2009年11月12日15時47分掲載  無料記事
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中国

歴史教科書に変化の動き 階級闘争より文明史観を強調、「民主」「法制」「人権」も登場

  歴史認識問題は、どこの国においても現在の国の利益に直結しているのかもしれない。とくに中国の場合は、共産党独裁体制の正当性に深く関わっている。かつてはその正当性のためにあまりに非客観的な歴史観が学校で教えられてきた。しかし、グローバル化の現在、プロパガンダの歴史観は通らなくなってきた。硬直した歴史観から脱しようとしている中国の歴史教科書の記述の変化は、微妙な現在の国際関係、ことに日中関係を反映している。(納村公子) 
 
 中国の歴史教科書に関する二つの事件が世論をにぎわせた。一つは2006年3月の「氷点事件」。中国青年報『氷点週刊』が中山大学の袁偉時教授の「近代化と歴史教科書」を掲載したことで発行停止になった事件である。袁教授は中国の歴史教科書の中に氾濫する極端なナショナリズムと階級闘争教育を、「狼の乳式」イデオロギー教育(訳注:母乳ではないニセの乳を飲ませる、つまり誤った内容を教育するという意味)と批判した。党中央宣伝部はこれに対し「とうに結論の出ている歴史問題を覆し、党の思想教育の場にひどく誤った思想をばらまいた」とした。 
 もう一つの事件は同じ年の9月、『ニューヨーク・タイムズ』が上海で使用される新しい世界史の教科書について、政権交代や毛沢東について語っておらずイデオロギーが薄れていると報道したもので、まもなくこの教科書は使用中止となった。 
 
 世論には波があるものの、中国の歴史教科書の改変と思想の変化はゆっくりと着実に進んでいる。 
 
 変化は2004年の秋から始まった。モデルケースとして広東、山東、寧夏、海南の4省で、それまで人民教育出版社のみだった高校の歴史教科書を、人民出版社、岳麓書社、大象出版社を加えた4社のものから選べるようにした。これが現在では、32の省、市、自治区にまで広がっている。全国一律で同じものを使っていた歴史教科書としては、まさに画期的な変化である。ある意味では日本が採用している「民間が編纂し、国家が管理する」というやり方に近いと言えよう。 
 
▽「一綱多本」への改革 
 
 高校の歴史教科書を一種類に限らないとは言っても、その土台は教育部の「普通高校歴史課程標準」(2003年3月成立)である。つまりこれまでは「一綱一本」(訳注:「一つの教育要綱、一つの教科書」)だったのが「一綱多本」(訳注:「一つの教育要綱、複数の教科書」)へ移行したということだ。「一綱一本」の時代は教科書が学習の拠りどころであった。しかし「一綱多本」の時代になると、省や地域の中で、違う教材で学習した学生が、同じ大学進学統一テストに挑むことになる。統一テストの出題は教科書からでなく「新課程標準」を基準とするようになる。 
 
 その「新課程標準」も、これまでに比べて大きく変化している。蘇州市教育科学研究院歴史教育研究員の沈春華氏によれば、もっとも根本的な変化は、文明史観が強調され階級闘争があまり論じられなくなったことだという。 
 
 これまで、中国の学生にとって王安石は「地主階級の改革者」というのが常識であった。しかし「新課程標準」および教科書においては、王安石の階級的属性について触れられることなく、彼の改革が「進歩的な地主階級が自らの支配を守るために行ったもの」という記述もなくなった。新しい教科書では、人類社会の発展を物質文明の見地から、原始文明、農業文明、工業文明などに分類し、これまで論じてきたような、原始社会から奴隷社会、封建社会から資本主義社会、さらに社会主義社会へ発展する「五つの社会段階論」は強調されなくなっている。 
 さらに例を挙げると、これまで「歴史を進展させる大きな原動力」とされてきた農民蜂起の影もすっかり薄くなり、学習や試験の重要項目ではなくなっている。陳勝・呉広、黄巾軍、黄巣の乱から李自成、張献忠に至るまで、これまでの地位を失ってしまったのだ。 
 
▽グローバルな歴史観が目立つように 
 
 「新課程標準」のもう一つの特徴として沈春華氏が挙げるのは、グローバルな歴史観と、中国と世界のつながりの重視である。「世界の古代史」の記述が増やされ、西洋の政治制度のもととなったギリシャやローマの政治の章が必修項目として特別にもうけられた。また、選択項目として古代ギリシャのソロンの改革やトマス・アクィナスの王権神授思想なども加えられた。 
 
 また、数多くの国際的な史実についての記述が、従来の「高みの見物」的な書き方を改めている。たとえば第二次大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)は、アメリカが日本をうまく利用するためにアメリカ本位で行われたとされ、その証拠に、多くの裁かれるべき戦犯が罪を免れ、日本の天皇制も残されたというのがこれまでの記述。しかし新しい教科書では、この裁判が正義の裁判であったと記している。 
 面白いことに、日本の右翼はこの裁判を、戦勝国アメリカが自国の利益のために日本に押し付けたものだと考えていて、裁判の合法性を否定している従来の中国の教科書と、ある意味で呼応している。しかし今の中国に言わせれば、この考え方は時代にかなっていないのだ。 
 
 さらにグローバルな歴史観として、「新課程標準」の開放性と多様な価値観の肯定を挙げることができる。たとえば従来の教科書では、辛亥革命を「資産階級が指導した革命運動」であり、徹底性に欠け、「半殖民地、半封建」状態だった社会を変えることはできなかったことを強調している。しかし「新課程標準」では、学生たちに「辛亥革命は成功か失敗か」をテーマに討論するよう勧めるだけで、結論は出していない。 
 新しい教科書を細かく見ていくと、イデオロギーの変化が他にもたくさん見つかる。 
 
