山寨機の開発戦略」と題する講演で、山寨機は「ブランドと知的財産権をはぶき、質の統制、販売、アフターサービスを減らした」ことで低コストを獲得したと指摘、「山寨機の精神は、恥を捨て、低利潤を恐れず、実現可能な機能をすべて実現し、消費者のすべてのニーズをなんとかして満足させること。求められないニーズでも創りだし、やれないことは思いつかないことだけ」だという。 
 
 反対者からすれば、山寨製品はニセモノの代名詞であり、山寨文化は海賊版文化、ロジック泥棒となる。新華ネットの報道によると、2007年、山寨ケータイの生産量は少なくとも1億台以上になるという。これは中国ブランドの携帯電話販売量に相当し、税金だけでも中国政府に178億元の損失を与え、中国の正規の携帯電話メーカー損失を与え、一部は市場から撤退させることとなった。 
 
 これも中国政府が過去2年間で「黒」たたきにやっきになっていたかがわかる。しかし2年たっても「ブラックケータイ」はなくならず、覇を唱える「山寨の好漢」となり、世界でも第一の大手、ノキアと第二のサムスンの利益を損ね、世界最大の携帯電話半導体メーカーのテキサス・インスツルメンツの株価を5分の1にまで下げた。そのために、世界の購入者と研究者が山寨機の総本山、深センの華強北に調査に来たほどだ。 
 
 広い意味での華強北は深セン市福田区華強路一帯のことで、業界人の計算によると、l日にのべ30万人の移動があるという。これは台湾で最大の家電展示即売会「資訊月」10日間の半分の人数だ。華強北街には「遠望」「明通」「桑達」などのIT製品店が林立している。 
 
 「賽格」「遠望」「明通」のような大手販売場では、1000以上の販売店が入っており、小さなカウンター一つの店もある。カウンターには各種携帯電話や関連部品がぎっしり並び、回路ボード、液晶画面、キー、筐体、携帯電話の廃棄物までなんでもある。 
 「ここには“ない”というものはありません。ただ見つからないというだけです。部品を買って自分でつくることもできます」 
と、ある店長が自慢した。 
 
 こうした電気販売会場の何万もの専門店が華強北DIYの最前線であり、新製品を最速で市場に送り出し、客の質問にも答えている。山寨企業は携帯電話の販売で最も大切なのは利潤だということがわかっている。ブランドはその次なのだ。多くの山寨機企業は販売と広告に一銭も使わずに、そのぶんの利潤を販売商にまわし、「性能と価格の比率」を上げ、同じ型のどんな携帯電話よりもよくしている。たとえば800元の携帯電話はノキアがいちばんシンプルで、STN低級液晶画面のものがある。しかし、天宇は200万画素のデジカメ、細密画像のQVGAカラー液晶パネル、差し込みカード付きの機種がつくれる。 
 
 華強北ではあらゆる商品がこの方法で進化している。きわめて低いコストで主流ブランドの外観と機能をまね、さらに新しさを加え、最終的には外観、機能、価格の全面で、もとの製品の上を行く。とくにブランド表示の束縛がないため、低コスト高リターンという強みをつかみ、従来の業界規則を徹底してくつがえし、底辺からの創造、大衆の知恵をもって状勢をつくっている。この面から見て、山寨はたしかに一つの文化であり、暴利を得ている業界に一撃を食らわし、産業のバランスある発展にかぎとなる働きをしている。 
 
(訳=吉田弘美、納村公子) 
原文=「亜洲週刊」09/1/4記事 張殿文、張潔平、邱晨 


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