2009年06月13日11時48分掲載  無料記事
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戦争を知らない世代へ

北朝鮮の核への対抗核保有は危険な誤り 日本の安全を護るのは徹底した平和政策

  1905年(明治38年)アメリカ大統領セオドール・ルーズベルトは日露戦争の戦局が日本に有利に傾いた時機を見て、講和仲介に乗り出した。日清戦争後大挙して満州に侵入したロシア陸軍が日本に敗れ、頼みのバルチック艦隊も対馬沖に潰滅した機を見て講和を仲介し、国力を消耗して苦境にあった日本に恩を売り、満州に利権を得ることを期待していたと云われている。(中谷孝) 
 
 然し、ポーツマス条約によりロシアから満州の独占的利権を獲得した日本は勝利に酔い、アメリカに何等報いることが無かった。思惑が外れ憤慨したルーズベルトの報復は日本人移民禁止法等、排日法の制定であった。此の非友好的関係は日中戦争により一層エスカレートし、遂に1941年日米開戦に至り、日本の敗戦により決着を見たのである。 
 
 然し四十年に亘る日米間の軋轢により生じた犠牲は余りにも大きかった。特に日本の損害は世界から長期間再起不能であろうと思われる程大きかった。然し日本の復興は驚異的スピードで進み10年後には戦前を凌ぐ国力を恢復していた。確かにGHQの占領政策は敗戦国に優しく、又1950年に起きた朝鮮戦争により得た漁夫の利も大きかったが、戦争中、困苦に耐えた国民のバイタリティーが大きかったのであろう。 
 
 第二次大戦で日本のとどめを刺した核兵器は今や世界に拡散し、その所有国は相互に疑心暗鬼の結果、口に拡散防止廃棄を論じ乍ら他方その性能向上を競っている現状である。 
 近年、北朝鮮の核保有が明らかになると、日本も対抗上核兵器を持つべきと云う論議が起きている。核に対抗するには核と云う論理は単純でわかりやすいが、危険な誤りである。核戦争に勝者は無い。狭い島国日本が核戦争に巻き込まれた時の惨状は想像を絶するものであろう。拡散した放射能により、人類が生存出来ない島と化すことも有り得るのである。軽々しく核軍備必要論等、口にすべきではない。 
 
 日本の安全は徹底した平和政策によってのみ譲られるのである。軍事占領しても何も得るものも無い、しかも食料自給率40%の日本を占領目的で攻略する愚かな国は世界に存在しない。 
 
 大戦後の日本はアメリカの占領終了後、日米安全保障条約を結んだ。当時日本の政治家はアメリカの核の傘のもとに守られると言っていたが、それはアメリカの戦争協力者になることであった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク侵攻に於ける前線基地としての日本の協力をアメリカは高く評価している。 
 軍備を持たない、戦争に関わらない不戦憲法を守ることで災いを避ける途を選ぶべきである。日本は世界平和の模範になるべきである。 


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