2009年07月30日20時10分掲載  無料記事
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戦争を知らない世代へ

アフガン戦争 英兵の遺体を見送る人々とともに

「対テロ戦争」という大儀のためにアフガニスタン南部に派遣されている駐留英軍の死者が急激に増加している。今月7月に入ってから、既に22人が死亡。2001年、戦闘に参加してからの英軍の総死者数は191人で、2003年のイラク戦争での死者179人を超えた。「今すぐ英兵をアフガニスタンから撤退させるべき」という声が英国内で日々強まってはいるものの、「お国を守るために、使命を全うしてから帰国させるべき」という意見も根強い。こうした中、英南部の町、ウートン・バセットが近頃、注目を浴びている。この町は、亡くなった英兵の遺体が入った棺を英空軍基地から病院の死体置き場まで運ぶ行路の途中にある。2,3年前から、この町に全国から人々が集まるようになった。棺を運ぶ車の到来をじっと待ち、通過時には黙祷する。無言で帰ってきた英兵たちに、敬意の念を表すのだ。(小林恭子) 
 
 28日、4人の英兵の遺体の通過日、私はウートン・バセットを訪れてみた。 
 
―小さな目抜き通り 
 
 ロンドンの中心から電車で約1時間、まずスウィンドンに着く。ウートン・バセットには電車の乗り入れがないので、スウィンドンからタクシーに乗る。「どこまで?」タクシーの運転手に聞かれ、「ウートン・バセットの戦争記念碑のある場所まで行きたい」というと、「ああ、今日もあれがあるの?」と運転手は聞いてきた。全国から元兵士などが「敬意を表する」ために訪れるので、地元では有名になっているのだった。 
 
 「戦争記念碑」と言っても、2メートルほどの建造物で、地球儀を複数の手が支えた形をしていた。何だか小さな目抜き通りに建てられていた。どことなく、拍子抜けした。「記念碑」というからには、何か大きなものを考えていたのに。 
 
 午後1時半頃には車が通過することになっていた。私が現地に着いたのは午前11時半過ぎ。まだまだ時間はあったが、既に人々が道路の両脇に並び出していた。近くのスーパーで買ってきたパンをボトル入りの水で流し込みながら、自分は場違いではなかろうかとあたりを見回した。 
 
 ライナム英空軍基地が近くにある。ここに、アフガニスタンで命を落とした兵士の遺体が軍用機で運ぶこまれる。この後、遺族のみが出席する葬式が行われる。遺体を載せた車が、この町を通って、オックスフォード州にある病院の死体置き場に向かう。 
 
 ベンチでパンを食べながら、隣に座っている60歳ぐらいの夫婦と目があった。お互いに微笑を交わしながら、私が話しかけたら驚くだろうか、とふと思った。英国人の知人が言うには、「日本から来た、とは言わないほうがいいよ」。第2次世界大戦で敵国だった日本のことを、よく思っている人は少ないのだからーと。日本人、いやアジア人、それと有色人種の人は、ほとんど周囲には皆無だった。 
 
 一体どんな気持ちでここにみんな来ているのだろう?戦争は日本人の自分にとってはかなり遠い出来事だ。自分の娘や息子を戦場に送り、しかもその娘や息子が亡くなってしまうなんて、一体どういう思いになるのだろう? 
 
 私は何とかこの状況を伝えたいと思った。退役軍人らしい人数人が談笑していた。一番明るく笑っている人に近づいて、どこから来たのか、いつも来るのかと聞いてみた。「日本のジャーナリストですが」と前置きをしたのが悪かったのかどうか、「ジャーナリスト?私はジャーナリストには一切話をしないことに決めている」と後ろを向かれた。 
 
 仲間の1人が、私をじっと見ているので、今度は同じことをこの人に聞いてみた。にっこり笑って、「ランカシャー州から来た。亡くなった兵士に敬意を払うために来たんだよ」、と答えてくれたのが、退役軍人のロナルド・ストックリーさん(68歳)だった。35年間、軍隊生活を続けた。たくさんの若い兵士が亡くなったことは「非常に悲しい」。 
 