▽民主と人権が価値基準に 
 
 「民主」と「法制」は教科書の中で、真っ先に階級属性の考え方から離れて、絶対的な価値基準となった言葉である。新しい課程では、世界の近代政治発展史が、専制から民主へ進む歴史と解釈され、中国近代史の記述もこれに呼応している。たとえば、人民教育出版の必修教科書『政治文明』では、中国近代史を「中国人民が侵略に対抗し、民主を求めた歴史である」として「民主」を前面に押し出し、半世紀ものあいだ踏襲してきた「反帝国主義・反封建主義」という表現をやめている。 
 太平天国についても「太平天国は中国の近代民主革命の発端と言えるだろうか」を学生に考えさせるようにしており、その解釈は、従来のような農民戦争や階級闘争といった視点から、民主革命の視点に変わっている。 
 
 1950年代以降の歴史記述についても、同社の教材では、民主と法制の進歩こそが新中国の政治の進歩であるとし、文化大革命の悲劇を、民主と法制を踏みにじったものであるとしている。 
 
 新しい教材は文化大革命が法制を破壊したことを強調し、「動乱の中、国家の基本である『中華人民共和国憲法』は白紙と化し、各種の法律は効力を失い、公民の基本的な権利や自由は失われた」と記述している。さらに革命後の政治については、「法治国家」と徹底した民主にポイントを置き、1998年に通過した「村民委員会組織法」を取り上げ、各地で村民自治や民主的な選挙が実現されるようすを紹介し、数々の施策のおかげで「これまでのような政府が村民委員会の幹部を任命するやり方が改められ、民主化が末端まで行き届いている」と記述している。 
 
 人民教育出版が「民主」や「法制」を強調しているのに対し、岳麓書社の教材はさらに「立憲政治」と「人権」をも強調している。たとえば必修教科書『政治文明』では、中国が近代において「立憲政治」実現のために努力してきた歴史を紹介し、清朝政府や民国政府がどのように立憲政治を捉えていたかを学生に考えさせようとしている。また、文化大革命については「国家の法律は名ばかりとなり、人権は大いに踏みにじられた」とし、「人権」という言葉を直接使っている。 
 これまで中国の教科書に「人民の権利」や「公民権利」といった曖昧な言葉が使われることはあったが、価値基準になる言葉として「人権」が登場したのは初めてである。表現の変化は思想解放の現われと考えてよいだろう。 
 
 中等教育の歴史教科書は、イデオロギー教育の最高の場と考えられている。そして今でも昔からの縛りがたくさんある。たとえば、社会主義の優越性を論じ、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、��小平理論や「三つの代表」思想などの政府側の理論には解説を加えなくてはならない。たとえ階級闘争を中心とした歴史哲学の色が薄れたとしても、偏狭なナショナリズムが依然として根深く残っている。義和団が「扶清滅洋」(訳注:清国を守り外国をやっつける)のスローガンのもと、西洋人や欧米文明に対して行った野蛮な行為が、侵略者に対する愛国主義運動だと単純に捉えられているのを見れば、それがよく分かる。 
 
 中国青年報『氷点週刊』で中等教育の歴史教科書を批判した歴史研究家の袁偉時氏は、関係部門の権益が、教育改革の足を引っ張っていると指摘する。「教育部の中にある教科書審査委員会こそが、その権益の源だ。そこにいるのは政府お墨付きの人間で、研究プロジェクト、経費、国家基金などの決定権を持ち、歴史教育の方向を決める。彼らがいるからこそマルクス・レーニン主義を高々と掲げることができるという、まさに中国の歴史研究を代表する人々で、彼らはやりたい放題です。ここを変えなければ、中国の教科書問題は変えられない」。 
 中国の歴史教科書と言えば、真相を隠している点も問題だが、もっと恐ろしいのは、学生たちに自ら考えることをさせない点で、これこそが中国の歴史教科書の最大の弱点であると袁氏は指摘する。 
 
 しかし、ここ5年ほどのあいだに水面下で起こっていた変革の力は大きい。新しい歴史教育では、完璧だったマルクス主義の枠組みが解体され、階級史観の代わりに文明史観が登場し、近代世界政治の基本テーマが専制から民主への変化と捉えられ、「階級属性」ではなく人間性が問題分析の原点となり、民主、法制、憲政、人権といった「世間一般の価値」が、従来の「革命」に代わる価値基準となったのである。 
 
 もしこうした教育が定着したら、新しい世代は、民主、法制、人権、憲政が整っていない中国を批判し、民主化を進めるための責任感を発揮するのだろうか。新しい課程の示す考えが変化し、中国の歴史教科書が変わることで、今後の政治改革が進み、民主化、憲政、法治の進歩や多元化が実現すると考えてよいのだろうか。新しい歴史教育では、人文主義精神や人間性と生命の価値が強調され、多様な歴史認識の合理性が認められ、学生に対しては、意見の異なる人々との協調が求められている。だとすれば、こうした教育のもとで育った世代は、中国の社会や政治をより寛容で人間的な方向に推し進めてくれるだろうか。結果はこれからだが、世界中の中国人が期待している。 
 
原文=「亜洲週刊」2009/11/8 喬志健・張潔平記者 
翻訳=本多由季 


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