 しかし、ストックリーさんは、英国のアフガン派兵は続けるべきだという。「そうしないとテロの脅威から英国を守れない」。 
 
 車椅子に座った女性の隣に、杖を突いて立っていたのが、元兵士のデビッド・ヒューズさん(49歳)。片足を負傷していた。兵士の福祉向上のための運動家でもあった。「兵士たちのために募金活動をするのは、一旦軍隊に入ったら、辞めても、一生軍人仲間だから」 
 
 「アフガニスタンでもどこでも、兵士は命令された場所に行く。お国のために。それが兵士というものだから」 
 
 「その代わり、国は兵士の面倒を見るもの。しかし、残念なことに、国防省は負傷した兵士に払う金額を減少しようとして、裁判を起こしている。嘆かわしいー」。 
 
 1時近くになってきた。道の両側に元兵士、現役軍人、警察官、遺族や親類、ウートン・バセットの住人たちや、メディアがひしめき合うようになった。テレビ局が大きなバンを止めていた。カメラマン用の脚立も並び、カメラマンたちが手持ち無沙汰に通りを見たりしている。 
 
―「のぞき見をしたくない」 
 
 道の両側に立ち並ぶ人々の群れから少し離れ、店舗の壁に背中をくっつけるようにしている立っている人がいた。近所に住むマーティン・ピアースさん(80歳)。ライナム空軍基地で長年働いていた。「命令が来たらどこにでも行くーそれが兵士なんだ。アフガン派兵は続けるべきだと思う。国をテロの脅威から守るために」 
 
 「遺族の痛みや悲しみは英国全体で共有されていると思うよ」。 
 
 英兵の遺体を載せた車が通る場所にピアースさんが来たのは初めてだ。「友達が来たので、たまたま一緒に来てしまった」。しかし、これが最後で、二度と来たくはないという。「何故かって?ここは肉親が死んだことを悲しむ、プライベートな場所だからだ。人のプライバシーをのぞきたくない」。 
 
 自分の息子がもし兵士で命を落としたら?「それはいやだな」と急に顔をくもらせた。「自分の肉親をアフガンには行かせたくない」。 
 
 ピアースさんのすぐ側に、十代の少年、少女たち数人が、きれいな列を作って並んでいた。全員が水色のシャツに紺色のズボンかスカート、そしてベレー帽をかぶっていた。英空軍の「ユースセンター」の子供たちだという。航空学について学んでいる子供たちだと説明をしてくれたのが、引率をしていた、マーク・ラブレッジさん(35歳)。「亡くなった兵士に敬意を表するために来た、アフガン派兵は続けるべき」と、他の参加者も言っていた発言を繰り返す。「でも、『個人的には』、アフガン戦争は意味がないと思う」とポツリと述べた 
 
 間もなくして、雨が降り出した。傘を持ってこなかった私はスカーフで髪の毛をおおった。軒下に隠れようにも、どの店舗も隠れるほど大きな軒下を持っておらず、殆どの人が雨に濡れたままになっていた。先ほどのRAFユースセンターの若者たちの、きれいにアイロン掛けされた水色のシャツが見る間に雨に濡れてゆく。 
 
 見覚えがある、全国紙テレグラフ紙の女性記者がいた。「ここではアフガン派兵賛成者がずいぶん多いようだが、これは全国的な傾向だと思う?また、軍隊に関係ない人も、英兵の死者の増加に強い痛みや悲しみを感じているのだろうか?」と聞いてみた。 
 
 「行ったからには目的を果たして、がんばって欲しい、これまでの死が無駄にならないようにという思いは強い」と彼女は答えた。また、「全国的にも悲しみは強く共有されていると思う。各地からやって来た人にここで話を聞いたから」。 
 
 何故ウートン・バセットが「追悼の名所」になったのだろう?(続く) 
              *** 
(視点を変えるサイト、「ニューズマグ」より、転載) 


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